第9話 異様なパーティー会場
(――♬)
美夜子は、ひたすら浮かれていた。今も、夢にまでみた悠真君に撫でられた頭の感触を思い出し、頬を緩めている。傍から見たら滅茶苦茶気持ち悪いことだろう。現に、副会長の萌奈香ちゃんから、¨今日の会長に望むのは、休養だけです¨と、会長室を叩き出されてしまった。
午後七時となり、パーティー会場である新塾グランドセンターホテルに到着する。
神楽木家の自家用車の中での初めて見る父の緊張気味の顔に、疑問も覚えたが、悠真君の撫でてくれた頭の感触により、殊更不安は覚えなかった。その浮かれきった気持ちも――。
(何……これ?)
五〇階の会場内の面子を目にして、一気に吹き飛んでしまう。
テレビでしか見たことがない各国の大統領や大臣達、探索者協議会の議員連盟の最高幹部達、世界の各組織の長達、日本の六壬真家を始めとする日本の伝統ある名家。さらには、世界的なスポーツ選手、ハリ〇ッドの有名俳優、日本の歌姫までいた。
しかも、入場する際に、スマホを始めとする映像録画機器の提出と、この会場内で本日目にしたことの一切の他言無用を誓う誓約書を書かされる。
これで、普通のパーティーだと思うようなお気楽な者はそもそも、探索者に向いていない。方向転換すべきだろう。
お父様は、到着次第、呼ばれた他のゲストへの挨拶回りに向かってしまいこのパーティーにつき詳しく尋ねることはできなかった。
「美夜子も来てたの?」
肩越しに振り返ると、艶やかな赤髪ボブカットを掻き上げながら、バラのように真っ赤の煌びやかなパーティードレスに身を包んだ親友――天津祀が佇んでいた。
「祀、貴方も?」
そのいかにも不満気な顔からも、美夜子と同様、強制的にパーティーに駆り出されたのだろう。
「遺憾ながらね」
口をへの字に曲げると、そう吐き捨てる祀。
「祀は、このパーティーについて何か聞かされてる?」
お父様に尋ねるが、¨直にわかる¨の一点張りで、答えてはくれなかったのだ。
「¨お前の目で見て判断しろ¨だってさ」
同じか。祀と美夜子の父は両者とも、探索者協議会の日本支部の幹部でもある。今日のこのパーティーにつき、何かあると考えるのが自然だ。
「貴方のお父様から他に聞いている?」
「いんや、ただ、¨このパーティーに出ろ!¨と言われただけ。まったく、このクソ忙しい時期に!」
確かに、件のシーカーとのお見合いがなければ、今頃、選手権の予選につき、鍛錬に励んでいるところだ。特に、次の予選に全てを賭けている祀にとって、こんなパーティーなど、時間の浪費でしかないだろうし。
「そうね」
「それで、美夜子、相良悠真は次回の大会出場要請を受託したのかい?」
「ええ、一応はね……」
無理を言って受託させたのが正確だけど、優しい悠真君のことだから、結局、引き受けてくれていたと思う。
もっとも、美夜子にとって、悠真君の選手権予選の出場よりも今晩のお見合いの打破の方が遥かに重要な事項なわけだが。
「やあ、君達も来てたんジャン?」
スーツ姿のポニーテールの黒髪の女性が、右手を挙げていた。
「げっ! 円香さんっ!」
頬を引き攣らせ、一歩後退する祀。
――東条円香――警察庁のキャリアであり、所謂、警察官僚だ。スーツ姿からも、警察官としてVIPの警護の指揮でもとっているのだろう。
同じ六壬真家であることもあり、パーティー会場では既に幼い頃からの馴染みとなっていた。
特に祀は、幼い頃から霧生道場での修行を強要されてきたこともあり、円香さんとは、美夜子以上に顔なじみであり、よく道場で修業を付けてもらっていた。そんな事情もあり、祀は円香さんには、滅法、頭が上がらない。というより、苦手にしている。
「祀ちゃん、少し教育が必要なようジャン~?」
円香さんは、祀の肩に手を置くと悪質な笑みを浮かべると――。
「いえいえ、間に合ってますとも」
愛想笑いを浮かべる祀の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ちょ、円香さん! 髪がボサボサになるっ!」
円香さんはにぃと口端を上げる。
「祀も、一丁前に、色気づくようなったジャン。てっきり第二の明美のようになるかと思ってたんだけど」
「あはっ! いやだなぁ、円香さん、流石にそれはないから。うち、明美さんほど、女やめてないよ」
右手をヒラヒラとさせると祀の肩に両腕が回される。
「ほう、あたしがどう女辞めているのか、お姉さんに教えてくれないかなぁ?」
黒いのドレスを着用した褐色の肌の美しい女性が、満面の笑みで佇んでいた。
(この人って、こんなに綺麗だったんだ……)
黒色のドレスは、細くしなやかな身体に殊の外、似合っており、その真っ白な髪飾りと相まって、この上なく美しく目立っていた。
「あれ、明美さん?」
祀は恐る恐る振り返り、滝のような汗を流し始める。
「うん、久しぶり、祀ちゃん」
「はひっ! で、でも、先週、会ったばかりじゃ?」
この悪質以外の何ものでもない笑みを見ても悪態を吐けるだけ、祀は大物なのかもしれない。
「それで? お姉さん、よく聞こえなかったんだ。もう一度言ってもらえるかな?」
「いや~、明美さんは綺麗だなって――」
「ありがとう。お礼に、明日にでも稽古つけてあげるよ」
「え、遠慮して――ぐえっ!」
首をキメられ、泡を吹いて気絶する祀。
どうでもいいが、二人は似た者同士のような気がする。傍から見ていると姉妹みたいだし。
「明美、ほどほどにして置かないと後で、霧生先生にどやされるジャン」
「わ、わかってるって、円香姉……」
一瞬顔を顰めると、明美さんは直ぐに祀を覚醒させると、微笑を浮かべて離れた。
「よう、明美」
「やあ、明美、美夜子ちゃん、祀もここにいたんだね」
白い歯を見せながらも、近づいてくる二人の男性。
「い、樹さん……」
祀がぽっと頬を紅潮させる。
この金髪坊主にピアスをした青年が、東条樹――東条三姉弟の一人であり、祀の憧れの人。
そして、これこそが、祀が、明美さんをライバル視している理由でもある。
「明美、あちらで、少し話そう。この前の件について少し聞きたいんだ」
女性と見間違うような可愛らしい顔をした男性が、爽やかな笑顔を浮かべながらも、そう提案する。
天津哉――祀の実兄であり、女性から不自然なくらい人気がある人物だ。
「わかった」
明美さんは、チラリと横目で円香さんをみるが、直ぐに、笑顔で頷く。
「それじゃあ、私も行くジャン」
円香さんも、右手を上げ、入り口の扉付近へと離れていく。
「うちらも行こう」
祀は、明美さん達の後ろ姿を神妙な顔で見ていたが、直ぐにいつもの彼女に戻り、美夜子の手を引き、窓際まで歩き始める。
同世代の幾人かの男性からは、熱烈な声を掛けられたが、大人達は皆話に夢中で、美夜子達など目に入らないようだ。
会話の内容に耳を澄ませると――。
「――新たな《八戒》候補が、まだ学生というのは真実なのか? にわかには信じ難いのだが……」
「貴方は、あの映像を見てないからそんな台詞が吐けるのよ」
パーティードレス姿の年配の女性が血の気の引いた顔で自身の身体を抱きしめる。
「そうじゃな、あれはまさに常軌を逸しておった。加えて、四界とかいう新興勢力の出現。ここで、協議会が力を失えば、世界は混沌の坩堝と化す。それを見過ごす我らが議長殿ではあるまいよ」
即座に傍の袴姿のご老人が頷く。
「それに、あの少年、噂ではただ強いだけではないらしい」
「ああ、あのオーパーツ生成能力っていう眉唾物の噂ね」
「流石にそれはあり得ないんじゃないのか? もし可能なら、それはもはや人間ではないぞ」
「そもそも、《八戒》を人間扱いするもどうかと思うけど?」
「それにしたってだ。ともあれ、注目が集まるのは当然と言えば当然だろうな」
「それでこの面子ですか……」
金髪の青年が呆れ顔で、グルリと会場を眺めまわす。
「各国、各組織の首脳陣に、我ら協議会の幹部達、世界的なスターまでおるのぉ。しかも、それ到着したようじゃぞ」
扉が開き、四人の男女が入ってきた。
――一人は、白色の服に身を包んだ銀髪を後ろで一本結びにした美しい青年。
――二人目は、ブラウン色の短髪に虎縞の獣の耳を持つ、小麦色の肌を露出させた服を着こなす美女。
――三人目が、青色の肌に三本の角を頭から生やした西洋の鎧の大男。
――四人目は、黒色の上下の衣服に背中から八枚の漆黒の翼を有するこの世のものとは思えぬ美青年。
ドヨメキが会場に巻き起こり、それらが急速に電波していく。
もちろん、四人のうちの三人が、人間とは到底思えぬ容姿をしていることも驚愕に値することだろう。
だが、それ以上に、彼ら四人が醸し出す圧倒的な存在感が、我ら人間とは異なる種族であることを否応でも実感させていた。
彼らが歩く度に、打ち合わせもしていないのに人の道ができる。そして、騒めきは不自然なくらい静まり返っていた。
集中する視線の嵐の中、四界の四人の使者は、協議会の職員らしき人物に案内されて、奥の貴賓席に座る。
会話がぽつりぽつりと現れ、再び、会場は息を吹き返す。
もっとも、会場の話題は、先ほどまでの新たな《八戒》の話題から、四界の話題に一気に変貌していた。
「へ~、あれが例の四界の使者様ってやつか」
「そう……みたいね」
祀のつぶやきに何とか頷いていた。
父の一連の発言に、先ほどの協議会の幹部達の会話。それらの全てがある一つの結論を導き出そうとしていた。
足は勝手に動き、円香さんの前まで行き、頭を深く下げて――。
「このセレモニーの趣旨を教えてください」
美夜子にっとって、その核心となる事実につき尋ねていた。
「ん? もう少しで嫌でもわかるジャン?」
「お願いします」
「そうは言われても、規則だからねぇ」
円香さんは、困ったようにポリポリと頬を掻いていた。
「私には知らなければならないんです」
再度の懇願に、円香さんは、美夜子を凝視していたが。
「……わかったジャン。これは、《八戒》の就任セレモニー」
希望が潰え、底の無い崖から落下したような果ての無い絶望感だけに置換される。
昨晩の序列一位、二位の敗北。そして、新《八戒》の就任。さらに、その新《八戒》が少年であるという事実。
それは、丁度お父様が美夜子との婚姻を図っている人物像とも合致する。
つまり、美夜子のお見合い相手は、シーカーはシーカーでも、《八戒》。
《八戒》は、この世界に数多存在する探索者達の王。流石のお父様も、相手が乗り気でもなければ、そんな大それたことを考えやしないだろう。
「そう……ですか」
どうにか、その言葉を絞り出す。
この婚約は、神楽木家の総意。そして、仮に先方が美夜子との婚姻を望んでいるなら、断れる可能性は皆無に等しい事を意味する。
(どうして私なの? 他にも相応しい人なんて沢山いるのにっ!)
神楽木家は、確かに日本でも有数の血統ではある。
しかし、同クラスの優秀な系譜など世界にはゴロゴロいる。なぜ、美夜子なのだろう? 今の美夜子にとって、神楽木家の繁栄や栄華には大した意義がない。家族が笑って過ごせる程の幸せがあれば十分なのだ。特に、自身の恋を粉々に引き裂いても、遂げるべきものでは断じてない。
「顔真っ青ジャン! 休憩室で休む?」
幽鬼のような生気のない顔をしていたからか、円香さんが心配そうに様子を伺ってきた。
「いえ」
休憩室など行ってみろ。下手をすれば、悠真君との約束が守れなくなる。そうなれば、この婚約を止めるものがいなくなってしまう。もはや、美夜子には、悠真君がお父様を説得してくれることが唯一の希望なのだ。
円香さんにお礼を言って、よろめきながら、会場の外に出て、スタッフから美夜子が預けていたスマホを受け取る。
そろそろ、時間のはず。あとは、ひたすらここで、悠真君の電話を待つだけ。
たった数分がやけに長く感じる。時間が経過し、美夜子のスマホからメロディーが流れる。
跳ね上がる心臓の拍動を無視して、震える手で受信のボタンを押して、スマホを耳に当てると――。
「悠真君!」
全身の力が抜けるような安堵のためか、みっともなく、彼の名を叫んでしまっていた。悠真君ならきっと、袋小路の美夜子のために、駆け付けてくれるから。そう。昔のあの時のように!
しかし、その期待は――。
『すまん。どうしても外せない用ができた。一時間、いや、四五分ほど待ってくれ。必ず行くからさ』
あっけなく、打ち砕かれる。
もうじき、午後八時であり、セレモニーが開始される。一時間近くも経てば、美夜子はその男性に紹介されてしまう可能性が高い。一度、公衆の面前で、婚約につき公表でもされてしまえば、神楽木の威信にかけてもう後戻りはできまい。
これは勝手な美夜子の事情。悠真君は全く悪くない。そもそも、謝る必要などないのだ。
『うん……無理言って御免ね』
沈み気持ちを可能な限り抑えつけて、謝罪の言葉を絞り出す。
『少しは俺を信じろよ! 例え仮初でも俺はお前の恋人なんだろう?』
「う、うん!」
嬉しい。その言葉がどうしょうもなく嬉しい。それは、初恋をしてからずっと見続けてきた夢。弾けて消える一時的な泡のようなものであっても、今の美夜子にとって最大の願望だから。
『俺は必ずお前の元へ行く。だから、待ってろ』
「それって、プロポーズみたいだよ?」
『そうかもな』
わかっている。悠真君は、美夜子が気落ちしているのを察知して、気を遣ってくれているだけだ。きっと、そういう彼だから、美夜子は恋をしたんだ。
『……もし間に合わなかったら?』
口から出たのは、美夜子に残された最後の道だった。
『間に合うから、もしもはない。仮定など無意味だ』
「じゃあ、間に合わなかったら、何でも一つだけ私の願い事、聞いてくれる?」
(こんなの、卑怯だよね……でも――)
――今は勇気が欲しい。
『了解だ。ただし、一つだけだぞ』
「それ……本当?」
『ああ、俺にできることならだけどな』
十分だよ。その言葉だけで、美夜子は勇気をもらえた。これからするのは、美夜子にとって一世一代の大博打。すれば、よくて勘当。最悪、神楽木から絶縁状を突き付けられ、露頭に迷うことになる。
それでも、後悔をするよりはずっとましだから――。
「わかった」
その了解の言葉を告げて、会場へ戻る。




