第77話 思い残す事 ミラノ
ミラノはただいま困惑中だった。その理由は複数ある。
第一、悠真に言われた通り、偽りなく自白しているのに、全く逮捕状がでなかったこと。そして、ようやく逮捕されたと思ったら、堂島美咲という警察官と世間話をしているだけという現状。
第二、堂島美咲から、両手を拘束する手錠のようなものを付けられたのだが、それが力を入れると外れてしまい、ただの両腕のブレスレットのようなものと化していること。これでは全く拘束の意味がない。確かに、協議会から支給されている首輪により、ミラノが一定の力や魔力や技力を出せば、麻痺と睡眠の効果のある魔術が発動するようになっており、今やミラノはただの一般人と大差ない。だから、こんな腕輪モドキでも全く構いはしないんだろうけど。
第三が今最もミラノを当惑させているこの二つの双丘の間で微かな寝息を立てている小動物。この子狐、確か悠真のペットか何かだったと記憶している。流石に、容疑者にペットの持ち込み可能などとは聞いていない。まあ、この子狐を連れてきたのは、警察官の堂島美咲だ。難しい事は考えず、この子狐との温もりを堪能すべきかもしれない。何せこの子狐気絶しそうなほど可愛いし。
取調室で、ミラノの服の中で可愛らしい寝息を立てている子狐に頬を緩ませていると、堂島美咲は、上司から呼び出され、取調室を出て行く。美咲と入れ替わるように、一人の女と数人の男達が、取調室に入ってくる。
皆スーツ姿であり、美咲と同じ捜査官という奴なのだろうが、立ち回りが、警察官というより、半蔵さん達、探索者のそれを思わせた。
「やれ」
「はい!」
黒髪をオールバックにした男の指示に、女は懐から瓶を取り出し、蓋を開けると、その瓶の入り口をミラノに向ける。
次の瞬間、ミラノは瓶の中にいた。
「行くぞ。そろそろ担当者が来る頃だ」
その声と共に、周囲は闇夜に包まれる。
(きっと、捕まったよね。これ……)
別にそれもいい。相応の報いを受けるようなことをしてしまったのだから。あの男女達ももしかしたら、ミラノが殺した少女達の親族から雇われた者達かもしれない。ならば、その罪を受け入れよう。その方がずっと、心が軽くなる。
数時間後、光りの元へ出されると、そこは、薄暗い部屋の個室だった。
黒髪ショートカットの女が瓶を開けると、ミラノは瓶から出て床に座っていた。
「それで、この女、本当に殺しちまうのか?」
「ああ、それが依頼だからな」
やはり、ミラノを憎むものか。因果応報ってものだ。でも、今もミラノの胸で寝ている子狐。この子だけは、逃がさなくては。
「もったいねぇなぁ」
「何だ、お前、こんなぱっとしない女が好みなのか?」
「だってよ、眼鏡をとって、髪ストレートにしたら結構いけんじゃね?」
「阿保らし、いくら着飾っても地味女は地味なだけだろ?」
「俺、地味女、結構いける方だけど。それにこの女、顔の形半端じゃなくいいぞ」
「う~ん、言われてみれば……」
男達の視線がミラノに突き刺さる。殺されるのはいい。だけど好き放題犯されるのだけは御免だ。そんな目に合うくらいなら、舌を切って死んでやる。
「いやだ、いやだ、男ってやつはマジで下品で救いようのない」
ショートカットのスーツの女が呆れたように首を振る。
「うるせぇ、テメエのような男女よりは、この地味女の方が百倍ましってもんだ」
「ああ? テメエ、喧嘩売ってんのか?」
顔を突き合わせて、いがみ合う中――。
「でも、ホント、冗談じゃなく、綺麗な髪だよな――」
背の小さな男がミラノの髪に手を伸ばすが――
「ぐぎゃっ!!!」
ナイフが男の手の甲に深く突き刺さる。
「依頼対象に用もなく触れることは禁忌だ。例え、殺害対象だとしてもそれは同じ。んなことから指導しなきゃならねぇのか?」
オールバックにした長身の男が、太い青筋を蟀谷に漲らせながら、男の腹を何度も蹴り上げる。
「ボ、ボス、許し……」
ナイフを突き刺され、痛みで今も悶えながらも、背の小さな男は、助けを懇願する。
「やめなよっ!!」
蹴り上げるオールバックの男の足にしがみ付くミラノを、皆、ポカーンとした顔で、眺めていた。
「お前、こいつに自分が襲われるとは考えなかったのか?」
「もちろん、考えたよ。でも、それ以上やったら死んじゃう」
オールバックの男は、まるで宇宙人でも見るかのような目で、眺めていたが、舌打ちをすると部屋を出て行く。
他の男達もオールバックの男に続き部屋を出て行ってしまった。
「あんた、変な奴だね」
ショートカットの女はそう呟くと、部屋を出て行ってしまう。
それから、二時間ほどは、部屋には誰も入ってはこなかった。
その間に、子狐に何度か逃げるよう胸元から外に出だすが、直ぐに、また上着の中に潜り込んで寝てしまう。奴等の目的は、ミラノの命。ボスのオールバックの男は、話が通じそうな奴だった。子狐くらい見逃してくれるだろう。
部屋に男達が入ってくる。
「さっきは、この馬鹿が悪かった。おい!」
「すまねぇ、つい、あんたの髪、綺麗だったから」
オールバックの男に促され、背の小さな男が頭を下げてくる。
「貴方達こそ変わってるね? 殺す相手に、普通そこまで義理立てする?」
通常、漫画や小説なら、襲われるところなんじゃないんだろうか。実際に当初、組伏されたら、舌切って死んでやろうと思ってたし。
「バーカ、殺す相手だからだよ。おい」
オールバックの男は、女を顎でしゃくると、部屋から出て行く。
「はいはい。ほら、おめかしするから、あんたらも出て行きなよ」
ショートカットの女は手を叩くと、男達もゾロゾロと部屋を退出する。
(本当、変な殺し屋)
素朴な疑問を浮かべていると、ショットカットの女は、ミラノの髪のおさげの結びを解いていく。
「……」
数分後、ミラノを凝視したまま、ショットカットの女は硬直化してしまう。
「ねえ、もう終わったの?」
「あ、ああ……」
心、ここにあらずで、やはり、ミラノの顔を見続けるショートカットの女。
「おい、いい加減、終わっ……」
男の一人が入ってくると、やはり、金縛りにあったように、ミラノを見つめたまま身動き一つしなくなる。
次々に部屋に入ってくると、男達があんぐりと口を開けて、やはり、ミラノを見つめたまま一言も口を開かなくなる。
「ほう、孫にも衣装だな」
オールバックの男だけは、興味なさそうにそう呟くと、コップに毒と思われる粉薬を入れる。
「ボスって、まさか、男色家?」
ドン引き気味に、他の男が尋ね、思いっきり殴られていた。
男はミラノの対面の席に座ると、コップをテーブルに置く。
「お前、惚れた男いるの?」
ショットカットの女が神妙な顔で、この場に全く相応しくない疑問を投げかけて来る。
「惚れた男……」
思い浮かんだのは、なぜか、あの人相の悪い幼馴染の少年だった。思わず、あの時の感触を思い出し、唇を触れていた。
「いるみたいね。最後くらい惚れた男の名を呼んでみなよ」
こんな儀式、ただの偽善だ。他者の命を奪うという事実は何ら変わらない。なのに、馬鹿みたいに、皆真剣な顔で、胸に手を当て黙祷をしている。
本当、変な殺し屋達……でも、終わりには丁度いいかもしれない。
(そうか、これで終わりなんだよね……)
死んだら、二度と美味しいお菓子を食べられないし、お嬢様達や奥様達とも会えない。
死んだら、辛さも、悲しさも感じないし、嬉しさを感じたり、笑うこともできない。
何より――。
(あいつともこれでお別れか……)
思い返してみても、生意気な子供だった。年上のミラノに一丁前に世話を焼こうとするし、正直喧嘩しかしていなかったような気がする。
それも、昔、彼奴がミラノに言った言葉がきっかけなわけだが、あいつ覚えているだろうか?
(いや、あいつのことだからきっと忘れてるよね)
「あれ……」
温かいものが頬を伝い、思わず手で触れる。
「涙……あれっ……」
ああそうか、ミラノは悲しいんだ。何よりも、あの少年と会えなくなることが、どうしょうもなく怖く、悲しいんだ。
嗚咽が漏れ、抑えが効かず、ミラノは幼い子供のように泣き出した。
「ユウマぁ……」
「なんだ?」
背後からの懐かしい声。振り返ると、今最もミラノが逢いたかった少年が佇んでいたのだ。
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