第2話 始まりの教室
「相良!」
後頭部に対する衝撃は、俺――相良悠真の色濃い睡魔を遠のかせ、クリアな思考に置き換えていく。
声のする方に振り向くと、黒髪を膝まで伸ばした美しい女の顔が近くにあった。
噛みつくような形相で俺を睨んではいるが、よくて中学生にしか見えない幼い容姿により、全てがぶち壊しだ。
「ああ、六花ちゃん。おはよう」
六花の頭を数回撫でてから、欠伸を噛み殺し、鬱陶しく目尻に溜まった涙を袖で拭う。
「お、お、お前――」
顔が火の玉みたいになり、身体を小刻みに振動させる六花。頭撫でが、足りなかったのだろうか。
「うい奴。うい奴」
俯き気味の六花の頭を撫で始める。
「この――不届き者!!」
鼓膜が破れんばかりの大音量を上げつつも、俺の右手を払いのけると、頭頂部目掛けて教科書で殴り付けてくる六花。
「~っ!]
ゴツンと強烈な音を上げて、教室の机とのキスを強制される。チカチカと点滅する視界を、頭を振って正常運行の状態に戻す。
「何しやがる!?」
「それは私の台詞だ! お前、今が何の時間だかわかっているのか?」
「当然知ってるぞ。確か…………」
どうも、あの悪夢を見た後は前後の記憶が曖昧になる。別に意識に霧がかかっているわけではなく、文字通り記憶だけが曖昧なのだ。
「今は《探索者史》の授業だ!」
返答をしない俺に業を煮やしたのか、六花がその答えを俺に叫ぶ。
《探索者史》、そういやそうだった。そもそも、俺の担任水無月六花の担当は、《探索者》についての史実や職務執行の授業。その六花が教壇に立っていれば解など一つだ。本格的に寝ぼけているのかもしれん。
「そう、そう、それだ! すまん、すまん」
再度、六花に頭撫でスキルを発動する。
六花は、小さな唇をわなわなと震わせながら、口を開こうとするが――。
「水無月先生、授業を進めて下さい。迷惑です」
長い赤髪を腰まで垂らした少女が、眼鏡を中指で押し上げつつも、口を開く。
この女は、生駒詩織。俺はこいつに最近、やたらと目をつけられている。
切っ掛けは判然としない。ある時期を境に、俺に対する当たりが急に厳しくなったのだ。それまで、結構親身になってくれていたのだが、気が付けばツンしかないツンデレさんに大変身していた。
詩織は普段感情豊かだ。それがこの一切の内心を悟らせぬ無表情。俺の昼寝に大層ご立腹らしい。
俺だって、好きで授業中寝ているのではない。授業中しか寝る時間がないだけだ。
授業終了後の喫茶店のバイトに、夜が更けてからの数時間の肉体トレーニング、勉強はその後になる。そのまま一睡もせずに夜が明けるなどざら。
こうも、毎日バイトせざるを得ないのも、この武帝高校のクソ高い学費にある。俺は国から二種の奨学金を受けているが、武帝高校の学費を払えばすべてなくなる。
確かに、あの事件で政府からは支援金という名の資金が提供されてはいる。しかし、そのほとんどが小雪の治療費に消えており、生活費などとても捻出できないのだ。
「ユウキュンのナデナデスキル、相変わらず、すげぇ破壊力よな?
六花ちゃんの赤らめた顔、くぅ~燃える!!」
俺の真後ろにいる死んだ魚のような目をした茶髪の男が、恍惚の顔で、自身の身体を抱きしめつつも、奇声を上げる。
此奴は、日暮寛太。この学校での俺のたった二人の悪友にして、変態だ。それ以外にこいつについて形容する言葉を俺は持たない。
「そうだろう。そうだろう。まあ、十三歳未満以外に発動すると、お巡りさんの前でかつ丼食う羽目になるわけだが」
立花ちゃんの頭、丁度いい撫で易さなんだよな。遂、癖になる。
「十三歳未満でも、普通捕まるわよ!」
律儀な奴だ。詩織がご丁寧に反応してくれた。もっとも、六花ちゃんが十三歳未満というところには異論がないようだが。
俺達のやり取りの中、俯きながら、小鳥のようにぶるぶると震え始める六花ちゃん。顔は火が噴くごとく真っ赤だった。
「六花ちゃん、どうかしたか?」
頭を撫でながら尋ねる俺に――。
「トイレでも我慢しているよな?」
火に油を注ぐ阿呆。
「この、不埒者どもがぁ!!」
六花ちゃんは、丸めた教科書で、俺と寛太の頭上に、荒々しい激情をぶつけると、全身で怒りを表現しつつも、黒板前にまで去っていく。
「で、ユウキュン、今日の実習の自信のほどは?」
「ねぇよ」
寛太のいつになく、真剣な物言いに苦笑しつつも、それだけ答える。
「そっか」
寛太もそれ以上、尋ねてはこなかった。奴も俺の切羽詰まった状況は把握しているし、何より、俺ほどではないとしても、苦しい状況は寛太も同じだから。
そうだ。俺は現在、退学になるか否かの瀬戸際にいる。
この武帝高校の後期の成績評価方法は、筆記試験が四割、実習試験が六割。俺の筆記試験はそれなりだが、実習試験は一割にも満たない。この落ちこぼれのDクラスで、全体の四割以上を取れない生徒は、即放校となる。そういう規則だ。次の実習試験でも、前期同様一割を切れば俺に待つ未来など一つだけ。
俺は頬杖をつきながらも、六花ちゃんの授業に耳を傾け始める。
二一世紀、人類は新時代に突入する。その決定的要因は、二〇一〇年一月一日に世界各地に出現した無数の正体不明のダンジョンや遺跡にあった。
当時、アメリカ連邦ガンザス州アトピ市に出現した遺跡に対し、米国で調査チームが結成され探索が試みられる。このアトピ遺跡には、未知の生物が多数生息していることもあり、チームは研究者が十人、米国陸軍特殊部隊が五十名の人員で構成されていた。
この初の遺跡の探索は、ある意味で失敗し、ある意味で成功した。
まずは失敗。この調査チームの内、たった一人の研究職員以外、半日足らずで全滅したのだ。その生き残った研究員も、遺跡内での恐怖の実体験から精神に異常をきたし、二週間後に自殺してしまう。
この凄惨な結果にもかかわらず、調査チームの再編成が決定される。その理由は、研究員が遺跡から持ち帰ったたった一つの遺物にあった。
絢爛な装飾の為されたブレスレット。このブレスレットを身に着けたものは、その治癒能力が著しく向上する。現に保護された当時、明らかに重症だった研究者は、たった数時間で傷自体が綺麗さっぱり消失していた。
第一次アトピ遺跡探索で発掘され、大探索時代の契機となった遺物は、《オーパーツ》と呼ばれ、各国政府はこぞって探索に乗り出すことになる。
もっとも、半日で世界最強ともいわれた米国の特殊部隊が全滅するくらいだ。探索は困難を極めた。それから数年は碌な成果もあげられぬまま、死体の山を築くことになる。
この状況を打開すべく、日米政府は合同で、ある研究機関をガンザス州に結成する。人間固有の超常的力を有する者達を米国、日本から多数スカウトし、莫大な金銭を対価に協力を願ったのだ。彼らは《超能力者》と呼ばれる者達であり、その能力は《スキル》と呼ばれた。
《アトラス》と称される巨大研究施設からは、次々に強力な《超能力者》達を生み出される。そして、その超能力者達により編成された調査チームは、遂に前人未踏のアトピ遺跡地下一〇階の攻略を成し遂げる。
この成功に真っ先に反応したのが、中華連邦とソビエト共和国だ。この二か国は、超能力者研究機関――《飛天》を設立し、約十年で、《アトラス》に匹敵する力を有する《超能力者》達を多数輩出し、二か国に出現した遺跡の攻略を開始する。
一方、《超能力者》とは異なる視点から、遺跡の攻略を目指す者達もいた。欧州同盟を中心とした西側諸国である。
EUの遺跡出現率は世界最高であり、当初から、遺跡の早期攻略は望まれていたものの西欧諸国ではスキルホルダーが生まれにくいという特殊な事情もあり、超能力研究機関の立ち上げには頓挫していた。
途方に暮れていた彼らに接近したのが、古来から《魔術》という奇跡を操る魔術師という存在だった。魔術師達は、遺跡の攻略や世界への魔術の公表と研究開発に協力する代わりに、EUに無数に存在する一部の遺跡の独占権を求めてくる。
遺跡はまさに人類の遺産だ。幾つかの国から反対の声は上がったものの、《アトラス》と《飛天》の数々の偉業を耳にし、EUは魔術師達と手を組むことを決意する。結果、研究機関――《ウロボロス》が設立される。
こうして、《アトラス》、《飛天》、《ウロボロス》の三者による遺跡攻略競争がここに始まった。
三組織は遺跡を攻略し、遺跡から発掘したものを研究開発し、更なる力を得ていく。
いつしか世界の軍事力は機械仕掛けの近代兵器から、超能力者と魔術師をメインとする人的兵器へと依存するように変貌していた。
その当然の帰結として、《アトラス》、《飛天》、《ウロボロス》の三研究機関は各勢力でも、無視し得ない比類なき権勢を所持するようになる。
三者が純粋に遺跡攻略を競っていたうちはまだ救いがあった。
しかし、それも遺跡から出土されたある《オーパーツ》の存在により、状況は最悪なものへと変貌する。その《オーパーツ》には、三つ巴の状況をひっくり返すだけの価値があったのである。
そして、二〇二七年八月九日、《アトラス》と《飛天》は互いにこの《オーパーツ》を簒奪されたことを理由に戦争状態に突入する。
当初、《ウロボロス》は傍観していたが、とあるEUへの亡命者が、イタリア郊外で病死した結果、この《オーパーツ》を所持していたことが発覚し、戦科の渦に巻き込まれることになる。
それから三年間、戦争は激化の一途をたどり、多くの都市が焼かれ、気の遠くなるような人命が失われた。ここにきてようやく、三者は行き着く先の滅びを認識し、和平の道を歩むことになる。
三者の合意の大筋は、次の三つからなる。
一つ目は、《アトラス》、《飛天》、《ウロボロス》の研究以外の権限の剥奪。
二つ目は、あらゆる国、組織の遺跡の独占の禁止。
三つ目は、三組織に代る統一組織の設立。
この合意により、『探索者協議会』が設立され、あらゆる超能力者と魔術師は《サーチャー》、《シーカー》として協議会の統制下に置かれることになる。
そして、世界中の遺跡は探索者協議会が管理し、その当然の帰結として遺跡で《サーチャー》や《シーカー》が得た《オーパーツ》は原則として各個人が所有を許されることとなった。
もちろん、探索者協議会という組織にも、遺跡攻略は可能なわけであり、個人の所有を許しても全く問題なかったのであろう。
この《サーチャー》と《シーカー》は、当初、遺跡の探索に終始したが、次第に多発する《超能力犯罪》、《魔術犯罪》の取り締まりや、人類の災害級の事件の解決、企業の新商品開発など、様々な分野で活躍するようになる。
そして『スキル』や『魔術』の素養は98%以上の人間が有することが判明し、《サーチャー》と《シーカー》は新人類というカテゴリーから、人々が羨望する職業の一つとなっていく。
ここで、《サーチャー》と《シーカー》の資格は全く異質なものだ。
《サーチャー》は、探索者で最も一般的な資格であり、世界に一〇〇〇万人存在する。 受験資格は、特定の専門的機関を卒業することであり、その、ランクはHからSSSランクまでが存在する。
対して、《シーカー》は、世界に三百人そこらしかいない探索者の中でも超がつくエリート集団であり、受験資格は原則ない。この《シーカー》の試験は多数の死者を出す極めて危険なものであるにもかかわらず、毎年五百万人近くが受験するという怪物試験になっている。
この東京都武帝高校は、『探索者協議会』の指定校であり、卒業と同時に《サーチャー》の受験資格が得られる。
俺には《サーチャー》の資格を得なければならない理由がある。来週の実習試験は絶対に不甲斐ない結果は許されない。
お読みいただきありがとうございます。
世界観と設定を少々入れさせていただきました。少々鬱陶しかったかもしれませんが、以後大してこの手の説明は出てきませんのでご容赦を!
※若干の国名を変えてしますが、誤字ではありません。