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053 地竜

 旅と言えば馬車だ。王国にいたころからそうだったが、この世界では馬車が一般的な交通手段として重宝されている。だから「足を得ねばな」という竜王の言葉は馬車の購入を示唆しているものだと思い込んでいた。


「この子を譲っておくれ」

「ああ、構わねえけど……こいつは一度認めたやつしか乗せないぜ? 他の奴の方が若いし、たぶん誰でも乗せるけど」

「それこそ構わん。わしはこの子と決めたんじゃ」

「……ならいいけどさ」


 小太りの商人は何でもないように言いのける竜王を訝しげに見る。

 依頼所の奥にあるゲートから通じている闘技場。観客席に取り囲まれているも、その観客席は閑古鳥が鳴いている。もちろん、演舞や武闘会などが開催されていないからだ。


 ではなぜそんな場所に連れてこられたのか。その理由が目の前にある。


「なんだ、これ……」


 八雲は信じられない顔で目の前の光景を見ていた。アクアはきゃっきゃとはしゃぎ、アリスとイーナがそれを見守っている。竜王は小太りの商人と交渉話に花を咲かせていた。


「馬じゃない」


 漏れだした呟きの八割は驚愕が占めている。残り二割は興奮と期待だ。

 八雲は見開いた目を輝かせた。それから、荷台の周囲を何度も回って、新たな発見があるたびにいっそう目の輝きを強くする。


「ねぇねぇ竜王さん、この子ですか!? このかっこいい子が私たちの竜になるんですか!?」

「いま交渉中じゃ。待っとれ」


 荷台の外見は馬車と変わらない。ゲームなどでよく見るキャラバンの絵をそのまま反映させたような作りだ。しかし()くのは先ほどの呟きのとおり、馬ではない。


「竜だ」


 黄土色の鱗にオパールの瞳。縦に裂けた黒の瞳孔。強靭な四肢は筋肉で盛り上がっており、体長はおそらく三メートルかそこらだろう。

 一般的には地竜と呼ばれている、大きな蜥蜴(トカゲ)の魔物だ。


「アリスっ! これなんて言うんだ?」


 と、今すぐにでも訊きたい。この車はなんという名前なのだろう。どうして魔物が()いているのだろう。好奇心は尽きず、ますます燃え盛るばかりだが、それよりも羞恥心が先行して唇が動かなくなってしまう。


「本物の竜ってこんな生き物なのか」


 内心の興奮をおくびにも出さず、八雲はまた観察し始めた。

 ひとつ、わかったことがある。たぶんだが、この地竜はかなり賢い。八雲が真正面から見つめるとそっぽを向いてふんと鼻白むし、なにより退屈そうだ。地面に肘を着いているあたりに年季の入った中年らしさを感じずにはいられない。


「おっきーい!」

「すごいね、竜さん……」


 だが、八雲の目にはその中年らしさがかえって渋く見えていた。

 この地竜とともに旅をするのかと思うとわくわくが止まらない。胸の高鳴りを感じつつ、八雲は耳をそばだてた。竜王と商人の交渉を聞き届けるためだ。


「アイツは本当に賢くてさ……ていうかじいちゃんは何のために地竜を?」

「旅じゃよ。魔王城への旅じゃ」

「魔王城って、あんたその歳でかい!?」

「うむ。行かねばならん。じゃから、これでどうかの?」

「なっ……!?」


 小太りの商人が目を剥く。それなりに世を渡り歩いてきたであろう商人が驚くほどの金額が動いたことの証左だった。商人は額の汗を拭うと、周囲の目を気にしながら小声で告げる。


「じいちゃん、あんた損するぜ? 市場じゃ地竜一匹あたり金貨十五枚が普通だ」

「お主の言っていたことに間違いがないことくらいわかるわい。だからこの値段を提示したんじゃ。……わしの慧眼に感服するとこじゃぞ?」


 竜王がしたり顔で呟く。これにはいよいよ商人も驚いたらしく、数秒の硬直のあと、肩の荷が下りたみたいに溜息を吐いた。


「アイツはもともと冒険者に飼われてたんだ。いろんなとこを旅したかったんだろうけど、飼い主が死んじまってな。ここでくすぶってたってわけよ。ああ、まったくあんたがもっと早くに来てくれてたらなぁ」

「歳なぞ関係ありゃせんよ」

(ちげ)えねえ」


 商人は楽しそうに破顔する。小太りだからてっきり悪巧みする商人かと思っていたが、完全に八雲の偏見だったらしい。商人は一頻り笑ったあと、竜王の手を固く握った。


「頼むよじいちゃん。アイツの夢、叶えてくれ」

「承った。交渉成立じゃな」


 商人が頭を下げると、竜王が鷹揚に肩を叩く。それは、つまるところ交渉が成立したということだった。竜王は商人に金を渡すと、こちらを振り返ってピースサインを見せた。


「交渉成立じゃ」

「これでどこに行っても安心ですね!」

「竜車があればまぁ、陸地ならどこでも行けるからね。嬢ちゃんたちも一緒に旅すんのかい?」

「ええ、そうですよ。私たち五人での……いえ、これからは六人での旅です!」


 アリスが気丈に言えば、商人は目を丸くしたのちにプッと噴き出した。それが逆鱗に触れたのか、アリスはむっとしかめっ面になって商人を睨む。


「なにかおかしなところでもありますか」

「わるい、悪い。でもまぁ、おかしいところというか発言自体がおかしいって」

「む……おかしくなんてないと思います」

「ああ、誤解しないでくれよ? おかしいって言っても悪い意味じゃねえんだ。最近じゃ地竜をメンバーとして数えるやつは少なくてさ。だから嬢ちゃんがそう言ってくれて、俺は安心できた。あんたらならコイツと仲良くやれそうだ!」


 笑いすぎによる涙を拭きながら商人が言う。それを聞いたアリスの顔が緩むのを見て、八雲はほっと息を吐いた。不機嫌なアリスはなかなかに面倒なのだ。


「そういうことなら任せてください。私はきっと仲良くやってみせますから!」

「うん、それくらい元気があるなら大丈夫そうだ。そっちの兄ちゃんはもしかすっと試されるかもしれないけどな」

「俺ですか? そりゃまたどうして?」

「言っちゃ悪いが、コイツはあんたを見たときから気を張ってるのさ。外面はなんでもないふうにしてっけど、本当なら喧嘩吹っかけてるかもしんねえくらいだよ」


 困ったもんだ、と溜息を吐く商人は、しかし嬉しさを隠せず口許が緩んでいる。八雲はそれが不思議になって、


「それにしては嬉しそうですね?」

「まぁな。コイツが喧嘩吹っかけるってことはさ、なんつうか、アンタをある意味認めてるってことだし、それに、俺はまだやれるって言ってるようなもんだろ?」

「ま、八雲と喧嘩させてもええんじゃがな、わしは傷つかんし」

「それでいいんですか!?」


 茶々を入れる竜王にアリスが目を見開く。商人は少し驚いた顔になり、八雲はそれに対し肩を竦めて「いつものことです」と付け加えた。


「兄ちゃんもなかなかの苦労人みてえだな」

「……いや、そんなことないですよ。俺はこういう日常が好きですから」

「ハハっ、わからなくもねえや。でも変わり者だな兄ちゃん」

「よく言われます」


 八雲が苦笑すると商人は「だろうな」と笑って一本の瓶を渡してくる。


「これは?」

「この辺じゃ有名な酒さ。あんたらの門出に乾杯ってところだ」

「……この世界のひとは酒が好きだなぁ」

「ん? 何か言ったか?」

「いいえ、なんでも。ありがたくいただきますよ」


 と八雲が受け取ったとき、後ろから背を小突かれた。なにかと振り返ってみると、八雲を小突いたのはこれから旅をともにする地竜だった。

 地竜は低く唸りながら八雲をじぃっと見つめている。そこへ商人が割って入って、


「こら、ダメだろセタンタ。この兄ちゃんとはこれから一緒に行くんだからな」

「俺になにか言ってるんですか?」

「ワリいな、コイツは兄ちゃんに喧嘩吹っかけてんのさ」

「……そういうことなら」


 八雲は顎に手を当てて黙考すると、腰に提げている鞘ごと剣を地面に置き、地竜の傍による。地竜は目をギラつかせ、フンと鼻息を荒げた。


「お前、魔法は使うのか?」

「兄ちゃん!? コイツは魔法こそ使えねえが、それでもここらの冒険者より強えんだぞ!?」

「大丈夫じゃよ、これはそこまで柔じゃないからの。虫みたいにしぶといぞい」

「言い方に気を配ってくれ……」


 八雲はげんなりしながらコートを脱ぐ。

 竜王のせいで気が落ちたが、すでに八雲は準備万端だ。服にしてもカジュアルだが機能性は悪くない。むしろいままでのものより動きやすいくらいだ。

 あらかた確認し終えた八雲は、こちらを厳しい目つきで睨む竜に視線を当てる。


「さて、俺を認めてくれよ、セタンタ」


 はたして、地竜──セタンタは低く唸る。

 セタンタというのは、かの英雄クー・フーリンの幼名だ。クランの猛犬の異名を取る彼はその壮絶な最後が有名である。八雲の脳裏には、中学生のころに調べて彼に憧れ、しょうもない誓い(ゲッシュ)を立てた記憶があった。ちなみにその誓いはまだ破っていない。


「よし、少し離れたところでやろう」


 八雲は腕を回しながら闘技場の端へと歩いていく。後ろを歩くセタンタは唸るのをやめず、敵意を剥き出しにしたままだ。だが八雲は、


 ──かえって都合がいい。


 と、楽観的な感想を抱いていた。


 認めてくれないまま旅を共にするのでは、セタンタにとって信頼に足らない存在となってしまうことがあるかもしれない。そうなってしまえば、有事の際に力を貸してくれなくなる可能性だってないわけではないのだ。


 だから、八雲にとってこの状況は、決して悪い展開ではなかった。


「空を飛ばないにしても、竜と一戦交えるなんて想像もしてなかったなぁ」

「充分気をつけてくれよ兄ちゃん。コイツだって本物の竜じゃないにせよ、竜って呼ばれてんだ。……強いぜ」

「もちろんわかってますよ。でも、だからこそやりがいもある」


 竜は、端的に言って最強の生き物だ。

 一度(ひとたび)牙を剥けば、その(あぎと)から放たれる猛火が街を焼き、強靭な尻尾はほんの一振りで十はくだらない命を奪うとされている。史実に残っている滅亡した都市のほとんどは、竜に滅ぼされたというものばかりである。


 むろん、竜と言っても街を滅ぼすような竜は理性的と言うより本能的に生きている。

 しかし竜には友好的なものもおり、彼らは人間社会に混じって生きていることも多い。たとえば竜騎士(ドラグーン)として名を馳せたり、あるいは街の守衛として生きているものも少なくない。彼らはみな、人間社会に溶け込んでいる。


 出自は知らないが、竜王などはその最たる例だろう。実際に竜の姿を見たことがあるわけではないが、彼は竜の始祖としてその名を世界に知らしめている。


「お前もきっと、前の主人が好きだったんだろうな」


 今回相手となるセタンタは地竜と呼ばれているが、その根源(ルーツ)蜥蜴(トカゲ)にある。したがって、竜とはまた違った生き物なのだ。


「俺はお前──地竜を見るのが初めてだ。珍しいか? それとも、怖いか?」


 八雲はある程度離れると、振り返ってセタンタと向き合った。

 オパールの瞳が自分を捉えて放さない。たったいま研磨したように鋭い眼光が、八雲の好奇心と期待を刺激している。地竜の挙動のひとつひとつに興味があった。


「俺は正直に言ってワクワクしてる。それこそ子供のときみたいに、だ」


 ふてぶてしい笑みを浮かべるが、わずかに身体が震えた。

 このひりついた空気や緊迫感が、いまではいっそ心地いいくらいになっている。おそらくはこれが、良い緊張、武者震いなのだろう。


「どうやって勝ち負けを決めるんだよ兄ちゃん! 殺し合いなんて洒落にならねえからな!?」

「落ち着きなされ。男と男の戦いだったら勝敗の決め方なぞひとつしかなかろう?」


 唾を飛ばす勢いで抗議する商人だったが、竜王がそれを諌めた。ひどく落ち着いた声音で、竜王は八雲に向かって挑発的な視線を送る。


「どちらかが倒れるまで、と相場は決まっておる」

「それじゃかなりの怪我をする可能性だって──」


 変わらず商人は猛反発する。八雲はその言葉を遮り、


「──竜王の言うとおりだ」

「なっ……!?」

「やるからにはそうこなくっちゃ。これからは命を預け合うんだから、お互いの実力を知る意味でもそうしたほうがいい」


 と、ストレッチを終えた八雲が無邪気に言った。商人は口をポカンと開けたまま、何も言えなくなって閉口する。


「ま、魔法は使えないがの。さすがにそこまでやるのは危険じゃ」

「魔法なしでも充分危険だっての」


 くぐもった笑い声が闘技場の隅に湧く。イーナは心配そうに見つめていたが、まだ幼いアクアは何が起こるのかよくわかっていないらしく、小首を傾げていた。

 そんななか、


「期待してますよ?」


 視界の奥、稲穂のような艶めきがたゆたう。突如として吹いた空っ風は、まるで秋の訪れを告げるようだ。八雲は、応援なのか皮肉なのかもわからない声に一瞥を投げた。彼女は八雲の勝利をまるで疑っていない。そういう目をしていた。


「……期待されるのは嫌いだったんだけどな、」


 伏し目がちに。しかし、暗い気分にはなっていない。


「任せとけ」


 八雲は親指を立ててサムズアップを見せつける。アリスは、信じてますよ、と言いたげに頷くと、銀に煌めく聖剣を顕現させて両者の間に立ち入った。


「私が立会人を。もし命にかかわると感じたときは即刻中止とさせていただきます」

「嬢ちゃんがやるってのか!?」

「安心せい。この子はここにいる誰よりも強いからの」

「だからって……はぁ」


 竜王がクツクツと笑うと、商人は困ったように頭をガリガリ掻く。しばし置いて、とうとう諦めたように深い溜息を吐いた。


「一応職員を呼んでくる。闘技場を使うには許可だって要るんだからな」

「すまんの、恩に着る」

「気にしないでくれよじいちゃん。実のところ、俺も見てみたいんだ。アイツがいま、どこまでやれるのか、をさ」

「くく……お主も大概じゃな」

「男はみんな馬鹿なんだよ。わかってんだろ?」


 竜王は「そうじゃな」と応じ、アリスへ向き直った。


「命の危険を感じたら止めるのは結構じゃが……わかっておるな?」

「ええ、もちろん。やれるところまでやってもらいますよ。なにせ、私たち二人の弟子ですからね」


 二人のやり取りは、言外に「ぶっ倒れても構わないから、死ぬ寸前まで搾れるだけ絞り尽せ」と八雲を奮起させるものだった。八雲は参ったなと目を瞑ると、


「これだからうちの師匠連中は……どうして体育会系のノリなんだよ」


 八雲は力なく乾いた笑みを作ると、いまだこちらを睨んでいる地竜に向き直った。オパールの瞳は、八雲を捉え、放すことがなかった。


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