第5話 意外な再会
二一〇三年一一月三(木)勤労感謝の日
数時間の仮眠のはずが、完璧に寝過ごしてしまった。疲れていたとはいえ、まさか午前六時まで一度も目が覚めないとは……。
シャワーを浴びてさっぱりした後、台所へ行く。
フライパンで卵を半熟のハムエッグに、トースターでパンをコンガリとキツネ色に焼く。マイカップに温めた牛乳を入れて、完成した料理をテーブルに置くと席につきテレビをつける。
テレビは最近起こっている連続猟奇殺人事件で持ち切りだった。
この通称『一三事件』は、殺し方が猟奇的であり、殺害現場に必ず『一三』の数字描かれるなど、極めて特徴的であること。さらに、その被害者全てが有名な魔術師の系譜に連なる白人の留学生であることからも世界的な関心事となっている。
特にその殺し方の特徴は、ネットでも話題になり各殺人には独特の名称がつけられている。
第一の殺人――『赤箱』。人間が挽肉にされ赤い箱に押し込められた事件。
第二の殺人――『糸人形』。胴体部が消失し、下半身と両腕両脚、頭部がそれぞれ、切断され天井が吊るされて発見された事件。
第三の殺人――『肉球』。全身が細切れにされ、球状に圧縮されていた事件。
全てが人間とは思えぬ力で為されており、高ランクの魔術師か超能力者を多数所属する殺人ギルドの可能性が濃厚であり、警視庁に大規模な捜査チームが結成されたらしい。
朝の食事の時間帯に、こんな気色悪い特集を組むテレビ局の神経を疑う。おかげ様で、食欲は見事に消失した。
口直しに番組を変えると、一局だけ、EU加盟国の中で今や唯一の王政を取る国――《アシュパル》の御家騒動のニュースがやっていた。
前国王が崩御し、王位継承権を有するのは、二人。その二人が、次期国王の座を巡って泥沼のような争いをしているらしい。
《アシュパル》は、EUでも有数の経済大国。日本も無数の企業が進出しているし、前国王が熱心な親日家であったこともあり、頻繁にこの国の情報がお茶の間に流されている。
他国の内紛など微塵も興味がないが、『一三事件』よりは聊かましというものだ。
食器を片付け、バイトへ行く準備をすると、『府道総合病院』へ向かう。もちろん、小雪に会うためだ。
夜はバイト等で遅くなり、大抵面会時間が過ぎてしまう。だから、俺はいつも朝に面会することにしている。
『府道総合病院』の受付で、小雪の面会の手続きをして、エレベータに乗り込み、三階へ移動する。
エレベータを降りると、直ぐに忙しなく行き来する看護師達の姿が目に飛び込んで来た。
重たい脚を動かし、小雪の病室である三一〇室へ向かう。
病室に入ると、微かに肉の腐る匂いが嗅覚を刺激する。個室の中央のベッドには、身体の所々を包帯で覆われた少女が横たわっていた。
その姿を網膜に映し、己の魂が引き裂かれるような鋭い哀感に全身を滅多刺しにされる。
《上乃駅前事件》で小雪は原因不明の病を受けた。それはそれ以来、小雪の全身の皮膚は腐り、意識も一度も戻っていない。
この疾病が他者に伝染する危険性があるとのことで、俺すらもガラス越しにしか会わせてもらえなかったが、ようやく数か月前に他者に感染する可能性が否定され、一般病棟へ移動されたのだ。
「小雪……」
傍らの椅子に座り、小雪の右手を握る。
この一般病棟に移されたことは、決して良い事ではない。他者に伝染しないと知り、政府は小雪の奇病の解明につき、実にあっさり匙を投げた。たった一人の患者を救うために国民の多額の血税と労力を使えない。そんなところだろう。
小雪の肉体の腐敗は、当初、シミ程度だった。その病態は、ジワジワと広がり、二年間かけて体の四分の一を占有するに至る。担当医の説明では、腐敗の進行速度から言って、小雪の肉体はもってあと5~6年。それ以上は、腐敗が全身に広がり、命に係わるそうだ。
「待ってろ。絶対に俺が、治してやる」
そうだ。俺はもはや、他人をあてになどしていない。小雪のこの奇病は俺が治す。
《サーチャー》になり、多額の金銭を稼げば、小雪の病の研究を研究機関に依頼することも夢ではない。資格さえあれば、得られる情報も今とは比較ならないものとなる。そうすればこの糞ッタレな疾病の治療法のとっかかりくらい見つけられるはずだから。
「また来るよ」
名残惜しさに鞭打って、小雪の頭をそっと数回撫でると、病室を後にした。
《バーミリオン》は、東京都四奈川区にある個人経営のファミレスだ。交通の便が良く、芽黒区にある高級住宅街も近い。立地的には一等地であり、休日などは殺人的な忙しさに見舞われる。まさに、スタッフ泣かせなファミレスである。
社員専用の裏口から、建物に入り、更衣室で店から支給されている制服に着替える。黒色のズボンに、白い清潔なワイシャツ。まさに普通一般のウエイターの服装だ。
もっとも、普通なのは男性スタッフだけ。女性スタッフの制服につき、ある特殊な特徴がこのファミレスにはある。
更衣室を出ると、赤髪の一房を横っちょに結びにした小動物が、俺を見上げていた。
「相良君、おはようだよ」
無邪気な子供のような笑みを浮かべる少女に、右手を軽く上げる。
「おはよう。朝比奈先輩」
彼女――朝比奈明日菜が着ている黒のヒラヒラが付いたミニスカートに刺繍の入った白色の上着はこの《バーミリオン》のウエイトレスの制服だが、ある意味大人っぽ過ぎる服装故に、お世辞にも彼女に似合っているとは言い難い。
このどう頑張っても十二、三歳にしか見えない少女は、別に店が児童労働の禁止に抵触しているわけではない。彼女は、れっきとした俺の店の先輩であり、一九歳なのだ。
担任の六花といい、朝比奈先輩といい、俺の周囲には、なぜこうも、生物としての年齢を間違った奴ばかり多いんだ?
「昨日、どうしたのさ?」
「気絶してた」
「き、気絶?」
俺のお腹付近の服を掴むとブンブン振る。俺の胸倉をつかもうとしたんだろうが、思いっきりしくじっている。
「心配いらねぇよ。先輩」
幼い頃からの小雪の世話で、ガキの扱い方は慣れている。頭をグリグリと右手で撫でる。
「う~」
朝比奈先輩は、唸り声をあげて俯いてしまった。
「店長から新人の教育頼まれたんだが、もう来てんのか?」
「うん。すごく可愛い子だよ」
するてぇと、俺は女に教えるのか。
本来、フロアの女性スタッフの教育はフロアチーフである朝比奈先輩が相応しいんだが、如何せん、先輩が抜ければこの職場は数分と持たず崩壊する。
「どこにいる?」
終業時間前に、教えなければいけないことが山ほどある。直ぐに行動を起こしたい。
「少し、待ってるんだよ」
パタパタと、女子更衣室へ入っていく朝比奈先輩。
十数秒後、更衣室の扉が開き、朝比奈先輩が部屋から出て来る。
「ユ、ユウマ!?」
先輩の後から出て来た人物を見て、俺は自身の間の悪さを、心底思い知った。
◆
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「で? カリン、お前、何でバイトしてんだ? お前んち、滅茶苦茶、金持ちだろう?」
あんな豪邸に住んでる奴が、ファミレスのバイトなど、今更もいいところだ。特に、カリンは両親から溺愛されている。ねだるだけで大抵のものを買ってもらえるだろうに。
「ユウマには、関係はありませんわ」
そっぽを向いて不愛想に答えるカリン。
「おじさん達、お前がここで、バイトしていること知ってんのか?」
「お父様達には、絶対に言わないでくださいまし!」
眉を顰め、険しい表情で、口調に怒気を強めるカリン。
たかがバイトだが、確かに過保護なおじさん達が知れば大激怒しそうだ。
「それは無用な心配だな。俺はもう、志摩家と過度の関わりを持つことはねぇよ」
「……」
カリンは、下唇を噛んで、俺に刺すような視線を向けてくる。
(まずいな。益々、意固地にさせちまった)
伊達に幼馴染などやっていはいない。カリンの頑固さは重々承知している。よほどのことがない限り、数日間、まともなコミュニケーションはとれまい。
「自己紹介は済んだようねぇ~。さっそく、カリンちゃんにお仕事、教えてあげてね」
気が付くと、カリンの背後には、セミロングの黒髪の女性がスーツ姿で佇んでいた。この人が一ノ宮香乃――この《バーミリオン》の店長だ。
切れ目の瞳に、半端でなく整った相貌。この店長の容姿は十人が十人、絶世の美女と表現するだろう。だが、いかんせん、男の俺より筋肉質であり、背も高い事も相まって、中々の迫力を醸し出しており、夜道で出会ったら真っ先に全力疾走で俺なら逃げる。
「了解です。カリン、ついて来な」
「命令するな、ですわ」
不貞腐れたように答えてはいるが、従うつもりはあるようだ。この二年間で、カリンも大分成長したらしい。
スタッフにカリンの紹介し、フロアの仕事の説明を開始する。
元々、物覚えが半端じゃなくいい奴だ。加えて、基本真面目ときている。お嬢様特有の頓珍漢な行動はあったが、直ぐに仕事に慣れて、作業の流れ自体は、午前中でほぼマスターしてしまった。
「フロアに出てみたいですわ」
朝比奈先輩に視線を向けるが、首を左右に振って来る。今は丁度お昼時。この時間帯では、カリンが失敗したときのフォローに入る余裕がない。それはそうだろう。
「今は死ぬほど忙しい時間帯だ。もう少し待ちな。そうすれば嫌でもやってもらう」
俺の足手纏い宣言に、カリンはムッとしたように、口を尖らせるが、文句まではいわなかった。こういう素直なところは全く変わっちゃない。
ようやく客足が落ち落ち着いてきたので、カリンの初めてのフロアデビューが開始される。
接客の際の笑顔や言葉がぎこちない等、多少不十分な点もあったが、最初であれだけやれれば及第点だ。
「カリンちゃん。すごいね。私なんて、あのレベルの接客こなせるようになるまで数か月以上かかったよ」
肩越しに振り返ると、朝比奈先輩が、空となった食器の乗ったトレイを片手にカリンを注視していた。
「あいつ、昔から器用だったからな」
昔からカリンは、昔から何をやるにしても器用だった。俺が特定の遊びやスポーツにはまると、必ずカリンも興味を持ち、あっと言う間に俺の実力など超えてしまったな。
「みたいだね。ところでさ、相良君とカリンちゃん、どんな関係?」
朝比奈先輩が、躊躇いがちにも尋ねて来る。先輩の紅色に染まった頬に、首を傾げながらも、口を開く。
「幼馴染だよ」
「幼馴染……そう、ふ~ん」
そのぎごちない笑みから、普段の屈託のない笑みに戻り、厨房へと消えていく。いつもにもまして意味不明な人だ。
サボってると店長にどやされる。はやく、持ち場に戻ることにする。
◆
◆
◆
「カリンちゃん。御苦労様、初めてで疲れたでしょ? もう上がって」
八時になり、店長がカリンに本日のバイトの終了を宣言してくる。
「まだやれますわ」
「だ~め。これ以上遅くなると親御さんが心配するわぁ。また明日頑張って」
「はい……ですわ」
俯き気味に、頷くカリン。
大方、今日一日役に立たなかったとでも考えているんだろうが、一日で覚えられる仕事などあり得ない。家事すら碌にしたことのないカリンに、今それを伝えても理解できまい。仕事をこなすうちに、自身で理解するしかない。
「悠真ちゃん、お見送りお願いね」
「了解」
店長の面倒見の良さを鑑みれば、教育係の俺にカリンを家まで送らせることは予想していた。必要以上に俺と口を利かないカリンのことだ。激烈に拒絶するかと思ったが、意外にもすんなり受け入れた。
スタッフに挨拶をし、カリンを連れて《バーミリオン》の外に出る。
カリンの家までは、《バーミリオン》のある『府道駅』からおよそ二駅分であり、一時間そこらでつく。カリンは依然不機嫌そうにそっぽを向いてはいたが、気付くと俺の左隣へ移動していた。
「お前、いつまで、プリプリしてんだよ?」
「怒ってませんわ」
「嘘つけよ」
「……志摩家の人間には、関わりたくないんじゃありませんの?」
「ま、そうなんだが……」
正確には、志摩家に関わりたくないというより、関わるつもりがないだけだ。
「……」
カリンは俺の返答がよほど気に入らなかったのか、唇をプルプルと震わせ始める。
今日の俺はカリンの怒りの導火線に着火してばかりだ。これ以上の関係悪化は俺の本意ではないし、百害あって一利なし。できれば雰囲気を変えたいところだが……
「何か食ってくか?」
いくら、カリンの精神年齢がお子ちゃま同然だとは言え、これだけ怒り心頭なところに、飯に誘っても来るわけない。流石に考えなさ過ぎた。
「……」
案の定、答えはない。他の手段を考えるべきだろう。
軽く息を吐き、歩き始めるが――。
「ユウマの行きつけのお店がいいですわ」
「は?」
「夕食、ユウマに任せます」
相変わらず、そっぽを向いてはいるが、カリンの顔には薄く張った氷のように恥じらいがほんのりと浮かんでいる。
「了解した」
俺の方から誘っておいて何だが、まさかカリンが受けるとは思わなかった。
だが、確かに、本当にカリンが激怒しているなら、会話など成立しないはずだ。もしかしたら、外見ほど、怒りの度合いは低いのかもしれない。
(さて、どこに行こう)
誘いは断られると踏んでいたので、行先は全く決まっていない。超高級食材を専属の有名コックに調理させている料理を普段から食べているカリンの舌を満足させる店など、俺が知っているわけもない。
カリンに、必要以上に気を遣うと逆効果になる。俺がよく行く店でいいだろう。府道駅前には、寛太や銀二とよく訪れるラーメン屋がある。そこに連れて行くことにする。
不動駅前のラーメン店――『黒葉』に入る。『黒葉』は、個人店ではあるが、味は都内でも屈指だと個人的には考えている。
カリンは、店内に入ってから目を輝かせており、機嫌は大分好転しているようだ。単純な奴で助かる。
奥の座敷でカリンの対面に座ると、『黒葉』名物――『黒ラーメン』を二人前頼む。
ラーメンができるまで、カリンと会話は一切なかったが、今まであった不機嫌そうな表情は、すまし顔に置換されていた。
テーブルに置かれる二つのラーメン。
『黒ラーメン』を幸せそうに食べるカリンを、俺は頬杖をつきつつも暫し眺めていた。
「なんですの?」
俺の箸が止まっていることに気付き、彼女は当然の疑問を俺に尋ねて来る。
「随分、美味そうに食べると思ってな」
「馬鹿にしてますの?」
羞恥か、それとも怒りからか、カリンは頬をみるみる紅潮させる。
「してねぇよ。そう一々突っかかるな。お前が嫌なら、もう見ないし」
「別に、嫌ってわけじゃ……ないですわ」
いじけたように箸を動かすカリンに苦笑をしつつも、俺もラーメンを食べ始める。
「ねえ、ユウマ」
ラーメンが三分の二程減ったとき、カリンが箸を止め、借りてきた猫みたいにかしこまった表情を俺にむけてくる。
「ん?」
「クリスお姉様には婚約者がおります。以前、私に教えてくださいました」
クリス姉は俺の三つ上で、一九歳。結婚の約束した相手がいても何らおかしくはない。
確かに、クリス姉は、俺にとって初恋の相手ではあるが、それは俺が小学生の時の話だ。そんな昔の恋を引きずってショックを受けるほど俺は、純粋な男ではない。
「それはめでたいな。おめでとうと伝えといてくれ」
「……」
ジッとその澄んだ碧眼で、俺を見つめて来るカリン。
「どうした?」
「いえ、何でもありませんわ」
それっきり、カリンは一言も話さず、黙々とラーメンを口に入れていた。脈絡のない会話に首を傾げながら、俺もラーメンの残りを平らげる。
『黒ラーメン』を食べ終え、『黒葉』を出てから、『府道駅』へと向かう。
ラーメン屋を出てからカリンの機嫌は次第に回復し、府道駅のプラットフォームで電車を待つ頃には、俺が話しかけると答える程度にはなっていた。この調子な明日には、元の状態に戻ると思われる。
二駅ほど乗車し、芽黒駅で下車して15分ほどの徒歩で、高級住宅街にある志摩家の広大な屋敷の門付近と到着する。
あまり近づきすぎると、志摩家に勘付かれる。これがデットラインだ。
「また、明日」
右手をヒラヒラ振って踵を返し、芽黒駅に向けて歩き始める。
「おやすみなさい」
妙に快活なカリンの声を背中に受けながらも、俺も帰路につく。
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