第15話 想定外の相手 灰狼
《灰狼》は、あの化け物から逃げるべく必死で脚を動かす。
左腕は根元から捻じれ、骨が肉を突き破り、既に感覚などない。左脚もヒビくらい入っているのか、歩く度に激痛が走る。意識が朦朧としているのは、あの馬鹿げた爆発により、全身に受けた火傷のためか。
(くそったれ! 話しが違いすぎる!!)
もう、何度目かになる怨嗟の言葉を吐き出す。
思い返せば、確かに、今回の依頼は不自然だった。
依頼主が不明なのは別にいい。この業界ではよくあることだし、誰の依頼だろうが、《灰狼》には意味がない事項だからだ。何より、仲介屋が持ってきた仕事である以上、信頼性は担保されているはずだった。
今回の依頼につき異常なのは、仕事内容の割にやけに高額な報酬であったことにつきる。
ターゲットは、相良悠真とかいう名の《スキル》と《魔術》が使えない武帝高校の落ちこぼれ。金持ちの子息というわけでもないどこにでもいる餓鬼だ。小雪とかいう弱みもあるらしい。そんな雑魚の暗殺だけで、三千万の報酬が支払われる。まさに破格の依頼。さらに、襲撃の際、少し無茶をしても、依頼主の方で証拠を隠滅するというのだ。確かに、急な依頼ではあったが、受けないという選択肢は《灰狼》にはなかった。
しかし、実際に蓋を開けてみたらどうだ? 数十体もの召喚した《ビックウルフ》は奴を殺すことが叶わない。さらに、奥の手のオストロスも、あの最後の爆発の直後から、コネクトが切断されてしまっている。十中八九、オストロスは屠られた。
オストロスは、《召喚術》――第二階梯《魔将召喚》で召喚した魔獣。戦闘力は他の魔獣とは別格であるし、あの皮膚は一定以下の攻撃を無効化する効果がある。なのに、オルトロスは死んだ。
つまり、最後のあの爆発は、強固なはずのオストロスの皮膚を破壊する程の威力があったということであり、並みの《スキル》、《魔術》であるはずがない。
これだけでも、当初の情報とは乖離しているが、真に奴が恐ろしいのは、その非常識な身体能力でも、爆発系の《魔術》や《スキル》を有することにはない。
(あの表情すらも全てオルトロスを一定位置に誘い込むための演技だったというわけか?)
そうだ。最も警戒すべきはあの出鱈目な戦闘センスにある。
もう《灰狼》には召喚術を使う魔力も体力も残されていないが、この場所が奴の庭である以上、仮に万全の状態で何度繰り返し挑んでも結果は変わるまい。
どの側面から分析しても、奴は《灰狼》より格上だ。少なくとも、先月殺したHランクの《サーチャー》などより、間違いなく強い。
(武帝高校の落ちこぼれ? 三千万円の報酬? ふざけるな! 倍でも割に合わなすぎる!)
再度、悪態をつく《灰狼》の視界は地面に向けて驀進する。次の瞬間、顔は鈍い痛みと共に冷たい地面にあった。
何者かに後ろ髪を掴まれ、羽交い締めにされていると認識し、刺すような顫動が背中を駆け巡る。
「なぜ、俺を狙った?」
声の主など嫌でもわかる。あの化け物だ。
ただの学生にオストロスが殺せるものか。それに此奴の雰囲気からも、間違いなく《灰狼》と同じ穴の狢。人の命に大した重みを置いていまい。仮に、発言を誤れば、《灰狼》は物を言わぬ屍と化す。慎重に言葉を選ばねばならない。
「あんたを殺すよう依頼された」
「いつ、誰に?」
「今日の午後七時、依頼主はわからない」
直後、顔面に衝撃が走る。視界に火花が飛び散り、顔面に激痛が走る。鼻の骨でも折れたのか、血液が口腔内に充満する。
「ほ、ほんどうだ。づうじょう、依頼主の情報は俺達にも秘匿される」
口に溢れる血液を飲み込み、懸命に口を動かす。
「……お前は誰? どこの組織に属している?」
このまま、警察と探索者協議会に突き出され、刑務所にぶち込まれるならどれほど楽だろう。
しかし、こいつはそう甘くはあるまい。下手に偽るか、口を閉ざしても、きっと、拷問で口を割らせられる。抵抗するだけ無駄なのだ。
「私は、《灰狼》、フリーだ。特定の暗殺ギルドには属していない」
「二度と聞かねぇぞ。それ真実か?」
言葉の調子は大して変わりはしないのに、化け物の殺意が溢れ出し、威圧感も、三割増しになる。
「う、嘘じゃない。信じてくれ!!」
悲鳴に等しい懇願の声を喉から絞り出す。
「いいだろう。信じてやるよ。今からお前を警察に突き出す。お前は、俺を襲撃した旨の発言をしろ。仮にお前が余計なことを口走ったら、わかるよな?」
「わ、わかっ――」
《灰狼》が頷こうとするが、視界は黒く塗りつぶされ、意識はぷっつりと失われる。
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