第140話 窮鼠猫をかまない
殴り、HP回復薬で回復次第、殴る。このサイクルをひたすら繰り返す。
俺は、秀忠から渡した資料で、《蠍》の性癖を知っている。
男は身体をバラバラにして殺す。女は四肢を切断してから犯し殺す。
俺が力を得なければ、カリンがそんな最悪な未来をたどっていた可能性もあったのだ。考えるだけで、腸が煮えくり返るような怒りが沸き上がってくる。少なくとも、此奴がそれを望んで行動していた以上、《蠍》を許す気は毛頭なくなっていた。
「もう……勘弁じでぐれ」
亀のように蹲り、許しを請う《蠍》の頭を踏みつけた。鼻が床に激突し、絶叫とともに、グシャと潰れる音が反響する。
「ふざけるな。立て」
俺達を襲わなければ、こんなことには微塵もならなかったさ。あくまで、引き金を引いたのは、お前自身だ。自業自得もいいところだろう。
「ぶひぃっ!!」
折れ曲がった鼻から、大量の血液が漏れ出し、豚のような悲鳴を上げる《蠍》を無造作に蹴り上げる。
《蠍》は、壁に激突し、蜘蛛の巣状のクレーター作る。此奴ほど頑丈なら、多少無茶しても死にやしない。そして、死ななければ、どうとでもなる。
気絶しつつも、ピクピク痙攣している《蠍》に、HP回復薬を浴びせ、回復次第、奴を蹴って、壁に叩きつけると、よろめきながらも起き上がる。
《蠍》は俺の顔を見た途端、悲鳴を上げて、部屋の隅へ一目散で逃げ出し、縮こまり、震えだす。
まだだ。こんなもんじゃ、不十分。この手の奴は徹底的に恐怖を植え付けねば、また時間、場所、人を変えて同様の行為を繰り返す。より直接的で、手っ取り早い方法が俺にはあるが、今回、馬鹿王子を追い込むには此奴の持つ情報が必要だ。だから、ここで、矯正してやる。
奴まで一歩踏み出そうとするが、両手を挙げたイタイ黒服を着たツインテールの女に遮られる。
「何の真似だ?」
前にも同じようなことあったな。前回は、クリス姉、今回は朱里か。どうして、俺の知り合いの女は、こうもお節介なんだ?
「誘拐犯とは言え、もうその者に戦意はない。これ以上は唯のリンチだ」
「戦意? そんなもん、必要ねぇよ」
奴に戦意があろうがなかろうが、知った事ではない。大切なのは、俺には、《蠍》をぶちのめす意思と義務があるということだけだ。
「必要はある! 今、お前がそれ以上やれば、立場上私は、お前も捕縛しなければならなくなる」
捕縛ねぇ。この作戦は、《トライデント》とやらの初任務。『超常現象対策庁』への根回しも既に上層部の間では済んでいるはず。実力的にも、政治的な意味合いでも、朱里に俺を止める事はできない。
「だったら、捕縛してみな」
「いやだ」
「いやだって言われてもな……じゃあ、そこをどけ」
「いやだ」
お前、駄々をこねる小学生かよ……さらにムキになって、両手を広げる朱里に、深いため息を吐く。
そのとき、朱里を飲み込まんと迫る二メートルにも及ぶ炎の塊。朱里を抱き寄せると、右手で炎弾を掴み、握り潰す。
《蠍》の野郎、魔法を撃ってきやがった。最後のすかしっぺって奴か。こんなことなら、尋問はベリトにでも任せるべきだったな。その方がよほど矯正になった。
ともあれ、《蠍》の姿は既になく、建物の外だ。早く追おう。
「ユ、ユウ――」
「いいから、そこにいろ。いいな」
憔悴気味の朱里の頭を撫でると、強い口調で、そう伝えると、俺は《蠍を負うべく、建物の外へ出た。
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建物から出ると、『ゴーストハウス』前は、人盛りができていた。それもそのはず。
白色の帽子をかぶり、同じく真っ白のワンピースを着た長身の美女の首筋に右手に持つナイフを突きつけ、左手の親指を上げている。
「く、くるな!! くれば、これを起爆し、この女を殺すぞ!」
俺を目にし、金切り声で捲し立ててきた。
あーあ、見事に錯乱していらしゃる。
「くっ、人質とは、卑劣なっ!」
俺の言いつけを守らないツインテールの困ったちゃんが、俺の隣で、そんな今更なテンプレ感想を述べて憤っていた。
あれだけ痛めつけたんだ。《蠍》の奴も、俺の本質くらい理解してしかるべきだと思うんだがな。やっぱり、殴り足りなかったか。
「好きにしろよ」
「なっ!? ユウッ!?」
朱里が俺に非難の言葉を浴びせてくる中、俺は指を鳴らしながらも、《蠍》へ近づいていく。
俺は朱里とは違う。正義の味方など、柄じゃない。俺の敵を決する絶対無二の基準は、俺に敵対するか否か。それだけだ。敵となれば誰だろうと、とことんまで潰す。
「離れろぉ!! お、俺は、ゴーストハウス内に起爆装置を設置している。このスイッチを押せば、起爆するぞ! 本気だぞぉ!!」
だろうな。目を見ればそれは、わかる。だが、この距離なら、スイッチを押される前に、腕を切断することすら可能だ。
「だから、押せよ」
「くそぉぉっ!!」
ヤケクソになった《蠍》が親指を握り拳に付着させるが、うんともすんとも言わない。
当然だ。奴の稚拙な爆発物など、とっくの昔に解除済。正確には、アイテムボックスの異空間の中に放り込んでおいただけだが。
「そ、そんな……」
「気が済んだか?」
「この女を殺されたくなければ、俺を見逃せ! もう俺は、金輪際、お前らを襲わない! この女も、俺の身の安全が保障されたら、解放する。もちろん、傷一つつけるつもりはねぇ。だから――」
「くどいな。好きにしろって、言ったろ」
ナイフを突きつけられている白色ワンピースの女の額にピキッと大きな青筋が張る。だから怒るなよ。単なるジョークだろ。
「お、お、お前、まさか……」
驚愕に目を見開く蠍。
「何だ、やっと気づいたのか? じゃあ、おまけだ」
俺が右手を上げると、数十人の周囲の見物客、建物の二階の従業員など、一斉に銃口を蠍に向ける。
「……」
白色ワンピースの女は、遂に呆然自失となった蠍のナイフを握る右手首を掴むと捻じりあげ、あっという間に、制圧してしまう。
「いくらなんでもひどくないか、マスター」
「なんだよ、今更、女扱いして欲しいってか?」
そうは言うものの、まさか、あの狂虎が、服装とメイクで、ここまで化けるとは思ってもいなかったのも事実だ。まさに、絶世の美女。原宿の街道を歩けば、かなりの男が振り返るんじゃいのか。
「んなこと言ってないだろ!」
周囲の見物人達からの生温かな視線に、狂虎は遂に爆発し、蠍に手錠をすると、後ろ襟首を掴み、全身で怒りを表現しつつも、人混みに姿を消してしまう。
そう。この建物周辺の観客、従業員は全て《トライデント》の捜査官。しかも、その陣頭指揮をとっていたのは、レベル36の狂虎。奴等には万が一にも、逃げ場はなかったというわけ。
『相良君、見てたよ。御苦労様。でも、あまり、狂虎を揶揄わないでよ。後で、その矛先が向かうのは僕なんだからさ』
絶妙なタイミングで、頭の中に響く八神の声。
『それで、そっちは?』
そんな八神の切実な願いをいつものようにスルーして、要件を尋ねる。
『全部、恐ろしいくらい順調だよ。
ご存じの通り、アシュパル家の内紛に関しては、先ほど園内にいた《砂蟲》の全員を捕縛。後は、王子だけ』
馬鹿王子の破滅にはそれなりに滑稽で盛大な舞台を用意してある。
『悪魔のダースの方は?』
『最高幹部のヒエロファントとトレンクスはそれぞれウォルト君、八雲君と交戦し、捕縛された。以来、一切の抵抗なく、我々の事情聴取に応じている。
調査本部のスパイは、扇屋小弥太だと判明したよ。捕縛も、ウォルト君がしくれた』
ウォルトの奴。大活躍じゃないか。まさか、調査本部のスパイまで捕えるとはな。もっとも、今の彼奴、基本脳筋だから、特定したのは別だろうけど。
八雲の強さは不明だが、真八の実子だし、バトルジャンキーの匂いがプンプンする奴だ。トレンクスってのは、あのムキムキの金髪野郎だよな。脳筋っぽかったし、いい勝負したんじゃなかろうか。
ともあれ、今回、トップクラスで難解なミッションだ。無事に処理できてよかった。
『さっきの報告では、お前ら三班の都市防衛組も、粗方の敵戦力の捕縛が終わったと聞いたんだが?』
『実のところ、僕らの方はね、ハーミットが戦闘になる直前に、悪魔達を率いて、全面降伏してきたのさ。犯罪者共は、逃亡したものが半数、残りは悪魔のダースを離反し、暴れようとしたところを殲滅、捕縛したんだ』
投降? 二週目と三週目の雰囲気では、ハーミットは、理詰めで慎重にいく秀忠のようなタイプで、間違っても、投降するような奴じゃないような気がしたんだが。
まあいいか。捕縛されているんだ。奴にどんな思惑があろうと、大したことはできまい。
『じゃあ、そろそろってわけか?』
『うん。相良君達は、志摩家へ来てくれってさ』
『了解した。それで、会談に臨むメンバーは?』
『御免、僕ら以外は、聞かされていないんだ。東条官房長から、会談に臨むメンバーを志摩家へ向かわせるとだけ言付かっている』
『ん? 向かわせるってことは、秀忠は来ないのか?』
てっきり、陰謀趣味の奴のことだ。率先して関わろうとしてくると思っていた。
それに、今度の三面会談は、三勢力の事実上のトップ会談。社会的地位のある秀忠がいるかいないかで、俺達にとっては、かなりの影響がある。それは、俺よりも秀忠の方がよく理解しているだろうに。
『東条官房長は、今現在、大切な調べものらしいよ。何を調べているのかは、全くの不明だけどね』
秀忠が秘密主義なのはいつものことだ。
要するに、他者には絶対に任せられず、今すぐ調査する必要があることなのだろう。別にいいさ。いつまでも、秀忠におんぶ抱っこでは締まらない。俺達だけで、何とかして見せる。
『わかった。今からカリン達を連れて志摩家に向かう』
『OK。僕らはそろそろ到着する。志摩家で待ってるよ』
念話を切ると、朱里が、傍までくると俺を覗き込んできた。
「ユウ……あの――」
「朱里、聞くなよ。お前もプロなら、互いに話せない事があることを察しな」
悔しそうに朱里は下唇を噛みしめ、ジャケットの袖を握り占めるが、コクンと小さく頷く。
そして――。
「ユウ」
「ん?」
「さっき、助けてくれて、ありがと。嬉しかった」
僅かに頬を染めながら、それだけ呟くと、パタパタと銀二のいる『ゴーストハウス』まで駆けていく。
朱里が、建物内に入っていく姿を俺は、ぼんやりと眺めていた。
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