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灰被りの勇者と封印されし聖女~疫病神の英雄譚~ 作者:柏もち太郎

三章:厄病神、旅をする

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058 鮮烈な紅


 夜風凪ぐ街の一角にある宿。その二階の一室、灯りのない暗い部屋のなかで、八雲は頭を抱えていた。苦渋の表情で目を瞑る。

「くっ」

 竜王と同じ部屋には居づらく、仕方なく休憩所で物思いに耽っていたわけだが、まさかそのせいでアリスに出会うとは想定外だった。

 その際に八雲の顔色が優れなかったのは、ずっと悩み続け、考えていたからである。アリスはこちらの不調を憂いてくれたが、八雲は終始目を合わせられなかった。

 互いが互いを想うがゆえにすれ違ってしまった。

「ごめんな……でも、言えないだろ……!」

 涙を流したアリスはその後、黙り込んでその場を去った。八雲は言い訳をしなかったし、絶対に理由を言ってはならないと思っていた。残ったのは胸の痛みと苦しさだけ。

 八雲は彼女のためを思った。結果として彼女が傷ついているたとしても、先の発言こそが八雲にとっての最良だった。決して間違っていたとは、思っていない。

 だが、悔やんでいるのは確かだった。
 もしあの場にいなければ、こうならずに済んだ。八雲がもっと違和感なく、気丈に振る舞えていれば、アリスが疑念を抱くこともなかっただろう。

 ──それが出来ればどれだけよかったことか……っ。

 出来るはずもなかった。竜王から聞いた、アリスの知らない真実が鉄の針のように八雲の胸を深く刺していたのだから。

 アリスは自らの知らないところで傷ついている。

 しかし真実を知ったところで自分に何ができる?
 何も知らない自分が慰めたとして、それは無為にアリスを傷つけるだけではないか。

 加えて、彼女には記憶がない。

 下手に刺激を加えてはいけないだろう。もしも記憶が蘇ったら……と考えて、八雲は心臓をぎゅっと握られるような気分になっていた。

 おそらく、拷問される辛苦を知っているのは八雲だけだ。あの拷問の酷さと言えば、理性を失って何度も自害を図ったほどだった。それでも、凄惨な責め苦に壊れず、抗い耐え抜いた八雲でさえ、あの長かった暗闇を思い出すと震えが収まらなくなる。

 辛さを知っていたからこそ、八雲は頑として口を割らなかった。

「どうすればいいんだ……」

 八雲とて自分がアリスの過去について考えることが傲慢であることも分かっている。
 わかっていて、それでもなお、葛藤する。それが服部八雲という人間だった。

 しかし今回ばかりは手詰まり、もとより終わってしまったことであるがゆえ、どう考えればいいかもわからなかった。

 八雲は窓の外を眺めた。と、そのとき。

「……先ほどはすみませんでした。ここに夕食を置いておきますから、食べてください」

 ノックに次いで、後悔を滲ませるアリスの声がドア越しに届いた。

「ああ、ありがとう」
 ──違う。そうじゃないだろ、俺!!
「じゃあ、その、わたしはもう行きますね。……おやすみなさい」

 離れていくアリスの足音が聞こえる。口を開いた八雲は、しかし何も言えなかった。

 階段が軋む音がする。アリスはもう、一階に下りていったようだ。
 窓をピシピシと雨が叩く。真黒の空から降り注ぐ小さな粒がアリスの涙を思い起こさせる。八雲は耳を塞いで音を遮断した。

「なに、してんだよ。俺は……」

 引き留めて、しっかり話すべきだった。先ほどのことを謝って、告げなかった理由を明かさずとも誤解を解いておくべきだったと思った。
 引き留めようとしたが、八雲は言葉が出なかった。

「クソッ!」

 恐れたからだ。告げたとして、アリスがどんな反応をするか、そしてどんな結果をもたらすか。最悪の結末が脳裏に過り、とうとう八雲は何も言えなくなった。

 もしかしたら、アリスは知りたいと言うかもしれない。いや、いまのアリスならば確実に訊いてきただろう。きっと、八雲を苦しませないために、自分の感情や想いに蓋をしてでも聞いて、もう過ぎたことです、とでも言って笑うだろう。

 それは、アリスを想う八雲にとって何よりも最悪な結果だ。
 つまるところ、今回も八雲は最良の選択をしたと言えるだろう。少なくとも、八雲にとっては最良だった。しかしアリスにとっては?

 いまもアリスが、自分と同じように胸の痛みを得ているとは、考えたくない。
 傷つけないための、彼女を救うための選択が、彼女を傷つけている。

 夜は暗く、深く、八雲を絡めとるように()けていく──

    ×   ×   ×   ×

 独房には鉄の臭いが充満していた。なかにあるのは手術台を改造したような拘束用の寝台と、それに横たえられている青年の存在くらいだ。その青年の格好と言えば、腰に襤褸を纏っただけの、まるで奴隷のような有様である。

 青年は、怯えていた。
 昨夜は辺りが血の海になっていたというのに、今朝はそれがきれいさっぱり消えている。いや、昨夜なのか一昨日の夜なのかもわからない。はたして今朝と言うが、いまは朝なのだろうか。陽の入らないこの独房。失神と気絶を繰り返し、寝ては悪夢に覚めていた青年の体内時計はすっかり狂いきっていた。

 そこへ、無機質な足音が響いた。青年の脳裏に惨劇が思い起こされる。
 途端に、フーッ、フーッ、と威嚇する獣のような息が青年の口から漏れだす。

 ──嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 また地獄を味わうのは、嫌だ。ならば、舌を噛み切って死んだ方が幾分かマシだ。今この瞬間、青年は過去を忘れ去り、現在直面している恐怖にのみ意識を向けていた。

 青年は恐怖に顔を歪め、舌を噛み切って自害を図る。痛みとともに喉へと流れ込んでくる血で呼吸ができなくなる。しかし──、

 次の瞬間には、血も舌も元通りになっていた。残った痛みすらも、消えていく。首に着けられた拘束具が、絶えず回復魔法をかけているためだ。

 青年は涙を流す。またしても、死ぬことは許されない。
 自害すら許されず、さらに声を上げることすら叶わない。想像を絶する痛みに際した悲鳴も、真実を告げられたことによる慟哭さえも、ここではすべて無に還る。

 足音が、ぴたりと止んだ。青年の部屋の前ではなく、隣の部屋だろう。
 答え合わせの代わりに聞こえてくるのは、声と形容していいのかわからない、喉から絞り出された甲高い音だった。それから、くふふふ、と楽し気な笑い声が。

 青年は黒い布によって視界を塞がれている。だからこそ、代わりに聴覚が鋭敏になっていた。鋭敏な聴覚はこの地下室に響き渡る絶叫と哄笑とを拾ってしまう。そこから脳が勝手に想像を働かせてしまうのは必然と言えた。

 ぐぎゃ、とか、ぎぎ、とか、およそ人でないような音が響いている。歯を食い縛った結果なのだろうが、しばらくすると何も聞こえなくなった。

 絶命、したのだろうか?

 青年が冷静になるなか、一方で半狂乱になった囚人たちの不協和音が鳴り響く。それがまた恐怖を煽り、青年から冷静さを奪っていく。

 ──ああ、死にたくない、死ぬわけにはいかない、と。

 おかしな話だ。自害しようとしていたくせに、狂気に侵されれば侵されるほど死から逃れようともがくのだから。しかし青年は自らが孕む矛盾に気づかない。

 それでも、心にはまだ刻まれているのだ。護るべき存在や、護ることのできなかった存在が、青年の根底にある生の渇望を突き動かしている。

 無機質な足音。かつ、かつ……かつ。
 死んではいけない。繋がれた糸を断つわけにはいかない、と。

 青年には幼馴染がいた。幼少のころから苦楽をともにしてきた仲である。彼らは青年に寄り添い、ともに歩んでくれた大切な友達だ。彼らは青年を護ろうとし、青年もまた彼らを護ろうとしていた。

 錠を開ける音が。がちゃり。がちゃ、がちゃ……。

 この世界、とある村には青年にとって家族同然の存在があった。彼女らは余所者である青年を快く迎え入れてくれた。青年を好きだと言ってくれた。青年を護ろうとしていた。事実、青年は彼女らに護られた。彼女らは、青年を護って死んだ。青年は彼女らを護れなかった。

 護るべき存在と、護れなかった存在。
 青年は生きなければならない。どれだけ苦しくても、どれだけ怖くても、彼は生きて、惨めでも生きて、みっともなくとも精いっぱい足掻いて、生きねばならない。それが心の奥底で分かっている。

 ぎぃい、と鉄扉が開く。

 何度心が折れただろう。あらゆる角度から責めたててくる激痛。夢のなかで死した者たちが亡者となって襲い掛かる。この世に在るすべてのものが自分を殺そうと躍起になっているのだと、そんな妄想をしてしまうくらいに、青年は追い詰められていた。

 だが、それでも、立ち上がらないと──、

「さぁ八雲くん、あなたの番ですよ」

 魂に刻み付けられた恐怖が、嘲笑うかのように八雲を呑みこんでいった。

    ×   ×   ×   ×

「アあァあああああ────ッ!!」

 月明かりの静謐さに満ちた夜、発狂したような声を上げながら、服部八雲は目を覚ました。

「ハァッ、ハッ、ハァ……」

 顔面は死んだように蒼白で、汗だか涙だかわからない液体で枕が濡れている。がくがくと震え、両の瞳は恐怖に揺れている。

「あ、うぅ……」

 堰を切ったように涙が出始める。みっともなく鼻を啜り、八雲は己を掻き抱く。自身の震えが伝わって、ますます震えが強くなる。いまの八雲は、冷静さを奪われたあとだった。

「ゆ、ゆめ、か……ゆ、ゆめ、なんだろう……?」

 いま目を開けたら、そこにあの男がいるのではないか。それともなければ、死人が亡者となって自分を殺そうとしているのではないか。
 脳裏に過る想像。八雲は、目を開けることができなかった。

「だ、だれか、だれか、いないのか……?」

 返事はない。八雲は黙り込んだ。
 音が、ない。何も聞こえない。それがまた恐怖を煽り、あらぬ幻聴を生み出す。

 お前なんて死ねばいい。お前のせいで俺は死んだ。──お前さえ、いなければ。

「ぁああ……ごめん、ごめん……俺のせいで……」

 懺悔。
 八雲はあの夜からずっと、自責の念に縛られている。その度に、彼らがしたことを否定してはいけないのだと言い聞かせて。それを何度も繰り返すうちに、わからなくなってきた。

 自分が都合よく解釈しているだけで、彼らの意図は別にあったのかもしれない。

 死者は答えない。八雲の求める言葉は現れない。
 果たして自分が生きていてよかったのだろうか。本当なら彼らが生きているべきであって、元をただせば自分が居たことがすでに災厄を呼び込む要因だったのだ。

 死者の死に、生者が勝手に理由を付けている。
 傲慢だ。彼らの言葉は、ともすれば、自分の勝手な妄想なのではないか。

 夢と現実が混ざり合うように、視界がぐるぐると回り、絡まった思考がゆっくりと融けていく。すなわち、自分が死ぬべきだったと。

 彼らが身を呈したという事実、それすらも無視して八雲は自責に囚われる。いや、彼らが身を呈したという事実があるからこそ狂っているのだ。

 普通、人は他者のために自らの命を賭したりはしない。そこから考えるに、彼らが八雲を守ろうとしていたことは明白だ。にもかかわらず、いまの思考が正常でない八雲は彼らの献身とも呼べるそれに在った意味を否定する。

 何故か。理由は簡単だった。
 いままでに八雲は、周囲の人間からどれだけ蔑まれてきた? どれだけ嫌われてきた? いったいどれほどの罵詈雑言を浴びてきた?

 これが、服部八雲が狂った理由。

 狂った。狂ってしまったものは、八雲のすべて。不幸のすべてを自らのせいにされ、言い返すこともできなかった状況を繰り返してきたことにより起こった精神的自傷癖。表面上、と言うよりは心の表層では他人の優しさを受け入れることができる。だが、心の奥底、あるいは隅で、八雲は他人の優しさを信じられない。

 だからいつも不安になる。いつか裏切られる、と、

「俺が死んでればよかったんだっ……!」

 八雲は、とある男に裏切られた。拷問を受け、あらゆる凌辱を受け、それでも死ぬことは許されず、生きながらえた。
 そして、八雲のなかに初めての感情が浮かび上がる。

 ──殺してやりたい。何もかもが憎い。

 彼らを殺したあの男の四肢を切断し、ぐちゃぐちゃにすり潰してやりたい。頭を叩き割って、脳漿を引き摺りだしてやりたい。腹を引き裂き、臓腑をかき混ぜてやりたい。

「──ッ!?」

 心臓がぐっと握られたように動悸を激しくする。激痛と吐き気が八雲を襲う。いつか女神と言葉を交えたときに起こった感覚が蘇ってくる。

「ぐぅう……!!」

 これが憎悪から来るものだと、八雲は知らない。憎悪が八雲を扇動し、しかしそれを理性が押しとどめる。結果として起こった(ひずみ)が、八雲の内側を暴れまわっているのだ。その憎悪が誰のものなのかもわからない。はたして自分だけのものか、それともあのときに感じた誰かのものなのか。八雲はわからないまま苦しみ続ける。

 殺してやりたい。生きたい。死ねばよかった。護らないと。殺したい。憎い。憎い。憎い。殺したい。殺してやりたい。殺してしまいたい。死ねば楽になれる。死ぬわけにはいかない。死んでしまえばよかった。憎い。寂しい。悲しい。殺したい──。

 暴れまわる感情。歯を食いしばり、八雲はひたすらに耐えた。体感では一時間以上にも感じられたが、実際には十分も経っていない。

「がハッ!?」

 心臓が強い痛みを訴えたとき、けたたましい鐘の音が夜の街を通り抜けた。
 八雲は深い隈のできた、ともすれば正気を失っているのではないかと思える眼で窓の外を見る。

 荒ぶる鮮烈な(あか)が、そこにあった。


 ────街が、燃えている。
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