第72話 一周目の真実
一周目の真実
二一〇三年一一月五(土)
時宗にとって、事態が動いたのは、一一月五の晩だった。
チェーン店お好み焼き店――『じゃじゃ丸』のクレーム対応の『お客様対応部門』に届けられた複数のクレーム。
「相良悠真……」
普段なら、代表取締役の時宗まで報告があがってくることはないが、最近、系列の店舗から、従業員の対応が悪いという指摘が相次ぎ、重大と思われるクレーム又は、一定数以上のクレームについては、逐一報告するよう指示していた。
この一定数以上のクレームという要件を満たし、時宗の耳に当時の店内の様子の報告受ける。
店内で、男が、相良悠真が『上乃駅前事件』の元凶だと声高らかに喚き散らしたらしい。
姿恰好から察するに、長門文人だ。警視庁が最大の鬼門ともしらずに、フィオーレ・メストの保護を警察に求め、デスに彼女の存在を気付かせてしまった愚かで哀れな男。
(逆恨みだろうな)
昨晩、フィオーレ・メストはデス達により殺されている。誰にぶつけていいかわからぬ怒りを、事件の被害者に過ぎない相良悠真に向けてしまったのだろう。
(上乃駅前事件か)
――上乃駅前事件。二〇〇〇人の人々を殺戮した人類史上最悪ともいえる大災害。そして、この災害は未だに終わらず、今も時宗を抜け出せぬ運命の袋小路へと閉じ込めている。
そして、この上乃動物事件の唯一の二人の生き残りが、この相良悠真だ。偶然にしては洒落が効きすぎだろう。
「金髪の女か……」
相良悠真と長門文人、上乃駅前事件を繋ぐのは、一三事件。そして、一三事件の中で、金髪の女は、重要なキーパーソンなのだ。そして、相良悠真と同席していた者も金髪の女。
(考えすぎだ。そうに、決まってる)
だが、時宗はある疑いを抱いてしまっている。第二の要件である『全力で、《上乃駅前事件》が起きる三六時間以内に、理由もなく上乃駅前を訪れた少女の調査』の抵触条件も明らかではない。一定の調査は必要かもしれない。
……
…………
………………
「ふう……」
気持ちの肩を預けているような安心感から大きく息を吐き出した。
幸運なことに、相良悠真と金髪の女は店をすぐに出てしまい、女の特徴は金髪しかわからない。これで、忌々しい要件を満たすことはあるまい。そう思ってしまっていた。
椅子の背もたれに寄り掛かり、眉間を摘まんでいると、携帯の着信が鳴り響く。
この頃、あの暗号の調査と昼の職務で、碌に寝ていない。特に、今日は久々に神経をすり減らしている。正直、今だけは休ませて欲しいものだが……。
ブツブツと小言を言いながらも、携帯を取る。
「時宗さん、相談したいことがあるの」
現金なもので、その心地よい声を聴いただけで、今まであった気怠さは一気に吹き飛んでしまう。
「美莱か、どうした?」
「花梨お嬢様が――」
このとき、時宗は心の底から思い知る。この運命を支配する神とやらがこの世にいるならば、それは、どうしょうもなく悪質で、残酷な存在なんだと。
……
…………
………………
最悪だった。見つけてしまった。しかも、一三事件の次の生贄は、志摩花梨。
辰巳兄さん達夫婦が養子にしたアシュパル家の王族の娘。
花梨が、『《上乃駅前事件》が起きる三六時間以内に、理由もなく上乃駅前を訪れた少女』であることは、兄夫婦に尋ねるとすぐに判明してしまう。どうやら、一度だけ、花梨から相談をうけていたらしい。
このまま、花梨のことを黙っていれば、時宗は死ぬ。こうなったのもある意味、好奇心に負けて地獄に首を突っ込んだ時宗の自業自得。どの道、このままあの外道の犬として生きるのも限界だったのだ。ここで終わることに未練はない。
しかし、この世界は時宗にそんな甘い終わりを許してくれはしない。拒めば、時宗は死に、あのデスは志摩家を襲う。もとより、そういう約束だ。
相対すれば嫌でも推知しえる。あの怪物は、人間ではない。半蔵とて、一切抵抗を許さず殺される。つまり、ここで、拒めば、父さんや辰巳兄さん達、兄弟姉妹達、そして、今時宗が最も大切な存在は死ぬ。
それだけは、許容できない。
だから、デスにこの事実を伝えてしまった。そして、その結末は実に滑稽で、わかりやすいものだった。
二一〇三年一一月六(日)
志摩家本家の屋敷に呼び出され、志摩花梨の死亡を聞かされる。
どうやら、交番で警察官と、志摩花梨、相良悠真の刺殺体が発見されたらしい。
この事実に、涙を流すもの、憤るもの、アシュパル家との摩擦を危惧するもの。
そんな兄弟姉妹達の嘆きの声も、今の時宗には全く届かない。ただ空虚ですっからかんとなった心で、辰巳兄さん夫婦が泣き崩れているのをぼんやりと眺めていた。
兄夫婦が泣いているのは、全て時宗の選択が招いたこと。本来なら、罪の意識くらい湧いてよさそうなのに、まるで、心が死んでしまったかのように、何も感じない。
ただ、とびっきりの吐き気だけが何度も襲ってきていた。
「うげぇ」
遂にこらえられなくなり、トイレに駆け込むと昼に食べたものを全て吐き出す。
――情けない!
この結末を迎える覚悟はしていたはずだったのに。今更、いくら後悔しようと、懺悔しようと、無念の中死んで行った者達が、生き返るはずもない。大切な者を守るため、もう進むしかないのだ。
辰巳兄さん夫婦に簡単な挨拶をして、屋敷を出ると、駐車している愛車に乗り込む。
突如、軽快なメロディーが鳴り響く。
音のする後部座席を、バックミラーで確認すると、キャップ帽を被った少年の縫い包みが置いてあるのが視界に入った。
『お疲れ様ですぅ~、時宗ちゃん。君の御蔭で、最後の封印の巫女――志摩花梨の心臓はゲットいたしましたぁ♪』
デスの歌うような歓喜の声が、縫い包みを介して、時宗の鼓膜を震わせる。
狂わんばかりの吐き気が一段と高まり、無意識にも舌打ちをしていた。
「目的を遂げたのなら、既に私に用はないはずだが?」
『そう焦らない、焦らない。短気は損気だよ』
「用件を言え」
『いやだなぁ、この度の最大の功労者である君を労おうと思っただけだよ』
「労いね……偽りを吐くにしてももっと上手い嘘をつけ」
そう吐き捨てると後部座席を振り返り、縫い包みを睥睨する。
「ホントだって、信用してもらえないとは、お兄さん悲しいよ」
シクシクと縫い包みから聞こえてくるすすり泣き。
「志摩家に危害を加えない。その約束、違えるなよ!」
『わかってるって。でもさ、志摩家じゃなくてあのメイドの女性だろう? 王の慈悲だ。ここに宣言しよう。僕らは彼女に、手を出さない』
「ならいい」
美莱は無事。そう認識し、闇夜にともし火を得た思いに大きく息を吐き出した。
『あ~達観してるねぇ~♪。確かに、僕らは彼女に一切の関与はしない。でもぉ~、彼女自身が破滅を望むならどうかな~?』
「時宗さん」
ぞっとするような感情を含まない声。声のする方に顔を向けると、俯き気味の美莱が佇んでいた。
「美莱か、どうかしたか?」
「誰が、花梨お嬢様と悠真を殺したの?」
「それは、警察が――」
「答えてっ!!」
そう絶叫し、時宗に向ける彼女の顔は、一度も見たこともないような増悪の感情一色に染まっていた。
そうか。方法はわからぬが、彼女はさっきの時宗とデスの会話を聞いてしまったんだろう。
ここでの回答は、二つだけ。答えるか、答えないかだ。
デスは今後、美莱から手を引くといっていた。それも、美莱からデスを狙った場合は話が別となる。命を賭して、美莱を危険にさらすなどもっての他だ。
ならば、答えない。その選択肢しかのこされていない。偽りを述べて胡麻化そうにも、今の美莱は時宗の事件の関与を疑ってはいない。何を言っても信じてはもらえまい。それにもう、時宗は、美莱にだけは嘘をつきたくはない。
ならば、あとは、美莱を守る参段だけだ。
「ここで話す気はない。ついてこい」
後部座席の縫い包みを窓から放り投げ、美莱を助手席に乗るように指示する。
美莱は軽く頷くと大人しく、時宗の指示に従う。
時宗がよく使う山奥の別荘のコテージへ行き、円形のテーブルの時宗の対面の席に座らせる。本来なら、珈琲の一つでも出してやりところだが、彼女がここに来た形跡は少なければ少ない方がいい。
「なぜ、花梨お嬢様と悠真の殺害に加担したの?」
「言えぬ」
「じゃあ、誰が、二人を殺したの!?」
「言えぬ」
「奴等の目的は!!?」
「知らぬ」
「ふざけないでっ!!」
大粒の涙を流しながら、両手でテーブルを叩きつける。
「ふざけているつもりはない。これが私の真意。気に入らねば殺せばよかろう」
こんな形でしか幕を引けない自分には心底、反吐が出る。
だが、これで彼女の心が少しでも軽くなるなら、それもいいかもしれない。そう思ってしまっていた。
しかし――。
「そんなの――できるわけないでしょっ!!」
それは、時宗の致命的な勘違い。そもそも、美莱はこういう女だった。
どうしょうもなく愚直で、素直で、他者を傷つけることをこの上なく嫌う。だからこそ、時宗は惹かれたんだ。
大きく息を吐き出し――。
「美莱、直ちに、この国を離れろ。住む家と仕事の一切を私が用意する」
「やっぱり、私のためなんだね?」
「はあ? そんなわけあるかっ! 己惚れるなっ!!」
思わず声を張り上げていた。当たり前だ。そんなものを認めてしまえば、彼女までこの罪を背負う羽目になるから。
「嘘っ! 今の時宗さんの目、兄ちゃん達にそっくりだ」
目か……美莱を大切に思うという一点では違いはないのかもな。
「馬鹿なこと言ってないで、私の言うことを聞きなさい」
「誰!? 花梨お嬢様と悠真を殺し、時宗さんにこんなひどい事をするのはっ!!?」
聞いちゃいない。全く、ここで、彼女に増悪の台詞を吐かれたのなら、よほど時宗は救われただろうに。
口を開こうとしたとき――。
『は~い。ボクチンで~す』
床の一点が、血の水たまりができ、それが盛り上がり、最悪のバケモノを形成する。
「っ!!」
弾かれたように席を立ちあがる美莱を、フードを頭から被った赤色のローブの男が組み伏せると、脇のもう一人の赤色ローブの女がその細い首に首輪を嵌める。
「ダメだよぉ~、君のように、全力を出すのに、一定の溜めが必要な種族は、こんな怪しい場所に足を踏み入れる前に、覚醒しておかなきゃ」
さも可笑しそうに、人差し指を左右に振るデス。
「おい、美莱を離せ!!」
「もう彼女、何もできないし、離していいよ」
赤色ローブは離れると、距離を取り、直立不動となる。
部屋には他にも二人の男がいる。仮面をかぶっているので、断定まではできないが、多分、こいつら右京達だ。
「お前が花梨お嬢様と悠真を殺したのか!?」
「その通りぃ♬」
「貴様ぁっ!!!」
再度、突進しようとする美莱を全力で抑えつける。
「落ち着け!」
「離して、時宗さんっ!!」
「いいから、落ち着けっ!!」
初めてともいえる美莱への怒号に、彼女は暫し、目を見張っていたが、直ぐに顔を悔しそうに歪め、脱力する。
「何の用だ?」
美莱を背後に隠すと、奴を睥睨する。まあ、聞かずとも自明かもしれないが。
「いやね、僕の筋書きでは、美莱ちゃんが、犯人の一味と思しき君を殺して、自首。そんな筋書きだったんだ」
「それがどうした? 一度は、お前達が一切の関与を否定するとまで言ったんだ。守ってもらうぞ!」
「うん、僕は正直者が大好きだし、嘘つきは大嫌いさ」
「なら――」
「でもね、御免、君は別だ」
「時宗さん、伏せて!」
次の瞬間、美莱に横っ腹を突き飛ばされ、地面を数回転がる。
鈍い痛みに顔を歪めながらも、起き上がり、周囲を観察すると、胴体から、綺麗に横断されて、床に仰向けに伏す美莱。
到底あり得ぬ光景を葉もなく眺めていると、美莱が大量の吐血を床に撒き散らす。
「美莱っ!!!」
ようやく、爆発するような焦燥とともに、脳が正常の運行を開始し、弾かれたように、美莱に駆け寄り、その上半身を抱きかかえる。
「時宗さん……」
「いい、もう話すな、今救急車を呼ぶ!!」
「ごめ……んね」
「何故、謝る!!?」
むしろ、それをしなければならないのは時宗の方だろう。時宗は彼女から、大切な者を二人も奪ったのだから。
温かな者が頬を伝う。それが、生まれて初めての涙と理解したとき――。
「無事で……よかったぁ」
そう呟き、満足そうに微笑むと、まるで糸の切れた人形のように、美莱から力が抜けてしまう。
「おい、起きろ!」
涙腺が破壊されたかのように涙が溢れ、視界を埋め尽くす中、何度も美莱の頬を叩くも、ピクリとも反応しない。。
――なんだ、これは?
「あ~あ、死んじゃった。マジで、面倒なことになったなぁ。これであの女の力を借りるのは絶望的かな」
デスの声を鼓膜が認識するたびに、狂わんばかりの憤怒が生じ、視界が真っ赤に染まっていく。
――なぜ、こんな優しい奴が死なねばならん?
「まあ、いいや、何とかなるっしょ」
――奪ったな! 私の最も大切な奴を!
濁流のような憤怒により、奥歯が砕ける。
――神でも、悪魔でも、誰でもいい。私の命をくれてやる。だから、この外道に深いとびっきりの絶望を!
『聞き届けよう』
感情の一切籠っていない若い男の声が頭の中に響き渡る。
『暴飲暴食』
――バクンッ!
突如生じた黒色の球体が、デスの下半身を飲み込み消失する。
「へ?」
間の抜けたデスのこの言葉を契機に、幾多もの黒色の球体が、コテージ内に生じ、あらゆるものを飲み込んでいく。
――赤色ローブの男女を。
――コテージ内の家具や日用品を。
――コテージそのものを。
そして――デスを。
「まずい、再生できない。くそ、『暴食』の野郎、今頃になって、なぜこの国に? 中立を決め込むんじゃなかったの!?」
初めて聞く余裕を一切失ったデスの言葉。
デスの身体がドロリと溶けて、床へと沁み込もうとするが、その床ごと、黒色の球体により、抉り取られ消失する。
『ぐぎょ〇★▽×っ!!!』
言葉にならない絶叫を上げつつも、必死で逃げようともがくデスをさらに増殖した黒色の球体はゆっくりと咀嚼していく。
「ぢぐ〇▽ょ×っ!!」
デスの悲鳴と絶望の声を聴きながら、時宗の意識は真っ白に塗りつぶされていく。




