第60話 絶望の先
途中のコンビニで、夜食を買い込む。既に、二三時一五分。結局、捜索のための外出に、一時間もかかってしまった。カリンは完璧にお冠だろう。まっ、カリンの好きなシュークリームをしこたま購入したんだ。食いしん坊の彼奴のことだ、機嫌はすぐに直る。
屋敷の門の前までくる。
「嘘だろ……」
心の中を掻きむしられるような激しい焦燥を感じ、喉を掻き毟った。
屋敷の灯は全て来ており、物音一つしない。どう楽観視してもマズイ状況だ。
【エア】をホルスターから抜き、《絶刀》を握り、屋敷に入る。
少し進むと、廊下にはレッドラビットの首の千切れた肢体が横たわっていた。
(カリンッ!!)
気が付くと俺は必死で脚を動かしていた。レベル7のレッドラビットが死んでいるのだ。今がどれほど危険な状態かなど猿でも思いつく。本来、限界まで警戒して臨むべき事態。
それなのに、俺は無様に転び、躓きながらも、応接間へ向かって走っていた。
脳裏に浮かぶのは、カリンの無邪気な姿だけ。
――あいつのふて腐れたように頬を膨らませる顔が。
――あいつの厨房で初めての料理をする楽しそうな顔が。
――あいつの幸せそうにスイーツをぱくつく顔が。
泡のような幸せの光景は次々に浮かび、弾け飛ぶ。
「嫌だ……」
一度口から言葉が漏れると、もう抑えはきかなかった。
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だっ!!」
あの猫のように俺に懐く姿を、俺の右腕にしがみ付くあの優しい温もりを、ひたすら失うのが怖かった。
応接室の扉の前には二匹目のレッドラビットの死体。巨人の拳骨を真正面から受けたかのようにグシャグシャに潰れており、その長い二つの耳以外、兎の原型をとどめてはいない。
俺は応接室の扉のノブに手をかける。
扉を開けただけで、強烈な鉄分の匂いが嗅覚を刺激する。妙に緩徐に開かれる扉。その扉の向こう側には、真っ赤に染まった世界があった。
壁にも、椅子にも、テーブルにも、ソファーにも、運び込んだベッドにさえも、例外なく死が溢れていた。
「う……」
――全身に無数の釘で串刺しにされ壁に磔になった徳之助と辰巳おじさんが見える。
――四肢、頭部、胴体をバラバラに切断され、天井から糸で吊り上げられる堂島美咲と多門のおっさんが見える。
「うぁ……」
――身体が球状に圧縮され、椅子の上に乗せされている《蝮》と《梟》が見える。
――壮絶に壁にめり込み頭部を粉々に砕かれた《狂虎》とメイド姿のミラノが見える。
「ぐうぁぁ…………」
瀕死の獣のような呻き声が俺の口から吐き出される。
必死で部屋中を見渡し、あいつを探す。
あいつは――ソファーに座って眠っていた。
「おい、カリン、起きろよ……」
力の入らない脚に鞭打ち、寝坊助なあいつに近づくと、その両肩を持ち、強く揺さぶる。
「起きろって!」
ついさっきのように、驚いて起き上がり、辺りをキョロキョロ見回すはずだ。
「頼むから!」
俺の胸に顔を埋めて抱きしめてくるはずだ。
「お願いだ……」
涙で視界がぼやける。
本当は一目でわかっていた。胸にこれだけ大穴開けられて生きていられる人間なんていやしない。
ただあまりに眠るようで、また起きて俺に微笑んでくれるようだったから、あり得ない奇跡に縋っていただけだ。
「カリン、ごめんな」
俺はまだほんのりと暖かいカリンの身体を抱きしめる。強く、強く抱きしめる。
「ごめん」
弱虫なお前の事だ。さぞかし、怖ったろう。
優しいお前の事だ。父や自分を大切に思ってくれる人達が倒れて、さぞかし悲しかったろう。
でもきっと泣かなかったよな。お前、ここぞというときに強いから。最後の瞬間まで俺が助けにくるのをずっと待っていたはずだ。馬鹿みたいに一途に――!
「ごめん……」
俺はお前を守るといった。お前の傍にいると誓った。その言葉を、カリンは、一欠けらの疑いもなく信じていたのに、俺はそのカリンの信頼を裏切った。裏切ったんだ。
「あはは、お涙頂戴劇どうも、ありがとうございました!」
部屋の隅がから聞こえる耳障りな女の声。俺はゆっくり眼球だけ向ける。
そこには四人の男女がいた。
一人は、黒髪の拷問好きなドレスを着た糞女――ラヴァーズ。その周囲には十字架を象った釘がプカプカと浮遊している。
二人目が、丸太のような太く強靭な四肢と頸部に、筋骨隆々の体躯を持つ大男。闇夜でも金色に輝く長髪と口から覗かせる犬歯は、野生の猛獣をイメージさせる。
三人目が、右手に鞘に納められた刀を持つ二十代前半の一見物静かな男。特に、細いフレームの眼鏡は、その理知的な風貌をより強めている。
四人目が、制服を着用したシンメトリーの黒髪の少年。指に絡ませた糸が大気中へ伸び、まるで流動する蜘蛛の巣のようだ。
「おまえがユウマって奴?」
ラヴァーズは、腰に両手を当てて、嘲弄に満ちた笑みを浮かべる。
「……」
俺の無言を肯定と見做した奴は、嬉々として言葉を紡ぎ続ける。
「その女、部屋中の雑魚を一匹、一匹殺していく間にも、ユウマ、ユウマ助けってて叫んで、マジで鬱陶しかったわよぉ~」
――そうか、お前ら……。
ラヴァーズの言葉を脳が理解し、ピシリッ、と俺の心の器にヒビが入る。
「仲間が殺されてるのに、自分が助かりたくて、ユウマ、ユウマって男の名を呼ぶ。まったく、とんだビッチよ」
――カリンは自分が助かりかったんじゃない。俺なら皆を助けてくれるって本気で信じてただけだ。
ラヴァーズのカリンへの侮蔑の言葉に、器の亀裂はさらに広がっていく。
「最後まで、ユウマ、ユウマって、マジでウザイっての。ボスの命じゃなければグシャグシャの挽肉にしてやってたわよ」
――もういい。
器に生じた亀裂から、まるで決壊したダムのように濁流のような憤怒が漏れだす。そして、憤怒は俺の魂に再現なく狂気を宿らせる。
――ただ、こいつだけは――。
カリンをソファーに寝かすと、ゆっくり立ち上がる。口端がありないほど吊り上がり、カリンの魂を侮辱したラヴァーズを凝視する。
――殺してやる。
「何? おまえ、一丁前にキレてるのぉ? マジで受けるー。
まっ、いいわぁ、この玩具、私がやる。あんたら、手を出すな!」
身体は自働機械のように勝手に、かつスムーズに動いていた。
【エア】に威力最大、範囲半径四メートル《時限弾》を創造・充填し、ラヴァーズに続けざまに引金を引く。
弾丸はラヴァーズの眉間と胸部に、二つの闇色の閃光となって驀進するも、プシュ、と小さな破裂音ともに、奴の目と鼻の先で破裂する。おそらく奴の十字架釘により相殺されたんだろう。元より、《時限弾》は非常に脆い。こんなもの当たるとは端から思っていない。
俺はというと、蜘蛛のごとく地面スレスレに疾走し、一気に外道女との距離を詰めていた。
「お馬鹿さ~ん。」
嗤に顔を歪ませると、空中に無数の釘を顕現させ俺に放ってくる。
馬鹿? 馬鹿は貴様だ。
右腕で急所を覆い隠し、左手を弓の様に後方へ振り絞る。
刹那、俺の全身に釘が深々と突き刺さり、俺の左手からナイフ形態の《絶刀》が放たれた。
「ちっ!」
ヒュン、と奴の心臓を目掛けて風切り音を上げて空を疾駆するナイフを、舌打ちをしつつも避けるラヴァーズ。
《絶刀》をこの近距離で釘により迎撃させれば、破片が飛び散り、少なからずダメージを受ける。それ故にさけたのだろうが……やはり、この女、身体能力はやたら高いが、戦闘は素人同然だ。最悪の選択をしてくれる。
「愚か者が……」
誰かの吐き捨てるような呟き。
その通り。俺は【エア】を左手に顕現し、奴が避ける軌道を先読みし、奴が右脚に力を入れる瞬間、銃弾を四発撃ちこんでいたのだ。
間髪入れずに、再度右腕で急所と左手を防ぎつつも引金を長押ししながら、奴の接近を開始する。
俺の放った弾丸は、奴の右腕に吸い込まれ、真っ赤な血飛沫を上げる。
「屑がぁ!!」
残りの三つの銃弾を全て、十字架の釘により防ぐとラヴァーズは、悪鬼のような形相で俺に無数の釘を放ってきた。
無数の釘が俺の肩に、右腕と左腕に、腹部に突き刺さる。
しかし、一つの砲弾化した俺は歩みを止めず、奴の顔面に有りっ丈の右拳を叩き込む。
俺の全身に再度冗談のような数の釘が突き刺さり、奴の鼻先寸前でその歩みを止めた。
「残念でしたぁ~」
右腕を突き出した状態で歩みを止める俺に、勝利を確信でもしたのだろう。ラヴァーズは狂喜に顔を歪めながらも、俺を蹴り上げる。俺の身体は、まるでボールのように、壁まで吹き飛び壮絶に叩きつけられる。
「低……能、その言葉……そっくり……返すぜぇ!」
小さな光がラヴァーズの右腕から生じた。その赤黒色の光は、超光速で広がっていく。
刹那、雷の直撃を受けたかのような轟音と、暴風が応接室内を吹き荒れる。
そして、ラヴァーズは血の一滴すら残さずこの世から消滅していた。
「ぎゃはっぐははっ! 見ろよ、ハーミット、ラヴァーズの奴、大層な口叩いておいて、簡単に死にやがった」
金髪の大男が腹を抱えて笑いだすと、シンメトリーの男――ハーミットの背中をバンバン叩く。
「痛い! 痛いって! お前のその馬鹿力で叩くなよ!」
ハーミットは肩を竦めると、眼鏡の男に視線を向ける。
「で? ヒエロファント、こいつどうするの? ラヴァーズを倒すほどの奴だし、さぞかし強いキメラが作れるともうよ?」
「そうだな――」
そこで、眼鏡男――ヒエロファントの携帯が鳴り響き、耳に当てる。
「はい。承りました。ボス」
ヒエロファントは通話を切ると、扉に向かって歩き出す。
「仕事は終了だ。工房へ戻るぞ」
「へ? そいつこのままでいいの? まだ生きてるけど」
「……」
ハーミットが、慌てたように尋ねるが、それに答えずヒエロファントは扉から姿を消す。
「まあ、直ぐに死ぬか……いくよ、トレンクス」
「うるせぇ、指図すんじゃねぇ!!」
ハーミットも部屋を出ていき、怒鳴り声を上げつつも、金髪の大男――トレンクスもそれに続く。
「カリン……」
これだけ釘で全身串刺しになれば、もうどう考えても助からない。あと数分と立たずに、俺は死ぬだろう。
「カ……リン」
立ち上がろうとするが、半身が変な方向に捻じれているのに気付く。
関係ないさ。絶対にカリンに会いに行く。もうあいつを独りぼっちにさせやしないんだから。俺だけは傍にいてやるんだから。
もはや痛みすら感じない。ただ、自身の吐き出す血液が何度も肺に入る中、俺は床を這って進み続ける。
十数分、いや、数分しか経過してはいないかもしれない。遂に俺はカリンに辿り着く。視界はぼやけて真面に見えやしない。
最後の力を振り絞り、カリンを抱きしめ、後頭部に右手の掌を押さえる。此奴はこうすると大抵安心するから。
「カリン……ずっとそばに……いてやるからな……」
カリンの優しい温もりともに、意識に白い霧がかかっていく。
遠くから足音が聞こえ、扉が開かれる音。
「相良ぁ!!」
いつも聞きなれた少女の声と、
「こ、これは――美咲ちゃん!!」
つい最近聞いた中年の男性の悲鳴。
「相良、しっかりしろ!」
聞きなれた女の泣き声が聞こえる。
「本部、殺人事件発生。どう考えても、これ『一三事件』です。直ちに応援をよこしてください!! 住所は――」
中年の男性の声に怒気が混ざり始める。
「ガイシャの特徴? 今、そんな事言っている場合か!? 生存者がいるんだぞ!?」
舌打ちをすると、怒りで震わせつつも話し始める。
「死者九名、生存者一名だ。ガイシャの特徴は――」
遠退く声の中、机の上に不自然に置かれた人形が発光しているのを目にしながら、俺の意識は真っ白に塗りつぶされていく。
次が解決編となります。ここからようやく物語が盛り上がっていきます。
次の四週目は、問題解決に主人公が尽力する。そんな話となります。ご期待いただければ幸いです。




