第139話 悪魔追跡 蠍
面倒な事になった。まさか、この国の『超常現象対策庁』に目を付けられているとは、想像もつかなかった。『超常現象対策庁』は、アシュパル家のお家騒動には不介入ではなかったのか?
(結界は張ってあるな?)
(はい。もちろんです。数人がかりのかなりの強度を有する結界ですし、ここでの情報は外部には漏れておりません)
ならば、この黒服二人をここで、口封じするしかない。
世界でも悪名高き『超常現象対策庁』には、可能な限り関わりたくはなかった。特に、『超常現象対策庁』の二人のシーカーはヤバイ。序列もそうだが、奴等は生粋のバトルジャンキーで、かつ、クレイジーだ。
兎も角、餓鬼共と『超常現象対策庁』のエージェントは、ここで確実に殺しておく。遺憾だが、志摩花梨のお楽しみはなし。今は、口封じの方が遥かに重要だから。
ここの『ゴーストハウス』には、《蠍》の能力により作り出した起爆の効果を有するステッカーが至ところに張られており、《蠍》の意思により、大爆発を引き起こす。殺した死体も、全て証拠隠滅できる。
(まずは、『超常現象対策庁』の二人を殺せ!)
無線で、副隊長に『超常現象対策庁』のエージェント二人を殺すよう命じる。副隊長のレベルは10。《蠍》を除けば、超人に等しい。『超常現象対策庁』の二人のエージェントからは大した魔力圧も感じない。副隊長ならば、十二分に殺せることだろう。
案の定、『超常現象対策庁』のエージェントの女は、副隊長の動きに反応しきれず、その頸動脈は切断される――はずだった。
「は?」
副隊長が素っ頓狂の声を上げる。それもそのはず、何の魔力も感じない黒髪の餓鬼により副隊長のナイフはすんでのところで、止められ、握り潰されてしまっていたのだから。
副隊長のナイフは、《迷宮》から出土されたオーパーツ。それを素手で握り潰す? 何の冗談だ?
そもそも、あの黒髪の餓鬼からは、『超常現象対策庁』のエージェントの二人以上に僅かな魔力も感じない。副隊長の動きに、即応しきれるはずがない。
そんな《蠍》の常識を嘲笑うかのように、副隊長は、黒髪の男の一蹴りで意識を刈り取られてしまう。
混乱の極致にある状況は、次の黒髪の男の言葉により、加速度的に進行する。
「ベリト。来な」
黒髪の餓鬼の静かな宣言の刹那、真っ赤な燕尾服を着た形の良い髭を生やした男が跪いていた。
(な、何だ、あれは?)
別に男と目が合ったわけではない。ただ、その視界に入れただけで、全身の血液が逆流するかのごとき戦慄が走る。
これは本能だ。自身よりも遥かに強い絶対的強者に襲われたとき、生物は、その逃れられぬ運命を理解する。ただ一つ確実な事は、あの赤髪の男が、いざ本気になれば、瞬時に、《蠍》など、物言わぬ屍と化す。
全く馬鹿げている。《蠍》は、序列七八位のシーカー。レベルは32。小国の軍隊なら正面衝突も可能な力を有する。なのに、あの赤髪の男から、逃げる方法を必死で模索している自分がいる。おそらく、あの赤髪の男は、最低でも序列二〇番内――。
「我が偉大なる主よ。御呼びに預かり、このベリト、至高の喜びにございまする」
主? 先ほどの奇跡は、魔法陣が出現したことからも、召喚術の一種なのだろう。だとすれば、あのクラスのバケモンを召喚・使役すためには、莫大な魔力が必要とされるはず。
そして、それは、あの黒髪の餓鬼から、一切魔力を感知できない事と矛盾する。
確かに、魔力が僅かしかない人間は、少数ではあるが存在する。だから、魔力が存在しないのも、突然変異の一種かと思っていたのだ。
しかし、全く魔力がない人間など果たして存在するのか? そして、先ほどの副隊長を一撃で沈めた身体能力。もし、《蠍》のこの仮説が正しければ――。
最悪の結論に到達し、身体中の体液が残らず汗として、流れ落ちていくような感覚に囚われる。
黒髪の餓鬼は赤髪の男ベリトに《砂蟲》の処理を頼むと、初めて、《蠍》に視線を向け、右拳を握る。
その吸い込まれそうな闇色の瞳を視界に入れただけで、ストンとすんなり、理解してしまった。あれは、ベリトとかいう存在以上のバケモノであり、どうあがいても勝てないと。
部下達に応戦するよう命じると、全力で、外への道をひた走る。外に出れば、《起爆シール》のスキルにより、爆破することができる。このスキルで倒せるとは微塵も思えないが、足止めくらいにはなるはずだ。
外はその右への道を曲がった先。闇夜にともし火を得た思いからか、走る速度は、自然と早くなる。
「よう。どこまで、逃げるつもりだ?」
かんしゃく玉を口の中で破裂させたかのような衝撃が走り、急ブレーキを賭ける。当然だ。目の前には、あの黒髪のバケモノが佇んでいたのだから。
「き、貴様、どうやってっ!?」
「うるせぇ、聞こえてるから、大声出すなよ」
さも不快そうに、顔を顰めつつも、右手に持つ真っ赤な物体を放り投げてきた。
手に取り、掴むと、それは『耳』だった。
「うおっ!!」
悲鳴を必死で喉の奥に飲み込み、呼吸を整える。ここで冷静さを欠けば、奴の思う壺だ。
「そこ、見てみな」
黒髪の男は満面の笑みで、左耳に指を刺す。
(左耳? ま、まさか……)
恐る恐る左耳に触れると、のっぺりとした生温かな感触、同時に地が避けて熱い溶岩が流れ出したような激痛が駆け巡る。
「ぐぎゃあぁぁっ!!」
耳を切り取られた。でも、いつの間に? 挙動すら微塵も視認し得なかった。
「お前、人体を切り刻むのが好きなんだってな? 俺が手伝ってやるよ」
悪魔の囁きに、頭が恐怖の感情一色で占有され、ただ我武者羅に床を疾走し、黒髪の男の傍を通りすぎる。
黒髪の男は微動だにせず、通りすぎることができた。
丁度、突き当りを右に曲がり、階段の上に、外への光が見えたとき、突如、背後から肩を掴まれる。
「これ、落とし物だぜ」
足の裏に超強力な接着剤でもつけられたかのように、ピクリと動かなくなる。ガチガチと忙しなく自身の歯が打ち鳴らされる音が聞こえてきた。
右手の掌の上に置かれたのは、《蠍》の左手首だった。
「うおあああああぁぁぁぁっ!!!」
再度遅れてやってくる気が狂わんばかりの激痛。ふざけている。こんな理不尽で恐ろしい事、現実にあってたまるものか!
恥も外聞などかなぐり捨てて、獣のような絶叫を上げながら、外への階段を昇る。
もう沢山だ。あんな馬鹿王子に、尽くす義理はない。直ちにこの国を脱出し、身を隠してやる。
あと一歩踏み出せば外に出られるのに、そのはずなのに、《蠍》の右脚は空を切る。
「いひぃっー!!?」
背後から後ろ襟首を捕まれ持ち上げられていた。
「残念、鬼ごっこは俺の勝ちだ」
壁に叩きつかれ、俯せの状態で、背中を踏みつけられる。狂ったように手足を動かし逃れようとするも、叶わない。
「ゆるじて……」
「ああ!?」
初めて黒髪の怪物から薄気味の悪い笑み消え、代わりに額に太い青筋が立つ。
「もう二度と……志摩花梨には……関わらない。ビルフェズ王子について……何でも話す。
だから――」
必死だった。ここで、選択を誤れば、《蠍》に待つのは死よりもつらい、地獄だけ。それを本能で感じ取っていたのかもしれない。
「助けろってか? それは流石に、都合よすぎじゃね?」
「あんたの……部下になる……気に入らないやつは殺して――」
「もういい。話すな」
黒髪の男はポケットから、小瓶を取り出し、コルク製の蓋を開けると、赤色の液体を《蠍》の全身にふりかけてくる。
途端、さっきまで気を失いかねないほど自己主張していた左耳と左手の痛みが嘘のように消失する。
「て、手頸が……治ってる?」
「俺が治した」
「ゆ、許してくれるのか!?」
「バーカ、んなわけねぇだろ。今からお前をしこたま殴る。手首切断したままなら、お前死んじまうからな」
ニィと口端を上げ、悪鬼のごとき表情を形作る黒髪の男。
その男の顔が止めだった。絶望という名の魔物が、足許に底知れぬ大きな口を開け、《蠍》を飲み込み、咀嚼していく。《蠍》の抵抗の気力は、ここで確定的に失われる。
「お、お前は……悪魔だ」
「よく言われるよ」
黒髪の男は、《蠍》の胸倉を左腕で掴むと、天へと放り投げる。そして、重心を低くすると、右肘を引き、両拳を固く握る。
重力に従い、地面へと落下する中、男の拳の弾幕が《蠍》を粉々に貫いた。
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