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スキル《神層学習》―学習する最強の兜(俺)-  作者: 茅原
間章・影野アンズという女
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影野アンズという女part1

 天城ハルト、小学四年生(十歳)。七月某日の昼休み。


 今日は汗を搔きたくない気分で、俺は友達の誘いを断って教室に残っていた。


 電気が消えて薄暗くなっている教室の窓から(休み時間には無駄な電気を消す。そういう決まりのある学校だった。)、ギラギラした陽射しに焦がされる外をボンヤリ眺めていると、その中にふと妙なものを見つけた。


 教室の窓から見て正面、つまり校舎の南側にはクラスごとの花壇が設けられているのだが、その前にモゾモゾと蹲っている不審な人影がある。


「……アンズ?」


 俺は思わず呟いて、それから窓が閉まっていたことに気づいてそれを開けた。


「おい、アンズ。何してんだ?」


 教室は一階だったから、よく声は届いた。白いTシャツにGパンという格好のその女子――影野(かげの)アンズは顔を上げて、長い前髪の下から驚いたような目で俺を見上げた。


「べ、別に……虫を見てただけ」

「虫?」


まさか熱中症か? そう思っていた俺は少し拍子抜けしたような気分で、


「虫って……どんな虫?」

「ミカドアゲハ」

「ミカド……?」


ここからでは花の色が眩しくてゴチャゴチャしていて、その虫――おそらく蝶々がよく見えない。


気になる。つい先程「外には行きたくない」と言ったことも忘れて、俺は外へと駆け出した。そして、また花壇の前に蹲っていたアンズの隣に並んでみると、


「うわっ。デカいアゲハチョウだな」


 そこには、俺の掌くらいもある黒とタマゴ色の羽を持ったアゲハチョウがいた。俺たちに見つめられていることにも気づかない様子で、マリーゴールドの蜜を一心に吸っている。


「うん。アゲハチョウ科の、ミカドアゲハ」

「アゲハチョウカ?」

「そういう種類……」


 じっとミカドアゲハを見つめながら、アンズは言う。


 へー、と俺はよく解らないまま相槌を打って、


「アンズって虫好きなんだな。一年生ん時からずっと同じクラスだったけど、知らなかった」

「虫が好きっていうか……生き物が好き。カラスとか、ヤモリとか……」

「へー。じゃあ、カブトムシとかも?」

「うん」

「カブトムシがたくさんいる場所とかも知ってんの?」

「カブトムシなんてどこにでもいるよ。あの樹の所とか」


 そうアンズは言って、学校の敷地を囲む壁、その内側に植えられている木々のほうへと歩き出す。


「学校にカブトムシなんているわけねーだろ」


 言いつつも、俺はアンズの迷いのない足取りに引きずられるようにその後を追った。


と、アンズは一直線に向かっていたとある樹の裏側を覗き込む。


 そして、ちょっと幹に手を伸ばして、それからこちらへ見せたその手には、確かに一匹のオスのカブトムシが握られていた。


「す……すげーっ!? なんでこんな所にこんなのがいるんだよ!」

「この樹、毎年カブトムシが来てる。いない時もあるけど……」

「マ、マジで……? 学校にカブトムシなんているはずないと思ってた……!」


俺はアンズの手から受け取った、焦げ茶色の鎧を纏ったカブトムシを見下ろして、それ以来、『昆虫ハカセ』としてアンズを尊敬するようになった。


そしてこれが、俺とアンズとの実質的ファーストコンタクトだった。




天城ハルト、初学五年生(十一歳)。十一月某日、給食時間。


 さっさと給食を食べ終えて、食器の返却まで済ませた俺は、正面にこちらを向いて座っている(給食は班ごとに机を固めて食べる規則だった)アンズを見て「ん?」と眉を寄せた。


アンズはいつも食べるのが遅い。一生懸命口をモグモグさせている割には、大抵皆が片づけ始める頃でもまだ口をモグモグさせていて、いつも慌てて後片付けをさせられていた。


 だから、アンズがまだタマゴわかめスープを一所懸命飲んでいることなど別に気にすることでもなかったが、俺の満たされることのない食欲は『それ』を見逃さなかった。


 俺は、蓋を開けただけで放置されていたアンズの牛乳瓶を見て、


「お前、それ飲まないの?」

「え? う、うん……」

「じゃあ、飲まないなら俺にくれ」


 言って、俺はそれをむんずと掴むと、アンズが何か言っていた気がしたが、一気にそれを飲み干した。


 すると、アンズがどこかドギマギしたように、顔を朱くしながら俺を見ている。


「ん? なんだよ? どうかしたか?」

「それ……わたし、少し飲んだ……」

「……え?」


 周りの人間がガヤガヤと慌ただしく片づけ作業に入っていたおかげで、俺がしでかしたことはどうにか周りに知られずに済んだ。それだけが不幸中の幸いだった。


と、耳まで顔を真っ赤にするアンズを見ながら思ったことを憶えている。


たぶん、俺のこの間違いこそがあらゆる諸悪の根源となってしまったような気もするが、別にそういうわけでもないという気もする。


 それはアンズに訊いてみなければ解らない。




 天城ハルト、十三歳、十月某日。


「じゃあ、今日はハルトんちな!」


 そうデカい声で言って玄関を駆け出ていこうとする友人数人を見送りつつ、俺は後ろで靴を履き替えていたアンズに気づいて言った。


「ああ、アンズ。これからウチでゲームするんだけど、お前も来いよ」


 え? とアンズは中学生になっても相変わらず長い前髪の下から、驚いたように俺を見る。と、友人の一人がどこか攻撃的な口調で言う。


「えー? 男だけでやろうぜ。男だけのほうが楽しいって」

「ん? ああ、いや……」


 その気持ちは解る。よく解るんだが……だからといって、ここでアンズを無視することは俺にはできなかった。


 アンズは中学に入ってから、一人でいることが多くなっていた。というか、ほとんどいつも一人だった。

小学の頃から女子よりも男子と過ごしていることが多かった(アンズのニックネームを『昆虫ハカセ』にして、男子グループに巻き込んでいた俺のせいでもある。)のだが、中学に入ってより女子一般とは趣味が合わなくなってしまったらしく、女子の輪からは完全に弾かれてしまっていた。


 おまけに、中学になると男と女の間にある壁が心なしか高く分厚くなって、そのせいでアンズは男子からも浮いた存在になってしまっていたのだ。


 そんな状況に対してずっとモヤモヤし続けていた俺は、苦い顔をしている友人を首に腕を回して引き寄せて、


「お前、そんなこと言うなよ。前はよくアンズとも遊んでただろ?」

「いや、そうだけど……」

「アイツのおかげで、俺たちがどれだけカブトムシゲットしたと思ってんだよ。お前、あの時の恩を忘れたのかよ」


 俺はそう友人をねじ伏せて、ぽつんと立ち尽くしていたアンズに言った。


「やっぱりお前も来いよ。――ああ、いや、でも用事があるなら――」

「ううん、用事はないよ」

「そうか? なら、一回家に帰ってから――じゃ、ダメか。お前、俺んちの場所知らないよな。なら、このまま――」

「ううん、ハルト君の家は知ってるよ」

「え? ああ、そうか? なら、後でな」


 アンズを家に呼んだことなんてこれまであったか? と訝りながら、俺はアンズと別れた。


 この頃くらいまでは、まだアイツも『普通』だった。そう思っていたが、いま思い返してみると、いくらか兆候は出ていたような気がしなくもない。

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