第148話 弱者の遠吠え
「王の闘争? たかが餓鬼が大層な口を利くじゃない。ねえ、セト」
「……」
悪質な笑みを浮かべるメディアとは対照的に、セトは真冬に冷水を頭から被ったかのように、青白い顔で、大量の汗を流していた。
今回、威圧させる意義など皆無なことから、俺は殺意を抱いていても、殺気として外部に放出していない。さらに、魔力以外、レベル50の身体能力に過ぎないし、その魔力も全力で抑え込んでいる。だから、メディアのような反応を当てにしていたわけだが、このセトとかいう蛆虫は、多少となりとも、危機察知能力があるらしい。辛うじて、勝負にくらいなりえるかもしれない。
「セト?」
「猛烈に嫌な予感がするのである。吾輩ら二人で確実に――」
「冗談でしょ? こんなの妾一人で、十分よ」
「……了解したのである」
セトは、一瞬顔を歪めるが、バックステップし、公園の樹木の中へと姿を消す。
「さて、レベル50の子羊ちゃん。始めましょうかぁ?」
はい、馬鹿確定! 敵に自己の情報を知らせてどうすんだよ。一応、こいつらに鑑定の力があるかを調べるために、身体能力だけ《万物創造》による隠蔽の効果を切っている。
「……」
此奴の言動を見ていればわかる。こいつは、基本ラヴァーズの同類。他者の恐怖と絶望を糧に自身の快楽を満たす変態野郎。存在自体が不快だ。
「な~に、怒ってんの? もしかして、お前、一丁前にあの女に惚れてんの?」
「いんや」
「そりゃあそうか。確かに、男好きしそうな淫乱な身体してるけどぉ~、あんな低脳で、愚かな女なんて、娼婦程度しか需要はないわよねぇ~」
「ミラノが馬鹿ってことには同感だが、お前のようなノミの脳みそしかないアバズレ女にだけは言われたくはないだろうよ」
「口が減らない餓鬼ねぇ。どの道、妾達が動いた以上、あんた達も、あの女も、おしまいよぉ」
「ほー、どうお終いなんだ? 馬鹿な俺に教えてくれないかね?」
お前のクズ加減により、未来を決めてやる。
「男は、キメラの実験、女は汚い男達の性欲処理。何なら、お前は特別に、あの女が犯されるところみせてあげるぅ。もちろん、キメラになってだけどぉ~」
うん? 此奴の心底屑ってる思考回路、つい最近お目にかかったことがあるな。まさかと思うが……。
「お前、悪魔のダースの連中に、何をした?」
メディアは、顔一面に醜悪な笑みを浮かべる。どうやら、当たりか。
「ちょっと、理性の箍を外しただけよぉ~。ホント、面白かったわぁ~、周囲も、自分さえも気付かず、次第に妾色に染め上げられていく操り人形君達。特に最後には狂っちゃったのも数柱いたかしらねぇ~」
――吐き気がする。
「ラヴァーズ、フールもお前が?」
もし、これが俺の想像通りでも、ラヴァーズやフールを殺した事に、罪悪感を覚えるほど今の俺は優しくも純粋でもない。
ただ、俺のこの数日の怒りや憎しみさえも、侮辱した屑に対し、心底不快に感じているだけだ。
「ああっ! あの哀れな悪魔ちゃん達? マジ、傑作だったわよぉ。
ラヴァーズちゃんは、悪魔のくせに、聖女のように潔癖で、清廉だったわねぇ~。
フール君も、種族問わず、子供には決して手を挙げぬ、よくわからない信念の持ち主だったし」
「そのラヴァーズとフールの理性を取り去ったのか?」
「ええ、想像できる?
子供の無邪気な姿を見て心に安らぎを感じていた男が、子供の兄妹の妹をキメラ化し、兄を喰わせることに喜びを感じる。
他者を傷つけることに拒絶反応を覚えていた女がゆっくり、日々、拷問好きなビッチに仕上げられていく」
「……」
――不快すぎる。
「でもねぇ、それだけじぁ、ダメダメ!
最後に理性を戻して自分のやったことを教えてあげるの。そのときの絶望の顔ったら、想像しただけでぇ~、最高なのよぉ~」
恍惚に顔を染めつつも、両腕で身体を抱きしめるメディア。
「でもぉ~、どっちも知らせる前に、死んじゃったんだけどねぇ~」
一転、ケタケタと大口を開けて笑いだす。
「ラヴァーズが特に屑だったのも、お前の仕業か?」
「そう、そうっ! 妾の趣味よぉ~。妾以外、美しく清廉など許せないものぉ~」
「……」
――滅茶苦茶気持ちが悪い。
「もうっ! そんな暗い顔しないっ! 期待してねぇ~、あの女には、真実を知るまでは、一切の危害を加えるなと王から厳命がかかっていたのぉ。その命も、さっき、あの女が、全てを知ったせいで解かれている。もう、晴れて好きなだけ精神支配できるわぁ~」
「……下種め」
俺の呟きを聞こえているのかいないのか、メディアは妄想を垂れ流し始める。
「どうしようかぁ~、うん。そうねぇ、まずぅ~、お前が執心のあの愚かな女を自ら男を貪るような超絶淫乱ビッチに仕上げてあ・げ・る」
「……クソが」
「うーん、キメラの実験に付き合ってもらうご褒美に、一度くらい寝させてあげてもよくってよ」
もう俺が、聞きたいことは一つだけ。
「お前の思考、《傲慢》に洗脳されてるってオチじゃねぇよな?」
「だったら、どうするぅ?」
「別に、どうも」
「あら~、随分と薄情な男ねぇ~。でも安心してぇ~、純全たる妾の意思よぉ。第一、妾は洗脳系の魔術、スキルに絶対耐性をもってるしぃ~」
「……」
悪いな。お前ら。俺、もう限界だわ。誓い、破るぜ。
「怒ったぁ? きゃはっ! 怒ったのねぇ~?」
「もう、口を開くな、雑魚。そう焦らんでも、じっくりたっぷり、俺が考えられる最悪の絶望をくれてやる」
「雑魚ぉ~、この私がぁ?」
笑顔のままで、ピクッと眉を動かすメディア。
どうやら、こいつ、己の力によほど絶大な自信を持っているらしいな。
どれ、鑑定してやろう。
(《万物創造》――鑑定阻止破壊)
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《メディア》
〇説明:ギリシャ神話の女神であり、有数の魔術師。
〇能力変動値:
・筋力:30/100
・耐久力:32/100
・器用:22/100
・俊敏性:21/100
・魔力:88/100
〇Ⅼv:72
〇種族:天族
〇所持スキル:精神支配、魅了、精神支配絶対耐性、崩壊絶対耐性、《状態異常完全無効化》、心臓破り、ステータス鑑定
〇所持魔術:崩壊魔術、闇天魔術
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なんだよ。あれだけ、自己の力に自信があってこの程度ってか? さらに言えば、奴の所持スキルと魔術、あまりに俺との相性が悪すぎる。ほら、俺って状態異常完全無効の特異体質だし。そして、無効化される状態の範囲は限りなく広い。下手をすれば、崩壊魔術とやらも無効化される可能性すらある。
「それ以外に聞こえたか?」
「テメエ、妾を知ってんのか?」
「さあ」
「妾は、《八戒》の序列二位だぞ」
此奴が序列二位――メィデー。確か、《略奪者》とかいう痛い二つ名を付けられてたな。
「馬鹿かお前、たかが人間社会の評価に何の意味がある?」
俺の指摘に、茹蛸のように真っ赤になるメディア。
「レベル50ごときが――」
目を尖らせ、メディアは体を震わせながらも、言葉を絞り出す。
「弱者の遠吠えは、いつ見ても、実に滑稽で醜悪だな……」
俺は、口端を上げつつ、メディアに吐き捨てた。
「雑魚はテメエだろっ!! クソがっ! 生意気なんだよぉっ!!」
メディアの姿がかすむと、右手に握る杖で俺を殴りつけてきていた。
あまりに、単調な攻撃なので、今の俺の身体能力でも防ぎきることくらいは可能だったろう。
だが、これは戦闘ではなく、ただの蹂躙。相手への敬意など一切必要ない。だから、微動だにせず受けきる。
分厚いタイヤに鉄棒を打ち付けたかのような鈍い音と、吹き荒れる衝撃波。無論、【封神絶界】により、衝撃は全て異界に流されており、俺に到達することは叶わない。
断続的に加えられる杖と拳の連撃により、幾つもの衝撃の波が同心円状に吹き抜けていく。
「物理結界かっ!」
舌打ちをしつつも後退するとメディアは、杖の先を俺に向ける。
メディアの周囲に幾つもの魔法陣が浮かび、そこから、黒色の炎を纏った電撃の竜が、鎌首を擡げる。
「【闇炎竜電】っ!!」
黒炎に包まれた雷の竜は夜空を光速で疾駆し、俺の腹部、両肩、両手両足にその鋭い咢を突き刺してくる。
「どうだぁ~、妾の黒炎の電竜の抱擁は? その竜に一度食いつかれれば死ぬまで離れねぇ! お前のレベルに電竜の出力を落としておいた。ジワジワと、自身の四肢が消し炭になる恐怖と痛みを思う存分味わうんだなぁ~」
「この期に及んで、手を抜くか。お前、ほんまもんの間抜けだよ」
「あ?」
目じりを険しく吊り上げるメディアに構わず、俺は両肩に食いつこうとしている竜の頭を鷲掴みにすると、魔力を籠める。
電竜は空気を入れた風船のように急速に膨れ上がり、あっさりパンッと乾いた音を立てて破裂した。
「は?」
「くらだんな」
唖然としている奴を尻目に、いまもガジガジと俺に噛みつこうとしている電竜共に魔力を籠めて破裂させる。
「ば、馬鹿なっ!! 《闇天魔術》は、《伝説系》の《魔術種》。【闇炎竜電】は、その、第七階梯の魔術だぞっ!!」
戦闘中に御叮嚀に魔術のご教授か。間抜け過ぎて、嘲笑すらも起きねぇよ。
それにしても――。
「おいおい、まさか、もう、終わりか?」
いくら何でも、こんなもののはずがないだろう。仮にも地球最強の一角だし。
「だから、よぉ! そういう上から目線が、生意気だって言ってんだっ!!」
メディアは顔を憤怒と恥辱に染めながらも、俺から距離をとると、初めて詠唱を開始した。
詠唱の言葉が進むにつれ、俺の足元に巨大な魔方陣が浮かびあがり、上空に燦然と燃え盛る漆黒の球体が出現する。
闇色の光の球体は黒色の雷を纏い、大気中の魔力を喰らいながらも渦をなしていく。
「旋回する黒き太陽の失落!」
文字通り、小型の黒色の太陽が、俺の頭上から落下してくる。
黒き太陽は地上へ衝突し、光が溢れ出し、それが奔流となって夜空へと竜巻のごとく巻き上がった。超高熱により、足元の大地さえもドロドロの溶岩になって溶解してしまう。
この熱量、おそらく、本来の俺のレベルなら一瞬にして、消し炭になっていることだろう。
俺は無造作に、肥大化する黒き太陽の核に手を伸ばし――。
「【万物創造】――絶対零度――半径五〇メートル」
それは、瞬きをするほどの刹那の間。黒き太陽の核はもちろん、燃え上る大気中の水蒸気も、溶岩も、俺以外の全ての運動が停止する。
公園という小さき世界は一時的に死に絶え、黒き太陽の核は跡形もなく崩壊する。そして、まるで、世界の意思が辻褄を合わせるかのように、息を吹き返していく。
「……」
凍りついた世界の中で、呆けたように、目を見開き俺を眺めるメディアの顔からは、先ほどまで常にあった余裕が消失していた。
ようやく、立場を理解したか。お前よりも、あの《蠍》の方がよほど身の程を知っていたよ。
左手の【ムラマサ】から、《万物創造》により、【天叢雲】を創造する。瞬時に、俺の頭に、【天叢雲】の情報が流れ込んでくる。
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【天叢雲】
■説明:八岐大蛇を退治した際に、大蛇の体内から見つかった深淵級の神刀。
・変幻自在:形態や大きさは一定の限度で、所持者の意思により自在。
・絶断:あらゆるものを切断する。
・切断面調節:切断面の範囲を所持者の意思により調節する。
・距離調節:斬撃の距離を所持者の意思で調節する。
■武具クラス:深淵級
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二メートルにも及ぶ長刀――【天叢雲】の柄を左手で握り、無造作に振り下ろす。
「はっ!?」
寸でのところで、メディアは覚醒し、横っ飛びに身をかわす。【天叢雲】は、ディアナの鼻先をかすめ、その杖を真っ二つにし、大地を大きく切断する。
「くっ!!」
大きく口を開けた大地の惨状を目にし、頬を引き攣らせながらも、俺から全力で遠ざかっていくメディア。
「私は、一時後退し、体勢を整える。私とセトの準備が済むまでその餓鬼の足止めをしろ!!」
準備というくらいだ。セトの当初の提案と関わりでもあるのだろう。
肌に感じる複数の気配は、先ほどの優越、嘲笑、驕りとは打って変わって、驚愕、戸惑いとそして恐怖。
ようやく、前座のお遊びが終わり、まともな闘争が開始されるらしい。
「この俺をここまで怒らせたんだ。お前らの辿り着く先はもはや一つだけ。ならば、せめて最後くらい意地を見せてみろ」
右手にエアのグリップを、左手に【天叢雲】の柄を握り――。
「誇りと命を懸けて、決死の覚悟で挑んでこい」
【天叢雲】を振り下ろした。




