第95話 控室にて 東条円香
二度目の地響きに、建物が揺れ動き、控室のテーブルの上に静置していたコップが床に落下し、中に満たされていた珈琲がぶちまけられる。
「円香、どう思う?」
スーツの上からでもわかる強靭な体躯に、獣のような野生的な容姿の男が、両腕を組みつつも、私、東条円香に問いかけてくる。
こいつは、四童子八雲、防衛省の背広組であり、防衛省制服組のトップ――四童子真八の実子。
近年、探索者の躍進と共に国家公務員法が大幅に改正され、国家公務員たる背広組の中からも、戦闘専門部署が設置されるようなった。その新設された部署のエースが此奴だ。
円香と八雲は、親同士が既知の仲であることもあり、幼い頃から常に顔を突き合わせてきた。まあ、円香は、警察官であり、防衛省の職員である八雲とは最近、会う頻度は減ってきた。それでも、月に一度は共に飲みに行き、お互いの暴君たる父君達の愚痴を吐き出して、日頃の鬱憤を晴らしている。
「厄介事じゃん?」
「だよなぁ~、このセレモニーに出るように、俺達に指示したのは、あの親父殿達だし……」
そうだ。昨晩、突然、父である東条秀忠から、大学部門のセレモニーに出席するよう命じられる。
確かに、円香も、八雲も国家代表部門の選抜メンバーであり、学生達を激励するという観点からは、形式的には出席の理由はある。
しかし、円香は突然の《アシュパル》の第一王子のお忍びによる訪日により、警察庁警備局警備課長として、指揮の任にあたっていた。優先されるべきは警護の任務のはず。なのに、父は、警備課長の後任を無理矢理つけて、円香に大学部門のセレモニーに出るよう指示してきたのだ。普段の父でもここまで強引な行為はしないし、いくら父が長官官房長でも流石に通常な不可能な人事だ。なのに、警察庁の誰も異を唱える事もなく、円香のセレモニー出席は急遽決定した。
あの父達が揃って、何の意図もなく、たかが学生達の大会のセレモニーに出るよう指示するとは思えないし、この気味の悪いほどのお膳立て。
さらに、電話口でのあの妙に早口の父の口調。あれは、テンションマックスとなった際の父の悪癖。悪巧みは確実だろうが、ああなったら、父達は止まらない。最後まで爆走するのみ。
「行ってみる?」
大会スタッフが円香達を呼びにくる予定となっているが、これが父達の計画なら、行動を起こさなければ、大惨事に発展する。そして、そのことを十二分に円香達が把握していることも考慮し計画は立案されているはず。あの怪物ならきっとそうする。
「ああ、他に選択肢はないなぁ……」
心底、嫌そうに顔を歪める八雲。
今は八雲の心境に心底共感する。前代未聞のあの父のはしゃぎようと四童子真八さえも絡んでいるという事実。この騒動がどんな結末を迎えようと、円香達にとってきっと、最悪の斜め上の事態を爆走することになるのは明白。
(まあ、死ぬことはないとは思うけど……)
もっとも、死ぬような目に遭うことは確実だろうけども。
椅子から鉛のように重い腰を上げて、指示された会場へ向かう。
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会場が近づくにつれ、女性の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
やはり、こうなったか……いくら父でも、無辜の都民、しかも学生を生贄にするなど許されることではない。
特に会場には樹がいるんだ。円香はいい。父という存在を理解しているから。でも、樹は良くも悪くも純粋であり、父を心の底から尊敬し慕っている。その父に裏切られたとすれば、樹は大きく傷つく。それは断じて許容できない。
この件を無事に終わらせ、是非とも納得のいく説明をしていただく。仮に親子の縁を切ったとしても!
太腿部に設置されたホルスターから銃を抜き、扉を勢いよく開ける。
「は?」
覚悟していたとは言え、会場の異様な光景に間抜けな声が円香の口から零れ落ちる。
数十匹にも及ぶ百足女の化け物が充満し、その会場の中心では、百足女に足首を掴まれ持ち上げられている黒髪の女生徒。
悲鳴を上げつつも必死で逃れようともがく黒髪の女性の足先に百足女は大口を開けて齧り付こうとしていた。
「死ね!」
怒気のたっぷり含んだ言葉を最後に、円香の隣にいる八雲の気配が消失し、黒髪の女生徒の足先に食いつこうとしていた百足女の頭部が爆砕する。
「円香ぁ!!」
真っ赤なシャワーが会場内の床に降り注ぐ中、八雲の激高で真っ白になった頭が正常の機能を取り戻した。
床を蹴り、会場を疾走しながらも、銃の照準を百足女の頭部に定め、連続で打ち抜く。
百足女の頭部に銃弾が命中する度に、トマトが破裂したかのように、百足女共の頭部は四方八方へ弾け飛ぶ。
仮にも円香は世界探索者選手権の日本国代表だ。この程度の魔獣なら、円香と八雲の敵ではない。案の定、十数秒で会場の百足女の駆逐は完了した。
会場内の学生達から安堵の声が上がる。
「円香、お前は学生を治癒しろ。俺はあの女を捕縛する」
「了解」
八雲は回復系の魔術もスキルも有していない。円香は警察官。このセレモニーに参加しているのは、サーチャーになりたての卵に過ぎない。円香達からすれば、民間人と何ら変わらない。民間人の保護は警察の重要な職務の一つ。八雲に指示されなくても、端から学生達の治癒と警護を優先させるつもりだった。
会場内の確認を行うが、比較的重症そうなのは――。
(そういうことか……)
褐色の肌の女性を視認し、樹の意気消沈した表情の理由がわかった。
霧生明美、東条家の近所に住む古武術の道場主の一人娘。父の東条秀忠、八雲の父の四童子真八、そして霧生家当主――霧生溥儀の三人は、偉い迷惑なことに悪友関係にあり、幼い頃から、霧生道場に通わされた。
児童に対する虐待に等しい鍛錬を平気推奨するような親達だ。当然のことながら、樹達もこの道場で修業されている。自然の成り行きとして、樹は同世代の明美と親友関係となった。まあ、樹は親友というカテゴリーだけは絶対に御免なのだろうが。そんな大切な明美を目の前で助けられなければ、樹のフラストレーションは限界に達していることだろう。この死人のような姿も頷ける。
ともあれ、要救助者は多い。早く治療を開始しよう。
明美の患部に右手の掌を当て、スキル《祝福》を発動させる。《祝福》は身体の傷害を修復し、状態異常さえも無効化する優れもの。この程度の傷なら、完治とまでは言わぬまでも、応急処置としては十分なはずなのだが。
(私のスキルの効果がない?)
数回発動させるが、効果は霧散してしまう。どういうことだ? こんなヘンテコな事態は初めてだ。明美がスキル無効化体質であることなど聞いたこともないんだが。
とすると、この日本刀、下手に抜くと大量出血の危険性がある。今は放置が得策か。
まあいい、この傷なら物理的に圧迫するだけでも死にはしないだろう。
明美に簡単な止血の処置を施すと、他の生徒の処置へ向かう。
明美以外の学生は円香の《祝福》で、動けるほどには回復した。
あとは明美の処置だが、スキルの効果が無効となる理由がわからない。
最善策はこの建物から退避させ、専門の医療機関に委ねる事だが、テロリスが潜んでいた場合、狭い通路では円香達の行動の選択が限られ、十中八九、学生達数人に被害が出る。父が絡んでいる以上、テロリスの殲滅作戦は練るに練られているはず。ここはこの場に待機するのが吉のはず。
顎に手を当て暫し、思案していると、金色の髪をセミロングにした美しい女が明美の傍に座り、空中に指で何やら書き始める。
「《絶界》――《解除》
金髪セミロングの女の声に対応するかのように、明美を覆っていた紫色の膜が弾けて消える。
「君は――志摩家の御息女か……」
この子とはパティー会場で数回挨拶したことがある。志摩来栖。彼女も大学部門の代表メンバーの一人というわけか。
「円香様、御無沙汰しております」
「ああ、クリスもごきげんよう」
こんな切迫した状況なのにも関わらず、優雅に会釈をするクリス。この余裕は、多分円香達が、あの黒いドレスの女に敗北することはあり得ないことを肌で実感しているから。
(無理もないかな……)
視線を会場の中央に移すと、黒髪にドレスの女と八雲とが死闘を繰り広げていた。
「すげぇ……」
呆けたような顔で、学生の一人がボソリと呟く。
黒色ドレスの女が生み出した幾多もの釘は八雲の右手に握る刀で一刀両断され、全て粉々の破片まで分解される。
空中に出現した針から生じた化け物共は、八雲の刀で細かなブロック状まで切り刻まれた。
八雲は、黒色ドレスの女と一定の距離を取りながら、全て攻撃を受け流す。そして、決して浅くない傷を黒いドレスの女の身体に刻み込んでいる。
円香の見立てでは、あの黒色ドレスの女はレベル10。本来、レベル11の八雲の敵ではない。仮にこれが捕縛でなければ、とっくの昔に勝敗は決していたことだろう。
黒色ドレスの戦闘技術は非常に残念なものがあるが、奴の十字架を模した釘の能力は少々厄介だ。掠っただけで、八雲の前腕の半径数センチが抉れ、溶けてしまった。仮にもレベル上位の者の耐久力を打破するのだ。あの能力全てが真面じゃない。
ともあれ、戦闘技術に天と地ほどの差がある。もうじき、八雲の勝利でこの勝負は終わりを告げる。八雲に任せておいて問題はない。
視線をクリスに向けると、
「霧生先輩のスキル・魔術遮断効果は解除されています。先輩にも回復をお願いいたします」
スキルが無効化されていたのは、この子の能力ってわけか。《祝福》は、仮にも第三階梯のスキル。その効果を完全阻害するんだ。それ以上の奇跡とみて間違いない。それほどの能力を持っていればもっと、話題になってもよいはずなんだけど。
まあ、いい。今は明美の回復が優先か。
右手の掌を明美の額に当てると、《祝福》を発動する。ほんの数十秒で明美の左肩の傷の出血が止まり、血の気の引いた顔に赤みが戻る。これで応急処置としては十分だし、後遺症等の危険は回避された。
「円香……姉?」
「明美、起きたね。よく頑張ったジャン」
明美は円香をぼんやりと見上げて来るが、涙を浮かべ、円香のお腹に顔を埋めると身を震わせる。
あの明美が泣いている――その事実に、腸の煮えかえるような怒りが噴出してくる。
明美は円香にとって妹同然、そして明美は普段人前で涙を見せるような奴じゃない。要するに、黒色ドレスの糞女は、気丈な明美をここまでメタクソに追い詰めたということ。
しかも――。
樹に視線を移すと、涙でグシャグシャになった顔は死人の様に絶望一色で埋めつくされていた。
これだけ可愛い弟と妹に好き勝手なことをしてくれたんだ。ただで済ますつもりは、もう円香には微塵もない。
ホルスターから銃を取り出し、八雲と黒色ドレスに視線を移すと、
「ぐごっ!」
八雲の左拳が豪風を巻き起こしつつも、黒色ドレスの女の鳩尾に深く食い込む。黒色ドレスの女の身体はクの字に折れ曲がり、上空に持ち上げられる。
拳打と同時に地面を蹴って上空に移動していた八雲は、黒色ドレスの後頭部に踵を落とす。
尋常ではない速度で地面に衝突する黒色ドレスの女。間髪入れずに、女の左肩に刀を深く突き刺すと、床に縫い付ける。
「事態が収まるまで、そこで縫い付けられていろ」
吐き捨てるようにそれだけ告げると、八雲はポケットからスマホを取り出し、指で数回タップし、耳に当てる。
「貴様ぁ!! か、人間の分際で――」
「五月蠅い」
日本刀の柄で黒色ドレスの女の顔を数回殴打する。相も変わらず一切の容赦のない奴。
「……まだか!」
イライラと足の裏で床を叩くその姿から察するに、八雲も樹と明美に対するこの女の行為にかなりキレてらっしゃる。
円香も父に連絡した方がいいか。どの道あれじゃあ、何もできないし。
『ラヴァーズ、いつまで遊んでるつもりだ。事を終えてさっさと帰還しろ』
感情の籠っていない抑揚のない声が円香の脳裏に響く。
咄嗟に日本刀で床に標本内の昆虫のように縫いつけられている黒いドレスの女の方を振り向くと、奴から黒色の煙のようなものが全身から溢れ出していた。
(え……?)
背中をつららで撫でられたように悪寒が走り、身体は実に意思よりも早く動いていた。
銃口の先を黒いドレスの女に固定し、連続射出する。
これで仮に殺害して問題になったとしても、円香一人の責任問題で終始する。でも、このまま放置すればきっと手遅れになる。そんな気がしたんだ。
そして、この円香の感覚は八雲も共有していたらしく、右腕を弓のように大きく後方に引きつつも、黒色の煙を上げる奴の顔面に拳を振り下ろす。
八雲の正真正銘の本気の一撃だ。おそらくこれでチェックメイト。
鉄球のような八雲の拳は、黒いドレスの女の頭部に吸い込まれ――。
グシュッ!
それは映画のスローモーションの一コマのよう。血肉が空中に舞い上がる中、八雲の右腕が根元から引きちぎられている様を網膜が写し取った途端、円香の左に何かが高速で通り過ぎていく。一呼吸遅れて撒きおこる起こる爆風と爆音。
機械仕掛けのように首を動かし背後を振り返ると、壁に陥没した状態でめり込んでいる八雲がいた。
(嘘……ジャン……八雲が負けた……)
八雲の強さと出鱈目さは、付き合いの長い円香には十分に把握できている。SSSランクの八雲が一撃で敗北する。それは――賊は少なくともシーカークラス……。
「糞雑魚共がぁ!! お前らのせいで恥かいちまっただろうがぁ!!」
(あれ、人間ジャン?)
背中に生える真っ黒の二つの翼に、頭頂部に生える二つの角、真っ赤に染まった瞳。姿恰好だけみれば、あれが人間にはどうしても円香には思えなかった。
体中の血液が逆流するほどの悪寒が全身を走り抜ける。あれは危険だ。もう、なりふり等構っちゃいられない。
「哉、樹、学生を連れて逃げるジャン。ここは私が――」
瞬き一つせずに黒いドレス女を凝視していたのに、黒いドレスの女の姿が眼前にあった。
「~っ!?」
声にならない悲鳴が漏れ、反射的にバックステップして距離を取ろうとするが、
「聞いてなかったの? もう遊びは終わりだ」
わき腹に強い衝撃が走り、景色が揺れ動く。次の瞬間、円香の身体はテーブルに叩きつけられ、バラバラになるかのような激痛が全身を駆け巡る。
息ができず、必死で肺に空気を入れようとする。
「お前らは任務遂行のあと。後でたっぷり楽しんでやる。そこで、大人しくしていろ」
黒色ドレスの女は、クリス達の傍までゆっくり歩いていく。
上半身を起こし、立ち上がろうとするが、下半身が全く反応してくれない。
「喜びなさい。大人しくしていれば直ぐに済む」
黒色ドレスの女の視線は、金色の長い髪をポニーテールにした少女に向けられていた。
近くにいたクリスが咄嗟にポニテ―ルの少女を庇うように身体を割り込ませるも、奴の姿が煙のように消える。
クリスの目と鼻の先に移動した黒色ドレスの女は、右手の甲で彼女を薙ぎ払う。何度も床を回転しながら部屋の端まで転がり、背中から壁に激突するクリス。
黒色ドレスの女は、右手に十字架を模した釘の剣を顕現させ、振り上げる。
「止めてぇ!!」
クリスが吐血を繰り返しながらも立ち上がり、絶叫を上げる。
「ゲームオーバー」
その言葉を最後に、無常にも黒色ドレスの女の右腕が振り下ろされた。
ここからが主人公達のターンとなります。ラヴァーズには一切の救いなど、誰も望まない。そんな展開にしたつもりです。当然、哀れで惨めな最後を迎えます。
このシーンは主人公が世間に認められる。そんな意味合いがあります。主人公が登場直後に、ラヴァーズを即殺して、めでたしだと、話が単調過ぎて滅茶苦茶、次の話が書きにくかったんです。だからかなり丁寧に、ここの箇所は書きました。ご容赦願えれば嬉しいです。
でも確かに、皆様が不満に思うのは、当然かも。私も、書いてて敵に無性に腹が立ったし。(笑)
ここの箇所は、一気に投稿した方がよかった。
お詫びと言っちゃなんですが、後一話は、早く投稿します。




