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歴史とDNA

猿田彦とDNA

作者: とびうお君

 さて本命は終ったと思う。でも私はズット前からC1A1をどうしても片付けたかった。縄文と弥生を繋ぐ海人の文化がとても重要。稲作に先行する形でこの時代があったと見ている。出雲王朝は、これらの前の時代の海人文化と山東省灌漑稲作文化が合体して出来たかなり巨大な王朝だったと見てる。


 こういった融合は幾らでもあっただろう。だがどれも小国だったと思われる。その中で多数の国をまとめたような国家はこの国がスタートだったんじゃないか?と見ている。その基盤に有力豪族であった海人集団の連合があったと見ている。


 そこで中国系か?インドネシア系か?がすごく大事になる。


 C1A1は誰しもがアボリジニのC1Bに近いインドネシアにいるような系統だと見てるだろう。私はそれ疑っても良いのじゃないか?と最近は見ている。その理由が中国と半島での発見が大きい。未だにそこから日本から海上を通じて広がったとの見方しか無い。私はこれ逆じゃないか?と見始めた。


 例えばO1B2を見たら中国に居るのか?根拠はO1B1が中国南方に多いから根拠になる。でも実際は中国ではほとんど消えてしまって特に重要な山東省に居ない。さてこれだが、実は山東省に居る。とても少ないが一例なら私は見た事がある。これを日本から広がったというだろうか?多分言わない。ああ大半絶滅したんだなと分かるだけだと思う。


 その根底には先入観の違いがある。C1A1が旧石器ぐらいに南方からやってきた古い遺伝子だという思い込みがある。その根底には日本固有種だと言う固定観念から抜けきらないせいだと思う。


 さてまた神話だ。猿田彦を祭る神社の子孫の人がC1A1らしい。これが何を意味するか?その神社は伊勢神宮の近くにある。猿田彦は国津神集団からの裏切り者になる。天皇家の天津神の先導を買って出た。これで天津神グループの功労者になってしまった。ただ出自自体は国津神に近いグループとなる。


 もちろん縄文海人は当然居るだろう。天皇がそうだと見てるから。だが私は縄文海人はD系が多かったと見ている。D系は大きく3つのグループに分かれる。こういうのが山彦海彦の神話の元になったのじゃないか?と見ている。D系の中で生活スタイルが違う集団が出来たのが遺伝子に出てるのじゃないか?と見ている。


 東南アジアから来た石斧を使う集団が何者か?は分からない。だがそれらの技術はカルデラ噴火後に全国に散らばった後、多分すぐに海で暮らすD系と融合しただろうと見ている。ただC1A1はボトルネックを集団として受けてる。ここからカルデラ噴火の被害者じゃないか?と見られている。


 その点とてもややこしい集団なのは分かっている。


 だが私はC1A1はチャニーズ海人系である可能性が出ていたと見ている。O1B2などと一緒に日本に来た可能性がある。ポイントは、旧石器から縄文に掛けての時代じゃなくて、縄文から弥生の第2の渡来の波の時代に来たと見ている点。猿田彦のいた地域は、インドネシア系の地域と被る。ただそこは遼河長江系も高く出る。どっちとも取れる。


 猿田彦は典型的な半農半漁の海人系だと言うのが猿田彦に纏わる神社の祭事で何となく分かる。豊作大漁を願う祭りと、稲作に纏わる単独の豊作祈願の祭りなどがある。後の時代に付け加えられただけだという事も出来るだろう。だが田植えと音楽と言う田楽というものがある。これを見ると、後に結婚するあめのうずめの踊り子としての性質と重なるような部分を持つ。


 後から付け加えられたものじゃなくて、元々猿田彦は豊作の神様の面もあったと見ている。そこからO1B2と近い可能性を考えている。そうなると、アイヌに出ない。日本全国でかなり発達した系統と言うのもすっきり解けてくる。


 さあこれだけじゃ神話のこじつけに過ぎない。しかも猿田彦=C1A1はあまり確かな証拠ではない。誰が日本の氏族を調査してるか?が分かって無いんだ。外国人がやってるのは間違いない。日本はどうもこういうの熱心じゃないから。胡散臭いのは確か。


 だが、中国と半島で見つかった調査は確かなものだ。そこにかなり大きな問題で、日本の系統より中国の系統の方が古い分岐にある。もちろん、もっとたくさん取れば日本で古い系統が当然見つかるだろう。おそらくかなり前に日本から渡った可能性もあるからだ。しかしだ、日本の系統の下にあるわけじゃないのは確かなんだ。


 これは日本固有のハプロと考えるのは問題があるんじゃないか?と思う。例えばこれがD1B系なら大体日本の下位系統が海外で出る。上位の古い系統はすべて日本にある。それでもこういう発想になるのは、D1B系が海ルートじゃなくて、大陸ルートの可能性を考えてしまう部分があるからになる。


 これは当然だろう。チベットのD1Aの存在があるためだ。韓国のD系はおそらく日本人の子孫。実際縄文人と良く似た人骨などが縄文から弥生期に半島でも見つかっている。カムチャッカ半島などはサハリンアイヌとして有名だ。D1B系の方がむしろ海ルートだけなんじゃないか?と思わせるものを持ってる。


 それは最近確定されたアマンダン諸島のDがD1Bだった事が大きい。明らかな海岸沿いでの移動がわかる南方ルートになる。北方からのマンモススハンターというのは多分違うのじゃないか?と思う部分。私がD系が海人系としてしっかり見た方が良いと言うのはここがある。ただし、石斧文化で来たグループはどうか?と見ている。その理由として、おそらくシベリアに伝えただろう丸木舟について、D1B系がシベリアで見つかっても良いからだ。


 この縄文人を明確な海人文化にした石斧集団のハプロは私は不明で良いと思っている。C1A1とD1Bがちょっどひっくり返った形になってる。ある意味インドネシア海人起源のD1Bとチャイニーズ海人起源のC1A1。そんな異色の見方を紹介しておこうと思う


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