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第17話 再会(1) 長門文人


 長門文人(ながとふみひと)が重い瞼を開けると、すっかりやつれた妻のローザが覗き込んでいる光景が視界一杯に入る。


「ローザ……」

「よかった、本当によかったっ!!」


 ローザは文人(ふみひと)に抱きつくと胸に顔を埋め、泣き出してしまう。

 文人(ふみひと)はまだぼんやりする意識の中、ローザを落ちつけるべくその頭を撫でていた。



 ようやく、意識にかかっていた霧が晴れ、文人(ふみひと)の灰色の脳みそは通常運行を開始する。


(そうだ、私は扇屋小弥太(おおぎやこやた)を尾行したが、見つかって……)


 背中に冷たい風が通り抜けるような感じに思わず身を竦ませる。

 時計を見ると、一一月七日の午後一三時二〇分。丸一日、寝ていたわけか。


「ローザ、ここはどこなんだ?」


文人(ふみひと)がこうして生きている以上、助けられたのは間違いない。だとするとここは――。


「相良悠真さんに提供していただいた住宅です」


 やはりか。あの最後の声、十中八九、相良の仲間だろう。


「フィオーレは無事か?」

「はい。あの子も一緒です」

「そうか……」


 フィオーレも一緒という言葉に、安堵が全身に広がっていくのを自覚する。

 そうだ。なら、あの資料はどうなった?


「あの――私が手に入れた資料はどうなった!? (エックス)には渡せたのか!?」


 相良の参謀を名乗る――(エックス)によれば、あの資料は、今後の相良の命運すらも左右するものだったはず。是非、手に入れねばならないのだ。


「心配いらないよ。あの資料は既に僕の愚息に渡している」

 

 右目に眼帯をした黒髪オールバックの男が、いつの間にか扉に寄りかかり、微笑を浮かべていた。


「あんたは?」

「僕はロキ、相良悠真の部下さ」


 相良の部下……素人の文人(ふみひと)にでさえも、このロキという男がまともじゃない事がわかる。こんな男を彼奴は部下にしているのか。相良悠真、奴は一体何なんだろう? とてもただの学生とは思えない。

 まあ、資料が無事、相良の手に渡ったのならそれでいい。


「そうか。世話になった」


 みっともなく笑う膝に鞭打ち、立ち上がろうとするが、上手くいかず、ローザに支えられる。


「せっかちな子だねぇ、当分、君らはここで生活しなよ」

「し、しかし――」

「フィオーレ君は目下面倒な奴に付け狙われている。君らが人質になって彼女の身を危険に晒すわけにはいかないのさ。悪いけど、彼女の安全が確保されるまで、君らに選択権はないよ」


 ここで意地を張ってフィオーレを危険に晒すなどできようはずもない。


「すまない」

「これは全て我が主の渇望。僕らには、君に礼を言われる筋合いはないさ。何せ、この組織は、主のために存在するわけだからね」

「そうか……」


 何を口にしても、薄っぺらくなってしまう感じがして、それ以上、文人(ふみひと)は口を開くの止めることにした。


「兎も角だ。君の帝都新聞の方には僕の方から手を回しておいた。暫くは、休んでも問題はない。暇つぶしにでも、ここの見学でもしてみなよ」


 右手を挙げてプラプラふると、ロキは登場と同様、まるで最初からいなかったかのように姿を消してしまう。


「ローザ、外に出たい。肩を貸してくれるか?」

「はい。もちろんです。でも、その前に、食事にしましょう。フィオーレも呼んできます」


 

 ローザの手料理は、いつも食べているはずなのに、なぜかとても懐かしい味がした。もしかしたら、今まで文人(ふみひと)は、真の意味でこの数年、料理というものを食べていなかったのかもしれない。これも、ようやく、拳の振り下ろす先を見つけたからか……。


「フィオーレ、学校は?」

「うん。私の安全の見通しが立つまで一時、休講しろって。選手権までに登校できるようになればいいんだけど……」


 それもそうか。賊がまだ野放しならば、次に狙われるのは志摩花梨(しまかりん)ではなく、フィオーレの可能性が高いらしいし、当然の処置かもしれない。

 フィオーレの雄姿を見れないのはやや残念だが、才気溢れるフィオーレのことだ。似たような機会はまたあることだろう。


「今晩、バドラもここに宿泊するらしいわ」


 里香が死んでから、ローザのこんな屈託のない笑顔は初めてかもしれない。ずっと、引き篭もりがちだったしな。


「いけない。もうすぐ待ち合わせの時間。それじゃあ、私、午後の鍛錬にでかけるわ」

「いってらしゃい。気を付けてね。無茶しちゃだめよ」

「は~い」


 ローザの言葉に右手を挙げてフィオーレは一際広い食堂を出ていく。

 ローザの入れてくれた紅茶を飲み、少し話をしてから、ようやく震えが止まった足で外に出た。


「な、何だ、これは?」


文人(ふみひと)の口から、そんな当然の呟きが漏れる。

 当然だ。こんな馬鹿みたいな光景、到底信じられるはずもない。

 ――機械で木材に釘を打つ鉢巻き姿のベンチ。

 ――美しい車両を組み立てている煙草を吹かせた巨大なスパナ。

 ――巨大な柱を組み立てているジャングルジムと滑り台。

 ――金属板を担いで、駆け回るブランコ。

 ――手足の付いた鯉が二本足で、木材を担いでいる。

 ――子供達が、鼠のゴミ箱の背に乗り、遊んでいる。

 このいかれ切った光景に、隣のローザは全く気にも留めていないようだ。それどころか、『御苦労さまです』などと、怪物達と会話すら嗜んでいる。


「あなた、行きましょう」


 ローザに手を引かれて、周囲を見て回る。

 正直、非常識なのは、ここだけでの話ではなかった。寧ろ、まだましな方だったかもしれない。

 建築中の様々な大きさ、形を有する建造物。アスファルト舗装されていれば、駅前と言っても過言でもない風景が一部では広がっていた。


「あの建物、地下五〇〇階あるんですって」

「ご……」


 二の句 がつげず、ただ呆然と、怪物達が金属や木材を建物内に運び込むのを眺めていた。


(これが、人の為しうることなのか?)


 文人(ふみひと)は、もう何度目かになる感想を心の中で反芻していた。

 大学卒業以来、帝都新聞という第一線で、記者の仕事をこなしてきたのだ。この視界一杯広がる有り様が、今の現代の魔術やスキルでは到底、再現不可能なことぐらいわかる。

 断言してもいい。この景色が外部に漏れたときの世界が受ける衝撃はそれこそ、想像を絶するものとなる。ありとあらゆる国家、組織、マスメディアが、この場に殺到し、その奇跡の恩恵に縋ろうとする。



 長門家が与えられた住居に戻り、ローザの入れてくれたお茶を飲みながら、ずっとこの数日、文人(ふみひと)の周囲で起きた出来事について考えていた。


 (わからん。相良悠真、本当に私と同じ人間のなのか?)


 この二年間、文人(ふみひと)が観察していた対象は、もっと等身大の人間の少年だった。少なくとも、こんな、神のごとき奇跡を実現できるような人物ではなかったはずだ。

 ここにあるのは、まさに神話や御伽噺の再現。あの生きる非常識――《八戒(トラセンダー)》であっても成し遂げられるとは思えない。


(いや、人間じゃないなら、何だというんだ?)


 馬鹿馬鹿しいと首を振るが、湧き上がる疑問を払拭できない。

 

 夜も更け、何度目かになる自問に到達したとき、突然、外が騒がしくなる。

 直後、チャイムが鳴り、ベムと名乗る鎧姿のマッチョの青年が文人ふみひと達を呼びにきた。

 相良邸から南に位置するパーティー会場へと案内される。

 そこは、ドーム状の施設で、内部は見たこともない絢爛豪華な装飾が成されていた。床の絨毯、壁になされた彫刻、テーブルに純白のテーブルクロス、グラスに、置かれた酒。一目で、全てが普通じゃないことを直感する。

 パーティーの主役であるバドラ・メストが登場し、彼を肴に宴会が開始された。


 

 宴会後、バドラ・メストは、長門家に宿泊することになる。

 フィオーレが早朝にギルドの幹部会議があるからと就眠し、文人ふみひと、ローザ、バドラ・メストがリビングで、パーティーの残り物のケーキをフォークでつついていた。


「正直言いますと、この度、僕はフィオーレを母国へ連れて帰ろうと考えていたんです」

「でしょうね」


 それはそうだろう。仮にも妹が殺されかけたのだ。当然の選択だ。


「父も、フミヒト殿の言を今まで聞き入れられずすまないと伝えてくれと言っておりました」


 フィオーレが狙われているということに気付いてから、幾度となく、《朱の夜明け》には護衛の派遣を求めていた。

 しかし、《朱の夜明け》も組織だ。確たる証拠がなく実の娘に護衛を付ければ、組織の私物化との長と対立する派閥からの批判があるかもしれない。特にウロボロスとの噂の重要な交渉中の《朱の夜明け》にとっては、今、組織の長のスキャンダルだけは避けたかったのだろう。


「いえ、組織の長の立場なら致し方がないかと」


 それも、フィオーレが生きているから言える言葉だ。文人ふみひとは自身の矮小さは今回のことで心の底から思い知っている。フィオーレが傷つき倒れた後なら、みっともなく罵声の一つも吐いていたかもしれない。


「でも、連れて帰るのは止めます。あのフィオーレの姿を見た後じゃね」


 バドラは遠い目をして、口端を上げる。


「イキイキしてるわよね。まるであの子が生きていたときのように……」


 口にして、里香との幸せの記憶を思い出したのだろう。ローザの声は次第に小さくなり、語尾は消えてしまった。

 そうだ。この二年間、この繰り返しだった。文人(ふみひと)はローザのこの悲痛の表情を見るのが嫌で、卑怯にも憎しみに逃げたんだ。

 

「ローザ、無理をするな。里香の死についての話題を故意に避けたのは間違いだった。結果、お前とフィオーレに大きな傷を残してしまった」

「あなた……」


 涙が滲むローザの肩をそっと抱き寄せる。


「里香は死んだ。その事実を受け入れ、傷つき、一緒に前に進んでいいこう。一歩ずつ、一少しずつ」

「う……ん」


 顎を引き、身体を小刻みに震わせるローザ。


「ごめん、姉さん」

「いえ、いいんです。私達はもう大丈夫です」


 バドラは一瞬、苦悶の表情を浮かべるも、いつもの微笑を浮かべる。


「それにこの事件は、根が深い。例え、祖国へ帰国しようとも、結局、フィオーレは狙われ続ける」

「な、なぜ? この事件、日本での事件じゃないの?」

「ええ、姉さん、機密事項故詳しくは語れませんが、もはや、これはただの殺人事件などではありません。フィオーレは、七体の怪物同士によるデスゲームの供物に捧げられてしまいました。そして、ユウマ殿は、フィオーレを守る騎士(ナイト)


バトラ・メストは、《八戒(トラセンダー)》。いわばこの世の摂理の埒外にいる存在。その彼の『怪物』という言葉は、すこぶる現実味に欠けていた。


「バトラ君、その七体の怪物は君と同等クラスの強さを持つのか?」

「おそらくは。少なくとも、三体は格が違うらしいですね。若輩者の私など一瞬でものを言わぬ屍と化すことでしょう」


 ふざけるなよっ!! そんバケモノにどうやって抗えと!!? バドラの言から察するに、相良は、その三体の内の一体の配下にでもなったのだろう。それでも、相良が、《八戒(トラセンダー)》よりも強いとはとても思えない。《八戒(トラセンダー)》はそれほど、別格なのだ。

 ――この世の理不尽を集めた存在。

 ――超大国とさえまともに戦いが成立し得る存在。

 バドラはその理不尽の具現の一人、それを瞬殺する? そんな奴に狙われれば、こんな場所など蟻でも踏みつぶすかのように壊される。


「それじゃあ――」

「心配いりませんよ。ユウマ殿は、その三体の一角。そして、僕ら《八戒(トラセンダー)》の頂点である序列第一位。彼ならこの絶望的な苦難を打破してくれることでしょう」

「さ、相良が……序列第一位?」


 喉がカラカラに乾いて、上手く言葉を紡げない。


「はい。本日はその就任セレモニーでした」

「バドラ君、相良悠真、奴は一体何者なんだ?」

「僕にもそこが謎なわけなんですよ。でもね、一つだけ確信していることがあります」

「それ……は?」

「彼ならフィオーレを全力で守ってくれることです」


 わかっている。相良はそういう男だ。あれだけ苦しめた文人(ふみひと)の願いを、命を賭して叶えてくれた。

 無論、相良には相良の思惑もあったろう。それでも、奴は文人(ふみひと)のようなちっぽけな憎しみには囚われてはいない。それが、どれほど異常なことなのかは、長年憎悪に身を焦がしてきた文人(ふみひと)だからこそ理解できる。


「私も同意しますよ」

 

 ローザがその文人(ふみひと)の言葉に嬉しそうに微笑んだ。長い間、文人(ふみひと)が憎悪に支配されて一番悲しんでいたのは、ローザだったのかもしれない。


「実のところ、彼になら、フィオーレを任せてもいいと割と本気で考えているんです」

「ユウマさんとフィオーレ? 確かにあの子もそろそろ縁談を考えるべき年齢よね」

 

 身を乗り出すローザ。どうして、こうも女って奴は、この手の話に食いつくんだ? 


「いやしかしだな、フィオーレはまだ学生だぞ?」

「あなた、今時、学生結婚も珍しくはないわ」

「そうかもしれんが、やはり、学生から縁談は早すぎだろう」


 親代行の立場としては、せめて恋愛からにして欲しいものだ。


「古い! あなた、古すぎ!!」


 どうやら、ローザの琴線に火をつけてしまったようだ。これは長くなるなと考える反面、このやり取りが昔の長門家のようで、どこか寂しく、そして嬉しかった。



 大激論が終わりを告げ、バドラが就寝するため、部屋を出る際に、ふと思いついたように、肩越しに振り返る。


「フミヒト殿はこのギルドに加入するのですか?」

「いや、私は――」


 過去に傷つけたことの罪滅ぼしからではない。一人のジャーナリストとして、こんな様々な奇跡を体現する相良悠真の進む先を共に見てみたいという欲求があるのは事実だ。

でも、それは多分許されない。相良の元に参列する資格を文人(ふみひと)は既に失っているから。


「大まかな事情は僕も把握しております。彼は過去の遺恨を理由に、極めて有能な人材を拒絶するような懐の狭い男ではありませんよ」

「それはおそらく、君以上に理解しています」


 そう。これは文人(ふみひと)個人の気持ちの問題なのだ。

 しばし、バドラは、文人(ふみひと)の顔を凝視していたが――。


「そうですか。余計な事を言いました」


 頭を下げて――今度こそ、部屋を出ていった。


「あなた……」

「わかってる。だから何も言わないでくれ」


 ローザはコクンと頷くと文人(ふみひと)の胸に顔を埋めてくる。

 文人(ふみひと)は深く息をはくと、ローザをそっと抱きしめた。


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