第104話 唖然 一ノ宮香乃
夢妙庵ギルドハウス――大講堂
「バケモノ……」
仰向に横たわりつつも、今も超高速で全身が修復していく黒髪の少年の映像を見上げ、幹部の一人が言葉を絞り出す。
一ノ宮香乃も、その言葉を否定する気にはとてもなれなかった。
今朝、相良悠真の様子がどことなくおかしかった。嫌な予感がしたので、情報部の連中に相良の監視を指示していたのだ。
香乃の予感は悪い方はよく当たる。この度もその例にもれず、情報部の部長が血相を変えて、全メンバーに大講堂へ集合するよう求めて来た。
大講堂のメインスクリーンに映しだされたのは、相良と蛇の尾と蝙蝠の翼を持つ女の顔をした獣の激突。
女の顔をした獣は強かった。
あの千切れた尻尾から生まれた大蛇や、翼から変化した巨大蝙蝠は間違いなく、一匹、一匹が夢妙庵の大半の幹部達よりも強い。加えて、床さえも蒸発させるあの空から降ってくる光の柱。まさに反則のような存在だ。
それを相良はズタボロになりながらも、打倒してしまう。
無論、相良のステータスや奴のいかれた武具は十二分に脅威だし、驚愕に値する。
だが、多分、その戦闘シーンを目にしただけで、ここまで背筋が氷結するような気持になるのは、そんな薄っぺらなことではあるまい。もっと、より根源的なもの。
「ぐふっ……ぐふはははっ!!」
テレビ電話のスクリーン越しに、端を切ったように笑いだす夢妙庵のギルドマスター――碇正成の声が鼓膜を震わせた。
マスターから、相良悠真に関する事実は、どんな些細なことも逐一知らせるように厳命されている。情報部の部長の奴、この度、よほどテンパッていたのか、香乃に相談もなく、国際回線により、マスターに事情を説明してしまったようだ。
「マ、マスター?」
躊躇いがちに、幹部の一人がマスターにその哄笑の意図を問う。
無理もない。普段寡黙なマスターが声を出して笑うなど、稀有を通りこして、真夏の炎天下に豪雪してもおかしくないくらいの異常事態だから。
「あの相良の息子がのぉー」
一際、豪快に笑った後、いつもの厳格にして寡黙なマスターに戻っていた。
「相良の子倅を、ギルドへ引き入れろ。手段は問わん」
そう申し立てると、プツッと通信は一方的に切れてしまう。
「姉さんッ!!」
「わかってる」
興奮気味のメンバーの言葉を右手で制し、相槌を打つ。
相良は依然来訪した際に非常識なオーパーツ生成能力を見せている。あれ以来、ひっきりなしに、複数の幹部達から、相良を我らのギルド――夢妙庵へ勧誘して欲しいとの具申が相次いでいた。
相良がギルドにある中古品から造ったオーパツは、全て良質であり、出鱈目な奇跡を内包していた。どれも、サーチャーなら、殺してでも奪い取ろうとしかねないほどのものばかり。
そして、相良のあの発言からも、おそらくあの能力には先がある。ガラクタから、各組織が喉から手が出るほど欲するオーパーツを生成する能力など、その価値はもはや天文学的なものとなる。
加えて、あの鬼神のごとき強さだ。もう、相良のギルド加入を望まない奴などいやしまい。
逆に相良を他の勢力にかっさらわれれば、夢妙庵は最強ギルドの座から転がり落ちる。幹部達がこうも焦る気持ちも十二分に理解できる。
香乃としても、相良は危なっかしい弟のような存在だ。下手に目を離して、この度のように死にかけるよりも、手元に置いておいた方がまだ安心できる。
とは言え、マスターが何と言おうと、無理強いをするつもりはないし、他のメンバーにもさせるつもりもないわけだが。
「相良とは私が交渉する。お前らからの接触は一切、禁ずる」
幹部の半数は香乃の説得に一抹の希望を見出したのか、全面的に交渉を委ねてきた。
もう半分の幹部達からは、オーパーツの取引契約だけは、是非とも結んで欲しいと懇願される。
最悪、仮に相良に拒否されたら、それでマスターを説き伏せようと考えていたところだ。金銭的にも夢妙庵には余剰資金はある。それに、相良の境遇からも、情報収集源は必須だろうし、一方的に断られはしまい。
それよりも、幹部達のしつこい勧誘により、夢妙庵に対し悪いイメージを持たれる方が今はよほどマズい事態だ。
改めて香乃の許可なく相良悠真に接触することを禁じる指示を送ろうとしたとき、扉を勢いよく開けて 小動物が部屋に転がり込んできた。
夜雀の顔は青白く、目の下には大きなクマがあった。
相良に喜んで欲しいという一心なのだろう。夜雀はあれから連日連夜、分室Aに籠りっきりであり、護衛の者たちが根を上げるほどだ。
「夜雀、私はあれほど徹夜だけはするなと念をおしていたはずだが」
昨晩、遂に堪忍袋の緒が切れて、夜雀に徹夜禁止命令を発令したところだった。
大方、夜雀の頼みに弱いメンバーが香乃に無断で、徹夜の作業を敢行したんだろう。
「マズいんだよ! 駄目なんだよ。相手が悪すぎるんだよ!!」
夜雀の脈略ない言葉に眉をしかめていると、背後から狗神も現れる。
「姉さん。【一三事件】の犯人のめぼしが付いた」
普段の自信に満ちた狗神らしからぬ厚顔不遜な態度は鳴りを潜め、あったのはとびっきりの恐怖を象徴するかのような血の気の引いた顔。
「どこのどいつだ?」
「悪魔のダースだ」
狗神は、そんな最低、最悪の名を告げた。




