禁句
「あなたも知ってると思うけど、夜勤の時はアレは絶対禁句よ。」
「わかってます。アレですよね。」
主任と一緒に夜勤になった夜、私は念を押された。宿直の夜がいかに暇であっても、「今夜は暇ねえ。」だとか、「今日は暇でやることがない。」とか口にするのはタブーである。
偶然なのかもしれないが、前にいた病院でもついうっかり誰かが口にしたとたん、ナースコールは鳴り始め、急患が続けざまに来るというそれは大変な思いをした。先輩はみな口をそろえて言う。
「夜勤の晩に”暇”って云うのは禁句だからね。」
今夜は異常なくらい静かだった。あくびをした私を見て、主任が釘を刺したのも分かっていた。巡回から帰ってきた先輩がナースステーションに死神を連れてきた。
「また連れてきたの?」
「集中治療室の辺りをうろうろしてたんで、引っ張ってきちゃいっました。」
真っ黒いガウンとフードに包まれた死神は申し訳なさそうにペコリとあたまを下げた。
「誰かに見つかると騒ぎになるからって、言ってるでしょ。」
主任は死神に向かって小言を言う。心なしか手に持った大鎌がしおれたように見える。私も初めて死神を見るが、この病院では当たり前の出来事らしい。他の看護師も動じる様子はない。みんなその姿から死神と呼んでいるが、この死神は何も悪さをすることがないのだという。看護師や医者にはけっこう見えるのだが、患者には不思議に見えることはないのだそうだ。ただ、霊感の強い患者さんには時折見つかるようで、騒ぎになるらしい。
「変な噂が流れると大変だから、ね。行くとこがないんだったら、ここに居ていいから、うろうろししないで下さい。」
死神はぺコンと申し訳なさそうにまた頭を下げた。きっと彼も暇を持て余しているのだろう。身の置き場がなさそうである。さすがに死神のいる病院などという噂がたったら、病院としては死活問題である。誰かに見つかるよりはナースステーションに居てくれたほうが助かるのだ。ただ、夏は涼しくていいのだが、冬場は暖房が効きにくいというデメリットはあるそうだ。いずれにせよ、深夜によく見つかる死神だが、朝にはいつの間にか消えていなくなっている。
「コーヒーでも出しましょうか?」
私は立ち上がり、コーヒーを淹れる事にした。今日はちょっと疲れていて、いつもより眠気が強い。座ってパソコンの画面を眺めているより、立って動いていたほうが気が紛れる。
「じゃ、私にも頂戴。」
「すいません。お願いです。」
私はコーヒーを4つ淹れるとテーブルに運んだ。死神の分もある。
「死神はコーヒー飲まないよ。」
「でしょうけど・・・。」
死神はまた申し訳なさそうに頭を下げた。
「私もお菓子とかあげたけど、絶対手を付けないのよね。」
死神はペット化しているようであった。
「あー、こんなとこに居た。」
もう一人の看護師が返ってくるなり、そう言った。
「何もなかった?」
「何も無いですよ。平和です。」
「平和が一番。」
「これなに?」
帰ってきた看護士が死神の前のコーヒーカップを指さした。
「コーヒー?」
「まあね。」
私がそう答えた直後、死神がすぅ~っと消えた。
「え?」
そしてナースコールが・・また一つ、また一つ・・・・。
やっぱり落語。