第47話 敵襲来
六花は来るときとは対象的に、借りてきた猫のように大人しくなっていた。
去り際に、今晩、芽黒駅前のカフェ――『スターパック』に必ずくるように何度も繰り返し言われる。この必死な姿と、顔一面に張り付いた焦燥からも、六花はデートとは微塵も思っちゃいまい。今晩、『一三事件』を処理し、六花からゆっくり聞き出せばいい。
バイトが終了し、すっかり恒例となった今日の成果を聞きながら、府道駅前付近へ向かう。
途中、『黒葉』で少し早い夕食として『黒ラーメン』を食べる。『黒葉』を選んだのは、一週目でカリンの態度が軟化した切っ掛けの店だったから。この悪夢の連鎖を断ち切る願掛けのようなものだ。
一週目以上に、美味しいと連呼するカリンをやっとのことで宥め、近くのコンビニで暖かい珈琲やら中華マンを買い込むと、『府道公園』へと直行する。
カリンに、明日から学校だし、もう少し話そうと提案すると、嬉しそうに目を輝かせる。
それから、『府道公園』のベンチで、周囲を伺いながら、カリンの二年間の生活について耳を傾けていた。
ケントはすっかり、マリアのお兄ちゃんになったし、マリアはようやく一人で眠れるようになった。二人とも、小学校に入学し、同じクラスに友達ができたようだ。
クリス姉は、サーチャーのライセンスを獲得後、帝都大学に現役合格した。頻繁に、友達が家に遊びに来る。
婚約者とやらは、まだカリンにも教えてはくれないが、本気で好きなことが伺えたらしい。カリンの見立てでは、家に遊びに来る友達の中にいるのではないかということだった。
カリンが通うのは、日本一のお嬢様学校――『聖涼女学院』。毎日が『ごきげんよう』で始まり、やはり『ごきげんよう』で終わる日々。
習い事やらパーティーやらで、プライベートの時間は埋め尽くされており、余剰な時間はないに等しい。お転婆なカリンにとっては退屈極まりない日々だったろう。それでも、学院では、仲の良い友人もできたようだし、まんざらでもないのかもしれない。
(変わっちまったな……)
そうさ。人間は常に可変な生き物。長い時間は、容姿や性格、人付き合いは当然、人間の最も根幹となる情愛すらも変貌させてしまう。唯一不変なのは、身を焦がすほどの憤怒と憎悪だけ。
幼馴染の少女と俺の間に聳え立つどうしょうもなく強固で高い壁を自覚したせいだろうか。それとも、後戻りができない俺のこれからの未来を改めて再認識したせいか。言いようのないやるせなさに、歪めそうな顔を必死で取り繕い笑みを浮かべていた。
「ユウマ?」
キョトンと首を傾げて、俺の顔を覗き込むカリンの頭をそっと撫でる。
「少し、昔思い出してただけだよ」
左手で時計を確認すると時間は、一九時一四分を指していた。
太陽は完全に沈み、夕闇はどんどん夜の暗さに変わっている。そろそろ、時間だが、未だに誰の姿も見えない。
改めて、公園内を見渡すと、公園灯の灯に照らされ、剃り込みの入った坊主頭の男が視界に止まる。
男は薄ら笑いを浮かべ、ストライプの入った紺のスーツのズボンのポケットに両手を突っ込みながら、真っ赤な充血した瞳で俺達をジッと見つめていた。
どうやら、俺達は賭けに勝ったようだ。
ベンチから立ち上がり、男の視線を遮るべく、カリンの前に移動する。
「ユウマぁ……」
男に対する俺の敵意と警戒を読みっとったカリンが、俺の背中のジャケットを掴み、不安で潰れそうな声を上げる。
「大丈夫だ」
力強く答えると、男から放れるべく後退を開始する。この男が『一三事件』とは無関係なら、俺達を追っては来ないはず。いざとなったら、カリンを担いで全力疾走すればいい。
今はこいつが敵か否かが知りたい。
「ほう~。御自身が狙われているのに気付いていらっしゃる。ボスの危惧はどうやら的中したようですねぇ」
ポケットから手を出し、白色の手袋をはめ始めた。
的中だ。こいつが『一三事件』の関係者――。
突如、ボディアーマーの集団、一〇人ほどが男を取り囲む。
昨日、徳之助は、この公園に無数のカメラを設置すると言っていた。この迅速さから察するに、奴が公園に入った時点で気付いていたのだろう。
坊主の男は、取り囲む捜査官達を一望し――。
「おお、取り囲まれてしまいましたねぇ」
「お前には殺人及び殺人未遂容疑がかかっている。大人しく捕縛されろ。今ならまだただの犯罪者として扱ってやる。もし、抵抗する様なら――」
隊長らしき捜査官が左手で令状らしき書面を突き付けると、右手を上げる。捜査官達の銃口が一斉に坊主頭の男に向けられる。
坊主頭の男はそれを無感情に眺めていたが、突如地面に両膝をつき、
「ボス――我が偉大なる主よ。この私にこのような試練をお与えになる、その慈悲に、心から、衷から、魂から、感謝いたします」
ぶわーと滝のように大粒の涙を流しながら、両手を組むと祈りの姿勢をとる。
「な、なんだ、こいつ?」
たまらなくなったのか捜査員の一人が、呟きを漏らす。
一〇人に一斉に武器を向けられたのに、僅かな警戒すら感じられはしなかった。あるのは、圧倒的な歓喜のみ。危機的状況になると興奮する変態さんなんだろうか? それとも、よほどの自信があるのか……。
兎も角、徳之助の発言が真実なら、この捜査員はA、Bランクのサーチャー。この人数なら抵抗の一切を許さず、制圧されるはず。その筈なんだ。
背後に気配がしたので振り返ると、手足の長い骸骨のような男がベンチに腰掛け、黒色のマスクの長髪の青年が木にもたれかかっていた。
纏う雰囲気からも他の捜査員と別格だ。この二人が、徳之助の言っていたSランクのサーチャーなのだろうか?
ここまで上手く運ぶと、若干拍子抜けだが、もうじきここは戦場となる。カリンに凄惨な現場を見せたくない。
「カリン、すまん」
カリンを抱き上げると、徳之助との打ち合わせ通り、『府道公園』の出入口まで疾走する。
一般人に毛が生えた速度だから、カリンにも負担はあるまい。
「ご苦労様、相良君」
公園前にとめられた大型のバンから出てきた徳之助が俺に一応の労いの言葉を吐き出す。
「冷や冷やしたがな」
「まったくだよ。ここまでお膳立てして今晩ドタキャンされたら、僕の首が吹っ飛ぶところだった。いや、かなりマジで」
その点では少々危惧もある。日曜日公園での襲撃者が赤装束の男から、変態マゾ坊主に変わったこと。
「そのことだが、あの変態マゾ坊主、ボスの危惧はどうやら的中したとかなんとか言ってたぞ?」
「そう……」
徳之助は腕を組むとグルグルと歩き回り始めた。こいつ、こうなると当分帰ってこない。放っておこう。
「ユウマ、降ろして」
カリンが頬を紅潮させつつ、俯き気味に懇願してくる。そういや、お姫様抱っこしたままだった。あまりに軽くて忘れてた。
「あ、悪い」
地面に降ろすと、カリンは胸元に両手を当てていたが、直ぐに未だ嘗て目にしたことのない鋭い視線を向けて来る。
「何を隠してるんですの?」
「隠しちゃいねぇよ」
いつもの様にカリンの頭を撫でて誤魔化そうとするが――。
「嘘つかないで!」
振り払われる俺の右手。完璧にお冠だ。
「嘘じゃねぇさ。お前にあえて伝えなかっただけだ」
「それを隠すと――」
「志摩花梨ちゃん。御免ね、彼が君に伝えなかったのは、僕がそうお願いしたからさ。でもわかって欲しい。君を騙すつもりは――」
「そんなのどうでもいいですの! ユウマは今、危険なの!?」
詰め寄るカリンに、徳之助は当惑気味な視線を俺に向けてくる。
これだよ。こいつのこんなところが、俺に口を閉ざさせるんだ。しかし、今は説明しない方が、かえって逆効果。
「徳之助さん。あんたの口からはっきりと言ってやってくれ」
徳之助は蟀谷に指をあてると、深いため息を吐く。
「了解だ。『一三事件』は、知ってるよね?」
「はい」
「志摩花梨ちゃん。君は、『一三事件』、第五の犠牲者候補。君を襲ったあの坊主の男は、『一三事件』の容疑者の一人だろう」
「狙われているのは、わたくしだけで、ユウマは狙われていないんですのね?」
「あ、ああ、そうだよ」
瞳に安堵の色を滲ませ、胸に両手を合わせるカリン。
そのカリンの姿に、頭をボリボリと掻く徳之助。わかってるよ。これが、カリンの危うさなんだ。
別にカリンに自殺願望があるわけではない。むしろ、己に敵意のある者に対しては、臆病といっても過言じゃない。そして、カリンの自身に対する敵意の察知能力は非常識に高い。 昔はカリンの人間観察がとりわけ優れているのかと思っていたが、それにしては聊か度が過ぎている。案外カリンが有するスキルの類なのかもしれない。
兎も角、カリンは自己に対する敵意を敏感に感じ取り、それが他者に転嫁されるのを極端に恐れる。その理由にも心当たりはあるわけだが――。
「や、八神管理官!」
堂島が血相を変えてバンから転がり出てきた。その揺れ動く瞳の中には驚愕と激烈な不安が読み取れた。
「何があった?」
「敵が増えました。しかも大量です。付近の市民の避難が間に合いません」
震える堂島の声に、心の隅でくすぶっていた不安が現実化したことを俺はこの時はっきりと理解したんだ。
 




