第156話 弁護依頼 八神徳之助
ジェシカ君の胸の中で泣き疲れて眠ってしまったミラノ嬢を、同僚の半蔵さんが彼女の自室まで連れて行った。
ウォルト君の姿も消えていたことからも、彼女の警護の任にでもついたのだろう。律儀な彼らしい。
確かに、《傲慢》とかいう男にとって、ミラノ嬢は用済みの玩具。カリンちゃんやフィオーレちゃん達と同様、いつ何時、狙われる危険性がある。保護の必要性はあったし、真面目な彼なら適任だろう。
あのウォルト君の献身な態度から察するに、彼女は彼にとってよほど大切な存在のようだ。そして、それは相良君や志摩家にとっても同じ。
彼女は、今回の『一三事件』の重要参考人。例え、騙されていたとしても、彼女も事件に関与していた以上、徳之助には、彼女に司法の裁きを受けさせる使命がある。
そして、無関係なものを巻き込んだ以上、相良君はミラノ嬢を決して庇うまい。むしろ、彼の融通の利かない性格からして、下手に揉み消そうとすれば、逆に徳之助達はその信頼を大幅に失う。そんな面倒で損な性質を、彼はしている。
(まっ、やれるだけのことはやってみるけどねぇ)
今回相良君の御蔭で、フィオーレ・メストを見殺しにせずに済んだ。仮にあのまま彼女が死んでいれば、決して癒えぬ傷を長門君と、部下である捜査官達に、負わせる結果となっていた。だから今度は、徳之助が、その受けた恩を返す番だ。勿論、正規の方法によって。それなら、頑固な彼も納得することだろう。
都合の良い事に、アナスタシア王女殿下の進言により、一時混乱した場を収めるため、一時間の休憩が決定される。アナスタシア王女殿下は、この上なく有能だ。この進言の意図は、現在、アシュパルが置かれている事態を明確に把握し、重鎮達の意思統一をすることにあるのだと思われる。
あの公園の画像は、東条官房長の指示で、全世界の各国の諜報機関と探索者協議会の情報局に送られている。
世界最強と謳われた《八戒》の序列一位と二位が、襤褸雑巾のように叩き潰されたのだ。あの画像を目にした誰もが、この日、あの場所で世界の勢力図が大きく塗り替えられたことを肌で感じていることだろう。
この度、世界でも唯一無二の存在であった探索者協議会は、相良悠真という一人の怪物に敗北した。かの組織の不敗神話は既に完全崩壊している。
探索者協議会は、世界の警察であり、各勢力の抑止力立場だった。それが一夜にして崩壊してしまった。待つのは想像絶する混沌だ。
真っ先に動くのはやはり、米国だろう。あの国は、探索者協議会に世界の警察の地位を奪われたことに、根強い反感がある。相良君を自身の陣営に引き入れようとすることは、目に見えている。そしてまた厄介な事に米国にはその主張につき正当性があるのだ。
相良君は、父、相良龍馬と母、相良黒絵の子。そして、相良黒絵は、生粋の米国人。
そもそも、探索者は、活動範囲が世界全体であり、数年、数か月おきに各国を渡り歩くことなど茶飯事。故に、その子を保護する必要性があり、各国の国籍法は、一部修正を受け、その子は両親の二重の国籍を有することが許されるようになっている。
つまり、相良君は、米国の国籍も有するということ。さらに言えば、相良夫妻は、探索者であると同時に、米国の研究員でもあった。法的な関連性でいえば、米国にやや軍配が上がる。
今頃、日本政府には、米国から尋常ではない圧力が来ているのは間違いない。
現代社会は武力だけで決まるのではない。経済で圧倒的優勢を誇り、国連でも断トツの発言力を有する米国の要求を、日本政府としては、容易に突っぱねることはできない。
要するに、米国政府の《トライデント》への介入はほぼ確定とみてよい。
そして、そんな当然のことを日本警察が誇る怪物が予想しないはずもない。
ここからは徳之助の想像だが、我が国を取り巻く状況では、米国の介入は不回避であると判断し、先手を打ったのだと思われる。
確かに、日本政府が先に《トライデント》なる組織を設立した以上、米国と五分の勢力を維持し得る可能性が高い。少なくとも、東条官房長や、四童子幕僚長などの優秀な人材は、幹部として組織の中枢に陣取れる目算が経つ。
この日本政府と米国政府の動きに、便乗し、十中八九、各国政府も動き出す。ここで、判断を誤れば、いかなる強大な大国とて、取り残される危険性すらある。未来の世界の情勢が読めない今、アナスタシア王女殿下の申し出たこの一時間の休憩は、まさに、アシュパルという大国の今後を決定しかねない重要な意義を持つはず。
今頃、胃がキリキリ痛んでいることだろう。若干、彼女に同情しつつも、志摩家の屋敷の外にでる。
木陰にもたれかかり、ポケットからスマホを取り出し、悪友の電話番号を入力する。
『おう。徳か、久しぶり!』
数回のコールで、やけにテンションが高い声がスマホから飛び出してくる。
「久しぶりって、遂先月、飲んだばかりだろう?」
「あははっ! そうだったか?」
電話越しにケラケラと笑う此奴は、十朱朱門。徳之助の帝都大時代の同期であり、探索者にして弁護士。朱門は、人格が大きく捻じれているが、弁護士の腕だけは本物だ。現に、奴の今までの勝率は98.7%。残りの1.3%は奴にもどうしょうもない不測の事態のみ。
「それで? 飲みの誘いなら当分、無理だぞ。遂さっき、大きな依頼が舞い込んだからな」
大きな依頼か。何ともタイミングが悪いが、何としてもこいつにミラノ嬢の弁護を受けさせねばならない。
こいつなら、最良の結果をもたらすことが可能なはずだから。
「仕事の依頼だ。どうしてもお前に受けてもらいたい」
「おい、おい、徳ぅ~、俺が掛け持ちはしない主義なのは、お前も知ってんだろ?」
「ああ、知ってるさ」
「訳ありか?」
「その通りだ」
電話口から暫し、声が途絶えるが――。
「話せ」
単刀直入に、それだけ指示してきた。普段の陽気な声色から一転、厳格で感情を含まない声からも、徳之助の本気を読み取ったのだろう。相変わらず、律儀な奴だ。
「この度捕縛された『一三事件』の容疑者である神姫未来乃の弁護をお前に依頼したい」
「神姫未来乃……」
オウム返しに、神姫未来乃の名を口にする朱門の声には、普段憎たらしいほど冷静な奴らしからぬ僅かな驚きを含有していた。
「朱門?」
「……」
「朱門っ!」
「あ、ああ、悪い、悪い」
突如、リアクションがなくなった悪友の名を叫ぶと、ようやく現実に回帰してくれた。
「それで、僕の依頼は受けてくれるのかい?」
「結論から言えば、お前からの依頼を受けるのは不可能だ」
不可能……ここまで強い言葉使いをするってことは、朱門の個人的なポリシー等の内心的な理由による依頼の拒否ではないってことだろう。
「拒否の理由は? その程度なら、守秘義務には反しないだろう?」
「……まあな」
一瞬、考え込むかのように間を置いたが、直ぐに、徳之助の提案に同意してくれた。
「なぜ、僕の依頼を受けられないんだ?」
「既に徳、お前と同じ依頼を受けているからさ」
「っ!!?」
流石にこの理由だけは想定外だった。当然だ。神姫未来乃が『一三事件』の犯人だと知ってからまだ、時間は大して経過していない。動けるのは限られている。
「それは、日本の警察からの依頼か?」
朱門への依頼はあくまで徳之助個人の依頼として行おうとしたものであり、その事実は朱門に伏せてもらおうと考えていたのだ。仮に、日本警察という組織による依頼だと世間に邪推されれば、余計な疑義が生じるのは目に見えているから。考えられるのは東条官房長くらいだが。朱門は仕事についてはシビアで、用心深い。徳之助の頼みでもない限り、依頼者の名前を伏せておいてくれと頼むような怪しげな依頼など受けはすまい。たとえ、それが事実上の日本警察のトップからの依頼だったとしても。
「いや……というか、警察関係者のお前も知らねぇのかよ」
電話口から聞こえてくる朱門らしからぬ当惑した声。
「誰からの依頼だい? どうせすぐに一般に明らかになるんだ。構わないだろう?」
奴が依頼を受けた時点で、依頼者の名はオープンのはず。直ぐに徳之助の耳にもはいるはず。
「師匠からだよ」
「師匠って、あの《プロフェッサー》かい?」
「そうだ」
《プロフェッサー》――米国を活動領域とする超一流の探索者にして、弁護士。朱門が唯一師と仰ぐ米国が誇るシーカー。
つまり、相良悠真との接触のため、米国が動いたってわけか。
それにしたって、いくら何でも早すぎる。こんなの背景事情につき、そうとう前から調査していなければ不可能だ。
猛烈に、きな臭い匂いがプンプンするが……。
「あの弁護団の面子を見たらわかる。米国は本気だ。徳が心配せんでも、十分、情状酌量を勝ち取れる」
「それを聞いて安心したよ」
今は、マスターたる相良君の心労が一つ減ったことを素直に喜んでおくべきかもしれない。
これで、徳之助も全力で、最後の裏付け調査に励めるわけだし。
朱門に礼を言うと、スマホを切って、三倉の大間へ戻る。




