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055 八雲の問い


 明くる日の朝、八雲たちが出発しようとした矢先に街の守衛がセタンタの牽く竜車を引き留めた。曰く、「魔王城への街道近くで魔物の群れが移動しているらしいから危険だ」とのことである。


「さて、どうするか」


 結果、八雲たちの出発は先送りになり、一度チェックアウトした宿にとんぼ返りしてきたのである。料金はもちろんこちらが持つのだが。


「暇なんだよなぁ……」


 窓際に腰掛ける八雲。外の街路では子供たちが元気いっぱいに走り回っている。あそこに混じるのもいいが、怪しまれて逃げられても事だ。ならば、何をしよう?

 結局のところ、八雲は大いに暇だった。それを見かねたのであろう竜王が、読み止しの本を手に取りながら呟く。


「暇ならアリスたちについて行けばよかったろうに」

「いや、もうこりごりだ……」


 アリスたち女の子三人衆は、昨夜から仲間になったセタンタとともに買い物に出かけている。八雲が行かなかった理由は明白だ。


「あの買い物は疲れるんだよ」


 そう、疲れるのだ。振り回されるのは別に嫌いではないが、さすがに荷物持ちもしながらだとどうも面倒になってしまう。


「その様子じゃと相当堪えたようじゃな」

「相当どころじゃない、正直言えば俺はもう行きたくないくらいだよ」


 八雲が顔を顰めれば、竜王は顔のしわを深くして明朗に笑う。

 ところで、守衛の言葉にあったように、最近の世界は騒々しい。魔物の大量発生や群れなどの移動はいつもあるのだが、近年ではそれが特に激しい。被害数などもここ十年の間では一番になるくらいなのだ。その理由は定かではないが、魔物が凶暴になっているという報告も寄せられているらしい。


 不思議になった八雲が口を開く。


「少し訊きたいんだけど、魔物の凶暴化ってよくあることじゃないのか?」

「よくある、とは言えんじゃろうな。ただ、昔にも何度かはあったのぅ」

「それ、誰が止めてるんだ?」


 竜王はふむと顎髭をさすって、


「魔王の直属軍であるとも言えるし、そうでないとも言える」

「どういうことだ?」

「魔物による被害が出るのを防ぐのは魔王直属軍(ヴァルキュリア)じゃが、凶暴化の原因を探り、解決するのは別の者じゃな」

「ヴァルキュリア?」


 八雲は片眉を持ち上げた。初めて聞く名前だ。


「なんじゃ、知らんのか。ヴァルキュリアは魔王直属の軍の通称じゃよ」

「っていうと、女性だけで構成されてるのか?」

「んなわけないじゃろ。率いる魔王が女ってだけじゃわい。お主の目にはさっきの守衛が女に映ったんかの?」


 八雲は知らないが、魔王直属軍(ヴァルキュリア)というのは単なる俗称であり、呼び名自体が何某かの意味を持っているわけではない。魔王が女性であることからその呼び名が浸透しただけである。正式名称はそのまま、魔王(まおう)直属軍(ちょくぞくぐん)だ。


「……ってことは、この街の守衛もヴァルキュリア?」


 竜王がやれやれと言いながら首肯する。どうやらこの街の守衛どころの話じゃなさそうだ。八雲は苦笑して竜王に続きを促した。


「この大陸全土を守っておるのがヴァルキュリアじゃよ」

「……へ? それ、魔王直属どころじゃなくないか?」

「魔王直属だからと言って魔王の近くだけを守るなどという道理はないじゃろ。魔王の部下であれば直属なんじゃからな。その部下たちが大陸全土を守っていてもおかしくないはずじゃ」

「いや、まぁそうなんだけどさ……さすがに驚くだろ」


 八雲はげんなりした様子で溜息を吐く。竜王が言うとおり不思議はないのだが、どうしても魔王直属と聞くとよくあるアイドルの親衛隊などが頭に過ってしまうのだ。そんな想像が起これば、ヴァルキュリアが大陸全土を守っていると聞くと驚いてしまうのも仕方ない。


「? ……変なやつじゃの」


 竜王が怪訝な眼差しを八雲に注ぐ。それから、ごほん、と咳払いをして、


「まぁよい。そんなことより、暇なら依頼(クエスト)でも受けてきたらどうじゃ」

「あー……それもいいけど、いまは街を出られないだろ」

「街のなかでペットでも探しとればええじゃろ」

「それだったら竜王に訊きたいことがあるんだよな」


 媚を売るように八雲が言うと、白けた顔になって竜王が首を振る。にべもない。


「嫌じゃ」

「魔法とかも教えてくれるって言ってたよな?」

「それとこれとは話が別じゃ」

「別なのか!?」

「面倒なんじゃよ、察せ」

「ついに見捨てられたっ!?」


 以前に交わした約束がものの数秒で反故にされてしまった。開け放たれている窓から乾いた風がひゅるりと入ってくる。まるで八雲を嗤うようだ。

 やや大げさなリアクションながらも、八雲の驚きは本物である。竜王もそのことをわかっているのだろう。呵々(カカ)と笑い、唇の端を吊り上げた。


「嘘じゃよ、魔法以外でもなんでも訊くとよい。答えられることならば気分次第で答えよう」

「できれば気分云々を抜きにしてもらいたいんだけどな……まぁいいや」


 八雲は安心顔でベッドに腰掛ける。竜王は椅子に座って栞を挟んだページを開いた。


「で、なにか質問はあるのかの?」

「……気になることがあってな」


 この異世界で過ごしてきたこれまでのなか、八雲にはいくつもの疑問があった。気持ちを切り替えるように深く息を吸い、ふぅと吐き出す。


「まず一つ目だ。竜王、アンタは女神との面識があるのか?」

「あるわけないじゃろ。女神なんているはずもない」

「本当にそうだと?」

「当たり前じゃ。でなかったらこの世に不幸が起ころうはずもないわい」


 八雲不思議そうに尋ねるも、竜王の顔色は一向に変わらない。


「でも俺が魔法を使えるようになったって一目で看破できた」

「それくらい魔法に通ずるものなら誰だってわかるわい」

「あの日、俺は女神に会ってる」

「どうせ夢じゃろ」

「ああ、夢かもしれないな。でも、夢だと断じることもできないだろ?」

「ま、そうじゃの。いずれにせよ、わしにはわからんな」


 と言って、竜王は眼鏡の位置を直した。


「だよな……やっぱり夢だったのかなぁ」


 ははは、と愛想笑いをして八雲はベッドに寝転がった。

 実のところ、竜王は女神の存在を知っている……と、八雲は睨んでいる。確たる証拠はないのだが、言うなれば八雲自身の勘だ。竜王が女神を知っているという推測に八雲は確信めいたものを感じている。それが何処から来るものなのかはわからないが。


 竜王の顔は少し強張っている……気がする。顔に出さない術を知っているのか、それとも年の功なのか。おそらくは後者、経験から得たものなのだろう。

 八雲は上半身を起こすと、


「よし、なら次に行こう。二つ目だ」


 肘を太腿に立て、組み合わせた拳の上に顎を乗せる。


「“ノア”のこと、知ってるだろ?」

「…………」


 “ノア”という名が出たとき、はじめて竜王がその顔に動揺を表した。と言っても、眉がピクリと動いたくらいだが、それだけでも八雲が確信を得るには充分だった。


「ま、知ってるかどうかは訊かなくてもよかったんだけどさ」


 一応の確認だ。知らない振りを決め込まれても、それはそれで聞き出す手段があったのだが。最初に女神(ミラ)について訊いたのが功を奏した。


「ノア。言ってなかったけど、落ちていく俺を助けてくれたのは彼女だ」


 言わずにいた事実を告白し、八雲は黙り込んでいる老人を見つめる。すると、目を閉じていた竜王はいよいよ観念とばかりに本を閉じた。


「たしかに、言われておらんかったのう……お主が言ったのは落ちて助かったという事実だけ。よく考えてみればお主がひとりで生き延びることができるはずもない」


 苦笑を禁じ得ない、と竜王は苦い顔になる。少なくとも、八雲が言わなかったことに不満を持っているわけではなさそうだ。


「ノアについて知りたいんか?」


 竜王が問えば、八雲は得意げに頷く。


「ああ、そうだ。俺は彼女に言われたんだ、──竜王を頼れ、ってな」

「まさかそこまで信頼されているとはのう……嬉しいんだか悲しいんだかようわからんわ」


 噛みしめるように言う竜王。その哀切に満ちた言葉に在る意味を八雲は知らない。

 風が出ていくようにカーテンが揺れる。悪戯好きの風は、室内の雰囲気に触発されてかぴったりと止まった。

 竜王は朗らかに笑うと、


「さて、お主はノアの何を知りたい?」

「何と言っても、もともと彼女の人となりも何も知らないんだよ。ただ不思議になっただけ」

「それでよくもまあ訊く気になったもんじゃな。小細工までして」

「けどその小細工がなけりゃ話す気はなかったろ?」

「まったく……賢明と言うよりかは狡猾、小賢しいと言った方がしっくりくるわい」


 呆れた様子で八雲を一瞥する。八雲は楽しそうに笑んでみせた。


「食えない爺さんを相手にするからにはそれなりの策を弄してみせなくちゃな。それに、俺は彼女と係わったことのある人間だ。なら、俺には知る権利、あるいは義務があるんじゃないか?」


 楽観的な態度を取る八雲に竜王の目が細められる。

 これからの質問は、世界の構造(システム)についてのものになるかもしれない。事前に女神(ミラ)から受けていた説明があったからこそ、八雲はいまこのとき竜王に問える。


「ノアは“世界のバランスがおかしくなるかもしれないから、行かないと”って言ってたんだ。それってつまり、ノアが世界の均衡を保ってるってことだ。そうだろ?」

「いきなり核心を突いてくるのぅ」


 竜王はどこか遠い目をしながら呟いた。それから、八雲の質問に答えを返す。


「お主の推測は間違っておらんよ。そのとおり、ノアが世界の“調停者”じゃ。魔神、とも呼ばれておるがの。付け加えれば、ノアが世界のバランスを保っていると知っている者は少ない。ほとんどの者はノアが破壊を司る魔神であると考えておるじゃろうな」

「……へ?」


 八雲は素っ頓狂な声を出した。竜王の答えが予想外だったのだ。

 混乱する頭を抱え込みそうになりつつ、八雲はひとつずつ考えていく。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。“調停者”? 調整じゃなくて?」

「うむ、調停者じゃ。誤りはない」

「だってそれじゃ、いや、たしかにバランスを取る意味もあるだろうが……調停者じゃ、まるで二つのものを同時に相手取ってるようなもんじゃないか」

「事実、そうじゃよ。彼女は人間も魔物も必要があれば滅ぼす。ノアにはそれだけの力がある」

「だから、魔神なのか……?」

「その考えでよい」


 八雲は言葉を失った。


「どうしたんじゃ? そんなに呆けた顔をして」

「いや、だって、あいつは俺を助けてくれたぞ? なのに、人間も魔物も滅ぼす? それはおかし──違う、……おかしくはないのか」


 なぜなら、彼女は調停者だから。

 調停者は、双方の間に入って争いが止むように行動する。妥協点を見つけてはそれを直す。

 現代では離婚に際して調停という言葉が多用される。たとえば、子供を持つ夫婦が離婚したとき。妻が養育費を要求すれば、調停者たる裁判所は夫にその経済力に応じた額を払わせる。夫が子供との面会を求めれば、裁判所は妻に週に一度、もしくは月に一度でも面会の時間を作らせる。


「けど、どうして人間も魔物も滅ぼしたりするんだ?」

「そこまではわしにもわからん。じゃが、彼女が各地を転々として、ときには人間の街を、ときには魔物の群れを無に還していることは確かじゃ」


 調停者は、双方の間に入って争いが止むように行動する。妥協点を見つけてはそれを直す。

 ノアが滅ぼした場所には、世界にとっての異常、あるいは修正すべき点があったのだろう。


「ひとつ言えるのは、彼女がおるから世界が存続している、ということかの」


 生憎と世界の民は彼女を誤解しておるがな、と竜王は言う。


「でも、そんなの……ずっと孤独じゃないか」

「なぜそんなに動揺しておる?」


 八雲が信じられない顔で竜王に目を遣る。

 彼は何も感じていない風で、その厳然とした顔からは先ほどのような微かな揺れさえも見つけられない。本当に、何も思うところがないのだろうか。


「知る権利と知る義務があるから聞く、道理じゃな。けどの、八雲よ」


 竜王が八雲を見据える。わずかに濁り始めている瞳には、八雲の姿が見えない。


「知ったいま、お主に何ができる? 彼女に寄り添うか? お主の護りたいものを捨ててでも、お主は彼女を救えるか?」


 何も答えられなかった。


「知る権利や義務というのは、彼女に係われる者がいて初めて意味を成す。何の決意もなく彼女を知ろうとしないほうがよい。それに、彼女はそれを望んでおらんしな」

「そんな……」

非道(ひど)いと思うか? 酷だと思うか? ……あえて言わせてもらうがの」


 竜王はいつになく厳しい面持ちだった。


「お主の方が非道じゃよ。彼女を救うための葛藤も覚悟もなしに知ろうとするんじゃから。彼女からすれば、勝手に自分のことを詮索されて、引っ掻き回されて、あげく捨てられる、ってところじゃろうよ。どちらが本当に非道いのか、よく考えてみることじゃな」


 当たり前の事実を突きつけられた八雲は、どうすればいいのかわからなくなる。その様子を見かねた竜王が顎髭をさする。しかし、八雲の軽率な発言が彼の癪に障ったのは確かだ。


「ちと、言い過ぎたかの。すまんな、じゃがこれは本当のことじゃ」

「……いや、竜王が謝ることじゃない。俺の浅慮が過ぎただけで、竜王の言うとおりだよ」


 八雲は落ち込んでいた。だが、それと同時にある決意もしていた。


「ありがとう。おかげで俺も決心できた」

「? どうしたんじゃ、いきなり」

「俺はいつかノアに会いに行く。それで、彼女の手伝いもする」

「はぁ!? お主、何を言っとるかわかっておるのか!? 第一、お主には護るべきものたちがおるじゃろうて!」


 そのとおり、八雲には護るべき存在がある。助け出さねばならない少女もいる。


「だから、その後だ。俺はラルカを助け出して、そのあとにノアの手助けをするさ」

「……本気で言っておるのか? 率直に言って、無謀と言わざるを得ん」

「無謀でもやるさ。俺はいま、そう決めたから」


 八雲が言い切ると、竜王は仕方ないとばかりに肩を落とした。


「なんだか最近のお主はそればっかりじゃなぁ。……わしらを引っ張るお主が真っ直ぐで確固たる意志を持つのは喜ぶべきことじゃ。けどの、それゆえに不安定なんじゃよ。見ているこちらからすれば、危うい」

「そう見えるのか?」

「見えるとも。自分のことはなかなかどうして見づらいもんじゃ」

「そっか……でもま、大丈夫だろ? お前らが見ててくれるなら俺は不安定なままでも大丈夫だって言いきれる」

「……なら何も言わんよ。ただ、気をつけることじゃな」


 竜王は心配そうに眉根を寄せる。八雲は心配し過ぎだと首を竦める。


「よし。これでノアのことはわかった。ああ、そう言えばこの石、聖癒(healing-)結晶(crystal)だっけ? これ、どういう仕組みなんだ?」

「魔力の塊と言えばわかるじゃろ。地中で溜まった魔力が結晶化したものじゃ」

「ああ、そうだった。前に訊いたときもそう言ってた気がする」


 八雲は胸元の小瓶をつついた。カラン、と微小な石が音を鳴らす。


「そのうち溶けてなくなるんだっけ。貴重に使わないといけないなぁ」

「幸いイーナもアクアも回復魔法が使えるからの。多少の傷は治せるじゃろ」

「ほんと、二人ともすごいよ」


 ごく自然な笑みを浮かべる八雲。竜王は微笑むと、八雲に尋ねた。


「まだ訊きたいことがあるのかの?」

「そうだな、これが最後、三つ目だ」


 と言って八雲は、これまでに一番頭を悩ませたかもしれない件を口に出す。


「“勇者召喚”についてだ。俺たちが初めての儀式だと言われてるが……以前に行われたりしたことはないのか? 俺が考えるに、アリスと俺たちとの間に勇者召喚が行われていたとしてもおかしくはないはずなんだ。だって、魔王を倒そうとしたにしてもわざわざアリスのときから期間を空ける理由がない」


 アリス、つまりは初代勇者が魔王討伐の命を受けたのは約五百年前である。当時のアリスは第二王女という立場にありながらも勇者として旅立つこととなった。しかし、結果としてアリスは魔王の討伐に失敗。そもそも魔王には戦う意志がなかったのだから当たり前と言える。いや、それ以前にアリスの話によれば彼女は魔王に負けている。それから紆余曲折を経て……、とまぁ、ここまではいい。


 ここに推測を挟むとすれば、当時の王国の情勢が芳しくなかった、または逼迫していたのではないだろうか。でなければ、自国の第二王女を簡単に魔王討伐の旅になど出さない。たとえ彼女が自ら進言したとしても、だ。

 不思議な点はこれだけに留まらない。


「本当に魔王が死んだかわからないのに討伐軍を向かわせないなんておかしくないか?」

「ふむ……」


 彼女が魔王討伐に失敗したと知った王国はその後、討伐軍の編成をしていない。

 おそらくはここが鍵だ。アリスが魔王討伐に失敗したかどうかの真偽を確かめる術をアルス王国の民は持ち合わせていない。いつまで経っても勇者は帰らず、だからと言って魔王が攻めてくるわけでもない。だからこそアルス王国の民は勇者と魔王が相討ち、あるいは魔王に深手を負わせたと推察したのだろう。それゆえ討伐軍を編成しなかったのかもしれない。


 だが、本当にそんなことがあり得るだろうか?

 一国を治める者が、仮にも国民の命を預かる者が、そんな希望的観測に縋ることがあるだろうか?


「もしかすると俺の考えすぎなのかもしれないし、窮地に追いやられ過ぎて余裕がなかっただけなのかもしれないんだけどさ」


 ふと思い立ったときからずっと、八雲は考えていた。


「何か、あったんじゃないのか? アリスが魔王討伐に行ってから、俺たちが呼ばれるまでの間に」

「まぁ、あったのう。あったと言っても、史実には残っておらん」

「何があったのか教えてくれないか?」

「教えてやらんこともないが、わしの口から言っていいものかわからんな。それに、お主の求める答えとはいささか気色の違うものじゃ」


 言いづらい、と竜王は首を振る。何でも訊けと言ったくせに、と言うのはお門違いというものだろう。なにせ竜王は「わしの口から~」と言った。


 つまり、他に知り得ている誰かがいるのだ。その誰かも、特定するのはたやすい。

 竜王の口からは言いづらい。ということは、八雲も面識のある人物でなければおかしい。その条件下で導き出されるのは、その時代に生きていた人間であり、竜王と交流のある人物。


「アリス、か」

「はて? わしはアリスのことなどとは言っておらんがのう」

「推測させたくせに……なんて言いぐさだよ」


 軽い物言いだが、八雲の表情は芳しくない。

 アリスに係わる話で言いづらいこととなれば、『竜王の咢(ダンジョン)』での一件が八雲に対して効力を発揮するからだ。アリスはあのダンジョンにおいて、八雲に「まだ話せない、話したくない」ことがあると言った。おそらく竜王の知っていることは、それに繋がっていると推察できる。


「アリスのことなら、聞けそうにないな……」


 八雲が呟くと、竜王がゴホンと咳払いをした。ふと注意が移って、目が竜王に向く。


「教えてやらんこともない」

「はぁ? だってそれはアリスが話したくないことなんだろ?」

「それとは別件じゃよ。なぜなら──、」


 竜王は険しい顔になると、低く冷たい声で、言った。


「アリスにはその記憶がないからの」



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