第22話 商業組合での商談
《バーミリオン》に電話をして、店長に今日用事ができたので休ませて欲しいと頼むと、明日からの新人教育を引受けることを条件に許可をもらえた。
一応、店長に新人の名前を尋ねるが、予想通り志摩花梨と告げられる。
スパイがいる可能性が高い志摩家には頼れない。俺が奴らを捕縛するまでカリンを守るしかない。カリンとの関係が悪くなれば、待つのはカリンの死だ。それだけは俺は許容できない。
一方で、この四連休にカリンはいつ襲われてもおかしくはない状況だ。いくら俺に守る機会が与えられていても、瞬殺されたのでは意味がない。俺の強さを上げることは必須。何より、夜間のカリンの送り迎えは危険の度合いが増す。
そんなわけで店長に、カリンが俺の昔からの知り合いであり、門限にうるさい家庭事情や初めてのバイトである旨を説明し、この四日間はカリンとともにいつもり早くあがらせてもらえないかと頼むとすんなり了承される。
結果、俺とカリンは一七時に上がることになる。確かに、九時から一七時でも約八時間働くのだ。初めてのバイトとしては申し分ない時間といえよう。
《日相谷駅前》のデパ地下で、塩、胡椒、砂糖を1kgずつと布袋を購入する。砂糖まで購入したのは、かつて中世で砂糖は最高の嗜好品とされていたと、どこかに書いてあったからだ。物は試しなのである。大した値段で売れなければそれはそれでいいし。
公園のトイレから家の工房に戻り、布袋に塩、胡椒、砂糖を入れ替え、【覇者の扉】からピノアへ向かう。
ピノア商業組合分館は、《中央市場》のメインストリート沿いに存在する。建造物の大きさは、冒険者組合ピノア分館と同等に過ぎないが、その荘厳さと絢爛さは比較にならない。
分館内は、広いフロアに敷かれた真っ赤な絨毯に、見事な装飾がなされた内装と階段、窓際に整然と置かれた壺等の調度品は、目にするものに思わず感嘆の声を上げさせるだろう。
流石は、商業組合の本部がある商業組合ピノア分館と言ったところか。
正面の受付に行き、長い黒髪をポニーテルにしている女に声をかける。
「仕入れた物を売却したいんだが」
「組合証の提示をお願いいたします」
窓口で物を売却すること自体はそう珍しいものではないのだろう。受付嬢は眉ひとつ動かさない。
「組合にはまだ登録していない。だから、これらの売却代金から、組合の登録費用と年会費を払いたい」
スーパーで購入した塩、胡椒、砂糖の布袋をカウンターに置く。
「拝見いたします」
受付嬢は塩の布袋を開けて、香りを嗅いでいたが、人差し指につけてペロッと舐める。途端、カッと両目を見開く。
「こ、この塩、なんて純度! しかもこの量?」
震える手で、胡椒の袋を開けて、やはり、香りを確認し、胡椒を舌につける。
「この香、まさか全部胡椒!? しかも、この上品な辛み、こんなの味わった事ない!
ま、ま、まさか、これも……」
血走った目で、最後の砂糖の袋に、震える手を伸ばす受付嬢。もはや悪寒しか思い描けないが、今更これは止めておきますという言葉に聞く耳持つとも思えない。もうどうにでもなれだ。
砂糖を一舐めした途端、一度ビクンと痙攣する。
「ひひひいひっひひ……」
直後、顔を狂喜に染めて気味の悪い奇声を上げて、ふらふらと奥の部屋に姿を消す受付嬢。
(何だ? あの不思議ちゃんは……)
絶句するしかない俺に、組合分館中の奇異の視線が集まる。
(目立ちたくねぇのに、冗談じゃねぇよ)
受付嬢も、職務放棄してしまったことだし、一度出直すべきだな。
袋に手をかけようとすると、逆への字に髭を蓄えた紳士服を着用したぽっちゃり気味の青年が、カウンター前に現れる。
カウンター上の塩、胡椒、砂糖を暫し、神妙な顔で確認していたが、俺に深く頭を下げてくる。
「お話がありますので、奥の客室までおこしいだけないでしょうか?」
「構わない」
俺も、これ以上衆人環視の目に晒されるのは御免被る。気まずいったらないし。
塩等の入った布袋を持ってぽっちゃり青年の後についていく。
案内されたのは、応接室。フロント前と比較し、別段に豪奢とういわけではないが、シックなテーブルとイスに、暖かなカーペットなど、センスの良さが伺われる。
「私は商業組合ピノア分館の館長――ケビン・エンダースです。以後お見知りおきを」
「ユウマ・サガラだ。宜しく頼む」
差し出された右手を握り返す。
「単刀直入にお聞きします。その甘味成分は一体何です?」
しまった。この世界、中世と同レベルの文明水準だから、砂糖は嗜好品として存在すると思っていた。無いなら、あの受付嬢の反応も頷ける。
「砂糖という嗜好品だ。様々な料理に使用可能だし、小麦に混ぜてパンを作ると味が別段に上がる。無論、あくまで嗜好品だから、副作用等はない」
まあ、食べ過ぎると、身体にはすこぶる悪いがな。
「ふーむ、サトウですか……それはどこでとれるものなのですか?」
そりゃあ、聞いてくるよな。俺でも多分そうする。
「企業秘密だ」
誤魔化したいところだが、嘘を言うにしても俺にはこの世界の情報が不足している。
しかし、知りえたこともある。共通通貨や、世界的な商業組合の存在など、この世界の商業は思ったよりも発達している。ならば、情報が金であることは当然のルールのはず。
「どうしても?」
「どうしてもだ。話さないと組合で引き取れないのなら、取り引きはこれで終了。俺は帰らせてもらう」
立ち上がろうとするが、予想通り右手で拒まれる。
「もちろん、話す義務などありませんとも。お聞きしたのは、商売人としての私の純粋なる興味からです」
特段、悪びれたふうもなく、薄気味の悪い笑顔を漲らせるケビン。こっちが本性ってわけか。
確かに、ここは世界的な商業組合の聖地――ピノア。その分館長ともなれば、ドロドロとした政治事など、散々経験していることだろう。大方俺の商売人としての力量でも図っている。そんなところか。
「俺のこの度の目的はこれらを組合に売却すること。可能か?」
机の上に、塩、胡椒、砂糖の入った布袋を置く。
「買い取るのかの問いはイエスです。その前に今後の話しをさせていただければと」
確かに、砂糖はこの世界に存在しないものであり、目ん玉が飛び出るほど珍しいものなのだろう。
しかし、ここは、世界の物流の本拠地、いわば世界の経済の心臓のような場所。ただ珍しいだけのものなら、大した価値はない。物流という波に乗るか否かが最も重要なはずだから。
そして、俺の当面の目的はこの世界での金を稼ぐことにはない。
「俺のピノアにきた目的は《滅びの都》を探索することだ。そのために臨時の金銭が必要だから、偶々、旅の途中で仕入れた塩、胡椒、砂糖を売却しようと思ったに過ぎない。
今は、商売をメインで展開する余裕が俺にはないのさ」
ケビンは俺の顔を凝視していたが、ふーと息を吐く。
「そうですか。ならば、余裕ができましたら組合をご利用ください」
「ああ、是非そうさせてもらおう」
ケビンは俺の答えに満足したのか何度か頷くと、俺から年齢と種族を聞くと、改めて塩、胡椒、砂糖を精査し始めた。
結局、塩が二〇万ルピ、胡椒が八〇万ルピ、砂糖はなんと四〇〇万ルピで売ることができ、売却代金は全部で五〇〇万ルピとなる。
このうち、組合の登録に二〇万五〇〇〇ルピ、年会費の五万ルピを引いた、四七四万五〇〇〇ルピが俺の取り分となった。
必要事項が刻まれた商業組合の組合証である鉄製のカードを受け取り、金銭として白金貨四枚と金貨七四枚、銀貨五枚を貰う。
ちなみに、中央市場で聞いた情報では、紅貨一枚一〇〇〇万ルピ、白金貨一枚が一〇〇万ルピ、金貨一枚が一万ルピ、銀貨一枚が一〇〇〇ルピ、銅貨一枚、一〇〇ルピ、鉄貨一枚一〇ルピ、石貨一ルピであるようだ。
こうして、ようやく、俺はこのアースガルドでの活動資金を得たのである。
この手の異世界との地球のギャップは、テンプレではありますが、異世界ものの醍醐味のような気がします。少なくとも私は大好きです。
さて、次が冒険者の登録です。




