第51話 構想 八神徳之助
「すごいな……」
八神徳之助から飛び出したのは、普段の自分なら絶対に口にしない陳腐な台詞。
ボキャブラリーが貧困だと、蔑視していた言葉は、今の非常識な状況を表すにはぴったりのように思えた。
レベル4の徳之助をしても視認困難な速度で、赤色の兎が闇夜を超高速で疾駆する。
幾多もの赤い線が夜空を駆け巡ると、蛙顔の化け物共は、ピクリとの反応も許さず、己の死さえも理解することなく、元あるただの肉片へと回帰する。
ものの数分で、公園中で猛威を振るっていた怪物達のほとんどが駆逐されしまった。
「八神管理官、今の怪物で最後です」
技術班のスタッフの上ずった声が聞こえる。そして、回復を終え、観戦を初めたA、Bランクの捜査官達の大歓声。
「赤色兎A君は、救助者の保護に回ってくれ」
無線で、殲滅を担当していた赤色兎Aに指示を出す。
『きゅう』
無線から聞こえる可愛らしい小動物の声。
バンの扉が開かれ、全身血まみれの捜査官が運び込まれて来る。屈強な武装した男をお姫様抱っこする兎。途轍もなく、シュールな光景だ。
赤色兎は、バンに備え付けのベッドに捜査官をそっと置くと、再び公園内へ姿を消していく。
医療班のスタッフが、傷ついた捜査官の上半身を起こすと、【HP回復薬】という赤色の液体を飲ませる。
赤色の液体が喉を通ると、露出し折れた骨が繋がり、抉れた肉が修復する。数回瞬きをする頃には、明らかに全治数か月の重症だった捜査官は傷一つない身体に回復する。
今の現代のスキルでも魔術でも、こんな出鱈目な回復薬を作れる技術などない。間違いなく、この【HP回復薬】とやらは、オーパーツ。
相良悠真がどうやって、この回復薬を手に入れたのかは不明だが、もし有限なものなら、これほど気前よく八神達に提供はすまい。少なくとも、大切に使えの一言くらいあってもよさそうなものだ。
しかし、相良悠真の言動からは、【HP回復薬】に対する執着は微塵も感じられなかった。つまり、相良悠真が得たオーパーツは、【HP回復薬】そのものではなく、それを製造する類のもの。
相良悠真――本当に同じ人間であることを疑いたくなる子供だ。
レベル4でさえも、若くして至っているのは六壬真家のような、成長速度上昇オーパーツを有している名家か、《蝮》達のようにあの地獄のような迷宮の一定階層をクリアして、成長速度上昇のオーパーツを得たものだけ。しかも、それらには一定の限界がある。より強い力を得るには、迷宮のより下層をクリアするしかないんだ。
高校一年生で、レベル8まで至っている者など、前代未聞だろう。
さらに、所持するだけで各組織の争奪戦が始まるとされる予知能力という超希少スキルを有し、変幻自在の非常識な武器の二つのオーパーツと【HP回復薬】なる魔道具の製造系オーパーツを所有する。止めは、あのレベル7の魔物の使役だ。
この事実を知らせれば、警察の上層部は、嬉々として相良悠真の獲得へ動き出す。
現在日本は、有力な探索者を抱える技能魔道大国の一つには違いないが、それは『超常現象対策庁』の一人勝ちの状況の結果でしかない。
日本の公的機関には三人シーカーがいるが、その内、二人は『超常現象対策庁』に所属し、もう一人は武帝高校の校長。他のどの日本の公的機関にも、シーカーは存在しない。
特に、警察庁はその成立の経緯から、超常現象対策庁をライバル視している。一〇人ものAランクのサーチャーは、そのたゆまぬ努力の一つの成果と言える。
しかし、今回の事件で上層部も心の底から思い知った。有能な人材を多く確保しようとも、たった一人の怪物に簡単に覆されてしまうことを。
さらに、相良悠真の言動から察するに、彼は現在の自身の強さを自覚していない。つまり、彼にはまだ先があるということ。このまま、順調に強さを得て行けば、彼は十中八九、シーカーのライセンスを取得する。もしかしたら、シーカーの頂点たる《八戒》にすら届き得るかもしれない。
《八戒》――人の身で、世の理の埒外に足を踏み入れた真の意味での超越者。自他とも認める核兵器以上の各組織の最終兵器。
仮に、警察庁が《八戒》を手に入れれば、その権威は不動のものとなる。少なくとも、未だ嘗て、《八戒》を得た警察組織など世界中探してもありはしないのだから。
ほぼ確実に、相良悠真をこの度、設置される部署へ入れる案が可決される。
この部署は、肥大化する『超常現象対策庁』に対する対抗措置としての警察庁と防衛省の妥協の産物。新部署につき防衛省に対し主導権を握りたい警察庁の上層部にとって相良悠真はまさに恰好の人材なのだ。
もちろん、彼はまだ学生であり、警察庁に入庁するには、年齢制限という壁があるが、シーカーのライセンスを取らせれば、この問題はあっさりと解決する。
あとの問題は、彼の同意だが、それも八神には案がある。その案は、彼が今魂から切望するものであり、彼の力を警察庁に見せつけたからこそ実現し得る手段。
突如、見物していた捜査官達から悲鳴じみた声が上がる。
「管理官! 《蝮》と《梟》が敗れました」
技術スタッフの一際厳しい声に、思考を現実に回帰させる。
二人が地に伏し、赤目坊主――《フール》が《蝮》に近づいていくのが見える。
想定内だ。《フール》は、人間をレベル4の無数の怪物に変える能力を持つ。あの能力は、魔法陣が発生していなかったことからも、スキルだろう。発動者に何のリスクもなしでの奇跡の実現と、都市をも楽々と地獄と化すあの凶悪な効果から察するに、少なくとも『戦略系一般』――第四階梯の強度はあるだろう。
レベル6とは言え、戦術系の枠に留まるスキルしか有しない《蝮》達には、荷が重い相手と言える。
「相良君は?」
彼には、発信機と無線の効果のある魔道具を持たせており、その位置は逐一把握している。
「相良悠真、所定の位置に着きました」
傷が癒えて、待機を指示されたAランクとBランクの捜査官達が鮨詰めのような状態で、モニターに嚙り付いている。
彼らからすれば、守るべき子供にこの事件の後始末を任せるなど、本来その誇りが許さない事態のはずだ。
だが、それ以上に《フール》のスキルは、捜査官達にとって絶対に許せないものなのだろう。
捜査官も高ランクのサーチャーだ。だから、当然に死の覚悟くらいできている。己の死で少しでも市民と仲間が救われるなら、それは意味あるものであり、誇るべきもの。
しかし、あのスキルはそんな意義あるはずの死を条件に発動し、市民や仲間を傷つける類のもの。捜査官達にとってこれほどの辱めはない。
だからこそ、恥を忍んで少年に期待するのだ。失意の中で死んで行った仲間の無念を晴らすことを!!
映像は、《フール》が右手で《蝮》の首を掴み 、赤く染まった爪先を突き立てようと、左肘を弓の様に後方に引く姿を映し出す。
ゴクリッと誰かの咽喉を鳴らす音。
ドウンッと銃声が響き、《フール》の左上腕と右腕が次々に砕け散る。ドサッと《蝮》が地面に伏すのを合図に、二つの銃声が鳴り響く。
モニターは、血肉が花吹雪のように舞い散る中、両腕両脚を失った《フール》が、地面に仰向けに倒れる姿を映していた。
視点を徳之助に変えてみました。ストーリーを補完するおまけのような話です。もちろん、フールもまだまだ、こんなもんじゃありません。次から数話で、ようやく、ガチバトルに突入します。




