第78話 苦悩 八神徳之助
(あんたの意思で決めてくれか……相良君も、無茶をいう)
徳之助の頭内に、幾つも選択肢が浮かび、消え、また浮かぶ。ひたすら、その繰り返し。考えが一向にまとまらない。大体こんな国家機密級の事項の選択など、一介の警察官に過ぎない徳之助になど無理に決まっているんだ。
相良悠真から聞いた話の内容は今流行りの小説や漫画に出てくるような妄想がたっぷりの内容だった。これが相良少年からの口から出た物でなければ、例え大人の台詞でも、確実に笑い飛ばしていたところだ。
相良少年の指定する人物と契約すると、彼の有する能力を使用することができる。いわば、彼が能力を保存するハードディスクで、その人物とやらがパソコン、能力を与える装置がインターネット。そんなイメージだろうか。
彼の有する能力は、多岐にわたる。一定時間睡眠をとるだけで手足の切断すらも回復する能力、自己のレベルや次に到達するために必要な条件等を分析する能力、さらに成長速度促進能力。これだけでも十二分に発狂もんだが、これらの奇跡すら霞む事実。それは、異世界と地球との交通権。
相良少年は、ことの重大さを微塵も理解していない。異世界との交通、それは異世界の貴重な資源を安価で手に入れられる機会を得るということ。その交通権を得たものは、文字通り天文学的な富を得る。二〇世紀の前半に出現した迷宮をも超える極上の奇跡。
世界が知ればそれを、血眼になって追い求めるだろう。各勢力が衝突した先にあるものなど、火を見るよりも明らだ。先のごとき大戦が起きる可能性さえ零ではない。まさに、パンドラの箱を開ける行為に等しい。
仮に上にこの異世界交通権の事まで報告したらどうなる?
警察の上層部が求めるのは、組織の強化であり、富ではない。異世界交通権など、欲の皮が張った政治屋共が出しゃばる機会を与えるだけで警察組織の利益には微塵もならない。逆に相良少年の信頼を失い、組織の強化という目的の達成は永遠に不可能となる危険性の方が高い。上層部も馬鹿じゃなければ、この事実を黙殺するはず。
しかし、上層部が政府に口を滑らし、異世界交通の事実が世界に知れ渡る可能性も僅かだが存在する。もし、そうなれば想像を絶する混沌が待つ。賭けるにはあまりにリスクが高すぎるのだ。
何週目かの堂々巡りの突入後、スマホがけたたましく鳴り響く。電話の主が誰など確認しなくても自明だ。
キリキリ痛む胃を押さえながら、スマホを耳に当てた。
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案の定、有無を言わせず官房長室に呼び出され、東条官房長の前に立つ。
一見スーツがよく似合うどこにでもいそうな萎びたサラリーマンだが、その中身は警察という組織が生んだ一種の怪物だ。
「相良悠真の件、期待以上に面白い事態に発展したようですね」
徳之助はまだ報告などしてはいない。というより口を開いてすらいない。なのに、官房長の言葉はやけに断定口調だった。
東条官房長だけは行動の先が読めない。この事実は彼にとって水を得た魚。真実を知れば、嬉々として、騒乱を巻き起こす気がする。
「仰っている意味がわかりかねますが……」
一応駄目元ではぐらかしてはみるが……。
「三〇点」
「は?」
「いけませんねぇ、誤魔化すならもっと上手くやりなさい」
やはり無駄か。官房長は相良悠真の名を知ってしまっている。徳之助が教えなければ、自ら接触を図るだろう。そもそも、隠す意味など端からない。
徳之助は肺に溜まった多量の空気を吐き出し、官房長に睨みつけるかのような鋭い視線を向ける。
「条件があります」
「他言するなということなら、心配するだけ無駄ですよ。元より、そのつもりです」
鬼が出るか蛇が出るか、いずれにしても碌なもんじゃない。
ともあれ、官房長の質疑を拒絶する立場に徳之助はいないし、中間管理職の身には少々事が大きくなり過ぎている。この際だ。この怪物に責任の全て押し付けるのも一つの手かもしれない。
官房長の狂喜に歪んだ表情に強烈な悪寒を覚えつつも、徳之助は重たい口を開く。
この徳之助の決断は、所詮二人の人物を引き合わせる契機に過ぎない。世界全体の歴史から見れば取るに足らない事――のはずだった。
しかし、この徳之助の行動の肯否はさておき、後世の歴史家は口をそろえて世界変貌の切っ掛けをこの時と定義する。
そう。相良悠真と東条秀忠、二人の怪物の出会いはこのとき明確に決定付けられ、運命の歯車は激動の時代へと舵をとることになる。