第137話 超獣招来(2) ヒエロファント
大型ミサイルが着弾したかのような轟音と地鳴りが、断続的に、この地下工房を揺れ動かす。
この非常識な魔力、間違いなくボスクラス。下手をすればそれ以上かもしれない。《八戒》の碇翁でも攻めて来たか?
いや、奴は今回の計画の唯一人のイレギュラー。奴の動向は逐一把握済み。少なくとも、明日にならねば、帰国はしないはず。
今もヒエロファントでさえも、気を抜けば膝を付きそうな極悪な魔力の塊が、この中央室へと向かってくる。
(無理だな……)
伊達に組織の舵取りをしてきてはいない。あれに勝てないくらいの判別はつく。本来は逃げの一択なんだろうが、ヒエロファントは、この場を守護しなければならない理由がある。ここには、ボスの宝物庫があるのだ。あの中には、ボスにとって命以上のものが納められている。ここで、逃げ出せば、ボスに合わせる顔がない。あの資料を回収し、早急にこの場を離脱する。それしかあるまい。
もっとも、この工房には今、ヒエロファントしかいない。ヒエロファントの気配察知能力なら、人間風情が一歩でもこの工房に踏み込もうものなら、認識可能なはずであり、見張りなどそもそも必要ない。
加えて、いわばボスを除けば、ヒエロファントは悪魔のダース最強。通常、防衛などヒエロファント一人で十分。
この普段なら手堅い判断も、イレギュラーの存在により、あっさりひっくり返されてしまった。
しかし、それも今だから言える言葉だ。大して戦略的意義に乏しいこの場所に、《八戒》クラスが攻め込んでくるなど、誰が予想できる?
単なる魔力の放出なのに、建物がギシギシと悲鳴を上げている。魔力の主はもう目と鼻の先。発汗器官が壊れたと錯覚するほどの大量の汗が全身から溢れ出る。
そして、扉は開かれ、一匹の怪物が姿を見せる。
赤色の肌に、長い犬歯、二本の角。奴は、人間なんぞでは断じてあるまい。この感覚は、寧ろ――。
「貴様、悪魔族か?」
「さあな……」
怪物は、不快そうに顔を歪めると、右手に握る物体を床に放り投げた。
放り投げられた物体は、宙を数回舞うと、床に叩きつけられる。それは、判別できないほど顔がパンパンに腫れあがったハングドマンだった。
本能が全力で、逃げろと警鐘を流し始める。
「お前が悪魔族なら話がある」
この怪物が同族なら、まだ、やりようはある。同族なら、ボスのことを聞けば、我ら側につくはずだから。
「俺には、話す事なんぞねぇ」
右拳を握り、構えをとる赤膚の怪物。たったそれだけで、奴の周囲の赤色の凝縮された魔力により、大気がパチパチと破裂音を上げ始める。
ヒエロファントが滅びるのはいい。そんなことは、些細な事だから。だが、同胞の手でボスが倒される。それだけは阻止しなければならない。奴に最低でもこの度の戦争につき、不干渉を約束させねばならないのだ。
「我らがボスは、あの大帝陛下のお子だ」
怪物の眉がピクリッと動く。よし、狙いは上々だ。
「『大帝陛下』って、一〇〇万年前にいたあの『大帝』のことか?」
「そうだ!」
これほどの力を有する大悪魔なら、大帝陛下を知っていてもおかしくはないはず。いや、むしろ知らない方が、よほど違和感がある。
「お前らのボス、まさか『リルム』って名じゃねぇだろうな?」
「な、何故、その名を知っている!?」
『リルム』様の名は、ヒエロファントの一族の最重要秘匿事項だった。その名は、冥界の最深層でも、ごく限られた一部の者しかしらされていないと聞いている。とすれば、この男。
「最悪だ。あのガキンチョが、まさかあんな……」
赤膚の男は、苦渋に顔を染めながら、そうボソリと呟いた。
「リルム様を知るのだ。名の知れた大悪魔だとお見受けする。
この通りだ。リルム様に力を貸して欲しい。あの御方の悲願を――」
「少し、黙れ」
赤膚の男から、未だかつてないほどの殺意が魔力と混じり合い放出される。
「くっ!?」
背筋に冷たいものが走り、背後にバックステップしようとうするも、身体は宙に浮いていた。それもそうだろう。赤膚の男の左手により、胸倉を掴まれていたのだから。
「純粋なリルムに、悪辣な教育をしたお前らの犯した罪は限りなく重い。このぐらいじゃ、到底許されはしない。
だが、それも兄者の死後、俺が中途半端に人間種への憎悪を扇動したことが原因だ。お前らに全罪を押し付けるつもりもない」
「っ!!?」
その野獣のような悪鬼のごとき表情を視界に入れ、全身に虫が這いまわるがごとき悪寒が生じる。
「だから――これで、終わりにしてやる。歯を食いしばれ!」
赤膚の男は、右肘を引き絞る。
次の瞬間、ヒエロファントの全身が陥没し、骨は拉げ、血肉がばら部屋中に、ばら撒かれる。
真っ赤に染まった視界の中で、ヒエロファントは、赤膚の男が、泣いているのを見たような気がした。
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