第48話 悪魔の晩餐
《蝮》こと滝沢蛇勝は、ベンチに座り、身の程知らずの坊主頭の男が、警視庁の捜査官に取り囲まれている姿をやる気なく眺めていた。
この未だ嘗てない人員に、《狂虎》の姉さんまで投入され、どんな化け物が相手かと身構えていたわけだが、蓋を開ければ、単なる頭のおかしい、いかれ野郎だった。
取り囲んでいる捜査官は、全員Aランク。
ここで、探索者協議会は、サーチャーとなる者に、ライセンスカードを配る。そのカードには、自身の力をレベルとして数値化する機能がある。サーチャー達の各ランクは、カードの数値が一定の規定値に達することが最低条件となっており、それを踏まえれば、Aランクはレベル4に相当する。
レベルの上昇はそう甘いものではない。成長速度を上昇する魔道具を装備し、命懸けの迷宮に数年単位で潜らなければ、レベルの上昇はあり得ない。しかも、レベルには極めて難解な条件も別途満たす必要がある。
これを三回も繰り返さなければレベル4には上がらない。それがどれほど難解なことかは想像するに容易い。
そのレベル4が一〇人だ。警察機構が本来、持てる戦力を遥かに超えている。
あんな雑魚ごとき、一瞬でひき肉だろう。
「いけませんねぇ、はい、いけません。私としたことが、遂、主への崇敬の念で我を忘れてしまいました」
奇妙なほどぴたりと号泣を止めると、坊主頭の男はすくっと達上がり、一礼をすると――。
「初めまして、私は、《フール》と申します」
「……」
ポカーンと口を開けたまま捜査員は、身じろぎ一つせずに武器を構えている。
「やだなぁ~、反応していただかないと困りますよぉ~。無視されるのって結構堪えるんですよねぇ~」
ピクニックへ行くかのような陽気な声から――。
「答えていただけないとは悲しいですねぇ~、悲しい……」
悲痛な泣きそうな声に変わっていく。
「悲しい、悲しい、悲しい、悲しい、悲しい、悲しい、悲しい、悲しい――」
言葉の音量は次第に大きくなる。
頭を抱え、身体を狂ったように振動させて――。
「うう……うおおおーーん」
大気を震わせるほどの大号泣。
あまりの事態に脳が追い付かないのか、捜査員達はただ絶句するのみ。
「何ボサーと突っ立ってる? 時間の無駄だ、とっとと処理しろ!」
《蝮》の言葉に、神妙な顔で、武器を構え、身を屈める捜査官達。
「はっ!? そうです。私は、主から与えられた大事な狩りの使命があるんですよ。その命お気軽に差し出していただきたく存じます。面倒なので、出ればスパッと自殺などはどうでしょう?」
先ほどと同様、号泣が嘘のようにケタケタと笑いだす。こいつ、マジもんのいかれだ。それか、特殊なドラックでも決めてやがる。
「舐めるなっ!」
「ま、まて、《A-3》」
チームリーダーの捜査官――多門長太の制止の声を振り切るように、一人の赤毛の捜査官――《A-3》が、激昂し地面を蹴り上げる。
弾丸のような速度で一直線に、《A-3》は疾走し、《フール》の右肩付近へ剣を突き立てる。
剣先が触れる刹那の姿が歪み、その剣は空を切る。
《A-3》は、面食らったようにキョロキョロ周囲を確認する。
「う、後ろだ!」
チームリーダーから、悲鳴のような喚起の声が上がるが――。
「は~い、捕まっちゃいましたねぇ~?」
《A-3》の頭部は背後から、《フール》のグローブのような右手により鷲掴みにされて天高く持ち上げられていた。
「は、放せ!!」
バタバタもがく、《A-3》を歯牙にもかけず、閃いたように左手の指をパチンとならす。
「そうです。そうですねぇ、あなた、苗床になりなさい」
《フール》の左手の人差し指と中指が、紅に染まる。
奴の紅の指を一目見て、刺すような顫動が背中を駆け巡り、バネ仕掛けのようにベンチから勢いよく立ち上がっていた。
その瞬間、奴の手刀が《A-3》の胸部深く、食い込んでいく。
「ごぼっ……」
《A-3》の口から溢れる大量の吐血。
「《A-3》――」
「そいつから距離を取れ!」
周囲の捜査官の叫び声を打ち消すように怒鳴ると、数歩、全力で後方へ跳躍し、身構える。これは、今までいくつもの死線を潜り抜けてきた《蝮》の戦士としての勘。あれはヤバいやつだ。
チームリーダーが右手を上げ、Aランクの捜査官達も退避を開始する。
《梟》の姿も消失している。あの異常に慎重な野郎のことだ。既に、危険を察知し、遠方から奴を観察しているはず。
《フール》が地面に放り投げると、《A-3》の身体が痙攣し始める。
左手に着いた《A-3》の血液をペロリと舐める《フール》。
「ふ~む。レベル4。まずまずってところですかねぇ~」
バキ、グシャ、ゴギュ、ゴギッ!
静まり返った公園内に、耳障りな音が響き渡る。
《A-3》の身体の肉は盛り上がり、数倍に達し、既に原型などとどめていない。
真っ青な血の気の引いた顔で、人間を止めた《A-3》に視線を固定する捜査官達。
「さあ、生まれなさい。我が子達よ」
《フール》は天を仰ぐように両手を広げ、数語口走る。
「《悪魔の晩餐》」
刹那、数十倍の大きさまでに増殖した《A-3》の肉塊は千切れ飛び、地面に付着し、翼を持った蛙のような顔の化け物に変貌していく。
「うぁ……」
次々に完成されていく蛙の化け物に、捜査官から、呻き声が漏れる。その声には、嫌悪と恐怖の感情がたっぷりと含有していた。
今回ばかりは、《蝮》とて、Aランクの捜査官達を責める気はない。能力の強度云々の前に、人間を生きたまま怪物へと変える。その悍ましさに強烈な吐き気を覚える。
何より、《フール》は危険だ。こんな奴を野放しにすれば、ここら一帯化け物が闊歩する死の街になりかねない。
「《梟》、俺達で奴を倒す!
お前らは、蛙の化け物を倒せ。絶対に、公園外に出すなよ。それと、Bランクは足手纏いだ。公園から退避するよう指示しろ」
《梟》から返答はない。用心深い奴だが、尻尾巻いて逃げるような奴ではない。
「さあ、我が子達よ。食事を始めなさい!」
人間の生理的嫌悪を呼び起こす怪物共の大合唱が闇夜の寒空に響き、《蝮》達の死闘はこうして始まった。




