第73話 二周目の真実
二周目の真実――二一〇三年一一月二(水)
志摩家一族全員が志摩家本家に急遽呼び出され、ある事実を伝えられる。
志摩花梨の命が狙われている危険性があること。その賊は、全身赤装束の大鎌を持つ男。
十中八九、デスだ。口調は間抜けだが、奴は恐ろしく狡猾で用心深い。たかが、高校生の子供にその姿を曝け出して、生きて返すようなへまはすまい。
「所詮想像力豊かな子供の妄想。我ら大人が本気にするなど正気の沙汰ではないな」
鼻で笑う菊治兄さんの感想がこの広間の共通見解なのだろう。皆、気まずそうに愛想笑いを浮かべている。
辰巳兄さんは、そんな兄弟姉妹達の様子に肩を竦めると、背後の半蔵に無言の指示を送る。
「彼が偽りを述べていない事は、私が確認いたしました」
半蔵の言葉に、今度こそ広間中に喧騒が巻き起こる。
相良悠真の言に偽りなければ、志摩花梨は金髪、まず、間違いなくデス達の標的の少女の一人。
奴等の金髪の少女の殺害には、一定のルールがあるようだし、まだ、若干の余裕はある。志摩家の直系ではないが、志摩花梨も志摩家の一員。できれば守りたい。
今回得た情報は件の少女のものである以上、デスに報告しないという選択肢はない。この度の相良悠真の発言は、単に鎌を持った赤装束の男が志摩花梨を殺害しようとしたこと。不鮮明なことこの上ない。
そして、時宗が強制されているのは、あくまで『《上乃駅前事件》が起きる三六時間以内に、理由もなく上乃駅前を訪れた少女』の情報の提供。そのこと以外の正確性は求められていない。
(勝負にでるときか)
時宗には今起死回生の策がある。無論、一か八かの賭けのようなものだが、どの道このままではジリ貧だ。この策が上手くいけば、志摩家はあの陰険バケモノから解放される。
障害となるのは、相良悠真の存在だ。彼の今回の能力が予知能力の類ならば、彼がデス達に捕縛されれば、時宗の策自体を読まれる危険性がある。
もちろん、相良悠真は自身の命欲しさに自身の能力を使用するような奴じゃない。だが、赤装束達が接触し、拷問でもすれば、それもわからなくなる。いや、あの外道の所業を一目みれば、一六歳の少年に耐えられるなどという発想は出てこない。
だとすれば――。
(とことんまで、下種になり下がったものだよなあ、志摩時宗?)
辿り着く答えなど一つだけなのだ。
(相良悠真、すまんな。このつけは必ず支払う。先に待っていろ)
時宗は、志摩家の屋敷を出ると、人生最初で最後の賭けに出る。
(ここか……)
市街地にある屋敷の前に車を止める。屋敷は、志摩家ほどではないが、かなりの豪邸だ。
(そろそろ、ことは終わっているころか)
時宗は、あれから即座にあるギルドにある依頼を出す。
――相良悠真の殺害依頼。
元々、裏稼業の者達とは少なからず付き合いがあった。そして、デスに捕縛されてから、益々、時宗は裏、表、あらゆるコネを使って情報を収集した。結果、この日本には、裏稼業を営むいくつかのギルドが あることが判明する。
奴等の行動理念は単純明快。
――金になるか否か。
金になるなら、誘拐だろうと、盗みだろうと、脅迫・恐喝だろうと、そして、他者の殺害だろうと、躊躇はしない。
相良悠真は、武帝高校生ではあるが、スキルも魔術も使用できない素人同然の少年だ。暗殺のプロならば、容易にことはなせるはずだ。
次いで、一呼吸置いて、志摩花梨が赤装束の男に狙われている。その情報は相良悠真という少年からもたらされた旨を伝える。その際、相良悠真が予知の能力を有することはあえて伝えなかった。当然、デスなら、予知の事実には直ぐに思いつく。だが、それでいいのだ。ほんのわずかでも奴等の思考を止めれればそれでいい。
(遂に私も殺人犯。女のために身を滅ぼすか。私に最も遠い話だと思っていたのだがな)
胸ポケットから、青色の水晶を取り出し、握りしめる。
これは、時宗の思考を数分の映像として記録する程度の機能しかないが、遺跡から発掘された列記としたオーパーツ。買い取るのに、時宗の数年分の年収を費やす必要があった。
何より、このオーパーツは最後の奥の手のようなものだ。使用のタイミングは十分考えなければならない。
(さて、行くか)
アポイントは取っていない。この先にいる人物は、現在日本の中枢にいる人物。本来なら理由もなく面会など認められるはずもなるまい。
(まったく、通常の精神状態ならこんな策、絶対に取るまいがな)
これは真っ先に否定した志摩家を破滅に落としかねない策の一つ。
あの相良悠真の予知の話を聞き、志摩家を襲うデスの脅威を明確に認識し、時宗はこの苦渋の選択をすることを選んだのだ。いや、正確に言えば、遂に志摩家の一員たる花梨まで奴のターゲットとなり、あのメイドの少女にまでデスの牙が向くのがどうしょうもなく怖くなったからかもしれない。
門衛役の黒服に近づく。
「ここは朝霧家の所有地です。何か御用ですかな?」
サングラスをしたスキンヘッドの巨漢の男が、そう端的に用件を尋ねて来る。
そう。ここは朝霧家の所有地の一つ。そして、現在の『超常現象対策庁』の事実上の支配者の牙城。
「《強欲様》にお目通りをお願いいたします」
「……」
黒服スーツの男達が、一瞬で殺気立ち、時宗を取り囲む。
(ビンゴってやつか)
この数か月、時宗はこの悪夢の連鎖を断ち切るべく、情報を収集したが、遂最近、裏の世界で偶然、入手した《強欲》という言葉。
日本政府も持て余していた複数の裏ギルドが、《強欲》という存在に、粉々に砕かれている。そして、その《強欲》は、事実上、今の『超常現象対策庁』を束ねている。
これが真実ならば、《強欲》は、あの悪魔のような男――朝霧将蔵すらも屈服させたことを意味するのだ。
「暫し、待たれよ」
スキンヘッドの男は、無線機で話していたが、右手を上げる。
大きな門が横にスライドしていき、黒服達が門の前に、一斉に整列し時宗に一礼する。
「主の元までご案内いたします。どうぞ」
スキンヘッドの男に、屋敷の一室に案内される。
真っ赤な絨毯に、真っ黒なテーブル、椅子。 高級ホテルのパーティー会場並みの広さと、部屋の中は、時宗さえも目にしたこともないような絢爛な装飾で溢れていた。
そして、部屋の中心の漆黒のソファーで、尊大に踏ん反り返っている赤髪の男。
黒色のズボンに、胸元が開はだけた黒色のシャツを着こなす容姿は、整ってはいるが野獣のような精悍な顔と殊の外調和していた。
さらに、赤髪の男の傍に控えている青色の法衣を着こなす長身の眼鏡をかけた白髪の青年と、猛虎をかたどった鎧で全身を覆った髭面の大男。この二人も明らかに別格。
何より――
(この男は……)
デス達、バケモノと散々関わったからかもしれない。この赤髪の男と相対し、一目で人の皮を被った怪物であると時宗の本能が認識していた。
「そう怯えるな。俺に話があるんだろ?」
そうだ。こんなところで臆している場合ではない。既に賽は投げられたのだから。
「お初にお目にかかります。私は志摩時宗」
頭を深く下げる。志摩家と聞き、部屋内にいたスーツの男達が一斉に騒めき始める。
「それで?」
「志摩家に御身の加護を与えていただきたい」
白髪の青年が眉をピクリと上げ、髭面の大男は、口角を上げる。
赤髪の男の猛禽類のような鋭い刺すような視線が時宗を射抜く。おそらく、赤髪の男は、威圧をかけるつもりは毛頭あるまい。単に観察しているだけ。そのはずなのに、未だかつてない重圧に、息が荒くなり、膝がガクガクと情けなく笑い出す。
「お前のその目、中々いいな」
「苦労してますんでね」
冷や汗を垂らしながらのその時宗の強がりに、赤髪の男は堰を切ったように笑いだす。
「だろうなぁ、この甘っちょろい時代で、お前ほどの覚悟を内包した奴を俺はまだみちゃいねぇ」
「覚悟ですか。確かに、その一点なら私は貴方さえも超えている」
脇に控える白髪眼鏡の青年が眼鏡を中指で押し上げ、鎧の男が拳を掌に充てて、両目を黄金色に怪しく光らせる。刹那、天井から大瀑布のごとき凄まじい重圧が頭上に叩きつけられ、次々に黒服達が膝をつく。
「やめろ、お前ら」
赤髪の男が背後に視線を向けると、重圧は嘘のように消失し、再度、部屋内は平穏と静寂を取り戻す。
「さて、そのお前の覚悟の理由を聞こうか?」
覚悟の理由か。そんなの決まってる。
「助けたい女がいます」
赤髪の男は、一瞬呆気に取られたような顔をしていたが、腹を抱えて笑い出す。
「おいおい、俺を超える理由が、女かよ!」
「ええ、私にとってそれ以外、大した意味はない」
親愛なる親兄妹でもなく、一人の女を優先させる。多分、時宗は壊れているんだろう。それでも願ってしまったのだ。彼女の笑顔が続きますようにと。
「将蔵、お前はどう思う?」
扉の奥へと言葉を投げかけると、奥の扉から一人の壮年の男が姿を現す。
長い髪を後ろで束ねた目つきが殺人的に悪い男。朝霧将蔵、『超常現象対策庁』のトップにして、この国の支配者の一人。
「志摩家は、六壬真家の一つ、この国では絶大な力を持つ。我らの陣営への引き入れを拒む理由はない」
「だ、そうだ。喜べ、お前ら志摩家は俺の所有物――」
「だが、条件を付けるべきだな」
赤髪の男の言葉を遮り、朝霧将蔵はそう付け加える。
「条件だぁ?」
赤髪の男は蟀谷に太い青筋を張らせながら、そう尋ねる。
「ああ、当然だろう。おいそれと裏切られては叶わぬ。口だけの存在など我らにいらぬのだ。
何より、我らが王を超える覚悟などと宣ったのだ。是非、見せてもらう」
「ざけんな、俺は不要だといっている!」
「王よ、貴方とは言え、異論は認めぬ」
朝霧将蔵は、どうやら、先ほどの時宗の赤髪の男――『強欲』を超えるとの発言に憤っているようだ。この冷血無比の自動機械のような男に、そんな大層な感情があること事態、意外極まりないが。
「私もそれで構いません」
どの道、あのデスの悪質さを理解させるには、この方法しか思いつかない。
「はあ? テメエまで何言ってんだ?」
「王よ、私も将蔵殿に同意します!」
「右に同じ!」
「テメエら……」
白髪の眼鏡の男と、金色鎧の大男も賛同し、《強欲》は舌打ちをすると口をへの字に曲げて――。
「勝手にしろ」
そう吐き捨てた。
「決まったな。志摩時宗、お前の覚悟を我らが認めれば、志摩家は我らが王の傘下に入る」
「一つ問題がある。これは私の独断だ。志摩家当主と前当主は知らん」
「ふん、無用な心配だ。お主の覚悟が本物ならば、それを無為にするほどあの二人は愚かではあるまい」
そうか。朝霧将蔵は、二人を知っていたのだったな。
父さんと辰巳兄さんの二人ならそうだろう。だからこそ、命より大切な存在を託せる。
スーツの胸のポケットから青色の水晶を取り出し、水晶に魔力を通していく。
このオーパーツでは、数分しか記録できない。必要最低限なイメージとすべきだろう。
時宗は、この数か月にあった記憶を記録していく。
呪いによる時宗の変化は劇的だった。
赤熱の鉄の棒を脳天から突き刺したかのような激痛が駆け巡る。神経を鷲掴みされたような痛みから、意識がぼやけ、上手く記憶を思い出すことができない。
気を抜けば、真っ黒な闇に引きずり込まれるような感覚。この闇に身を任せれば、どれほど幸せなのだろう。だが、その誘惑にかられる度に、あの女の笑顔が浮かび、時宗は記憶を呼び覚まし続けた。
……
…………
………………
時宗にとって永劫の数分間が過ぎ去り、ようやく使命を遂げて、仰向けに倒れ込む。
もう痛みは感じない。不思議とももうじきくる死への恐怖も感じなかった。
誰も一言も発しない中――。
「志摩時宗の覚悟、しかと見届けた。志摩家はありとあらゆる手段を用いて、このカグツチが加護する。これは、俺様の決定だ。異論を一切口にすることすら許さん」
「「「はっ!!」」」
その言葉を子守歌に、時宗の意識は、泡のように消失した。




