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第6話 赤髪の男

二一〇三年一一月四日(金)終戦記念日


 病院で小雪と面会し、現在、バーミリオンに向かっている。

 昨晩、日付が変わるまで鍛錬したせいで、凄まじく全身が怠い。

 毎日の筋トレのせいで日々、肉体強化はされてきてはいるが、あくまで一般人に毛が生えたものに過ぎず、武帝高校の一般レベルには程遠い。

 今日一日中自己鍛錬したところで、まさに焼け石に水。大して違いはなかったのは間違いない。そう考えると、この四連休のバイトを条件に、店長の友達とやらの修行を取り付けることができたのは僥倖だった。数日で劇的な力を得る事は難しいだろうが、一人で鍛錬するよりはよほど有意義だと思うから。

 《バーミリオン》へ到着し、更衣室で着替えた後、フロアへ向かうと、女性スタッフ達が、カナリヤのように華やかにさえずり交わしていた。


「おはよう」


 朝の挨拶をすると、女性スタッフ達が一斉に意味ありげな笑みを向けて来る。


「相良、どっちが本命?」


 黒髪ショートの少女が、にやけ顔で俺に近づくと見上げるように覗き込んで来る。

 彼女の名は、村田明美(むらたあけみ)、俺と同様バイトだ。これでも天下の帝都大生らしい。まあ、本人はプライベートを詮索されるのを死ぬほど嫌うので、本人の口から聞いたわけではなく、あくまで噂に過ぎないわけだが。


「どっちと言われてもな……」


 朝っぱらから、意味不明な謎かけなど御免被る。


「とぼけちゃってぇ~」


 俺の胸部をドンドンと拳で殴ってくる村田。村田はこの手の暴力的なスキンシップを好み、俺の中ではトップクラスに苦手な女だ。

 それにとぼけちゃいない。このタイミングだ。一人は、カリンなのだろうが、もう一人は見当すらつかない。ようやく改善されてきたカリンの機嫌が、再度悪化しても困る。根拠零の話などさっさと終わらせるに限る。


「いいのか?」

「何が?」


 俺の脈絡ない質問にキョトンと首を傾げる村田。


「朝のこのクソしいときに、さぼってると、また店長の雷が落ちるぞ」


 店長は、普段は男女問わず優しいが、職務にはやたら厳しい。休憩時間以外、特に孫の手も借りたいほど忙しい朝のこの時間帯に、仕事とは無関係な話などしていれば、あの殺人的な眼光の中、数十分間の説教の旅へといざなわれることだろう。

 俺の言葉に、村田は一瞬、顔を引きつらせるが、腰に両手を当てて、胸を張る。


「は、はん! 店長が怖くて恋バナの話などできるかっての?」


 やはり、恋バナだったわけね。勇ましい言葉の割に壮絶にドモリまくっているわけだけど。しかし、タイミングが悪かったな。マジでご愁傷様だ。幸の薄い村田の未来に、合掌をしておく。


「私が怖くて――何ですって?」


 ホールに響き渡る清んだ声。

 村田達は声のする背後を恐る恐る振り返り、悲鳴を飲み込む。

 そこには、気色悪い笑みを浮かべた仁王立ちの店長。忽ち、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまうスタッフ達。そして、いつものごとく、逃げ遅れた村田(いけにえ)


「悠真ちゃん、今日もカリンちゃんのこと、お願いね」


 店長は片目をつぶると、村田の後ろ襟首をむんずと掴み、休憩室へ入っていく。

 

「おはようだよ。相良君」


 店長達と入れ替わるように、朝比奈先輩とカリンが更衣室から姿を現した。


「おはよ、先輩、カリン」


 先輩は、いつもの人懐っこい笑顔を顔一面に浮かべている。それに対して、カリンは眉を顰めており、俺と目が合うと、慌てて逸らす。


「カリン、午前中は、厨房の仕事について教える。ついて来な」


 アクシデントが起きて、手が足りなくなると、フロアスタッフも厨房を手伝うことはよくあることだ。


「……」


 カリンは無言で頷くと、顔の険しさを解く。すまし顔で俺の横に並んでいることから察するに、俺との臨戦態勢は、改善傾向にあるらしい。

 


 カリンを厨房の三人のスタッフに紹介すると、カリンが俺の左袖を握る。これは、幼い頃からのこいつの緊張している際の癖。

 昨日のフロアの仕事は、俺以外女性だったが、今日の厨房の仕事では逆に男性ばかりだ。小学、中学と女子しかいない環境で生活してきたカリンにとって、今日は幼稚園以来の男性との集団行動。それは緊張くらいする。


「心配すんな。皆いい人ばかりだ」


 掌でカリンの頭をポンポンと叩くと、コクンと小さく頷く。


「志摩花梨ですわ。よろしくお願いいたします」

「おお、よろしくな」


 コックコートを着用した髭面の中年男が、ニヤニヤしながら、俺の肩に右手を置いてくる。

 この人は、この《バーミリオン》の厨房を任されているシェフの(げん)さん。見た目通り、不良中年だ。


「相良、あの嬢ちゃん、お前のこれか?」


 小指を立てる(おっ)さん。

カリンは厳さんのその仕草に、小指を覗き込み、キョトンと小首をかしげていた。


「ただの幼馴染みですよ」

「幼馴染み! いいねぇ、お前らもそう思うだろう?」


 同意を求めるべく、二人の男性スタッフを眺め回す厳さん。偉い迷惑な発言をする人だ。


「なぜ、相良ばかり? この世の不条理に泣けてくる」


 顔を右手の掌で押さえ、身を震わせる金髪にピアスのスタッフ。


「リア充め、爆発しろ」


 最後の黒髪坊主の男性スタッフは、人聞きの悪い言葉を吐き捨てるようにボソッと呟く。

 だいたい、俺は今まで、一度も女と付き合ったこともない。今の修行僧のような生活に鑑みても、俺ほどリア充の言葉から遠い存在はあるまい。根拠のない台詞はマジで慎んでもらいたいものだ。


「阿呆な事言ってないで、カリンのこと、お願いします」

「おう、任せとけ!」



 結論としては、カリンはフロアの仕事より、厨房での仕事の方が性にあっているのかもしれない。恐ろしいほどのスピードで、要領をつかんでしまった。今は、鼻歌を口遊みながら、覚えたてのジャガイモの皮を高速で剝いている。


「あの嬢ちゃん、才能あるな。お前とはえらい違いだ」


 休憩がてらにカリンの様子を見に来てみると、(げん)さんが、そんな身も蓋もない呟きを漏らす。


「昨日、朝比奈先輩も似たようなこと言ってましたよ」

「あの嬢ちゃんのバイト、期間限定か?」

「さあ、店長からはまだ何にも。でも、長くはならないと思います」


 数日ならば、志摩家も気付くまい。だが、これが長期に及ぶなら話は別。そもそも、志摩家の執事――半蔵さんがカリンのバイトを知らないはずがない。おそらく、数日だけという条件で説得したのだろう。これが長期に及べば、半蔵さんも志摩家に知らせざるを得ない。そうなれば、強制的にバイトは終了となる。

 

「それは残念だ。叩き込めば、伸びると思ったんだがな……」


 本心だったのだろう。普段陽気の厳さん顔には暗鬱な陰影が僅かにかすめていた。


「ユウマ、わたくし、ジャガイモの皮を向けるようになりましたの」


 俺に気付いたカリンが喜色の笑みを浮かべながらも、包丁を持つ右手をブンブンと振る。


「そうか。よかったな」

 

 俺の言葉に、カリンは子供様に無邪気に微笑むと、作業を再開する。


「兎も角、フロアの人数が足りてんなら、嬢ちゃんは俺達がもらうぜ。

 オラ、お前らぼーとしてんじゃねぇ! 新人見習って手を動かせ!」


 厳さんは、暫し俺達を生温かい目で眺めていたが、厨房で頬を染めてカリンを眺めている二人の男性スタッフに檄を飛ばす。


「構いませんよ。ただ、フロアがヤバくなったらカリンは借ります」


「おおよ」


 フライパンを握る厳さんを尻目に、俺も休憩を終了し、フロアへ戻っていく。


                ◆

               ◆

               ◆

 

「それでね、それでね、今日は、炒め方も覚えましたわ」


 今日の終業時間が終わり、『府道駅』へ向かう途中、カリンは終始興奮気味であり、俺に一日の厨房の出来事につき報告してきた。


「それはすごいな」


 嬉しすぎて喜びを隠せないカリンに、苦笑しつつも、感嘆の台詞を口にする。この称賛については、お世辞ではない。厳さんは普通、入って数か月は絶対にフライパンは持たせない。それがたった一日で、炒め方のレクチャーを受けるなど、やる気と才能のある新人がよほど嬉しかったんだろう。


「今日も寄ってくか?」


 クリスマスプレゼントを貰った子供ようにはしゃぐカリンに、尋ねてみる。


「うん!」


 こぼれるような笑顔を浮かべると、俺の右腕にぴょんと抱きつくカリン。すっかり、反目していた事実は、記憶の彼方に追いやってしまっているようだ。

 同じラーメン屋というのも味気ない。今日は回転寿司に入る事にした。

 セレブのカリンは、回転寿司など生まれてこの方入ったことがあるまい。今日、店長から臨時の指導代として五千円ほど貰っている。多分、俺達がラーメン屋に行ったことを、カリンが店長に話したのだろう。ならば、この金はいわば夕食代。カリンの好きなものを食べさせるべきだ。


 目の前を流れる寿司達に目をキラキラさせて、俺に嵐のような質問を浴びせて来るカリン。それに答えながら、寿司で腹を満たしていく。



「それで、なぜ、バイトしようと思ったんだ?」


 俺の質問に、カリンは箸を止めて見つめてくる。


「ケントとマリアの誕生日が来月なんです」

「ああ、なるほど」


 ケントとマリアの誕生日プレゼントを自身の力で稼いで買おうとしたってわけか。

 確かに、二年前までカリンはケントとマリアのプレゼントに、手作りの物を贈っていた。

 今年はケント達が成長し、欲しいものが変化し、手作りができず、バイトをするしかなかったのだろう。

 マリア達はそもそも、カリンのバイトの事実を知らない。贈ったとしても、カリンの苦労などわかりはしない。要するに、自身の稼いだ金でプレゼントを買うなど、所詮、カリンの自己満足。


(不器用な奴)


「何が可笑しいんですの?」


 口を尖らせ、頬をリスの頬袋のように膨らませるカリン。


「いや、何でもねぇよ。それより、買うものはもう決めたのか?」

「ええ、でも……」

「買うものは決まっているが、どこで売っているかはわからないと?」

「うん……ユウマ、あの……」


 何度も口を開こうとするが、言葉は発せられない。遂に口を一文字に結ぶと、俯いてしまう。

 伊達に長い間幼馴染などやっていない。カリンの次に続く言葉など、手に取るようにわかる。


(プレゼント、選ぶの手伝って欲しいか……)


 これ以上志摩家に関わるのはマズイってことくらいわかっている。カリンの両親は兎も角、志摩家の重鎮共は俺の関与に激烈に反応する。あまり考えたくはないが、小雪が入院している病院にすら圧力をかけられかねない。そんな無茶苦茶な事も、志摩家なら可能なのだ。

 しかし、そんな丼勘定ができるなら世話はない。


「来月なら俺も、多少時間ができる。プレゼント、選ぶの付き合ってやろうか?」

「ほ、本当!?」


 顔を子供のように輝かせ、勢いよく立ち上がるカリン。


「ただし、俺のことは誰にも言うな。おじさん達はもちろん、クリス姉や、ケントやマリアにもだ。それが約束できないなら、俺は手伝わない」


 既に家の前まで俺がカリンを送って行っている時点で、かなり危険な橋を渡っているんだ。


「なぜですの?」

「さあな」


 てっきり激怒するかと思ったが、ひどく神妙な顔で俺を見つめてくる。


「……わかりましたわ。誰にも言いません」

「了解。これが俺の携帯の番号とメルアドだ。一週間前までには、連絡してくれ。予定を開けておく」

「うん」


 屈託のない笑顔を浮かべるカリンの頭を一撫でして、俺も、寿司を口に放り込む。


                ◆

               ◆

               ◆

 

 やたらテンションの高いカリンを屋敷まで送り届けた後、芽黒駅へ向かう。

 無駄と分かっていても、時間の限り、鍛錬を行いたい。もっとも、今日店長から、来週の集中教練のために体力はできる限り温存しろと指示されている。何でも教官役である店長の友達とやらからの伝言のようだ。

 俺としても、来週に全てをかけたい。だから、今日は筋トレだけに止め睡眠は十分にとろう。

芽黒駅前のスクランブル交差点へと到着する。交差点を渡れば、直ぐ駅だ。

信号が青になり、一斉に群衆が歩き出す。川の流れのようにゆっくりと動く群衆の一部となって俺も足を動かす。

 それは、偶然か、それとも必然か、ふと正面に、赤色の髪の男が視界に止まる。

 黒色のズボンに、胸元が(はだ)けた黒色のシャツ、その上から、黒色のジャケットを被る。そんな黒一色で塗り固められた服装。目鼻立ちのきりっとした端正な顔をしてはいるが、その野獣のごとき鋭い紅の瞳と、顎に僅かに生える無精髭により、イケメンというには野性的過ぎる。

 赤髪の男の視線が、俺に蛇のように絡みつく。たった、それだけで、背中をつららで撫でられたような悪寒が走り、俺の足は自然に止まっていた。

 赤髪の男との距離は縮まり、膝が震えだし、俺の意思とは無関係に僅かに後退を開始する。

 そんな俺の情けない姿に、赤髪の男は口角を吊り上げ、その瞬間、姿が消失する。


「な!?」


 移動したのではない。文字通り眼前から消えたのだ。辺りをキョロキョロと見渡すが、やはり、その姿を見つけることは叶わない。

 幻覚だろうか。確かに周囲の通行人も気にとめた様子はない。この頃、睡眠時間削って修行をしてる。小雪を助ける前に、病死というのもしまらない。店長の友達の指示通り、この数日は身体を休める事に費やすべきなのかもしれない。

 頭を数回振って、気を取り直して一歩踏み出すと――。


「よお、同類」

「~っ!!?」


 全身に稲妻のようなものが走り、心臓が激しく動機を開始する。

 背後には怪物がいた。


「……」


 後ろを振り返ることができない。いや、振り返るという動作が思い浮かべないのだ。それをすれば、待つのは『死』、それが十二分に理解できてしまったから。

 

「もうじき、世界は変わる。死にたくねぇなら、さっさと俺達の側にくるんだな」


 男の声は、まるで、壊れたラジオの様に、所々軋みながらも、俺の鼓膜を震わせる。

 極度の緊張からか、全身から滝のように発汗し、視線も上手く定まらず、眼球が忙しなく動き回る。

 

「卵から(かえ)る前に、()()ぬなど興ざめもいいところだしよぉ」


 その言葉を最後に、今まであった心臓を素手で鷲掴みにされたような激烈な違和感が消失した。

 交差点のアスファルトに両膝をつき、大きく肺に空気を入れる。酸欠で霞んでいた風景が元に戻り、鮮明になっていく。

 あれはヤバい。今まで俺が出会った中でもダントツで危険な奴だ。

 ――武帝高校の教師陣よりも!

 ――探索者協議会から。武帝高校に教官として派遣された最高ランクのサーチャーたちよりも!

 ――世界大会で観戦した最強クラスのシーカー達よりも!

 それらの誰よりも、禍々しく、ひたすら恐ろしかった。

 早く、この場から離れなければならない。理由はさっぱり不明だが、俺はあの怪物に目をつけられた。もう一度鉢合わせをすれば、俺は瞬きをする間もなく、この世から消滅してしまう。そんな気がする。

力なく震える膝を何度も叩いていたら、ようやく歩けるだけ力が戻ってきた。よろめきながらも芽黒駅内へ疾走する。








 お読みいただきありがとうございます。

 タイトルの箇所まではもう数話あります。本作品は日常から非日常へのギャップを書きたかったのもありますので、ご辛抱いただければ幸いです。(あと物語の核心が、結構ちりばめられています。あとで読み返すと面白いかも)

 ただ、それまでは、1日2話程度、投稿したいと考えております。

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