第105話 謝肉祭開幕
悪魔のダースの工房。
「全滅した。計画は失敗だ」
ヒエロファントの言葉に、一同、全員押し黙る。
普段、こんなとき威勢のいい言葉を吐くトレンクスすら、腕を組み、口を真一文字に結ぶのみ。
敗北したフール、マジシャン、チャリオットは、悪魔のダースの中でも大した力の無い補充要因。
だが、ラヴァーズは違う。奴は、末席とはいえ、古参のメンバーの一柱であり、こと戦闘だけにはそれなりの信頼をおいていた。その奴が、覚醒したにもかかわらず敗北したのだ。
仮にこれが、覚醒していない状態での敗北ならば、まだ理解できる。
しかし、ヒエロファントが念話で叱咤した直後、ラヴァーズは覚醒した。しかも、ラヴァーズの最大の欠点たる倨傲は、完全になりを潜め、フィオーレ・メストの殺害という作戦目的を全力で遂げようとしていたのだ。
そのラヴァーズの確定的死の事実が、今ヒエロファントが管理している奴の魂の欠片の崩壊により、証明された。
「ハーミット、千里眼はまだ使用不能なのか?」
当初、ヒエロファント達は、ハーミットの遠隔映写スキル――【千里眼】で戦場たるセレモニーの会場内を見物していた。
しかし、フィオーレ・メストを殺害するべく振り上げたラヴァーズの右腕が、黒髪の男により、吹きとばされるシーンを契機に、戦場の映写は遮断されてしまう。
「さっぱりだね」
肩をすくめて即答するハーミットの顔には、屈辱が色濃く映し出されていた。
本来、ハーミットは諜報の申し子のような存在だ。そのスキルの大部分が情報収集に特化したものであり、人間ごときに防がれるものでは断じてない。
だが、現実はどうだ? ハーミットの【千里眼】は完全封殺され、覚醒した本気モードのラヴァーズも敗北してしまう。
全ては、あの【千里眼】で最後に映ったラヴァーズの右腕を切断したと思しき、黒髪の男が原因だろう。
「ハーミット、奴を調べられるか?」
「できる、できないの問題じゃないんだよ。必ずやるさ」
ハーミットはソファーから腰を上げると、ヒエロファント達に目もくれず、部屋を出て行ってしまう。ハーミットが本気になれば、そう遠くなく、戦闘スタイルから、食べ物の好みまで黒髪の男の莫大な情報が集められることになる。
この絶妙なタイミング、我らがフィオーレ・メストを狙っていることは、敵勢力には筒抜けのはず。さらに、セレモニーの会場内にいた人間共にもそれは伝わってしまっている。
敵は、ラヴァーズを滅ぼし、ハーミットの【千里眼】の効果さえも消失させる危険な奴ら。ここからは綱渡り的な勝負となる。
仮に選択を一つでも誤れば、完全敗北の汚名を背負うのは、悪魔のダースのギルドであり、その象徴たる存在のボスだ。もう、これ以上の失態はただの一つも許されない。
『ヒエロファント』
突如、頭の中に響く抑揚のない声。ヒエロファントが唯一崇敬するボス。
「ボス、申し訳ございま――」
『早急に、後始末をしろ――』
ヒエロファントの謝意の言葉を遮り、ボスは静かに指示を出す。
フール達は悪魔のダースについて大した情報を持っていない。それでも、重要拠点の一つであるこの場所は知っている。これ以上の犠牲は、確実にギルドの威勢を弱める。確かに、早急に、廃棄すべきだ。
「承りました」
フール、マジシャン、チャリオットの三柱の魂は、ヒエロファントが自己の魂の中に捕縛している。魂を分離し、握り潰せば、奴らは死ぬ。
『次が、この国での最後の仕事となる』
そのボスの言葉の中の僅かに滲む寂寞の念に、ボスがこの国でやろうとしていることを漠然とだが、理解した。
ボスは人間、いや、この国の人間達に、奇妙な感情を抱いている。
一つは、気が狂わんばかりの憤怒と憎悪。これは、ヒエロファント達、冥界の住人にとっては、大して奇異な事実ではない。寧ろ、冥界の最下層に落ちていき、強力になるほど、その傾向は強烈なものとなる。
ボスはもうじき、覇種になるべき器の大悪魔。人間共に腸が煮えくり返る憤怒を覚えてもそう意外ではない。寧ろ自然の成り行きと言える。
問題は、ボスがこの国の人間達に、奇妙な愛着を向けていることだ。当初は、少々、趣味の悪い博愛主義の一種かと思っていた。
しかし、その感情は、間違いなくボスという人格の一部として、濃縮され、創り上げられていく。
「よろしいので?」
『……』
愚問だったな。ボスの本質は、ヒエロファントが一番把握している。一度、決意したことは、決して曲げないということも!
「最後の作戦を発動させます」
『遊ばず、苦しめず、救いのない徹底的な滅びを与えてやれ』
これがボスの最後の慈悲だろうか。何とも不器用な方だ。だが、そんなボスだからこそ――。
ヒエロファントは、立ち上がり、息を肺に吸い込む。
「貴様ら、ボスの命だ。『謝肉祭』を開催する」
背後で控えていた悪魔のダースの全メンバーが、咆哮し、世界変革前の最後の大戦の火蓋はこのとき切って落とされた。




