第29話 魔の森深域と白猿
道具屋で、金級の【HP回復薬】と【MP回復役】を50個ずつ買い込む。
次いで、地球の自宅に戻り、長めのナイフを装備し、中域へ向かう。
ちなみに、剣は適当に購入しようかとも思ったが、責任感の強いセシルが、変に自責の念を抱いたら厄介だ。後で紹介してもらうことにした。
「マジか……」
レベル3への上昇。それは、レベル1から2への変貌以上に凄まじいものだった。
相手がピクリとも反応できないほどの洒落になっていない加速力に、拳一つで、蜥蜴モドキの胴体を粉々に破砕させるほどの剛腕。尻尾を振り回してぶん投げるだけで、太い樹木をなぎ倒す膂力。
もはやこんなの戦闘ではないし、ただ強いステータスに任せて暴れるだけでは戦闘技術の向上は望めない。何より、俺は、例え相手が知性のない魔物であっても、弱者をいたぶって喜ぶほど悪趣味じゃない。
故に、俺は中域でのレベル上げを止めて、深域で行うことに方針を切り替えた。
(にしても、なんて広さだ)
この《魔の森の広》さは、驚愕を通り越して呆れてくる。
昨晩とは異なり、エンカウントした魔物のみをすれ違いざまにナイフで切り刻みながら、ひたすら一直線に疾駆したにもかかわらず、二時間を経過してようやく、高い樹木の森を抜ける。
「これは、スゲーな」
思わず感嘆の声が口から飛び出す。
樹木の先は、見渡す限りの湿原だった。
辺り一面を膝ほど伸びた短い水草と、足首までぬかるんだ冷たい水が満たしている。所々に散在する低木に、沼、空には、巨大な鳥類が悠然と飛んでいた。
こんな単一の光景が、地平線まで続いている。こうしてみるだけでも、中域レベルの広さではあるまい。
深域は通常、探索に数か月を要し、十分な装備と人員を駆使して挑むものであり、間違ってもたった一人で、レベル上げるためだけに挑むダンジョンではない。そうアイラは言っていたが、今の俺の成長からすれば、多分問題ない。そう思ってしまっていた。だが、そんな砂糖よりも甘い考えは、数分後に木端微塵に砕かれる。
(ざけんじゃねぇ! 洒落になってねぇよ!)
悪態の言葉を喉の奥に必死流し込みがならも、力の限り右脚を地面に叩きつけ、横っ飛びする。一歩遅れて、丸太のような太い腕が、丁度俺が立っていた湿原の大地に深く突き刺さる。
まるで、ミサイルが直撃したかのように大地が爆ぜ、俺はその際生じた爆風で吹き飛ばされるが、空中でどうにか体制を立て直し、右手の【エア】の銃口を、白い猿の化け物の頭部へ向けて、二発続けざまに発射する。
漆黒の二つの銃弾は高速で、猿化け物の右目を貫き、顎を爆砕する。
「ぐぎゃあぁ!!」
所詮、獣、破裂した右目と顎を抑えて呻く白猿。
俺は地面に着地次第、眉間を目掛けて、三発の銃弾を放ち、地面を蹴って疾走を開始する。銃弾は負傷した白猿の頭部をザクロの様に破裂させる。次の瞬間、二匹目と三匹目の白猿の拳により、俺のいた大地が弾け、大きな水しぶきが上がる。
縦横無尽に疾駆し、白猿の一匹の眉間に三発同時に銃弾を撃つ。三つの銃弾は眉間に寸分の狂いもなく次々に直撃し、巨体は力を失い、うつ伏せに倒れる。
刹那、背筋に冷たい水を浴びたような悪寒が走り、振り返りざまに左手のナイフを袈裟懸けに振り切る。
「ごがぁぁ!!」
ナイフが白猿の岩のような拳を真っ二つに切り裂き、馬鹿みたいな絶叫を上げる大口の奥深くに銃口を固定し、銃弾を放つと白猿の頭部が吹き飛ぶ。
血肉が花吹雪のように舞い散る中で、他の白猿を探すべく、周囲をグルリと見渡すと、左後方から迫る気配を感じる。殴打の威力を半減させるべく、左足を蹴り右前方に跳躍しつつも、左後方へナイフを構えて衝撃に備える。
大きなハンマーで打ち付けられたかのような衝撃が左腕に入り、決河の勢いで吹き飛ばされ、そのまま視界が地面と夜空を数回往復する。
全身があげる痛みという名の悲鳴を全力で脇に追いやり、地面を蹴り後方へ飛ぶと、眼前に白い塊が降ってくる。【エア】の銃弾を白猿の頭部に二発撃つと、二発の銃弾は一ミリのズレもなく右の蟀谷へと衝突し、脳漿を飛散らせる。
(ヤバイな左腕、感覚がねぇ。痺れているだけか、それとも――)
いつの間にか、白猿に囲まれている。
(五匹、いや六匹か……しかも、これだけじゃねぇ)
絶体絶命。今の俺の状況をこれほど的確に表す言葉もあるまい。そして、これは、武帝高校の修練や実習のようなお飯事ではない本物の死合。
だからこそ、ここは本来、恐怖を覚えるところなのだろう。濃密なる死の気配に、絶望に打ちひしがれるべきなのかもしれない。
それなのに、今の俺にあったのは、抑えが利かないとびっきりの高揚感。命と誇りを賭けた闘争に対する脳髄を震わせるほどの狂喜。それだけだった。
「始めんぞ。殺し合いを!」
口角を上げつつも、右手の【エア】の銃口を正面の白猿に向ける。
どのくらい時間が経ったかは不明だ。気が付くと、湿地の浅い水の中で、肩で息をしつつも片膝をついていた。身体は鉛のように重く、左腕は血まみれであらぬ方向へ捻じれている。
そして、灼熱の鉄棒に串刺しになったような身体の芯から湧き上がる熱さと、視界の歪み。この感覚は覚えがある。レベルの上昇だろう。
数十、いや、百さえ超える白猿の死骸が湿原には横たわっている。これを俺が為したというのだから驚きだ。
昨日のアイラ大先生の有り難い授業では、夜間の魔の森は、魔物が吐いて捨てるほど出現する。故に、通常、夜間は魔物除けの結界を複数展開して、テントを張り、一夜をしのぐ。そして、昼間、魔物の力が失っているうちに探索を開始するものらしい。俺の様に、深域の夜間をあえて探索するなど無謀を通り越して狂人の域だろうさ。
兎も角、レベル4になった反動で身体の自由が利かず、以後の戦闘に耐えられる自信がない。もうあと一匹あの白猿が出てくれば俺は死ぬ。そして、この傷だ。とっとと、家に帰って睡眠をとろう。
近くの樹木に《地点記憶弾》をうち、【覇者の扉】を出現させ、家の地下工房に戻り、HP回復薬を数本飲むとソファーに横になる。途端、俺は気を失った.
戦闘らしくなってきました。《魔の森》の浅域と中域は所詮ビキナーのための探索場所。深域からが真の《滅びの都》のダンジョンになります。
次のイベントで、悠真の称号の意味がおぼろげながらに明らかになります。
では、また明日!