第58話 電話の分析
部屋の片隅に置いてあるソファーに、俺と八神が向かい合う形で座っている。
あまりにショッキングな話題故に、まずトップの八神にのみに話すことにしたんだ。
もっとも、堂島は、俺の電話の様子から、事情を把握しているようであったが。
「チョウバ、エス――長門君は、本当にそう言ったんだね?」
八神が敵地に足を踏み入れたような険しい顔で、俺に長門の電話の内容を尋ねて来る。
「ああ」
長門の奴、なぜ憎んでいたはずの俺に電話してきたんだ? 信用性という観点からも、いかにも胡散臭い俺より、八神警視正にすべきはずだ。
「なぜ長門君が僕じゃなく君に、最後の言葉を残したのかわかったよ」
「最後と決まっちゃいねぇだろ」
「相良君、現実逃避は止めるんだ。僕らの相手は希望観測ができるほど甘い相手じゃないはずだよ」
「んなことはわかってる!」
八神に懇切丁寧に指摘されなくても十分に了知している。でも頭で理解しても、納得ができるかは別問題だ。
長門の奴には、散々な目にあわされた。まだまだ言いたりないことも沢山あったんだ。その奴が最後に残した言葉が、妻や愛娘、大切にした姪に対する言葉でもなく、あれほど憎んでいた俺に対する謝罪の言葉だと!? ふざけんな! そんなの受け入れられるかよ!
「それならいいさ。じゃあ、話しを進めるよ?」
今は先に進むべきだ。長門の事はあとで、ゆっくり考える。違うな。どうせ、考えてしまう。なら、立ち止まるべきではない。
だから――。
「頼む」
俺は大きく頷いた。
八神の下唇からは血が滲んでいた。多分、民間人を巻き込んでしまったという一点では心境は八神も同じだ。無論、頼んだ八神にペナルティーはあるだろう。それ以上に、多分八神は自分を許せない。変に思いこまなければいいんだが。
「『チョウバ』は僕らの用語の『捜査本部』、『エス』は『スパイ』。つまり――」
「捜査本部にスパイがいるってわけか……」
その点に意外性はない。八神も俺も端から予想していた話だ。
「そう。僕らは捜査本部の情報が奴らに漏れていると疑っていた。そうでも考えないと、不自然なことが多すぎるしね。でも、スパイがいるかまでは断定はできなかったんだ」
「スキルや魔術による諜報ではなく、人間による諜報……」
俺の言葉に八神は満足そうに頷く。
「この二つは同じようで決定的な差がある。何だかわかるかい?」
「証拠隠滅や、虚偽の情報による情報攪乱の恐れか?」
口端を上げるとソファーから立ち上がり、闊歩し始める。
「それもある。だけどもう一つ。人ってのは、それ自体が証拠となり得るということだよ」
長門には昨日、黒髪の女の外見を知らせている。そして、俺は一度駅であの糞女を目にしている。ならば――。
「長門が黒髪女を街中で見つけて、尾行をした。その先で、捜査本部の捜査官を目にした。こんなところか?」
「おそらくね。そして、長門君は奴らについて決定的な何かを見つけた」
仮に長門が目にしたのが、奴らのアジトなら、俺達の攻防は完全に逆転する。しかも、明日には探索者協議会からシーカーが派遣される。つまり、下手をすれば、明日中でこの事件に決着がつく可能性さえある。
「だとすると、奴らについて決定的な証拠とやらは、順当に考えて『芽黒駅のトイレ』にあるんだろうな」
流石に、アジトがトイレってことはないだろうし、トイレのような目立つ場所で密会するのも考えにくい。やはり、長門が重大な証拠をトイレに隠したと考えるが妥当だろうよ。
「だろうね。本部の捜査官を動かしたいのは山々だけど……」
苦々しげに顔を歪める八神。
「誰がスパイかわからない。そういうわけか……」
「うん。そこでなんだけど――」
「『芽黒駅のトイレ』に行けってんだろ?」
今回の証拠回収のベストな人選は、一定以上の力を有する警察関係者ではない人間だ。
俺が行くべきだろう。確かに、カリンの傍を離れたくないのが本心であるが、ここには俺達のチーム最強の『狂虎』がいる。仮に襲われても、俺が戻るまでは、持ち堪えられると思われる。
「お願いするよ」
「俺、捜索とかやったことねぇし、当然慣れてもいねぇ。その際――」
「心配は無用さ。今は、緊急事態だし、捜索に必要なら多少公共物を損壊しても構わない。でも、事後報告だけはしてね。後で僕の方で処理する必要があるから」
流石は八神、俺の意図を悉く先読みする。
「了解した」
「そうだ。カリンちゃんを心配させたくはないし、皆には、食料の買い出しということにしよう」
頷くと、カリンと辰巳おじさんの傍に行く。
「おじさん。俺、少し買い出しに行ってくる」
「わかったよ」
今のこのタイミングでの買い出しだ。疑問の一つも沸くのが通常だろうが、先刻の電話で辰巳おじさんも、ただの買い出しではないと薄々勘付いているのかもしれない。
「ユウマ……」
カリンの俺を見上げる瞳には強い不安の光が広がっていた。
「お前の好きな甘いもの買ってきてやるよ」
「ん……」
いつもの様に、頭を数回撫でると、カリンは俺に抱きつきその顔を押し付けて来る。
暫く、彼女の気持ちを落ち着けるべく、軽く抱きしめ背中を叩いていたが、カリンは俺から放れるとソファーに顔からダイビングしてしまう。耳元まで真っ赤なとこから察するに、父の前で照れてでもいるんだろうが、今更感が半端じゃないんだが。
案の定、辰巳おじさんはそんなカリンを見て、小刻みに肩を震わせていた。必死で、笑うのを堪えているといったところか。
息を吐くと、俺は屋敷を後にした。




