第84話 地獄の修練 堂島美咲
(真面じゃない。絶対、真面じゃないっ!!)
何度目かになる悲鳴を飲み込み、横っ飛びする。直後、冗談のような数の巨大百足が、大波となって美咲の立っていた地面へと殺到していく。
相良悠真が製造した手袋式の兵器――《炎蛇》の掌を化け物百足に向け、引金となる親指を折る。
刹那、絡みつく百足共の中心に青色の光が輝きながら猛烈な勢いで圧縮し――蒼炎の柱が天へ向けて走る。あの熱量なら、まとめて炭化したはず。
美咲は肩で息をしながらも、周囲を伺う。
否応でも気配で分かる。尋常ではない数の化け物共の群れが美咲に対し捕食の視線を向けてきていることが――。
美咲は今まで未熟ながらも一端のサーチャーとしての自負はあったのだ。
しかし、今まで美咲が経験してきた迷宮探索などただのお遊び。それが魂の底から実感できた。
美咲達の教官となった四童子真八は《魔の森――浅域》とやらで、約一時間、相良悠真が製造した武具の動作確認をした後、チームを三つに分割した。
一つは、上級クラスのレベル9の狂虎。
二つ目は、中級クラスのレベル4と5の八神管理官、蝮、梟、多門さん。
三つ目は、初級クラスのレベル2の美咲だ。
美咲は確かにレベル2に過ぎないが、平均能力変動値は98。しかも、《上位発火》のスキルを保有している。
《上位発火》は《発火》の進化形。
そもそも、火、水、土、風の四大属性スキルの一つたる《発火》自体が、非常に稀有なスキル群なのだ。その上位スキルである《上位発火》は、戦術系上位である第三階梯のスキル。通常、この強度のスキルを保有していれば、組織内でも戦力として重要視される。
だから、当初はまるで役立たずのような扱いに、納得のいかなさを感じたものだが、直ぐに自身の愚かさを骨の髄まで思い知ることになる。
(レベル4の魔獣がウジャウジャいるこの状況が初級? ふざけないで!)
四童子真八の指示で、レベル3の大蜥蜴の群れを死ぬ思いで倒し、美咲はレベル3を経て、レベル4に到達した。ようやく一息がつけると、安堵のため息をつくのもつかの間、四童子幕僚長から持たされているネックレスの形をした伝達と映像送信の効果を有する魔道具により、先にいるレベル4の百足共との戦闘を強いられる。
四童子幕僚長がこうも魔物のレベルを正確に把握しているのは、浅域で美咲達が武具の確認をしている間に、転移の能力を使って大雑把な確認でもしたのだろう。あの魔物の群れの中どうやって為したのかまでは不明だが、あの幕僚長なら何でもありありのような気がする。
ナイフを握る美咲の左腕は既に感覚などないし、何より、心臓が休ませてくれと必死の懇願をしてくる。だが、今足を止めればレベル4の百足に一斉に噛みつかれて確実に死亡する。
こんな少しのミスであっさり命を失う鉄火場のような状況下で生き残れているのは、この《炎蛇》があればこそだ。
――炎蛇――炎系のスキルや術の威力、射程距離、範囲、命中精度、発動速度を極限まで高め、さらに消費魔力を通常の数百分の一まで抑える、まさに美咲のためにあるような武具。他にも、発動者が非戦闘中と見做せばアイテムボックスへ自動的に収納される機能や、自動的に所持者を防衛する炎の蛇形成能力もある。
極限状態におかれたせいか、死の恐怖よりも、こんな理不尽な状況に追いやった相良悠真と四童子幕僚長に対する憤りの方が勝っていた。
(殴ってやる! 絶対、あいつら殴ってやる!)
この期に及んで、殴る、のような穏便な方法しか出てこない己の発想に無性に腹が立つ。
「あ~、やってやるわよ! クソムシ共、かかって来なさい!」
ヤケクソ気味に、右手で手招きをして、美咲の命懸けの鍛錬は続行される。
◆
◆
◆
《魔の森深域――荒野》のエリアに朝日の光が差し込み、充満していた魔獣達が次々に姿を消し、代わりに数時間前に散々倒した魔獣が荒野の地面から這い出て来る。このレベル6の雑魚魔物では美咲を殺せない。
ようやく、この馬鹿げたデスマーチは終わりを告げたのだ。
「終わった……」
自然に両脚から力が抜けて、荒野の大地に膝をつく。
四童子幕僚長の指示により、レベルが上昇する度に、次のエリアへ進む。重症を負えば、セレーネとかいう幼女の自宅での僅かな睡眠後、叩き起こされ、死地へ向かう。これをひたすら繰り返す。
当初あった相良悠真と四童子幕僚長への怒り等の余分な感情はそのうち消失し、戦闘に必要な情報のみを処理するようになっていった。
「私、生きてる……」
その奇跡とも同義の事実に凄まじい歓喜が湧き上がる。
「ああああああああ~!」
心の中にある鬱憤を吐き出すかのように、生まれて初めての獣のような咆哮を上げる。
同時に糸が切れたかのように身体中の力が抜けて、地面に仰向けに倒れ込んだ。
(綺麗……)
赤茶けた大地に降り注ぐ白い光の線は想像以上に神秘的で、この悪夢のような死地にもかかわらずそんな呑気な感想が湧く。
奇妙な可笑しさを感じつつも、美咲の意識は急速に失われていく。
瞼を閉じる直前、美咲を見下ろす相良悠真の姿が見えた気がした。
◆
◆
◆
瞼を開けると、見知らぬ天井が見える。寝ていたベッドから、重たい身体を起こし、窓際に顔だけ出して外の様子を伺う。
地球の相良悠真の自宅周辺の景色。ここが安全地帯であることを認識し、とびっきりの安堵の情が胸を浸し、床にペタンと腰を付ける。
「反則よ。あんなの……」
あんなものは断じて修練ではない。ただの無謀なだけの特攻だ。今美咲が五体満足でここにいるのは、ただ運がよかっただけ。
同時に、得た利益も大きいのも確かなのだ。
思い返してみれば、美咲は今まで一度も命を賭けた鍛錬をしたことがなかった。迷宮探索も、教範通り自身の実力に見合った方法で安全に戦っていたに過ぎず、同レベルの魔獣数十匹に取り囲まれながらの戦闘など、経験したこともない。
昨晩の戦闘は、寿命はかなり擦り減らしたが、戦闘技術は各段に上昇したことが実感できた。
そして――。
《鑑定》のテロップを指で押す。
――堂島美咲、レベル8、能力変動値13――そう表示されていた。
(レベル8……)
一晩で、EランクからSSランクへ到達する。それは本来非常識なはずなのに、奇妙なほどその事実に納得している自分がいる。
もちろん、死地に身を置いたこともあるんだろう。でも、美咲とて素人ではない。死線を乗り切ったくらいで一々レベルが6も上がるなら今頃、世界はシーカーのパレードになっているはずだ。そのくらいの判断はできる。
そもそも、東条秀忠官房長は――外見を見るな。この方はそもそも人間ではない――そう言ったんだ。
彼は、警察庁の現NO2であり、こと権力の掌握では警察庁の長官以上とも目される人物。前々から噂では、その人物評価に関しては人間離れしていると聞いていた。その東条官房長が、相良悠真を終始人間とは見なしていなかった。
初めは、東条官房長の悪質な比喩か、それとも相良悠真を警察庁に引き入れるための政の一貫だと思っていたのだ。東条官房長が表向きになんと言おうと、あのオーパーツ製造能力には、それだけの価値があると思ったから。
しかし、たかが人間に一晩でレベル6も上げる力を授けることはできない。そんなことはどんな新米のサーチャーでも本能で理解していることだ。何せ、本来、レベル4でさえも、世界でもトップの探索者の領域に足を踏み入れた事を意味しているのだから。
つまり、相良悠真は人ではなく、もっと高次元の何かなのだろう。なぜ、人間社会で学生として生活しているのかは不明だが、あの六花の様子を鑑みれば悪い存在ではあるまい。今回の鍛錬も相良悠真の意思というよりは、四童子幕僚長の趣味的意味も大きいんだろうし。
兎も角、今回の《一三事件》はそんな人非ざる者をして、人間の美咲達に頼らざるを得ない事件ということ。十二分に気を引き締めねばならない。
階段を下り、リビングに入ると八神徳之助管理官、狂虎、蝮、梟、多門さん――昨日のダンジョンの探索強行組が今にも過労で死にそうなほど疲れて果てた顔で朝食をとっていた。
まあ、今の美咲も八神管理官と同じだろうし、人の事は口が裂けても言えないわけであるが。
「八神管理官、皆さん、おはようございます!」
姿勢を正し、敬礼をすると、八神管理官がゾンビのようなやつれた顔を向けて来る。
「元気だねぇ、美咲ちゃん」
元気に見えるんだろうか? 美咲も一杯、一杯なだけなんだけどな。まさかと思うが、あの美咲の苦行も手加減でもされていたのだろうか?
悪夢を必死で振り払い、テーブルに座り、誰が作ったのか不明な朝食を食べ始める。
(まるでお通夜ね)
そんな不謹慎な感想を抱きつつも、咽喉に料理を流し込む。
◆
◆
◆
食後、美咲が食器を洗い終えたところで、四童子真八幕僚長が姿を現す。
「け、傾注!」
立ち上がり、四童子幕僚長前に移動すると、踵の先を見事に四五度にそろえ敬礼する狂虎。この姿からも、昨晩どんな目にあったのかは自明の理だ。
慌てたように八神管理官を始めとする全員も狂虎の隣で足並みを揃え両手を後ろで組む。おそらく、下手に四童子幕僚長に逆らって、今晩もあの地獄へのデスマーチ行きとなるのはごめん被る、その一心からだろう。
「わかってるな? 今晩は『一三事件』とかいう身の程知らずのクソビッチを、我らが主が誅殺する日だ」
いや、いや、誅殺しちゃまずいだろ! 美咲以外の誰もがそう考えたはずだ。もっとも、言葉として音声を発する勇気までは持てないようであったが。
それにしても、四童子幕僚長まで相良悠真の信者になるとは……。昨日までは、四童子幕僚長は相良悠真に一線を置いていたし、少なくとも、東条官房長のように、我らが主などと宣うことはなかったはず。それがこの変わりよう。心変わりがする何かがあったとみるべきだろう。
四童子幕僚長は美咲達を一瞥し、満足そうに頷くと、
「貴様らの任務は、主の戦闘中の民間人の保護と他のあらゆる勢力の排除だ」
民間人の保護、それは本来警察の本分であり、美咲達の職務とも合致する。問題はいかなる勢力の排除だが……。
「排除というと捕縛と理解してよろしいので?」
「そうだ」
八神管理官の疑問に大きく頷く四童子幕僚長。
「捕縛の権限の根拠は? まだ例の部署は新設されたわけではありませんよ?」
八神管理官の疑問はこの上なく的を射ている。探索者協議会からの出向組である狂虎、蝮、梟はさておき、美咲達は警察官。軽はずみの行動はとれないのだから。
「前々から計画途中だった新部署の新設が前倒しとなった。元々、法的には内閣で決定済だった案件だ。問題は生じねぇさ」
四童子幕僚長から終始浮かべていたにやけ笑いが消える。
「八神徳之助、堂島美咲、多門長太、貴様らには後日、正式な辞令が行くはずだ」
八神管理官が気色ばんだ顔で、右拳を握り締める。管理官は、新部署の設立に尽力していた人だ。彼からすればこれは、朗報以外の何ものでもないだろう。
それにしても、新部署、完全に他人事だったわけだが、まさか美咲まで移動するはめになるとは。詳しく聞く必要がある。
「新部署は、警視庁と防衛省の肝いりだとは聞きました。とすると、指揮系統はどうなるのでしょうか?」
「美咲ちゃん、それは――」
八神管理官を右手で制する四童子幕僚長。
「新部署は警察庁でも防衛省でもなく、内閣の直轄となる」
内閣の直轄。それが意味するところは――。
「それは警察官ではなくなるということですか?」
「少し違うな。あくまで、新部署の発動権が内閣の長たる総理にあるにすぎん。実際上の指揮権は俺と秀忠が握る。
それに、警察官や自衛官を辞職する羽目になるなら、警察庁と防衛省で苛烈な主導権争いが勃発するはずねぇだろ?」
「つまり、私達は警察官のまま――」
「出向するってことになる。当然、階級は相応しい状態に上がるだろうよ」
「もし可能なら計画が前倒しになった理由をお聞かせ願えませんでしょうか?」
八神管理官が深く頭を下げる。
「八神、貴様ならわかってんだろ?」
「相良君、いえ、失礼しました。相良殿――」
「相良君で構わんよ。主もそれをお望みだ」
「は! 新部署の早期設立は、相良君が原因でありましょうか?」
「ああ、概ね、貴様の想像通り。これ以上、引き延ばして、『超常現象対策庁』にちょっかい出されては本末転倒だからさ。それに主さえ入れば、ことは足りるんだ」
やはり、『超常現象対策庁』への危機感からか。確かに相良悠真をあの機関にとられることほど馬鹿馬鹿しい事はない。元々、新部署の設立の目的も肥大化する『超常現象対策庁』対する対抗手段という側面もあったはずだから。
「だとすると残る問題は相良君の所属ですが……」
八神管理官の声色から一切の感情が消える。警察庁と防衛省、相良悠真が所属する組織が主導権を握ることになるのは自明の理だ。
「秀忠と話し合った結果、取りあえず、主には国家公務員になってもらう。防衛省、警察庁に所属するかは、あの御方自身に決めてもらうことになった。
まあ、俺達からすれば、新設部署の長に主を立てる根拠がありさえすりゃ、何でもいいんだからよ」
近年のスキルや魔術の保有者の増加により、生活様式から犯罪に至るまで変容をきたした。そこで、有能な人材確保の観点から、国家公務員法が大幅改正され、実力傾倒へと舵をとったのだ。結果、試験の合格率自体は極めて低くなったが、受験資格が一五歳以上へと変更され、試験も一一月と五月に年二回、一〇日の日に開かれている。
まあ、試験に受かっても、警察庁を始めとする各省庁の採用要件には年齢制限ある。さらに、国家公務員の有資格者は、返済不要の奨学金、住宅の斡旋、一定額の給与を受けられる反面、仮の公務員となるため、自身が資格喪失の申請をしない限り、探索者協議会を始めとする一般企業への就職はできなくなる。要するに、あくまで有能な人材を確保しておきたいという国側の苦肉の策というわけだ。
「了解いたしました」
ほっと表情を和らげる八神管理官を視界に入れて、口角を上げる四童子幕僚長。
「まっ、主は俺達自衛隊がもらうがな」
「いえ、相良君の所属は警察庁しかありえません」
八神管理官も、挑発的な発言をぶちかます。
狂虎が美咲に意味ありげな視線を投げかけて来る。この雰囲気どうにかしろということだろうが、こんな化け物のような二人を仲裁するなど美咲には不可能だ。
だから――。
「新部署設立を急ぐということは、相良君が試験を受けるのは来週ですか」
話題を変えることにした。
「そうだ。試験の配点は、筆記が100点、実技が900点。実技に著しく、比重が置かれた試験。普通なら筆記試験は合否の鍵になるが、主に関しては例え筆記が零点でも合格するだろうしな」
確かに、実技で相良君に低評価を付けるような試験官などマジで死んだ方がいい。彼は、それほどのポテンシャルを有している。
「もういいだろ。今晩の具体的な作戦の委細を説明するぞ」
四童子幕僚長がソファーに座ると、机の上に資料を投げ出す。
『一三事件壊滅作戦』はこのとき、静かにその幕を上げる。




