第89話 嵌め殺し ネメア
ネメアはグラスに注いだワインを口に含む。ワインの苦みと何とも言えない甘美な味が口いっぱいに広がっていく。
ここまで上手くいくとは思わなかった。恐ろしいほど、ロキの立てた計画通りに事は進んでいる。後は、セレーネにギルドゲームを受けさせるだけ。それでネメアの勝利は確定的となる。
気に入らないが、ロキの情報収集能力と計略・謀略能力はネメア達とは次元が違う。
ネメアを取り巻く事情だけを用いて、大した労力もかけずに兎を罠に嵌めてしまう。
とは言え、ロキの立案した計画は、そう入り組んだものではなく、誰にでも思いつきそうな単純明快なもの。
まず、シスターは二日に一度、一〇の時になると中央市場のお馴染みの店で、食料を買い込む習慣がある。この食料は店の売れ残りであり、育ち盛りの餓鬼共を養う量。結構な量になる。だから、一々中身などシスターは確認せずに、リアカーで木箱ごと教会へと運ぶ。
この売れ残りの食料の中にネメアは、細工を施した小さな長方形の木箱を忍び込ませた。
この食料を《民聖教会》のシスターに安価で売却している店主は、中央聖教会の熱心な教徒であり、教会への寄付の意味もある。だから、頻繁に子供達が好きそうな玩具や、生活必需品を入れて寄越す。結局、この度もそうだとシスターは信じ込み、疑いを抱かなかった。
そして、この木箱、観音開きになっており、外から開けてみると、中には聖母の像が入っているように見える。
夜はこのピノアでは魔物が活性化する時間であり、不吉とされている時間帯だ。真面目なシスターの性格からして、日が暮れてから聖堂に聖母の像を移すことはもちろん、箱から取り出すこともしないだろう。
そして、この聖母の像が入った木箱にはある二つの細工がしてある。
木箱の扉を開けてみる分には聖母の像が入っているように見えるが、実際に入っているのは、二本の角を持つ醜悪な悪魔の像。一定時間の経過で、木箱は塵となり、悪魔の像のみが現れる。そんな仕組みだ。
いかに、ここが野蛮で低能な人間社会でも、本来悪魔の像を持っているだけで重罰が課されることはないが、それがシスターのような聖職者の場合には話は異なる。聖職者の悪魔信仰は教会にとって最大の禁忌であり、信仰に唾を吐く行為に等しい。シスターは良くて一生軟禁、最悪、火炙りとなる可能性すらある。
ロキからの情報では、セレーネは愚かにもこのシスターに強い執着を持っているらしい。シスターが捕縛されれば、追い込まれたセレーネは冒険者組合に泣きつく。
この点、ネメアは日頃から《中央聖教会》に多額の寄付をしている。無論、超常者であるネメアに信仰心など欠片もない。
その理由は、第一に綺麗ごとが大好きな冒険者組合や高ランクの冒険者達のウケがいいこととだ。別に冒険者組合が教会の信徒というわけではない。単に、超常者なのに、人間の宗教に寛容。それは、同時に人間を尊重する超常者であることと同義だからに過ぎない。現に、ウォルト・アルウェッグが《炎の獅子》に加入したのも、冒険者組合と冒険者達の評判がよかったことが大きい。
第二に、このピノアでの商売がし易くなるからだ。本来、超常者の直接取引は組合に睨まれるが、この寄付のおかげで、多少、ネメアが介入しても驚くほど問題視されない。
このように、ネメアは、《中央聖教会》の幹部達に多少なりとも口が利く。それは冒険者組合にも自明の理。
間違いなく、ネメアに泣きついてくる。
扉を叩く音で、甘美な思考は遮られる。普段なら折檻ものの行為も、今のネメアにとっては、富と力を呼び込む鐘に等しい。
「入れ」
「レオン・バントック様がおいでになりました」
震えるメイドに、レオンを部屋に通すように命じる。
「アンジェは、元冒険者のシスター。冒険者引退後も、このピノアの孤児を一手に引き受けてくれている人です。このピノアに必要な人なんです。ご尽力願えませんか」
レオンがテーブルに額が付くほど大きく頭を下げくる。
「そう仰いましても、悪魔の像は少々マズイですな。聡明な方と聞き及んでおりますので、何かの間違いとは信じたいものですが」
「彼女は無実です。それは私が保障します。だから、彼女を助けていただきたい!」
再度のレオンの苦渋にまみれた姿からも、ネメアは策謀の成功を確信していた。
「私も組合同様、《中央聖教会》の方々とはお付き合いをしておりますれば、彼らの宗教上の協議に異議を唱えることはできればしたくありません」
「そこをなんとか!」
大きなため息を吐く。この手のスルトのような単純馬鹿は、一度断っておいてからの方が印象は良い。
「わかりました。ですが今回の件は事が事です。シスターアンジェは修道院を追放。さらに、汚い話ですが、教会への一定額の寄付は必要となるはずです。組合は宗教不可侵の原則から、性質上、不可能ですよね? それは大丈夫ですか?」
「シスターアンネが無事解放されるなら、追放も致し方ありません。金銭についてもセレーネ様が全部拠出していただけると――」
かかった。欲しい状況は全て造った。あとはこちらの言いように話を進めるだけ。
「セレーネ、そうか、ならお帰り願おう」
怒りの形相で立ち上がり、ネメアは部屋を出ようとする。
レオンはネメアの突然の変容に目を白黒させていた。
「な、なぜですか? 先ほどは、お口添えいただけると?」
「そうですね。シスターアンジェがセレーネの関係者でなければそうしていたでしょう。
ですがね、セレーネは駄目だ。奴は私が交渉の準備をしていたレベル8の冒険者を横から攫った愚物。彼女にだけは手を貸すわけにはいかない」
「し、しかし、それは今回の件とは関係が――」
「ないでしょうね。ですが、貴方もピノアの分館長なら、私達超常者の性質くらいお分かりでしょう?」
超常者は基本、《滅びの都》の完全攻略をこのアースガルズの最終目標としている。それは、覇種を手に入れたいネメアも同じだ。ネメアは加えて、それに富も得たいだけ。
故に、超常者は《滅びの都》攻略に関わる抜け駆け行為だけには激烈な反応を示す。
「……そこを何とか!」
直ぐに飛びつくと不審がられる。ギリギリまで引き延ばし提案すべきだろう。
「くどい!」
「お願いします。どうか!」
ネメアの拒絶の言葉にもめげず、幾度となく、頭を下げるレオンに内心でほくそ笑みがなら、大きなため息を吐く。
「しつこい人ですね、貴方も……わかりましたよ」
「で、では!?」
「ただし、条件があります。今からいう私の提案をセレーネが受け入れれば、私は《中央聖教会》への助言に尽力いたしましょう」
「提案……といいますと?」
硬い顔で尋ねてくるレオンに、ネメアは静かに答える。
「冒険者ギルドの誇りであり、最も伝統ある優劣の定め方。ギルドゲームです」
妙に力強い己の勝利宣言に等しい言葉をネメアは口から吐き出した。
お待たせしました。次回から、ラヴァーズ殲滅戦が開始されます。
退屈なのはここまでなので、ご安心ください。
それでは!




