第75話 四周目の真実
四周目の真実
警察の一部に奇妙な動きがあると、扇屋小弥太は警戒していた。奴の話が本当なら、警察でもかなりの大物が動いているらしい。そして、それは、少なくともバケモノの奴が警戒するほどの人物。
要するに、この動きはイレギュラー的事態。奴等の計画に支障をきたすほどの。ならば、今は大ぴらに動くべきときではなく、好機を伺うとき。
そう考えてしまっていた。そして、そんな愚かな楽観主義は、最悪のシナリオを導いてしまう。
二一〇三年一一月三(木)
二一〇三年一一月三(木)の夜、美莱に後を付けられてしまったのだ。実際のところ、美莱は恐ろしく強かったが、赤装束の男になすすべもなく、無力化され、捕えられてしまう。
奴等のアジトの一室で、意識を失い地に伏す美莱を時宗はただ呆然と眺めていた。
その部屋にいたのは、人形のように直立不動の神凪右京、神凪小蝶、神凪重虎、神凪閏の四名。そして、赤装束の男――扇屋小弥太と、全身黒服で覆い、真っ黒の悪趣味なマスクをかぶった女。
「まさか、ここに大帝君の義娘が乗り込んでくるとはねぇ~、これもあの御方の御心ままかなぁ~♪」
「よりによって、無能なあんたか……残りの分身はどうしたの?」
「現在、暴食君にちょっかい中♬」
弾むように返答する扇屋小弥太に黒服仮面の女は、不快そうに舌打ちを撃つ。
「《暴食》まで、手を出すとは聊か手を広げすぎなんじゃないの? 《暴食》を敵に回すなら、共闘は遠慮させてもらう」
「大丈V、《暴食》はあくまでこの日本で自由に動かせないための攪乱。本気で喧嘩を売ったりしないようぉ~」
テヘッと舌をだし、Vサインを出す扇屋小弥太。
「ならいいけど、まっ、あんたの有能な方の分身なら、そつなくこなすか……」
「あ~ん、ひど~い。ボクチン、傷つくう」
今までの笑顔から一転、扇屋小弥太は、急に号泣する。
「それで、私との盟約、わかってるよね?」
「もちろんろんですですぅ~。そこに寝ている彼女にあの御方や僕達が直接的な危害を加えることはないさぁ♬
ボクチンの王様の目的は、あくまでもあの大帝君への真なる絶望のみ。今のところ、計画通りに進んでるからぁ♪」
「ならいい」
「それとぉ、大帝君を捕えたら君に預けるよ。劣情の捌け口に使おうと、いたぶって殺そうと、君の自由さぁ~」
「一つ、忠告だ」
初めて、黒服の女の仮面越しの瞳の奥に、扇屋小弥太に対する明確で激烈な敵意が沸き上がる。
「な~に?」
「私のあの人の想いを踏みにじるな」
「わかったって。怒らない、怒らない、どーどー」
再度舌打ちをすると、黒服仮面の女は、神凪右京達に向き直ると、右手を上空に掲げる。
「《万物傀儡》――記憶改変」
その言葉と共に、黒色の糸が右京達とそして、美莱の体を包むと消えていく。
「ああ、そうだ。どうせなら、時宗君が改竄した通りに修正した方が都合いいかも。ほらさ、僕の王様って完璧主義だからぁ~♪」
「けっ! 完璧主義が聞いてあきれる。全て行き当たりばったりのモヤシ計画だろうが!」
吐き捨てる黒色ローブの女。
「耳が痛いなぁ~、はい、これが時宗君の偽装した資料」
「お前な、街一つの記憶操作がどれほど疲れるか、お前理解しているのか?」
「知っているよ。でも、こんな出鱈目、君じゃなきゃ不可能だしさ」
「ちっ!」
デスの右手からUSBをひったくると、黒色ローブの女はポケットに入れる。
それにしても、あんなものいつの間に……いや、美莱を捕縛してから、数時間たっている。ハーミットこと、神凪閏に命じればなら造作もないか。
「セトとメディア達の記憶の改竄もお願いね。隣の部屋にスタンバってるからぁ、刹那の夢を見させてあげてよ」
「奴等は、お前の仲間じゃなかったのか?」
「まさかぁ~、セトは生きた旧世代の研究材料を提供するといったら食いついたお馬鹿さんだし、メディアは、リルム・ブルーイットの肉体と精神を辱められると聞き、喜々として参加した身の程知らずちゃん。他の奴等も似た様な者。あんなのが僕らの仲間なわけないでしょ。ただの使い捨ての駒さ」
「お前ら、本当に最悪だな」
「う~ん、君にだけは言われたくないかなぁ~」
「ほざけ、約束、違えるなよ」
その言葉と共に、黒服仮面の女は最初から存在しなかったかのように、煙のように姿を消失させる。
「美莱っ!!」
身体を縛っていた圧迫感が消失し、美莱の元まで駆け寄ると、その体を揺する。
「貴様、裏切ったのか!?」
「いんや~人聞き悪いなぁ~、ボクチンは一切彼女に手を出していないよぉ~。つまり、盟約に違反はしていないってわけ」
「そんな屁理屈――」
「僕の王の目的は、彼女の義父であり彼女自身じゃない。あの御方の大帝への想いは壮絶に歪み、屈折しているからさぁ、彼女の義父の方は碌な死に方しないと思うけど、彼女は心底どうでもいい。だから、事が済んだら、彼女は君にあげるよぉ~、もちろん、今まで通り、スパイを続けたらだけどぉ」
信じることは微塵もできない。でも、同時に扇屋小弥太の言葉を、このとき突っぱねる事ができなかった。
「当分、彼女は君と初対面に等しくなる。全てのことが収まり次第、彼女の記憶を戻してあ・げ・る♡」
この時以来、美莱は変わった。ありもしない人間への憎しみと罪悪感の狭間で、苦しむのようになる。
無力な時宗は、その事実を黙ってみているしかできなかった。
二一〇三年一一月六(日)
御姫様を救う勇者の役は、相良悠真だった。まるで、出来の悪い小説のシナリオのように、相良悠真は、その主演俳優を演じ切り、セトとメディアを血祭りにあげる。
話の流れからも、デス達が差し向けたセトとメディアは所詮使い捨ての駒。失っても、デス側は僅かもダメージを負いはしない。
対して、美莱は無実の罪で近々身柄拘束される予定だ。美莱が、本当に四界のお姫様なら、彼女の今の状況は極めて危うい状況にある。この日本の政界の動きを念頭に奴等が計画を立てているなら、彼女にとって最悪のシナリオしか残されていない。美莱と右京達は最悪、死刑にすらなるかもしれない。今のところ、デス側優勢で戦況は流れている。
もっとも、この戦況を覆す手段を遂に時宗は発見した。
即ち、相良悠真のあのオーパーツ生成能力だ。あの能力は、今のこの最悪の状況をひっくり返す起死回生の手段となりえる。
この手段は諸刃の剣。時宗自身をも焼き尽くす劫火となる最終の手段。それでも、今の美莱の状況を鑑みれば、迷いは微塵もなかった。
非常識に若い炉貴さんを通じて、あるオーパーツを手に入れる。
それは、自己の記憶を記録するというその機能だけに特化した石。そのオーパーツを知り合いの探索者協議会東京支部の主任研究者の翁に持っていき。性能の事前承認の証明書を書いてもらう。
これで、この石に時宗の記憶を記録すれば、その内容の正確性を保証してくれる。
そして、この石に時宗の記憶を記録するということは、誓約の確定的な抵触を意味する。間違いなく時宗は死ぬ。
つまりだ。この石を時宗が手にしたということは、次の二つの選択肢を手に入れたことを意味する。
――この石を使用せず、時宗が生き残り、美莱が死ぬ道。
――この石を使用して、時宗が死に、美莱が生きる可能性がある道。
利己主義、現実主義者の権化たる時宗としては、馬鹿馬鹿しいほど、当然の選択。本来、迷うべきことすらないはずなのに、時宗は最も愚かで、あり得ない選択をしようとしていた。
11月17日(金曜)
運命の時は到来し、東条炉貴の名で、一三事件の真実について話がしたいとの連絡が入る。
ようやくこの数か月の悪夢の連鎖から彼女を開放できる。もう二度と、彼女の泣き顔を見るのは真っ平だった。例え、彼女との永久の別れを意味したとしても。
部屋の中に相良悠真が入ってくる。奴の瞳の中にある濃密な決意の色を目にし、もう終わりが近いことを確信した。だが儀式は必要だろう。
「どこまで知った?」
だから、そんな当たり前のことを尋ねてみた。
「一〇年ほど前、お前が古森街で神姫未来乃、いや、神凪美莱に接触し、志摩家にメイドとして勧誘したことだ」
そこまでわかっているなら、この男なら神凪美莱を開放するだろう。それが、物語の主役に選ばれた者の唯一つの使命だから。たとえ、その物語が心底クソッタレなシナリオだとしても――。
口に含んだ苦い珈琲を確かめながら、決意を固める。
「時宗?」
辰巳兄さんの今まで一度も耳にしたこともない頼りない声が鼓膜を震わせる。
時宗は家族を一時とはいえ、裏切った。だから、もう兄さん達と言葉を交わす資格は時宗にはない。
(菊治兄さんには、悪い事をしたな……)
あのとき、ビルフェズにいいように操られていた菊治兄さんを目にして、似た様な境遇にある自分自身と重ねてしまい、辛く当たってしまった。あの時、真に罵倒したかったのは無力でなすすべもない自分自身だったってのに。
(本当に最低な男だ)
心の底からそう思う。それでも、意地を通すしか、時宗に取りうる選択肢はない。
故に――。
「悠真、一つ誓ってもらえるだろうか?」
――これは時宗が生まれて初めて覚えた激烈な渇望。
「なんだ?」
「彼女を……ミライを頼む」
「断る。お前が守れよ」
時宗だってそうしたい。だが、いかんせん、その配役を時宗はあてがわれていない。悔しいがこの男しか、彼女は救えないのだ。
「ふふ、それができるならそうしているさ」
さて、最後の時だ。懐から記憶記録のオーパーツを取り出し、掲げると、肺に空気を吸い込む。
「時宗を止めろっ!」
相良悠真の激高を打ち消すように――。
「この志摩時宗の名をもって、宣言しよう! 神凪美莱は、一三事件とは一切無関係だ! そして、これが私の見た真実!」
時宗は石を発動し、終わりの言葉を紡ぐ。石の放つ紅の光が、部屋中を染め上げ、身体の中心から生じる爆発したかのよう衝撃。血管が引き千切られ、肉がプチプチと切断する。全身がバラバラになるような激痛と共に、急速に時宗の身体は崩壊していった。
これが終わりのときか……。
指先一つ、ピクリとも動かない。真っ赤に染まった視界の中、相良悠真の泣きそうな顔が網膜に映し出される。
(何て、顔をしてやがる……)
此奴にとって、時宗は妹に危害を加えるとまで言った憎むべき敵のはず。それでも、助けようとするか。この男は、どうしょうもなく愚かで、救いがたい。
だが、だからこそ、彼女を救いだせる役を担えるんだろう。今ならわかる。時宗がなぜ、彼女をこんな形でしか解放できないかも。それは、力や能力云々ではなく、もっと本質的なものだ。
「悠真……後生だ……彼女を守ってくれ」
「ああ。守るさ。この身に変えてもな」
「感謝……する」
その英雄ならば当然の返答に、居心地のいい陽だまりをみつけた鳥のような穏やかな気持ちが全身に露がっていく。
同時に、まるで走馬燈のように、彼女との記憶が脳裏にかすめる。
――あの定食屋に頻繁に足を運んだこと。
――神凪美莱の事情を知りたくなり、尋ねたこと。
――あのとき神凪美莱をメイドとして誘ったこと。
――そして、この一〇年間、神凪美莱を観察し続けたこと。
「ミライ、俺は……変えられたのかな?」
なあ、このクソッタレな世界を作った神様、散々、翻弄してきたんだ。この志摩時宗の最後の望みを聞いてくれ。
――この優しい少年と愛する神凪美莱に美しくも希望ある未来を――。
お読みいただきありがとうございます。




