第131話 ケジメ 長門
――長門文人――
喫茶店の窓から、外を眺めながら、長門文人は、もう僅かになった珈琲を飲み干した。
この喫茶店、警視庁の正面玄関が見渡せる立ち位置となっており、記者の間では、隠れた名所となっていた。
長門が今ここにいる目的は、警察関係者の取材でもなどではなく、姪のフィオーレ・メストを狙う『一三事件』の容疑者共に、決定的な打撃を与えるため。
八神管理官から、渡された資料を読み、長門は己の推測が最悪の形で的中していたことを知る。
二年前の長門夫婦を絶望どん底に落とした事件――『上乃駅前事件』と『一三事件』が密接に繋がっているという理由。
即ち、『一三事件』の被害者全てが、『上乃駅前事件』が起きる三六時間以内に、上乃駅前を訪れていたという事実。
それは、昨晩、フィオーレが襲われたことにより、実証されたといってよい。
『一三事件』の容疑者は、おそらく、あの上乃駅前事件の全貌を知っている可能性が極めて高い。
「相良悠真か……」
二つの事件を結びつけたのは、またしても、長門が憎み、散々傷つけてしまった少年だった。
『一三事件』の三六時間の秘密が明らかになるまでは、長門は『禁術起爆説』を信じていた。否、必死で信じようとした。あれがただの自然現象など到底認められるはずはなかったからだ。
そんな卑怯で、愚劣な長門の行為に罰でもあたったのかもしれない。偶然にも、長門は『一三事件』の次の狙いが姪のフィオーレ・メストにあると気付いてしまう。
それから、長門は必死だった。フィオーレは、愛娘――里香を失った長門夫婦にとって、実娘同然。彼女まで失えば、多分、長門は壊れてしまう。そう明確に予想できたから。
だから、寝る間も惜しんで、証拠資料を集め、『一三事件』の捜査本部に届けるも、一笑されるだけで、読んでも貰えなかった。
そんなときだ。相良悠真から連絡がきたのは。
メールには、『一三事件』のことで、長門が今まで知りたかった事のほとんどが記載されていた。
理由は不明だが、『一三事件』のカルト共は、『上乃駅前事件』が起きる三六時間以内に、上乃駅前を訪れていた特定の条件を満たす女性の心臓を狙っているようだ。
その条件に当てはまるのは、フィオーレであり、志摩花梨。
相良悠真については、死ぬほど調査した。志摩花梨は相良悠真の幼馴染。幼馴染を助けるために、相良が長門に助力を求めて来たのは明らかだった。
もし、相良が『一三事件』側なら、長門等の何の力のない小物に声をかける意義に欠ける。
つまり、相良はあの『一三事件』では長門と同じ被害者側。そして、『上乃駅前事件』が、『一三事件』のカルト集団に起こされたのだとすれば、長門は今の今まで決定的な過ちを犯してきたことになる。
「必ずこのツケは払うさ」
そう呟いたとき、網膜が警視庁の正面玄関に一人の男の姿を映し出す。
ぼさぼさの髪に、眠そうな目、扇屋小弥太、奴だ。
八神管理官達、警察関係者は、表立っては動けない。だから、長門は、表と裏、あらゆる情報網を駆使して、捜査本部を洗い出した。
ほぼ二日寝ずに全捜査員の情報を調べた結果、ある事実が判明する。
扇屋小弥太――この捜査官だけ、やけに過去が整い過ぎていた。
一八歳のときに両親が他界し、現在一人暮らし。一八歳までは、イギリスに留学していたこともあり、そう簡単に、過去の交友関係についても調べることができない。まさに、調べて欲しくないと言っているような経歴であり、無論、長門は真っ先に調査した。
結果、扇屋小弥太の経歴は、データ上だけものであり、真っ赤な偽物であると判明したのだ。
会計を済ませて、店を出た。尾行は散々してきたから慣れてはいるが、基本四、五人単位で行うのがセオリーであり、気付かれる危険性は半々といったところだろう。
扇屋は、電車に乗り込み、太田区の緑が丘駅で下車。
その後、駅からタクシーで、約三〇分揺られると、住宅街へと風景は変遷する。そして、どこにでもありそうな普通の一軒家前で降りると中に入っていく。
位置と場所を、八神管理官に伝える。長門がこの調査をすることにつき、八神管理官は、ある条件を出した。それは、仮にアジトを発見しても、決して侵入しようとはしないこと。
捜査権限もない長門が、他人の自宅に入れば、住居侵入になるし、何よりこの中には、サーチャーさえも超えるバケモノ共がいる。警察として実に当然のことだ。
しかし、長門には、その条件を破ってもこの建物に入らなければならない目的があった。それは、長門にとって、命を懸けるに値する事。
「まったく、あんな餓鬼のために、こんな危険で、何の得にもならん行為をすることになろうとは……私もやきがまわったものだ」
そう独りごちるも、意外にも全く否定的な感情は湧いてこなかった。
周囲に人がいないことを確認し、電柱の陰で、依頼人から受け取った指輪を摩る。この指輪には、姿と気配を消失させる効果がある。さらに、一定以上の容積の物体を収納することも可能らしい。
これで、長門の姿を知覚することは不可能なはず。
家の扉の前に行く。
扉には、数字式の電子パネルが設置されてあった。そのパネルの脇には、円状の薄型の電子機器が設置されている。
先ほど、扇屋は、パネルに数字を打ち込み、右手を円状の電子機器に当てることにより、扉を開いていた。日常生活にこれほど厳重なセキュルティーなど必要あるまい。どうやら、ここが奴等のアジトであることは確定的のようだ。
手袋をした右手の人差し指で、電子パネルを適当に押し、電子機械に掌を当てる。
ピーとの機械音。ガチャリと錠が開く音がする。実際に使うまで、半信半疑だったが、この右手袋には、いかなる鍵も開錠する効果があるそうだ。使用方法は、触れるだけ。何とも非常識な機能だが、姿と気配を消す指輪があるのだ。鍵を開ける手袋もあってもおかしくはないかもしれない。
僅かに扉を開けて、中に入る。
中は何の変哲もないただの一軒家。
暫く、探索してみたが、人っ子一人いない。
(マズいな……)
相良悠真の参謀を名乗る――Ⅹの予測によれば、あの扇屋は、純粋な『一三事件』のメンバーではない。所謂、二重スパイであり、ここを訪れたのも、この部屋に残された資料を回収しようとするため。それを奴より先に奪取しなければ――。
いや、今は焦るべきではない。奴もいきなり倉庫に直行するような真似はしないだろう。仮に、それをすれば、『一三事件』の容疑者共に不審がられ、下手をすれば、戦闘になる危険性がある。それに、この家に扇屋が入った以上、必ず、隠し部屋らしき場所が存在する。
アジトというくらいだから、かなりの面積のはず。なら、十中八九、地下だろう。
一階を隈なく探索すると、書庫の本棚がスライドすることに気付く。スライドした下には、下への階段があった。
(ここか……)
薄暗い階段を壁伝いに、降りていく。
(どれほどの深さなんだ?)
一〇分は下っている。それでも、まだ一向に到着する気配がない。どこか、巨大な生き物の腹の中を進んでいるようで、不気味な不安に隙間なく取り囲まれるような感覚に襲われる。
(あれか?)
ようやく下方に明かりが見える。ようやく到着か。
そこには、石造りの薄暗い地下室が広がっていた。中世の映画にでてくる牢獄。それが、この場所の表現に最もしっくりくるかもしれない。
薄気味の悪い場所を恐る恐る進むと、三方向へ通路が分かれていた。
このうちの一つが正解なのだろう。
(里香! 私に力を貸してくれ!)
左の通路を選択し、進み続けると、幾つもの檻が、立ち並ぶ場所へと到着する。
檻の奥は真っ暗であったので、目を細めて、観察を開始するが――。
(~~っ!!?)
喉の奥からせり上がってくる悲鳴をどうにか飲み込む。そこには、考えられる限りの悪意があった。
――人の頭部を持つ二メートルを超える大虎。
――腕と足が幾つもある蛸のような人間。
――全身に人の顔が浮き出た熊のような生物。
狂っている! これは、人が触れていい領域ではない。断言してもいい。『一三事件』を起こした容疑者共は、全て人間の心がない化け物だ。このまま、進み捕縛されれば、長門も……。
(くくっ……あれほどのことをしておいて、怖気づいているのか?)
滑稽だ。実に滑稽だ。愛娘が死亡しただけで、長門があれほど絶望を味わったのだ。あの上乃駅前事件にいた相良の味わった恐怖や絶望は、想像を絶する。その相良に、長門は何をした?
――公衆の面前で、¨お前が皆を殺したんだ¨と口汚く罵った。
――お前は疫病神だとも言い放った。
相良が志摩花梨を、姪のフィオーレを必死で助けようとしていることを知り、ようやく長門は悪い夢から覚めた。そして、長門がしでかした罪について認識した。
もう、長門が許されることはない。この罪を一生背負って生きていかなければならない。こんなところで、子兎のように怯えている場合ではないのだ。
口の中に溢れる酸っぱい物を無理やり胃の中に戻し、長門は探索を開始する。
ここは、生物の実験場の様であり、倉庫のようなものは見当たらなかった。
(この時間がないときに!)
悪態をつきながらも、元来た道を駆けて戻り、今度は三本道の右への通路を直進する。
一本道をひたすら進むと、石造りの通路を抜け、一際広い空間に出た。
そこは、天井から吊るされたシャンデリアが、赤色の絨毯や、その部屋の中心にある豪華な装飾のなされた机と椅子を煌々と照らしている。
テーブルの上には、幾つかの資料がばら撒かれていた。
直ぐに近づき、それらを手に取り、確認する。
ミミズがのたくったような象形文字がその紙には描かれていた。似たような紙が、三枚だけ。Ⅹに指示された紙は、全部で最低でも一〇枚以上はあるはず。
とすれば――。
(あそこの中か)
指輪に紙を収納しつつも、部屋の奥に視線をむけると、木造の扉がある。
扉にはやはり、電子パネルと、脇に円状の電子機器。さらにご丁寧に、鍵まであった。
右手で、電子パネル、電子機器、鍵穴に触れると、ギィと扉がゆっくりと開いていく。
中に入ると、三〇畳ほどもある部屋の中に、規則正しく配置された棚に、よくわからないものが整然と並べられている。
ここから目的のものを探すのは酷だ。当たりを付けるしかあるまい。
Ⅹから指示された資料が、あれほど無造作に置いてあったところから察するに、あの部屋の持ち主は、資料を宝物のような大切に保管すべきものというより、研究資料としてみている。とすれば、頻繁に取り出せる場所に置かれているはず。
ここの部屋で最も容易に外に運びだせる場所は、入り口付近の部屋の隅に設置されたあの机の上か。
案の定、机の上には、小型の金庫のような黒色の四面体の物体が置かれていた。
長門が右手の手袋で振れると、カチリと開く。中から、やはり、象形文字がびっしり描かれた十数枚の紙が出て来た。即座に指輪の倉庫の機能を用いて収納し、倉庫を出ようとすると、扉の外で、暗証番号の入力の音がする。
あの異形の檻を見れば、奴らがカルト的なヤバイ連中なのは明らかだ。捕まれば、確実に碌な事にはならない。よくて即殺、最悪、あの異形の怪物の二の舞になる。
それだけは――この資料を届けるまでは絶対に許容できない。
倉庫の部屋の角の奥には、巨大な冷蔵庫のような装置がある。あの装置の裏なら隠れられそうだ。案の定、装置と壁の間には、三〇センチほどの隙間があり、身体を滑り込ませる。
一呼吸遅れて、部屋の鍵がカチリと外れる音が聞こえる。
「あー、やっぱりいるようねぇ。鼠ちゃん、出て来なよ。隠れても時間の無駄さ」
この声、扇屋小弥太だ。端から気付かれていた? いや、それなら、とっくの昔に捕縛されているはずだ。少なくとも気付いたのは、ごく最近のはず。
ハッタリかもしれないし、ノコノコ出ていくなど馬鹿のすることだ。今はここで待機するのが吉か。
「そこかな?」
「っ!!?」
灼熱の炎の柱が長門の隠れている冷蔵庫のすぐ脇を通り抜けていく。
石壁がドロドロに溶けて溶解してしまっている。口を押えて悲鳴を飲み込み、息を殺す。
石壁を溶かすほどの高熱だ。真面にもらえば、長門など一瞬で骨も残さずこの世から焼却してしまう。
「じゃ、ここ?」
次は正反対の棚が、瞬時に焼失される。
「それはねぇ、君らのようなちんけな鼠が持ってていいもんじゃないんだ。
あと、一〇秒数えても出てこないなら、この部屋全てを燃やし尽くすよ」
この弾んだような声色。奴は遊んでいる。おそらく、いや、確実に、長門がいる場所を朧げに掴んでいるのだろう。でなければ、資料ごと、消失させる危険性があるあのような攻撃などしてくるものか!
このまま待っても、いつか捕縛される。なら、駄目元で逃げるしか方法は残されていない。
ポケットから、護身用の特殊警棒と、スタンガンを取り出す。相手はサーチャークラス。こんなものが通用するはずもない。この使用方法は別にある。
指輪の効果により、長門の手を放れてから半径三メートルの範囲内では、不認識の効果は維持される。この機能を使う。
スタンガンを遠方に放り投げ、床に落ちて、奴の意識が逸れている隙に、冷蔵庫の裏から、飛び出して扉へ向かって全力疾走する。これしかあるまい。
大きく息を吸い込み、スタンガンを投げる。スタンガンは空中で指輪の不認識の領域を出て出現し、床への落下を開始する。
床に落ちると同時に、長門は走り出すが、突如胸倉を掴まれ、壁に背中から叩きつけられた。
「残念! 運が悪かったね。他の奴ならいざ知らず、僕にその手のアイテムは効果がないのさ」
扇屋が長身の長門を右手で掴み、薄気味の悪い笑みを浮かべていた。
此奴の温かさの一切欠如した瞳を見れば、はっきりと理解できる。此奴は、長門の命など、道端の蟻ほども興味がない。
「さて、君、どこの鼠?」
「ぐがっ!」
壁に押し付けられ、ミシミシと全身が嫌な音を立て始める。
どの道、長門はここで死ぬ。もし、口を割れば、相良達を危険に晒す。相良は今フィオーレを守るため奮闘しているのだ。そんな事は口が裂けても言えない。だったら、黙ってこのまま死んだ方が幾万倍もましという物だ。
「頑張るねぇー」
全身がプレス機に押しつぶされているかのような力が加えられ、身体中が痛みという悲鳴を上げ続ける。
「ぐごぉ!」
身体中がバラバラになるような痛み。視界もぼやけて来た。
そろそろ、潮時だろう。
(ローザ、すまない、先に逝く。フィオーレ、お前は絶対に生きろ!)
「ニヤケ顔の根暗野郎が」
血の味がする唾を扇屋の顔に掃き出し、長門はそう告げた。
「どうやら、死にたいようだね」
笑顔のままだが、声色に強烈な怒気が含まれていた。
その時だ――視界が真っ赤にそまったのは――。
「なっ!!?」
扇屋の口から驚愕の声が吐き出され、長門のからだが重力に従い、落下していく。
「お前、中々、根性あるんじゃねぇか!」
そのどこか、テンションの高い声と共に、長門の意識は真っ白な霧の中へと包まれていく。
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