第17話 三度目の教室
一一月二日(水)
「相良!」
後頭部に鈍い痛みを感じ、顔を上げると黒髪の幼い少女が怒りの形相で俺の顔を覗き込んでいた。
(ここは……?)
思考がまるでシェイクされたようにかき混ぜられ、上手くまとまらない。
数回頭を振るとようやく、通常の思考が戻ってくる。
俺はあの《ラヴァーズ》とかいう変態女に拷問されていた。そして、床に落ちていく視線。高確率で俺は、首でも飛ばされ死亡した。
だとすると――。
「六花、今日、何月何日だ?」
「仮にも私はお前の担任だぞ! せめて、『さん』をつけろ! だいたい、お前は普段から私を軽んじて――」
いつもの様に六花は、目じりを険しく吊り上げて激昂するが……。
「いいから、何月何日だ?」
「一一月二日だが……」
百の言葉を煮詰めたような重さをこめて繰り返し問いただす俺の姿に、六花は当惑しがちに答える。
「そうか……」
この一連の不可思議な現象は予知夢ではない。それが今、はっきりした。断定できる理由は複数ある。
一つは、長期未来予知にしてはあまりに生々しいこと。予知夢はあくまで夢であり、脳が作る仮初の映像に過ぎない。今までは俺だけの特殊な例外かと思っていたが、やはり不自然だ。
二つ目は、一幕の終わりが、必ず俺の死ということだ。予知なら、死で終わる必然性はない。
そして最も決定的な理由は、俺の視界の左上の隅にある『鑑定LV1』のテロップだ。あれが予知夢なら、こんなヘンテコテロップがあるはずがない。
つまり、俺のこの現象は予知夢ではなく、全て現実――。
「相良、顔色が悪いが、大丈夫か?」
心配そうにのぞき込む六花を尻目に、自身の顔を右手の掌で覆う。
確かに、六花の言う通り。視界はグラングラン揺れ動き、あり得ないほどの気怠感が襲っている。滝のように噴き出る汗からすると、おそらく、かなりの熱もあることだろう。
「俺、体調が悪いから、保健室にいくよ」
「わ、わかった」
ドモリながらも、大きく頷く六花。
「おう! ユウキュンが、六花ちゃんをナデナデしなかったの、始めて見たよな。これは、かなり重症かも」
寛太のいつになく興奮気味の言葉を契機に、教室内が葦の葉のようにざわめき、好き勝手話し始める。
「つうか、授業中にイチャつくのマジ止めて欲しんだが。毎回、血の涙がでそうだ」
天井を見上げ、スポーツ刈りのマッチョ――松田が袖で熱い涙を拭う。
「激しく同意。だが、六花たんは何も悪くない! 全ては相良が元凶。
天然ロリキャラは人類の至宝――それを相良の奴――ギルティ! ギルティ! マジ、ギルティィィ!!」
蟀谷に青筋を腫らしつつも、机を右拳でバンバン叩く坊主の須藤。
「僕達の六花たんを惑わす悪魔め! 死ねぃ! 死んでしまえ!」
自称ポチャリ系男子――明石が、俺に親の仇でも見るかのような視線をむける。
「えっ! 相良と六花ちゃん、そんな関係なの?」
教室の至る所から上がる男達の憤激の声に、須藤の隣の女子が素っ頓狂な声を上げる。
「見てりゃわかるじゃん。六花ちゃん、先月、相良が風邪で学校休んだとき、元気ないのなんのって……」
いつも、六花の頭を撫でて、殴られているだけなんだが、傍からはそう見えるのか……。
「お、お、お前りゃぁ!!」
怒りからか、それとも羞恥からか耳の付け根まで真っ赤にしながらも、声を張り上げる六花。呂律が回っておらず、動揺しているのが、まるわかりだ。そんな態度が揶揄われる主要因なのを、こいつはわかっているのだろうか。
(今、俺が教室出ると多分収集つかねぇな)
「俺はもういいから早く授業始めろよ」
俺の傍で野良猫のような威嚇の声を上げる六花の頭に掌を置き、数回撫でるとクラスから怒号と歓声があがる。
「~っ!!」
言葉にならない声を上げて俯くと、涙を目尻に溜めて震える六花。
(また、まずったな)
最近、俺は選択を間違ってばかりだ。ここは、いつもなら、六花が俺の後頭部を教科書で叩いて、解決するところのはずだから。
困り果てていると、意外なところから、助け舟が入る。
「先生、私が相良を保健室に連れて行きます。早く授業を再開してください」
生駒詩織が立ち上がり、教室を颯爽と出て行き、出入口付近で立つと、右手の親指の先を廊下に向ける。
とっとと、退出しろというジェスチャーだろう。俺を見る溝鼠を見るような視線から察するに、かなりキレていらっしゃる。
六花を泣かせたことを理由に、クラス全員から理不尽な敵意の籠った視線を向けられている最中だ。俺とてこんな火事場のような場所にいるのは御免被る。だから、これ幸いと逃げるように教室を飛び出した。
授業を中断されたのがよほど腹に据えかねたのか、歩き方もいつものような清廉さはなくなっていた。美しい容姿に似合わず、蟹股気味に俺の前を歩いていく。
「そう、カリカリすんなよ。授業中断したのは悪かったって」
「今回は体調が悪かったんだし、別に怒ってないわ」
(嘘つけよ。いつも以上に怒ってんじゃねぇか)
怒気がたっぷり含まれた声色で言われても説得力など皆無だ。それを指摘するとさらなる反発を招くことは必死。面倒な奴。
「ならいい」
生駒に好かれようが、嫌われようが大して俺には関係ない。特に今の俺にとっては。
「調子、かなり悪いの?」
「あぁ?」
ボソリと呟く生駒に、思わず聞き返してしまっていた。
「だから、体調……」
「まあな」
こいつ、柄にもなく心配してくれているのだろうか。それとも、俺の様子が普段と違いすぎるから疑問に思っただけか。
「そう」
それっきり、生駒は口を開かなかった。
◆
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俺を保健室前まで送り届けると、生駒は教室に戻る。去り際に、感謝の言葉を述べると、奴の険相が若干解けたように見えた。気のせいかもしれず、自信はあまりない。
保健室の扉を開けて中に入ると、消毒液の匂いが嗅覚を刺激する。
「いたのか……」
顔を顰めて、足を組み椅子に座る白衣の女を見下ろす。
セミロングの長さで、茶色に綺麗に染めたサラサラの髪、目鼻立ちがはっきりした西欧人のような顔。女性特有の凹凸のとれた完璧なプロポーションは、やたら肌の露出の大きな赤色の衣服と、見事にマッチしている。
朝霧若菜、朱里の姉であり、俺がトップクラスで苦手な人物だ。
「それはいるわよ。私、保健医だもの」
「ほとんどいねぇだろう」
朝霧家は、平安時代の陰陽道を起源とする伝統ある陰陽術師の系譜。さらに、当主は陰陽術という魔術を扱う魔術師でありながらも超能力研究機関――《アトラス》の重要ポストを歴任。陰陽術の側面から超能力を発展させた家でもあり、日本と米国で依然として凄まじい発言力を有する。
その朝霧家の中でも、この朝霧若菜は天才と称される陰陽術師であり魔術師。この武帝高校校長にして《八戒》の一人、《超人》――碇正成を除けば、この女一人で武帝高校を壊滅できるほどの力を持つ。
この女は治すよりも壊すのを本質とする。なのに、なぜか若菜は保健医などという柄にもない役を演じている。
「それでどうしたの?」
こいつと同室などそれこそ拷問だし、それに、体調は大分ましになった。少なくとも、保健室のべッドで横になるほどではない。
いずれにせよ、若菜の脇で、現状の分析など不可能だ。早急に家に帰る必要がある。
「体調が悪いから、早退したいんだが」
「そこに座って」
俺自身が我が身に起きている不思議現象を理解できないんだ。若菜に調べられるなど普段なら真っ平御免だが、今更断るとかえって不審がられるし、時間が惜しいのも事実だ。
椅子に座ると、両目や、口の中の視診、胸部や腹部の触診、聴診など、珍しく医者らしいことをし始める若菜。
検査が進むにつれ、絶えず浮かべていた薄気味の悪い笑みは鳴りを潜め、恐ろしく厳粛した顔付きになる。終には、顎に細い指をあてると、瞼をきつく閉じてしまう。
「いいわ。もう、帰りなさい。午後の実習の件は私の方から先生達に話しとく」
数分間の瞑想後、真夜子の口から出た言葉は俺の望む答えだった。
正直、すんなり行き過ぎて気味が悪いが、理由を聞いてもはぐらかされるだけし、若菜の考えになど微塵も興味もない。
「サンキュウ」
荷物は教室にあるが、六花を泣かせた手前、今取に行くのは憚られる。
「連休明けに職員室に来なさい」
その言葉を残して、若菜は保健室から速足で退出してしまう。
(ほらな、やっぱり部屋にいねぇだろ)
俺は、そんな元も子もない感想を心の中で述べたのだった。
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