第35話 拷問女との遭遇
セシルの事、ベム達の事、色々と考えるべきことは多かったが、俺は一先ずウォルトに事情を説明し、事後処理の全てを任せることにした。今回の件で、ウォルトには多大な借を作ってしまった。後で埋め合わせは必要だろう。
地球の自宅の地下工房に戻る。まだ、朝の七時一五分だが、身体が焼けただれている。このままでカリンを迎えに行けば、卒倒しかねないし、流石に、この状態でバイトなど店長が許可すまい。
皮膚が溶けているが、骨までは達していないし中傷にすぎまい。完全回復までしなくても、問題がないと思われる。
仕方ないので、カリンに電話し、今日は用事により迎えにはいけないと伝えるが、すんなり、了承した。むしろ、電話前より機嫌がよくなった感じがするのだが……。
そうして、一時間の睡眠をとるべく、ソファーへ横になり、目覚ましを八時四五分にセットすると瞼を閉じる。
(この頃、小雪に会ってねぇな)
そんなことを考えながらも、驚くほどすんなり、微睡へと落ちて行った。
◆
◆
◆
一時間半程の睡眠の結果、『休息lv1』により火傷の大部分は回復しており、少々、肌がヒリヒリする程度になっている。外見上は僅かに赤くなっているにすぎない。仮に、質問されても、炊事の際に両手を火傷したと説明しておけば不信がられることまではないだろう。
昨日、バイトの休憩の際、《バーミリオン》の倉庫の片隅に、《地点記憶弾》を打ち込んで置いた。倉庫は普段電気が消されており薄暗い。特に、部屋の隅の区画は使用されておらず、人が立ち入ることはない。まさにうってつけだ。
【覇者の扉】から《バーミリオン》の倉庫へ一瞬で移動し、無事、タイムカードを押すことができた。
「おはようだよ!」
更衣室を出ると、元気よく、赤毛の小動物が後ろで手を組んで俺の目の前に現れる。
「おはよう、先輩」
ワシャワシャと頭を無造作に撫でる。相変わらず反則的な撫で心地だ。
「えへへ……」
子犬にように瞼を閉じる朝比奈先輩。その無邪気な喜色に溢れる様は、とても一九歳には見えない。とういうか、人間の子供というより、小動物だな。
「今日もカリンの事頼むよ。今日は厨房だから、メインじゃないと思うが」
「うん。任せてよ」
「あんがとよ」
満面の笑みで親指を立てる朝比奈先輩の頭を再度撫でると、店長に挨拶にいく。
店長にカリンが厨房で仕事をすることの許可をもらい、フロアへ足を運ぶ。
フロアスタッフ達の輪の中で、カリンは心底楽しそうに話しに花を咲かせていた。笑い声やおしゃべりが細かな硝子のようにキラキラ飛び散っている。
「あっ! ユウマ!」
俺に気付くと顔をパッと輝かせるカリン。そのテンションの高さからも、話しの内容を推測するのは実に容易だ。
「おう。おはようさん」
カリンを含めたスタッフ一同に挨拶をすると、黒髪ショートカットの少女――村田明美が、俺に近づくと肩に腕を回してくる。
「相良、お前も来週の日曜日、来るだろう?」
やはり、遊びの約束って奴か。
「やだよ。俺は忙しい」
俺に遊んでいる余裕などない。来週の実習試験の一色辰巳が何レベルなのかはわからない。だが、本来実習試験は、勝てなくても、目を見張る戦闘を試験官に示せればそれで合格。俺がDクラスであることを鑑みても、切り抜けることはできるだろう。
しかし、それも首の皮一枚繋がったに過ぎず、後期の期末試験でしくじれば、全てが終わる。
何より、昨日カリンに聞いた話では女性陣だけの限定の遊びだったはず。女だけの中に俺だけ入るなど目立ってしょうがない。その手の罰ゲームは、銀太や一色をはじめとするリア充君達に任せている。
「そ、即答かよ」
「当然だ。お前らだけで楽しんで来いよ」
「ユウマ……」
瞼に深い哀愁をこもらせながら、俺の袖を掴むカリン。
カリンのこの手の姿は昔から苦手だ。そのせいで、カリンの頼みには結局、断れたためしがない。正直、怒り心頭のカリンの方が俺には遥かに扱いやすい。
「駄目だ。第一、俺までいなくなったら、このフロア回らねぇだろ?」
「それなら心配ないぞ。須藤、明石、松田に臨時にシフト入ってもらったのだ」
Ⅴサインをかます明美。
あの三馬鹿性欲魔人共か。
この《バーミリオン》の制服は店長の趣味でかなり独特なものとなっている。
もちろん、女性のバイトの応募が多いくらいだ。過度に肌の露出が多いわけでもないし、センスも悪くない。いや、センスの一点では逆によすぎるんだ。それ故に、マニアの間では、知る人ぞ知る名店となっている。
須藤達三馬鹿は、そのマニアであり、碌な注文もせずに、毎日のように長時間入り浸るかなり悪質な常連客。客足が空いているときならいいが、混んでいるときにドリンクバーで居座られていてはたまらない。さらに、ウエイトレスにしつこく絡むようになり、遂に店長の雷が落ち、一か月の出入り禁止となった。
出禁後、めげずに通った三馬鹿に、店長も流石に折れたのか、忙しい日の臨時のバイトとして雇うことになった。
奴らもDクラスとは言え、日本屈指の探索者育成高校の武帝高校の生徒。通常の人間よりは数倍も身体能力や分析能力はある。数か月通い続けた結果、奴らはこの《バーミリオン》のフロアについてほぼ完璧に覚えてしまった。下手な新米のバイトよりは数倍使える。
それに、普段の日常の言動が引くくらい変態なくらいで、基本人畜無害であり、女性に対しては紳士的だ。女性スタッフとの仲も上々らしい。
とうより、店長を初め、朝比奈先輩や明美の舎弟、いや、下僕化している。
「俺にも予定がある」
「バイトに出るつもりだったのにか?」
「当然だ。バイトなら混雑する午後だけで十分だし、日曜の夕方には大学組がシフトに入り、その分早く上がれる。労力は兎も角、拘束時間は大して多くない」
「ああ、御託はいいよ。どうせ相良は断れないから」
明美がニィと口端を上げる。この根性のねじ曲がった顔、奴が何を考えているかなど手に取るようにわかる。
「シフトの件か?」
「そう。シフト、もし相良が断れば、私達変わってあげないよ」
武帝高校の日程はかなり変則的であり、急に変更されやすい。特にテスト前など、スタッフには変わってもらっていた。明美も学生だし、俺と日程は被るから、奴だけなら大して問題がないが、数人に断られると話は変わって来る。
「地獄に落ちろ!」
「負け惜しみは、見っともないぜぇ、相良ぁ~」
勝ち誇った顔と声色が余計に怒りをそそる。
「な~、相良なんてちょろいだろ?」
カリンに向けて、ガッツボーズをとる仕草からして、彼女達の計画通りに事が進んでいるらしい。これ以上、明美達女性陣に喧嘩を売っても、害悪でしかない。
「カリン、今日は厨房の仕事だ。スタッフに紹介する。ついて来い」
「はいですわ」
◆
◆
◆
それからも、カリンは厳さんを始めとする厨房のスタッフとも見事に馴染んだ。一週目は、スタッフのほとんどが男性であることもあり、気を許すまで多少の時間はかかったが、今回は、最初から警戒はあまりしていなかったように思える。これも、他のフロアスタッフ達と仲良くなり、この《バーミリオン》に対する正確な情報を多く手に入れたからだろう。
兎も角、一週目以上にカリンの厨房でもアイドル化は進み、なぜか俺はほぼ全員の男性スタッフから針の筵のような扱いを受けることになる。
一七時、帰宅の時間となり、今日も何か食っていくことにした。訪れたのはクレープ屋。カリンが幼い頃から、甘い物に目がないのは知っていたから。案の定、色とりどりのクレープに目を輝かせて、齧り付いていた。
一週目と同様、ケントとマリアのプレゼントを選ぶ約束をした後、店を出る。
今は、『府道駅』のプラットフォームの寒空で、芽黒駅への電車を待っている。
「包丁でジャガイモの皮むき、シェフに褒められましたの!」
カリンをよほど気に入ったのか、他人を褒めたときなど皆無な厳さんが、終始ベタ褒めだった。しかも、その本来異常な事態に、厨房の連中、全く違和感を覚えていない様子。恐るべし、カリンパワー。
「よかったな」
俺の左腕にしがみ付くカリンの頭を掌でポンポン叩くと、とろけそうなほど甘い笑顔で俺を見上げて来る。
周囲のバカップルを見るかのような視線が猛烈に痛いが、天然のカリンに何を言っても無駄だろうし、一時の恥に過ぎない。放っておこう。
各駅停車の電車が停車し、乗り込み扉の傍に陣取る。
カリンの得意げな話に相槌を打っていると、向こうのホームに電車が滑り込み、急行の通過待ちを告げてそのまま停止する。
今はサラリーマン達の帰宅時間であり、ハチの巣を叩いた直後の蜂達のように、人々が停車した電車から溢れ出て来る。
その中の一人に目が留まったとき、全身が電気を感じたようにビリッと震える。
(あいつ!)
ショートの黒髪にやけに目立つドレス姿。間違いなく、あの拷問好きの変態女。
湧き上がる制止できないほどの激しい怒りを、右手で胸を掻き毟りながら、深呼吸することにより無理矢理抑えつける。
いつものチキンな俺なら、あんな想像を絶する拷問をするような相手等、一目見ただけで、直ぐにカリンを連れて逃げ出そうと考えていたはずだ。それなのに、今は《ラヴァーズ》に対する恐怖など微塵もなく、あるのはグツグツと煮えたぎる憤怒のみ。
『いかれている』。奴らの一人は俺をそう評価した。特定の場合に限定すれば、確かにそうかもしれない。特定の場合とは、荒事だ。どうも、最近、戦闘中は、普段とは異なる思考回路になりがちなのだ。闘いになると、妙に冷静なのに、怒りだけが体中を無制限に暴れ出す。まあ、今のところ、生活に支障がないから問題はないと思うが……。
いずれにせよ、奴はカリンの襲撃者――赤色装束に繋がる数少ない関係者。是非とも後をつけて奴らの仲間の情報を手に入れたいものだが、カリンがいる以上今回は諦めるしかあるまい。
「ユウマ?」
不安に彩られた顔でカリンが俺の顔を覗き見ていた。
「何でもねぇよ。少し嫌な事思い出しただけだ」
再度頭を撫でて誤魔化すと、《ラヴァーズ》の後ろ姿が階段に消えるまで怒りのたっぷり籠った視線をぶつけていた。




