第82話 レベルアップ・ストリーク セシル
「セシル、昼食後は深域の湿原ゾーンニャ!」
ピノアの昼の食堂で、アイラが興奮で真っ赤に発火した顔で、捲し立てる。
「ア、アイラちゃん、声が大きいよ」
アイラの深域の湿原ゾーンの言葉に、周囲で食事をしていた冒険者の口に運ぶフォークを握る手が止まるが、セシル達を見て、冗談の類と結論付けたのか、再びフォークを動かし始める。
魔の森深域は、上位ギルドが万全の装備と人員を投入して臨むべき区域。セシルやアイラのような、一目見て新米冒険者が語っても違和感しか湧きはしない。当然の反応かもしれない。
「ごめんニャ……」
耳をペタンと垂れるアイラ。
セシル達のギルド――《三日月の夜》のギルドマスター――ユウマ・サガラから、極力、目立つ行動は控えろと念を押されている。
とは言え、アイラの気持ちもわかるんだ。
今朝、セシルとアイラはマスターが連れてきた子狐と共に冒険を開始した。
当初、レベル2となり、風を切って疾走する脚力や、小さな岩なら軽々と片腕で持ち上げられる腕力を獲得した事実にひたすら浮かれており、浅域を中心に狩りをしていた。
しかし、レベル2の身体能力に加え、武器が反則的に高性能なのだ。もはや、浅域に敵はおらず、物足りなさを感じ始める。
そこで、行動範囲を浅域から高木が生い茂る中域へと移したわけだが、襲ってくる魔物の数は桁が外れていた。
アイラの頭にチョコンと乗る子狐が、半径二メートルほどのいかなる存在の侵入も拒む藍色の被膜を生成しなければ、ただでは済まなかっただろう。
冒険者達から伝え聞いていた昼の中域は、魔物の数が浅域よりもわずかに多い程度のはず。なのに、地面を虫の群れが覆いつくさんばかりに、蠢いていた。
さらに、魔物の強さも想定していたものとは全くの別者。結果、常に自身より同レベル以上の敵に囲まれながら常に戦うことになる。
本来なら、討伐は著しく困難なのだろうが、セシル達の有する武具が高性能なせいか、ダメージを与えることはできた。
敵を寄せ付けない子狐の結界の中かから、セシルが【爆裂弓】で狙い撃ちにして爆砕し、アイラが【雷剣】で落雷を落とし、あっという間に、レベルは3となる。
そもそも、一流の冒険者と一般の冒険者の分水嶺がレベル2への到達なのだ。《滅びの都》で、死に物狂いの冒険をしても、結局七割の冒険者がレベル2に至れない。
レベル3へ至る困難さは、レベル2の比ではない。それこそ、真に冒険者のトップ陣に足を踏み入れたことを意味する。それが、レベル2の初期の能力変動値に過ぎなかったセシル達がたった半日の冒険でレベルが3まで上昇する? それは、本来、太陽が西から昇るよりあり得ない事実。おそらく、冒険者の友人に話しても一笑されるのがおちだ。何より、セシル自身が夢心地で現実感がなく、まるで長い夢でも見ているかのよう。
セシルには、難しい事はよくわからないが、マスターはこの手の出鱈目な能力を多数有するらしい。
それがどれほど非常識な奇跡かは超常者であるセレーネ様の驚く様をみればわかる。そして、なぜマスターがギルドのメンバーを絞ろうとした理由がわかった。この成長速度だけでも一度でも広まれば、ピノア中の冒険者が殺到しかねないから。
要するに、セシルとアイラは運がよかったんだ。昨日、組合別館で運搬人の仕事を探していなければ、マスターと出会うことはなく、今セシルはここにはいない。そう考えると心底、ぞっとする。
頭を左右に振り、仮定の悪夢を吹き飛ばし、アイラと子狐に視線を向ける。
「早く、食べて午後の冒険に行こう」
「んにゃ!」
「きゅん!」
アイラがフォークを持つ右手を勢いよく挙げ、すっかり特定席となったアイラの頭の上にちょこんと乗った子狐が可愛らしい吠え声を上げる。
子狐は当初、緊張気味だったが、一時間と経たずにセシル達に馴染んだ。今や、常にセシルの腕の中か、アイラの頭の上でくつろいでいる。
「キュウは引き続き結界、お願いにゃ」
「きゅう」
アイラに習って小さな右手を上げる子狐。
この容姿に、この仕草は反則だ。猛烈に抱きしめて頬擦りしたくなる。
ちなみに、アイラは狐に、《キュウ》と名付け、ずっとそう呼んでいる。尻尾が九本あるからという実に安直な名だが、子狐は意外にもお気に入りのようであり、《キュウ》の名に反応している。
マスターの手前、勝手に名前を付けるのは気が引けたが、いつまでも子狐では確かに味気ないのでセシルも今はそう呼んでいる。
昼食を終え、セレーネ様の屋敷に行く。
セレーネ様がゾンビのような血色の悪い顔色で、机に山のよう積まれた『HP回復薬』の前で何やら作業をしていた。
邪魔をしては申し訳がないので、直ぐに《滅びの都――魔の森中域》に転移する。
こうして、セシル達の午後の冒険が開始される。
蜥蜴の群衆に遭遇するが、蜥蜴達は《キュウ》の結界内には一歩も踏み込めない。結局、今までと大して変わらず、安定して【爆裂弓】と【雷剣】で粉砕することができた。
そして、遂に魔の森深域の湿原ゾーンに足を踏み入れる。
「気持ち悪いニャ……」
アイラがげんなりした顔で、《魔の森中域》から何度目かになる台詞を呟く。
全くもって同感だ。この《滅びの都》は想像以上に狂っている。
球体状のセシル達を保護するキュウが張った結界から約百メートルの範囲に脚の長い巨大蜘蛛達がうぞうぞと這っている。もはや湿原を視認することもできぬほどここら一帯を埋め尽くす蜘蛛共の群れ。一目視界に入れただけで、生理的嫌悪しか湧きはしない。
ともあれ、これだけ数がいれば、狙いをつける必要すらいらない。ひたすら弓を引き続け、蜘蛛の群れを粗方倒していたら、一時間と経たずに、あっさり、セシルとアイラはレベル4となった。
それから数時間、キュウの結界内という安全地帯の中をゆっくり歩みつつも、魔物を殲滅する。
セシル達の方針は、二つ。
一つは《魔物図鑑》により、《次のレベルに至る条件》を満たす魔物を優先的に倒すように試みること。
二つ目は、《アイテムボックス》のストレージ内には、中級から伝説級までの【HP回復薬】と【MP回復役】が多量に入庫されていたので、頻繁に休憩し、体力と魔力の回復することだ。
この方法は殊の外上手く運び、日が暮れ、遠方に荒野のゾーンが視界に入る頃には、セシルとアイラのレベルは5になっていた。
セシルが制止する暇もなく、一目散に荒野に向けて駆けていくアイラ。
アイラにとって、荒野ゾーンは英雄たるお兄さんに聞かされた物語の一つ。そこに到達したこと自体が、偉業に等しい。気が流行っていたのだろう。
しかし――。
「うぉーん!」
アイラの頭上の《キュウ》が遠吠えをすると、セシルとアイラの周囲に幾重もの青色の被膜が形成される。
刹那、湿原の地面が盛り上がり、セシル達を円状に取り囲む。
そして、脳裏に響く声。
『コード021。挑戦者三名、《憤怒の王》の眷属と確認。
《魔の森深域――湿原区域》――エリアボス――《ヴァインファング》。
三〇秒後、戦闘が開始されます』
湿原から蔓が絡まり、巨大な何かを形作り始める。
瞬く間のうちに、無数の鋭い牙を生やした大きな口と蔓の触手を有する化け物へと変貌していた。
不自然なほど身動き一つしない怪物を眼前にして、情けなくもセシルの思考は停止し、膝はガクガクと震え始める。
ピノア別館ほどもある巨大生物など、英雄譚の中にしか出てこない。
息が荒くなり、呼吸もままならない。震える手で転移の使用を試みるが、扉は一向に顕現しない。
「セシル、戻れないニャ」
化け物の近くで、泣きべそをかくアイラに駆け寄ると手を引き、端まで移動する。
冷静になれセシル! ここで嘆くのも、地面に蹲るのも容易だ。でも、それをすれば、多分、マスターは二度とセシル達に冒険を任せてはくれなくなる。そんな気がする。
まずは敵の分析だ。
――――――――――――――――――
『ヴァインファング』
〇説明:牙を持つ大口と触手からなる植物性の魔物。
〇能力変動値:
・筋力1/100
・耐久力:1/100
・器用:1/100
・俊敏性:1/100
・魔力:1/100
〇Lⅴ:7
〇種族:魔植
――――――――――――――――――
レベル7……レベル2ほどの差。レベル1のものがレベル3のものへは決して勝利することは叶わない。本来なら絶望的なほどの差であり、ここでセシル達は命を落とすことになるはず。
なのに、戦々恐々とするセシル、アイラとは対照的に、《キュウ》は『ヴァインファング』を一目見ると警戒を解き退屈そうに欠伸を上げ始めている。まるで、『ヴァインファング』はセシル達の脅威足りえないように。
《キュウ》は、出会ってからひと時も離れずセシル達についてきていた。あらゆる攻撃を通さない強力な結界形成術を使用できることからも、確実に高レベルであり、マスターにセシル達の護衛をまかされていたと考えるのが自然だ。
その《キュウ》が警戒するに値しない相手、それはセシル達だけで処理できるという証明でもある。
ならば――。
「アイラちゃん、大丈夫だよ」
弓矢の狙いを大口に定めるのと、蔓の触手がセシルの視認にしえない速度で迫ってきた。
「うにゃ!」
小さな悲鳴を上げ、瞼を閉じて身体を強張らせるアイラと、
「っ!」
咄嗟に息を止めたセシルの眼前で、幾多もの蔓の触手は薄青色の被膜に塞がれ、止まっていた。
「くう」
《キュウ》が喉を鳴らすと、セシルの全身が黄金色に発光し、弓の先に集約していく。
シュンッという風切り音とともに黄金の矢が放たれる。
黄金の矢は一直線に大気を切り裂き、大きく開けた『ヴァインファング』の口腔内に吸い込まれ――大爆発!!
爆音と爆風、水しぶきが湿原を同心円状に駆け抜けていく。
身体の半分を失いバランスを崩して、『ヴァインファング』は湿原にひれ伏し、盛大な水しぶきを上げる。
「アイラちゃん!」
「あいにゃ!」
奇妙な返事と共に、アイラも黄金に発光した【雷剣】により、落雷を落とし、『ヴァインファング』の焼却を開始する。
セシルとアイラの猛攻により、さほどの時間もかからず、『ヴァインファング』はボロボロの蔓へと回帰した。
「終わったニャ……」
アイラがボソリと呟くと、再度、頭に無機質な声が鳴り響く。
『ヴァインファング消滅――エリアボス討伐確認。
各眷属のレベルが、クリアの恩恵として1上昇されます』
当時にセシル達を閉じ込めていた天然の牢獄はゆっくり、崩れると土へ戻っていく。
暫しセシルとアイラは呆然と佇んでいたが、ようやく事実を認識し抱き合って勝利を噛みしめた。
勝利による歓喜に酔いながらも、意気揚々と荒野ゾーンへ入るセシルとアイラだったが、荒野の入口付近である人物が佇んでいるのを視界に入れる。
その人物を一目見て、《キュウ》が甘えた声を上げて、アイラの頭から降りると一目散に走っていき、その胸に飛び込むと顔をぺろぺろと舐め始める。
「お前ら、今日の冒険は終了だ」
マスターは《キュウ》を抱きかかえ、そう告げると、扉を顕現し、中へ入ってしまう。
セシル達も、マスターの後に続き、扉の向こう側に足を踏み入れると、そこはセレーネ様のご自宅だった。
マスターに今日の冒険について尋ねられたので、レベル6になったと答えると目を白黒させていたが、直ぐに顎先を摘まみながら考え込んでしまう。
「あ、あの?」
数回、袖を掴んで話しかけるとようやく気付いてもらえた。神妙な顔でセシル達を凝視するマスター。
セシル達が何かマズイ事でもしたんだろうか? 勝手に深域に入ったことが原因? それともあの蔓の怪物と戦ったから?
叱咤されてもいい。でも、このギルドを追い出されるのだけは絶対に嫌だ。
自然に身体と表情が強張り、視線が下に行く。アイラもセシルと同様らしく、生唾を飲み込む喉の音が耳に入って来る。
「よかったな」
頭頂部に生じた心地よい感触。それがマスターの掌だと認識し、ほっと胸を撫で下ろす。
「セシルはシャーリー、アイラはウォルトへ今日の冒険の報告に行きな。ただし、深域に入った事とお前らのレベルのことは絶対に言うな」
それだけ伝えるとマスターは《キュウ》を連れて再度、扉を顕現し、姿を消してしまう。
アイラに顔を向けると、満面の笑みを浮かべていた。どうやら、セシルとアイラは似た者同士らしい。
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アイラと冒険者組合ピノア別館へ行くと、別館前ではアイラのお兄さん――ウォルトさんが待っていた。飛び跳ねて、今日の冒険についての報告を始めるアイラ。アイラの心の底から嬉しそうな姿に頬を緩ませるウォルトさん。
二人の姿は少し前のヒュアとセシルを見ているようで、微笑ましくもあり、少し羨ましくもあった。
明日の七の時に冒険を開始することを約して、アイラはウォルトさんと宿へ戻っていく。
アイラ達が人込みに消えるのを見届けて、セシルも組合別館に足を踏み入れると、シャーリーをはじめとする組合の女性達に囲まれてしまう。
彼女達には、今朝それとなく今日、初めての戦闘を目的とした冒険をする旨を伝えている。皆、心配はしていたが、快く応援してくれた。
それにしてもだ、今日は聊か心配過ぎではなかろうか。いくら実戦は初めてとは言え、冒険に出たことはそれなりにあるわけだし。
「どうだった? 怪我はない?」
シャーリーが険しい顔でセシルの両肩を掴むとブンブンと左右に振って来る。
「うん。どこも」
怪我どころか、掠り傷一つない。そもれも全てあの《キュウ》の張った結界のお蔭だ。
大きく息を吐くと、シャーリーは眉根を寄せていた顔にいつもの微笑みを浮かべる。
「レベル8の冒険者が一緒だから問題はないと思うけど、絶対に浅域の奥には行っちゃだめよ」
この様子、やっぱり何かあったようだ。予想はつくけど。
「噂で聞きました。中域の魔物の数や強さが増しているんですよね?」
「良かった。知ってたのね。まだ、中域の魔物は浅域には出没してはいないけど、何が起こるかわからないのが正直なところよ。組合でも今後について検討中。魔の森は調査チームによる報告が済むまで、一時的に立ち入り禁止になると思う」
シャーリーを騙すようで申し訳ないが、セシル達には転移があるから別に立ち入り禁止になろうが問題は生じない。
そんな状況ならシャーリー達もさぞかし忙しい事だろう。邪魔しては申し訳がない。お暇することにした。
「わかりました。マスター達にはそうお伝えしておきます」
ペコリと頭を下げて、立ち去ろうとするが――。
「ちょっと待って、セシル」
シャーリーに呼び止められ、振り向くと、彼女の傍にはモヒカン頭の男と金色短髪の男が佇んでいた。
「俺はグスタフ。坊主に頼みがある」
モヒカン頭の大男――グスタフは、一歩前に進み出る。
このピノアでの認識において、セシルには大した価値がない。だとすると、セレーネ様かマスターがらみだろう。
マスターからは、極力ギルドの秘密を漏らすなと厳命されている。二人に迷惑をかけるなど言語道断だ。
「どんな御用でしょうか?」
セシルのいつになく、緊張した声に、グスタフは苦笑する。
「勘違いしないでくれ。頼みと言っても、坊主には伝言を頼みたいだけだ」
伝言? それなら、判断するのはマスター達だ。セシルの愚行により、二人を窮地に立たせるなんてことにはならないだろう。
「わかりにました。お伺いいたします」
グスタフは子供のセシルに頭を深く下げると、
「『この度、お救いいただき心から感謝いたします。もし、可能ならば直接お会いしてお話したい議がございます。是非一度会って下さらないでしょうか?』
そうお前のギルドのマスターに伝えてくれ」
そう告げてきた。




