第28話 小さき悪魔 八神吹雪
この話も物語補完する話にすぎません。時間のない方は読み飛ばしてください。
第一闘技場
一三時三〇分
碇学校長の言葉をそのまま、体育連合会の代表選手達に伝えると、例外なく皆、歓喜した。
それだけ、『夢妙庵』はサーチャーにとって夢の探索者ギルドということなのだろう。
夢妙庵――《八戒》、序列四位の【超人】――碇正成がギルドマスターを務める日本最高にして最強のギルド。
世界を震撼させたテロ組織を一夜にして壊滅させ、遺跡から得たオーパーツを独自に研究開発し、世界各地に存在する独自の販売網により、巨万の富を得ているとされる組織。
もっとも、その事実は一般に非公表であり、探索者の関係者以外、ギルド名すらも知られてはいない。そんな世間の知名度と探索者達の世界との評価の乖離が激しいギルドでもある。
無論、八神の両親と兄は一流の探索者であり、『夢妙庵』の名は幼少期に既に聞かされ知っていた。
「なあ、教官誰だと思う?」
「さあな」
はやる気持ちを全力で抑えて、そう素っ気なく答える。
体育連の他の幹部もすぐ傍にいるのだ。下手に口にすれば、会長の吹雪まで浮かれていることがまるわかりとなり、示しがつかない。
「あの爺さんが、『至上』とまで言い切った人物だ。日本の支部長、いや『夢現』もあり得るかもだぞ!」
「それはないな」
『夢現』とは、碇学校長の懐刀であり、米国、英国、香港の支部長を務めている三人のシーカーのことだ。
『夢現』には、支部長という極めて重要な役職がある。碇学校長の命とは言え、たかが、子供の大会のお遊戯に態々、足を運ぶなど凡そ考えられない。それはありえまい。
そのはずなのに、否定の言葉に反し、吹雪も僅かな期待をしてしまっているのも事実だ。
「なんだよ、お前、ノリ悪いな。せっかく――」
烈が口を尖らせるも、そこに、碇学校長が教官達を引き連れ、第一闘技場に姿を現す。
バクバクと高鳴る心臓を自覚しながらも、目的の人物を探すが、まだ来ていないようだ。
碇学校長は、グルリと闘技場にいる全生徒を見渡すと――。
「この度の大会、お主達が今想像しているものとはちと違う」
そう断言した。
闘技場内が、葦の葉のようにざわめく。
無理もない。この度の大会は、事実上、うちの武帝校と西の覇者たる『伏見京王校』との激突が予想されていたからだ。
「それは、『伏見京王校』にも碇九音並の怪物がいるということですか?」
碇学校長が両方の口角を上げる。初めて見る寡黙な学校長の薄ら笑いは、あまりに薄気味が悪く、吹雪にどうしょうもない不安を呼び起こさせた。そして、それは、他の選手達も同じ。騒めきは、不自然なくらいピタッと病んでいた。
「一部正解といっておこう」
一部正解か。あの怪物の出鱈目さは、吹雪達は嫌っというほど味わった。あれと同等クラスの奴が敵にいる。それだけでも十分すぎるほど悪夢だ。案の定、闘技場内は、お通夜のようになってしまう。
「碇様、時間も押していますれば……」
1-Aの担任教師――阿久津塗付が躊躇いがちに碇学校長に進言すると、鬱陶しそうに、何度か頷く。
「我が校の威信にかけて、無様な結果になることだけは避けねばならん。そこでじゃ、お主らに今大会専用の教官を手配してやった」
一瞬の静寂後、真夏の蝉達の大合唱のごとき騒々しさが、部屋中を満たす。
「静粛に! 碇様の御言葉中だぞ!?」
阿久津の檄に、辛うじて収まった場を眺め、碇学校長は満足そうに頷くと――。
「紹介しよう。儂の同僚じゃ」
通路から、現れたのは、上質の黒色のスーツを着たマスク姿の男だった。
背格好は、中肉中背、大して強いようには見えない。だが、あの怪物も一見華奢だが、中身は修羅羅刹の類。外見など大して意味をなさないだろう。
兎も角、このとき、吹雪は、確かに未来に訪れる希望という名の風船を膨らませていたのだ。
しかし、吹雪は、全くわかっちゃいなかった。世の中は、そんな優しくできていないってことを直ぐに、魂から理解することになる。
「結界を張りつつ、陣形を整えろっ!!」
吹雪の悲鳴じみ似た声に、幾重にもわたる防御結界が張り巡らされる。
小さき悪魔は、あの風紀委員長の天津祀を一瞬で戦闘不能へと追い込み、現在、統率者を失い恐慌状態に陥った風紀委員を一撃のもと沈めている。
甘かった。いや、認識があまりにも甘すぎた。
あの頭の螺子がぶっ飛んだ碇学校長が入れ込む人物。その怪物性に予想はしていたつもりで、全く、想像が追い付かなかった。
――あんな年端も行かぬ児童に戦わせる行為が狂っている。
――栄光ある武帝高校の代表メンバーを蟻でも踏みつぶすかのように、叩き潰すほどの強さまで児童を鍛え上げるなど、頭がおかしい。
「吹雪会長っ!!」
体育連の幹部の一人が、焦燥たっぷりの声を上げる。
言われんでも、わかってるさ。
小さき悪魔が、遂に最後の生徒会役員の顔面を握るとまるでボールでも投げるかのように、場外に放り投げ、吹雪達を睥睨する。
これが蛇に睨まれた蛙の心境ってやつだろうか。身体中がビリッと痺れ、嫌な汗がジワジワと湧き出て来る。
「烈、俺達体育連は防御結界に集中する。お前は攻撃系の共鳴魔術で応戦してくれ」
「わかった。俺に考えがある。時間を稼いでくれ!」
「了解だ」
「おい、お前ら、気合を入れろ!!」
吹雪達体育連の全力の第二階梯の防御系スキル――鐵の重複発動により、結界は最強高度となる。一定時間しかこの強度は持たないが、どの道、このままでは、風紀委員、生徒会同様全滅する。今は、最大火力たる文化連の共鳴魔術に賭けるしかない。
小さき悪魔の姿が霞むと、結界前に出現し、無造作に殴りつける。
刹那、火花が飛び散り、三分の一の結界が無理やり消滅する。そして、床に崩れ落ちる体育連の選手達。無理やり、スキルの発動を破られ、負のフィードバックが働いたのだろう。
「う、嘘だろ……」
鐵は、重複することにより、守護力の増すスキル。これだけの数の鐵ならば、第三階梯、いや、第四階梯にすら届きうるかもしれない。それが、たった一発で消滅してしまう。その事実に、心どころか身体すら冷たくなっていくのを感じる。
「再度、結界を張り直せ。堪えられねば、死ぬぞ」
仮初でも、『死』は恐ろしい。その現実を突き付けられ、よろめきながらも立ち上がり、再度術を創る。
「この程度か……」
小さき悪魔の面白くなさそうな声。次の瞬間、拳の雨が降り注ぎ、吹雪達の結界はあっさり霧散した。
小さき悪魔が右ひじを引くと――。
「よく粘った」
その声と共に、青色の被膜が吹雪達を覆う。どうやら、文化連の共鳴魔術による結界が完成したらしい。
魔術はスキルと比較し、詠唱というためが必要ではあるが、威力や効果は同階梯のスキルとは比較にならない。しかも共鳴魔術による防御結界魔術だ。時間稼ぎにはなるだろう。
「結界を張り直せ!」
鐵を再度張り直す。
一呼吸後に、文化連の共鳴魔術が発動する。
「「「「「『風牙槍』」」」」」
「「「「「『蒼炎弾』」」」」」
小さき悪魔の範囲に生じる風の嵐と、炎の弾丸。それらは急速に混じり合っていく。
「「「「「「「「「「共鳴魔術――爆炎の鎌鼬」」」」」」」」」」
蒼炎の炎の刃は、小さき悪魔に四方八方から襲い掛かり、大爆発し、湯気と土煙により視界は遮られる。
蒼炎の鎌鼬――限りなく第四階梯に近いとされる第三階梯の黒魔術であり、一流のサーチャーのみが発動可能な魔術。
烈の奴、本気だ。全力であの子供を倒しにかかっている。時代遅れの硬派を気取り、女子供に甘いあの烈がだ。現在、頭の中は疑問と不快感、そして情けなさでグチャグチャなことだろう。
そして、それは吹雪も同じ。それでも――。
「全力で畳みかけろっ!!」
口から言葉を吐き出すと、右拳を握り締め、第二階梯の遠距離攻撃スキル――《空破弾》を小さき悪魔に全力で放ち続ける。
触発された他の体育連の幹部達も、吹雪に続き、ありったけの力を絞り出し、あの小さき悪魔に攻撃系スキルをぶつける。
十数秒のスキルにより、凄まじい疲労感。肩で息をしつつも、構えだけは解かず、小さき悪魔を睨みつける。
「やったか……」
誰かの期待の籠った声は、吹雪を含めた全員の心の声を表していた。
「いちぃ、少し肌がヒリヒリする。あの風の刃、爆発するとは思わなかった」
小さき悪魔のそんな苛立ちを含んだ声とともに、視界を遮っていた湯気や土煙が部屋に備わる換気機能により取り払われていく。
「ば、馬鹿な……」
吹雪の口から滑りだす驚愕の声。
「もういいや、あんた等は、僕らの家族じゃない」
そう言い放つと、小さき悪魔は身を屈める。
当然のごとく理解した。あの少年の次の一撃で、文化連の張った防御結界は粉々に砕かれると。
そして、それは完膚なきまでの吹雪達の敗北を意味し――
「《アイアスの盾》!!」
澄んだ女性の声により、赤色のドーム状の被膜が吹雪達の陣営を覆った。
声の方を振り返ると、いつの間にか、吹雪達の傍には、真っ青な顔の神楽木美夜子が佇んでいた。
「八神君、下がってて」
そう告げると、黒色の短い警棒の形態のものを天に掲げる。
そのとき、光景は常識から、非常識へと変換される。
空中、床から蔓が生じ、小さき悪魔に一斉に強襲をかける。
「すげぇ……」
烈らしからぬ陳腐なこの感想は、この場の全員が共有しいてるものと言えるだろう。
もはや、視認し得ない速度でこの演武台中を疾駆する小さき悪魔を追尾する枝。そしてその枝を掻い潜り、美夜子に向けて拳の弾幕を降らす小さき悪魔。ついさっき、吹雪達の渾身の力を振り絞った防御結果がまるで豆腐のように破られたのに、小さき悪魔の全力の拳の雨霰に、美夜子の創った赤色被膜の結界は波一つ立てない。
数分、いや、数十秒にすぎないか。もはや、吹雪達には理解不能な領域で、小さき悪魔と美夜子は鬩ぎ合っていた。
その両者の主導権争いは、美夜子の蔓が小さき悪魔の足首を捕えた事により、終わりを迎える。
小さき悪魔の小さな身体が、地面に叩きつけられると同時に、瞬きもする間もなくその全身は蔓により雁字搦めに拘束される。
「くそぉっ!」
床に転がりながら、悪鬼の形相で美夜子を睨む小さき悪魔を視界に入れ、不意に背筋に氷を押し付けられたかのようなうすら寒い感覚に襲われる。
「神楽木会長が勝った?」
「そのようだな……」
体育連の幹部の一人の呟きに頷き、今まで肺の中に充満した空気を大きく吐き出した。
今は何も考えられない。時間が欲しい。この状況を整理する時間が……。
鉛のように思い身体を休めるべく、演武台に腰を降ろそうとすると――。
「マスターの前で、僕に無様な姿を晒させやがって……」
蔓により、動けないはずの小さき悪魔の美夜子に向ける憎悪の籠った視線を網膜が認識し、冷や水を被ったかのような感覚に襲われる。
そして、小さき悪魔の全身から滲み出た赤黒色のオーラが、陽炎のように覆っていき――。
『天下――無敵』
その小さき悪魔の冷たい声を最後に、世界は赤黒色に塗りつぶされる。
美夜子の創った赤色の防御結界は破裂し、小さき悪魔の拘束していた蔓も瞬時に炭化し、塵となる。
「ひっ!!」
赤黒色の衣に覆われた小さき悪魔に視線で射抜かれ、体育連の幹部の一人が、ペタンと床に腰を御下ろし、他の幹部達も床に蹲り、震えだす。
敵を前に、自殺行為に等しい有り様。通常なら叱咤もの背信行為だが、今回に限り、彼らを責める気はさらさらなかった。
寧ろ、吹雪はまだ立ち、構えをとっている自分に全力で賞賛を送っていたのだから。
(あんな者が存在していいのか?)
これは本能だ。今のアレには絶対に抗えない。美夜子も含め、アレのたった一撃で骨も残さず塵と化す。それが確信できていた。
吹雪は下唇を噛み切り、今にも力が抜けそうなほど滑稽に笑う膝に、無理やり指令を送る。
眼球が揺れ動き、乗り物酔いのごとき、気持ち悪さと吐き気が襲い、視界がぼやけて来る。 緊張の糸が切れかける寸前――。
小さき悪魔を覆っていた赤黒色の衣が掻き消え、嘔吐しそうなほどの圧迫感が綺麗さっぱり消失する。
「馬鹿たれ! 熱くなり過ぎだ」
《師》に頭頂部を掌で叩かれ、小さき悪魔は、初めの年相応の少年に回帰する。
「助かったのか……」
ビンビンに張っていた緊張の糸が緩み、吹雪も演武台に腰を降ろした。
お読みいただきありがとうございます。
明日もこの時間に投稿できたらなと。それでは!




