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灰被りの勇者と封印されし聖女~疫病神の英雄譚~ 作者:柏もち太郎

三章:厄病神、旅をする

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061 異変3

 イーナは恐怖を拭えずに走り続けた。走って走って、足が棒になるのではないかと思うくらい走っていた。

 すると、イーナのちょうど前方で悲鳴が響く。

 だが、そこに待っていたのはカタリナでも仲間でもなかった。

「……うそ」

 イーナは眼前で起こっていることが信じられず、その場で膝を折った。ぺたんと座り込んだイーナの前にいるのは、何か(、、)を食らう狼型の魔物──飢え狼(スタヴルウルフ)だった。片方の目玉は肥大化しており、牙の隙間からはだらんと長い舌が伸びている。

 幸いとまだ気づかれていないが、イーナはもう動くこともできそうになかった。

 飢え狼(スタヴルウルフ)は肉を()んでいた。得体の知れない何かから容易く肉を噛みちぎり、血をまき散らしながらそれを貪る。

 そこへ仲間と思しき群れが現れた。だが、無心に獲物を食っている個体を見据えると総勢で攻撃を仕掛けた。四肢をもぎ、それに牙を立て共喰いする同種。

 イーナはただ呆然と見ていた。もはや自分が怖がっているのかもわからなかった。

 ふいに、飢え狼の一匹がこちらを見た。イーナは目が合った瞬間、身体が痺れたように動かなくなった。逃げ出さないといけない。

 わかっているのに、手も足も思うように動いてはくれない。

 飢え狼が天に向かって吠えると、他の狼もイーナにぎょろりと目を向けた。獲物の存在を知った群れは地を這うように姿勢を低くし、一斉に駆け出す。

「こないでっ!!」

 眼前に迫った飢え狼。大口を開いたそれらを見て、イーナは頭を抱えて目を瞑った。

 だが、キャインと犬のような鳴き声がするばかりで、いつまで経っても痛みはこない。

 おそるおそる目蓋を上げると、

「……え?」

 イーナを囲むようにして飢え狼の進攻を阻む巨躯。黄土色の鱗が炎を反射して赤く燃え上がっている。たくましい尾が縦横無尽に走り、飛びかかる異形の飢狼(がろう)を跳ね返す。

「セタンタ、さん?」

 オパールの瞳が、赤い髪の少女を案じていた。

「なんでここに──きゃっ」

 セタンタは双眸を細めると、イーナの襟を甘噛みして持ち上げる。そして優しく背に乗せると、飢え狼の群れに向かって駆け出した。

「えぇっ!?」

 強靭な四肢を使い、セタンタは路面に罅を入れながら突き進む。飢え狼の群れは、馬鹿めと嘲笑うように吠えると、イーナたちを包囲した。

 しかしセタンタは止まらず、低い唸り声を発すると、

「えぇええええぇえええええっ!?」

 左前足を軸にして、グルリと回った。運動エネルギーと遠心力を余すところなく尾に集中させ、飢え狼の群れに衝撃として伝えていく。セタンタは歯を食いしばって尾を振り切った。

 飢え狼(スタヴルウルフ)たちの身体がくの字に曲がりながら煉瓦造りの家屋や商店の軒先に衝突。辺りに盛大な粉塵を舞わせた。

「す、すご……」

 ぎゅっとセタンタの首筋にしがみつきながら、イーナは目を瞠る。セタンタは飢え狼の吹き飛んだ方を見てふんと鼻白み、追跡を許さぬよう再び駆け出した。

 ぐんぐんと、イーナが走っているときとは比べ物にならない速度で街の光景が後ろへ流れていく。途中の魔物をことごとく蹴散らすセタンタは、しかしイーナが振り落とされないよう気を配る素振りも見せていた。

 ある程度離れたところまで行くと、セタンタが徐々にスピードを緩めた。イーナが不思議そうにきょとんとした。セタンタは首だけを回して「大丈夫か」と目で問いかけた。

「ありがとう、セタンタさん」

 セタンタは頭を下げてこつんとイーナのおでこをつついた。気にするな、と言わんばかりだ。イーナは彼の返事に頬を緩めながら周囲を見渡す。

 まだ油断は禁物だということは幼いながらイーナにだってわかっている。何より、先ほどは自分の軽率な行動で危険を呼び込んだのだ。セタンタが来なければいまごろ飢え狼の胃袋に収まっていたことだろう。イーナは悪い想像を膨らませて顔を青ざめさせた。

「そうだ! おじいちゃんたちは見なかった!?」

 イーナが手を打って期待を露わにする。しかし、生憎にもセタンタは首を横に振った。

「そっか……でも、きっとすぐ会えるよね」

 セタンタと合流できたことで、イーナの胸中には安心感が生まれていた。セタンタは苦い顔をしていたが、少女には酷だと思ったのか静かに頷く。

 一陣の熱い風がイーナの頬をなぜる。

 街を染め上げる焔はいまだ鎮火の兆しがない。だが少し前まで聞こえていた悲鳴や絶叫はすっかり収まっていた。きっと避難が完了したのだろうとイーナは思った。

「道…憶えてないや」

 無我夢中で走っていたため、サスティたちの居た場所への道のりは憶えていない。

「……お姉さん。そうだ、お姉さんのところに……セタンタさん! 宿に行けばもしかしたらアリスお姉ちゃんたちがいるかもしれない!!」

 イーナが嘆願する。セタンタは首だけで振り返り正気を疑うような眼差しを向けた。が、イーナの泣きそうな表情を見て目を細める。

 ──もしも、わたしと同じようになっちゃってたら……。

 脳裏に過る嫌な想像。

 イーナはセタンタに助けられたが、同じように誰かが助けに行くとは考えにくい。

「お願いセタンタさん……!」

 セタンタは返事の代わりにいま出せる全速力で応えた。不安を振り払うように風が横を過ぎ去っていった。悲鳴を聞いたのは、すぐのことだった。

 裏路地を抜けて時計塔前の大通りに出ると、カタリナの姿があった。そこで足を止めたセタンタから飛び降りたイーナは、興奮したまま彼女の許に駆け寄る。

「お姉さん! よかった!」
「い、いーなちゃん!? だめ、こっちに来ないで!!」

 カタリナは必死の形相でイーナを止めようとする。不審に思いながらも、イーナの胸のうちは嬉しさでいっぱいになっていた。

 だがそれは、イーナが自分の置かれた状況に気づいていないことの証左でもあった。

「大丈夫? 怪我してるの?」
「そうじゃない、そうじゃないの!!」

 カタリナが髪を振り乱して否定する。異常なまでの拒絶にイーナは顔を顰めた。

 よく見ると、彼女の視線は先ほどから一点に定まっていた。イーナの頭上に焦点を合わせた彼女の表情は困惑や憂い、そして恐怖や畏怖をいっしょくたにしたものだ。

「お願いだから、そのまま後ろに下がって! 地竜と一緒にここから離れて!!」
「? どうかしたの?」

 カタリナの身を案じるイーナの肌を、突然に高温の夜気が炙った。

「熱っ」

 突如として、気温が跳ね上がった。少し熱いだけだった空気がまるで火口の熱気のごとく温度を高める。ともすれば皮膚を焦がすのではないかと思えるほどの気温の上昇。

 イーナは突然の熱さに驚きつつ、俯いた拍子に自分の立つ場所が真っ暗なことに気がついた。裏路地を出て、建物の影からは抜けたはずだった。

「早く! 早くここから離れて!!」

 涙にまみれたカタリナは、震える身体をいだきながらイーナに言う。

「……雲?」
「振り向かないで!!」

 カタリナが金切り声交じりに叫んだ。ますます不思議になって見上げようとしたイーナを諌めるように、後方でセタンタが唸った。

 しかし、まだ年端もいかぬ子どもにセタンタの諫言がわかるはずもなく。

 イーナは、ごく自然な振る舞いで頭上を仰いだ。

 視界の中央に据えたのは、燃え盛る火焔のごとく赤い何かだった。

 それを見た瞬間、身体が動かなくなった。知らずのうちにカチカチと歯を打ち鳴らし、悲しいことは何もないのに涙が溢れ出てくる。

 カタリナが動かないのも、セタンタがずっと動かないのも、この目の前の何かが原因なのだと、イーナはそう悟った。

「あ……」

 はためく両翼は熱風を巻き起こし。

 しなやかかつ力強い尾は追随する魔物を散らし。

 真っ赤な炎がそのまま生命を宿したかのような色合いの鱗が体表を覆う。

 退化したであろう前脚は、しかしすべてを引き裂く爪を持っている。後脚に掴まれていたのははたして人間か、それ以外か。

 息を吐けば火の粉が舞い、牙の間からは畏怖すべき焔が溢れ出る。二つの眼窟に嵌め込まれた紅玉の瞳は宵闇に映える紅を睨んでいる。

 いつかの伝承にはこう記されている。

 一度(ひとたび)牙を剥けば、その(あぎと)から放たれる猛火が街を焼き、強靭な尾はほんの一振りで十はくだらない命を奪う。牙は生物を屠るために在り、爪は生命を引き裂くために在る。翼が起こす竜巻はありとあらゆるものを彼方に飛ばす。

 竜は生命を絶やすためだけに生命の頂点に座している、と。

 いま、赤髪の少女と地竜の頭上にいるのは、すべての生命の頂点に立つ生物だった。

 人間の根源にある死の恐怖を呼び起こす、猛々しい咆哮が一帯に轟く。

 刹那、火を纏う赤き竜は威嚇するように尾を叩きつけ、時計塔の一角を崩す。そして舞い上がる粉塵のなか、双眸を煌めかせた竜が同じ赤をその身に持つ少女に狙いを定める。

「────!!」

 赤竜が牙を剥く。少女は自分の意思では身体を動かせず、その場で立ちすくんでいた。

 叫ぶことすら出来なかった。目を瞑ることもできず、涙でぼやけた視界が焔の赤に塗り替えられる。次いで、感じたのは皮膚をじりじりと炙る熱気。

 死。

 命の蝋燭が急速に溶けていくような錯覚が脳裏に起きる。差し迫る焦熱を前に、イーナは──横合いからの衝撃に吹き飛んだ。

 ──え?

 脇腹の痛みなどはどうでもよかった。何が起こったのかを知らなければならない。宙に浮いた身体を捻って自分の居た場所を見ると、

「セタンタさんっ!?」

 赤と橙が混じった灼焔に炙られる黒いシルエットを目の当たりにして、イーナが悲痛に顔をくしゃりと歪める。セタンタは激痛に叫ぶこともない。まさか、とイーナは思った。

 視界がぶれる。路面はすぐそこだった。

「痛っ!!」

 受け身もロクに取れず、ごろごろと二、三度転がってからようやく止まる。カタリナが恐怖で竦む身体に鞭を打って受け止めたのだ。

「イーナちゃん、大丈夫!?」
「わたしよりセタンタさんがっ!!」

 心配そうに腕を伸ばすカタリナ。しかしイーナはいますぐにでも火中に飛び込む勢いで彼女の腕を払いのけた。

「ダメだよっ!! 行っちゃダメ!!」
「何を言ってるの!? わたしを助けてくれたんだよ!?」
「あなたが行ったところで何ができるの!!」

 カタリナは語気を荒げてイーナを無理やり引き留めた。イーナが必死に抵抗するが、それでも子供の力が大人のそれに敵うはずもなく、身動きが取れない。

「いやぁっ!! 放してぇ!!」

 イーナがカタリナの腕を噛んだ。カタリナは痛みに喘ぎを漏らしつつも力を緩めない。



 ──仲間を助けないなんて、そんなの絶対に、間違ってる。

 セタンタはまだ知り合ったばかりだが、イーナからすれば、それでも仲間であることに違いはない。そしてイーナにとって仲間とは家族同然だった。

 毎晩と寝物語に聞いていた戦記や冒険譚のせいかもしれない。その輝ける物語のなかでは、誰も仲間を見捨てたりはしない。物語の英雄はみな同じことを言う。仲間とは家族同然の存在であり、生死を共にする覚悟を持つ者だけが旅をする資格を持つのだ、と。

 セタンタが仲間になった日。イーナもあの日の八雲とセタンタの戦いを観ていた。あの戦いのなかで八雲は言っていた。

『俺とお前はこれから命を預け合う仲だぞ? お前の全力を知らなきゃ、俺はお前に命を預けられない』

 それだけだ。たったそれだけの言葉に、イーナは深い感動を覚えていた。

 彼は命を預け合うと言った。それはつまり、生死を共にする覚悟を持っていることの証左ではないだろうか。

 ……もしかしたら、これは自分の思い込み、あるいは深読みなのかもしれない。

 それでもイーナは、信じたかった。



 業火のなかの影がわずかにたじろぐような仕草を見せる。イーナの目が驚愕に見開かれ、次いで恐怖と絶望に満ちた。セタンタはもうだめかもしれないと思った。

「いやぁああああっ!!」

 地竜の影がぐたりと倒れ伏す──が、

「──ッ!?」

 ドゴッ、

 と強靭な尾が赤竜の咢を跳ね上げた。行き場を失った火焔が口腔内で爆発し、赤竜の身体が大きくよろめく。イーナもカタリナも、目の前の光景を呆然と見つめていた。

「グルル……」

 消えうせた業火の後に残った影がこちらに近づいてくる。わずかに焼け焦げたせいで黒ずんでしまった体表を見て感涙が込み上げる。

「よかった……っ!」

 抱きつくイーナにセタンタが困惑してたじろぐ。が、すぐに目の色を変えて振り返った。

「────ッ!!」

 爆炎によって巻き上げられた砂塵の奥、赤竜の深紅の瞳がイーナたちを見据えている。憎々しげにこちらを睥睨する赤竜を一瞥すると、セタンタはイーナとカタリナを背に乗せた。

「グオゥッ!」

 威嚇の唸り声を出すとともにセタンタが駆けだす。が、ダメージがまだ残っていたのだろう。すぐに失速し、セタンタは悔しげに尾で路面を叩いた。

「きゃあっ!?」

 ドゴォオオン、

 と轟音を鳴らした火柱が天を衝く。雲か灰か、空はすでに灰色に染まりきり、数刻前まで燦然と瞬いていた星々は隠れてしまっている。

 肌を焦がす熱にイーナがおそるおそる振り返る。

「グルルル……」

 またしても覗く深紅の瞳。すぐそこに、圧倒的強者である竜がいる。

 彼の身体が織りなす焔の演武。この世の火のすべてを濃縮したかのような劫火。見る者に畏怖を抱かせる紅の体躯。終焉を想起させる焔の世界。

「あれは……なんかじゃない」

 かたわらのカタリナがうわごとのように呟く。恐怖に涙を滲ませた瞳は、すっかり希望を失いつつあり、もはや迫り来る死を甘受しているかのようだった。

「あれはただの竜なんかじゃない」

 一般的に、竜種は大きく分けて飛竜と古龍との二種類に区分される。飛竜とはいわゆる魔物に分類される、人と共存するだけの知性を有していないもの。そして古龍とは、太古から存在し、その結果人との共存を目指した七柱の龍を指す。

「古龍……」

 そしてイーナには、古龍に関する記憶があった。なぜか。理由は単純だ。──彼女が、幾星霜を生きる古龍のなかでも始祖とされる龍の孫娘だから。

「赤焔龍」

 ポツリと漏れ出た呟きに反応し、カタリナは前に座る赤髪の少女を凝視した。

「おじさん……なの?」

 少女(イーナ)には信じがたい話だった。なぜなら、なぜなら彼は──、

「うそ……だよね」

 思い出すのはほんの数年前の一幕。あのログハウスの一室でいつもどおり本を読んでいたイーナと祖父のもとに来客があった。イーナは当時を鮮明に憶えている。

『へぇ……この子が爺さんの孫か。俺に似て赤い髪だな! 俺の娘のほうがいいんじゃねえのか?』

 来訪者は、少しくすんだ赤の髪を後ろで結っていた。まだ年若く、外見の年齢は三十に差し掛からない程度の男性。彼は祖父をからかって楽しんでいた。

『よ、元気か嬢ちゃん。相変わらず真っ赤な髪してんなぁ!! 道理でこんな魔境にいるわけだぜ。ったく……人の世もすっかり腐っちまったもんだ』

 くしゃりとイーナの柔らかな髪がたわむ。悲嘆に暮れた表情を見せる彼の力強い手になでられる彼女も自然とあどけない笑みをこぼす。

 イーナと赤焔龍とは、知己の間柄だった。

「どう、して……」

 眼前の龍はどうやってもイーナの知る彼と結びつかない。それもそのはずだ。彼はイーナの前では龍の形態をとらなかった。だからこそ気がつくのが遅れたのだ。

 いや、カタリナの言葉がなければ気がつけなかっただろう。

「──止めなきゃ」

 虚ろな響きを含んだ言葉を吐き出し、少女はいま自分にできる行動を起こした。弱り切った地竜の背から転がり落ちると、擦りむけた膝の痛みも無視して立ち上がる。

「イーナちゃんッ!?」

 彼を止められるのは自分しかいないと、彼女自身がそう思ってしまったから。

「もうやめてっ!!」

 止めようと伸ばしたカタリナの手もすり抜けて、赤髪の少女は赤焔龍の許へと駆ける。

「何してるかわかってるの!? ねぇ!!」

 それが自分のなすべきことだと思ってしまったから。止めなければいけないと。決して自分が特別だと思いあがったわけではない。止めなければ大勢の人が死ぬ。くわえて、この場で自由に動けるのはイーナだけだった。だから、

 ──わたしがやらなくちゃいけないんだ。

 自らの選択が自分自身にとって不幸となるとは、思いもしなかったのだろう。

「こんなことやめてっ!!」

 知らず、拳に力が入る。泣くまいと唇を噛んで、肩を震わせながら叫ぶ。

「どうしちゃったの!? おじさんはこんなことするひとじゃなかったでしょ!?」

 後方からは自分を呼び止める声が聞こえる。どこかから誰のものかもわからない悲鳴が聞こえる。近付くたびに熱気が増して肌がじりじりと灼けるのが感じられる。

「もう誰も殺さないで……お願いだから、やめてよ……」

 はたしてこの声が届いているのか。もしかしたら届いていないかもしれない。けれど、もしかすると届いているかもしれない。その一縷の可能性に賭ける意味はきっとある。

 いや。

 イーナにとってこの行為は天秤にかける以前の問題なのだ。
 たとえ意味がなくとも構わない。それでもイーナがやめないのは、一心に彼の行いを止めたいから。彼自身が好んでやっているとは思えないからだった。

「こんなことしてほしくないよ……なんでこんなことするの……?」

 うつむきながらも言葉を紡ぐ。

 悲嘆に暮れるイーナのすがたを巨大な影が覆い隠す。先ほどのようにすぐ襲い掛かってきたわけではない。ゆっくりと歩み寄るように、あちらから近づいてきたのだ。

「おじさん──」

 きっとわかってくれた。嬉しくなったイーナが落涙しながら顔を上げる。

「────────」

 赤。黒。紅。銀。赤。赤。赤。赤。

 血に(まみ)れたような色合いがイーナの視界を埋め尽くしていた。幾重にも並ぶ銀色の鋭牙と、その奥にちらつくのはあたりを燃やし尽くした火焔。

 魔法の才能に乏しいイーナでもわかった。

 赤焔竜の喉奥で空気が揺らぐ。魔力が増幅する。増幅していく。その百分の一の魔力量だけでも少女くらいやすやすと焼死させられるだろう。なのに、さらに魔力を増幅させる。

 熱と魔力が影響しあって空間を歪ませている。それだけの魔力量を込めるということは、つまり。つまり、文字どおり少女の身体を消し炭にするつもりなのだ。

「──────ぁ」

 赤く染まっていく。もう何もかもが赤く見える。違う。何もかもが赤いんじゃない。目の前にある焔が赤いんだ。それだけだ。赤い焔が目の前にあるだけ。

「────!!」

 赤焔龍の咆哮にあてられて、意識が吹き飛ばされそうになる。

 もうダメだ。諦めかけた、そのときだった。


「諦めるな!! まだ、まだ何も終わっちゃいない!!」


 声が、聞こえた。

 ともに旅をしてきた、仲間の声だった。
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