第80話 政治家としての最後の意地 児玉根楽
民優革新党総裁――児玉根楽は、会議室で一人席に座りながら、今も報道されているテレビのニュースを眺めていた。
次々に入る今回の事件の詳細と民友革新党の不祥事の事実に、あっという間に会議室にいた半数の幹部達も逃げるように退出してしまう。
「どこで狂った!?」
財務省の官僚から政治家に転身し、地道に街頭演説から初めて、民自党に入党するも、志を同じくする同志たちと、離党し新党を作り上げる。
永田町は日常が狐と狸の化かし合い。少しでも気を抜けば、足を引っ張られ、引きずり降ろされてしまう魔境。したくもない接待をし、胃を痛くしながらも、酒を飲み、それでも国の未来を想い、憂い、身体を鞭打ちながらも、突き進んできたのだ。
「そういえば、最近こんなこと考えたこともなかったな……」
いつからだろう。
――他人を蹴落とす事に慣れてしまったのは。
いつからだろう。
――あれほど好きだった酒の味が感じなくなったのは。
いつからだろう。
――目的と手段がすり替わってしまったのは。
政界という魔窟に足を踏み入れるとき、児玉は確かに、この国を正しい方向に導くという信念を持っていた。その信念の実現のためには、現政権から権力を奪取する必要がある。だからこその、今の地位だったはず。
それが今、根楽のやっていることはなんだ? 一六歳の子供の妹を人質に、無理矢理従わせようとした。少年を慕う者達を不当に冷遇したりもした。挙句の果てには、殺人の教唆だ。
今根楽が与党の総裁という椅子にしがみ付いているのは、今の地位を失いたくはない。そんな醜い保身だけ。かつて、根楽が政治家に転身したとき憤っていたあの政治屋共以上に醜悪だ。
相良悠真と東条秀忠が、この国にとって危険。その評価は今でも変わらない。あの二人には何等かのストッパーが必要だ。それがこの国、しいてはこの国の国民のため。それは、誓ってもいい。
しかし、だからと言って、奪い取っていいという理由にはならないし、人の命を奪ってよいという理由にもならない。いかなる崇高な目的でも、手を非道に染めれば、もうあとには戻れない。先にあるのは破滅だけ。それは、政治家として最も基本的で重要なことのはず。
そんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。
「どうも、どうも~♪」
陽気な声を上げて、スーツ姿の黒髪の好青年がいつものように、頭を何度も下げながらも、部屋に入ってくる。
「君か……」
『超常現象対策庁』の四暮九佐加に視線を向ける。
この一連の事件のシナリオを描いたのは、対策庁だ。奴の発言からも、根楽は上手いよう利用されたのだろう。
あれほどあった四暮九佐加に対する内臓が震えるほどの怒りも、どういうわけか綺麗さっぱり消失している。あるのは、どうしょうもない後悔と虚しさだけ。
「児玉総裁、負けちゃいましたねぇ~」
弾むような声を発しながらも、根楽の正面の席につくと、懐からチョコレートの箱を取り出し、口に含む。
「そうですね」
「ありゃ、口調も戻ってらっしゃる。もしかして覚めちゃってますぅ?」
覚めている? 単に少しばかり、人の心を思い出しただけだが、長い妄想から覚めたという一点では、中らずと雖も遠からずといったところか。
「かもしれませんね」
「総裁には最後の仕事があるんだけど、いいかな?」
根楽は紛い物だったとはいえ、仮にもこの国の行政の最高責任者。己のしでかした、責任は取らねばならない。それが、根楽の政治家としての最後の意地だ。
「わかってますよ。速やかに国民に全てを公表します」
四暮九佐加の発言から察するに、十中八九、根楽は対策庁の描いたシナリオ通りに踊っていた。ならば、与党民優革新党の成立すらも、奴等の意思が入り込んでいる可能性がある。速やかに、この地位を辞して、衆議院を解散させる。確かに、こうも何度もの衆議院を解散させることは、前代未聞の事態であり、少なくない影響を国政に与えるが、今は緊急事態。根楽が保身で、この椅子にしがみ付けば、対策庁が漁夫の利を得る事になる。それだけはこの国のためにはならない。
「ああ、参ったなぁ、メディアちゃんの術、もう効果が切れちゃたよ。理性戻っちゃったみたい」
四暮九佐加は、右手の掌で顔を覆うと、左右に首を振る。
「所詮、雑魚の術、こんな局面で使うからだ」
一転、四暮九佐加は呆れたような顔で、そう吐き捨てる。
「仕方ないよね。そもそも、彼女ほどの精度を求める方が間違ってる」
「確かに、これ以上、あの女に借りを作るのは得策ではないか……」
異様だった。まるで、指人形劇のように、たった一人で表情すら変えて、会話は進んでいく。
「き、君は一体……」
カラカラに乾いた喉からどうにか言葉を絞り出す。
「な~に、寝ぼけてるの? 僕は、『超常現象対策庁』対策課、課長――四暮九佐加だよ」
この巨大なクモに抱擁されているような強烈な悪寒。ここにいては、今根楽が最も嫌悪するような結末になるような気がする。
「そ、そうしたね。それでは、私はこれで」
何とかそう口にすると、扉の前へ速足で歩き出す。
「ごめんねぇ~、児玉君の配役は端から決まってるんだ」
「諦めろ」
次の瞬間、根楽の全身は指先一つ動かなくなる。恐る恐る視線を落とすと――。
「っ!!?」
根楽の全身に蜘蛛の糸のように纏わりつく赤色の糸が視界に入る。
そして、勝手に動き出す根楽の身体。
「……」
助けを呼ぼうと口を開けようとするが、一ミリたりとも動かすことはできなかった。
根楽は、元の席に座ると、むなポケットから手帳を取り出し、書き始める。その内容は、この事件をミスリードするようなふざけた内容だった。
(止まれぇ!!)
必死で命令するが、己の体はその命を拒絶する。
(止まってくれぇ!!)
ここが終点ならそれはそれでいい。それだけの過ちを犯したのだ。因果応報というものだろう。だが、こいつの傀儡となり果てるのだけは御免だ。それが、政治家としての児玉根楽の最後の意地。指先の動きが僅かに鈍る。
「ありゃ、マジですごいな。人間の精神ってやっぱ不思議そのものだよね」
「遊ぶな。そろそろ奴がくるぞ」
「は~い」
右手を上げると、四暮九佐加は、指をパチンと鳴らす。次の瞬間、意識が霞んでいく。
(させてたまるかっ!!)
奥歯で舌を噛み切ろうとするも、途中で止まり、代わりに狂わんばかりの痛みが生じ、そのペンを握る右手は止まる。ただし、意識はまだ霧の中。もうじき、文字通り、四暮の玩具と化す。
(死ぬことすらできんのか)
死への恐怖も、正体不明の四暮の恐ろしさも、もはやない。あるのは、どうしょうもない無力で愚かな自分に対する憤りだけ。
(くそ、くそ、くそっ!!)
涙が留めなく頬を流れ落ちる。
「あ~、児玉君、泣いちゃったよ?」
「ふん、死の恐怖程度で、みっともない」
死の恐怖? そんなわけあるか!
愛した国を裏切り、信任してくれた国民を裏切り、そして、大切な同志達まで裏切ってしまった。頼む。最後くらい、意地を通させて欲しい!
「こ……ろ……し……て」
「いいだろう」
ゆっくりと、落下していく視界が、黒一色の衣服を着た赤髪の男を映し出す。
(感謝する)
真っ白に塗り固められていく視界の中、根楽はそう呟いていた。
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