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051 最初の街

「歩くのも面倒になってきたのう」

「そんなことありませんよ! 歩くのって楽しいじゃないですか!」

「お主は新鮮なのかもしれんがわしはもう飽きたわい」


 本当に面倒そうな竜王。その後ろでアリスがくすみのない黄金の髪をなびかせ、隣を八雲が歩いている。碧眼をきらきらさせるアリスはいまにもよだれを垂らす勢いだ。


「まったく竜王さんってば……それにしても、美味しそうな食べ物がたくさんですね!」

「お前は本当に食い意地が張ってるよな……」

「人のことを大食漢みたいに言わないでくださいっ」

「自覚あったんだな」


 八雲が面白がってからかう。アリスはムキになって、


「違います!」

「違わんだろ」

「違います! 私は女の子です。だから漢じゃありません!」

「そこなのか……?」


 まったくずれている指摘だったので八雲は自然と大きな息を吐いた。すると、袖をくいと引っ張られ、同時にほんわかした可愛らしい声が聞こえる。


「ごしゅじん~」

「その呼び方やめてもらえるか……あらぬ誤解を受けそうだ」

「でもごしゅじんはごしゅじんだよ?」


 アクアは上目遣いを向けながら八雲の袖をもてあそぶ。くいくい引っ張るのがよほど気に入ったらしい。つい八雲はどうしたものかと頭を抱えたくなった。


「……まぁ、そうなんだけどさ」

「? へんなの~」

「まぁいいか……で、どうしたんだ?」


 頬を掻きながら八雲が問うた。


「ここ、たくさんひとがいるね!」

「ま、まぁたしかにな。でも仕方ないんだ、市場っていうのはそういうもんなんだよ」

「ちょっとうるさいけど、みんなげんきだね!」


 苦笑した八雲が頭をなでると、耳を塞いでいたアクアは可憐な笑顔を見せた。しかし少しだけ、怯えの色がある。


 ──でも、仕方ないか。


 なにせアクアはもともと魔物だ。人が多い環境になど行ったことがあろうはずもないし、ともすれば八雲たちが特別というだけで人間自体に苦手意識を持っているかもしれない。


「アクアちゃんはこういうところ初めてだもんね。わたしも最初は驚いたよ」

「おねえちゃんも?」

「もちろん、わたしも驚いたよ。けど、いいひとたちばかりだから大丈夫」


 イーナはアクアの手を握り、優しく諭すように言った。姉妹と見紛う二人を眺めながら八雲はぼそりと呟いた。


「……ああ、そういうことか」

「どうしたんです? 溜息なんかついて」

「いや、ホッとしただけだ。アクアは意外と人見知りみたいだぞ」

「人見知りだからホッとしたんですか? ……やっぱり八雲さんはおかしな人です」


 アリスがくすりと笑む。八雲の不安は杞憂だったのだ。

 よくよく考えてみれば、怒声ではと聞き間違えるくらいの喧伝がそこらを駆けている、しかも初めて訪れる市場ではむしろびっくりしない方がすごい。


「二人が仲良しだから俺もすこぶる絶好調だ」

「父性目覚めすぎじゃないかお主」


 竜王が少し顔を引きつらせる。八雲は訝し気に「何かおかしいか?」と言った。


「これくらい普通だろ、普通」

「溺愛するあまり散財しそうじゃの……」

「大丈夫だよ。それよりいまは足を手に入れなくちゃいけないしな」


 大陸本土にて最初の街セスールに到着した八雲たちだが、足止めを食らっていた。

 問題は足だ。むろん、足と言っても誰かの足がなくなっただとか、病魔に侵されたというわけではない。交通手段としての足だ。


「馬車なんて売ってるのか?」

「売っとらんじゃろうな。なにせ商人の街じゃぞ? みすみす商売道具を手放す商人がおるわけないしの」

「でもここで足を得るんだろ?」

「そうじゃ」


 矛盾を孕む竜王に八雲は怪訝な眼差しを注ぎ、深い溜息をひとつ吐き出した。

 長旅になることが確実なこの旅路は、アクアやイーナの足には負担が大きすぎる。加えて、八雲が現在進行形で背負っている馬鹿でかいリュックが邪魔すぎた。

 だから、交通手段としての足、簡単に言えば馬車が必要になったのだ。


「それにしても、すごい活気だな」

「そりゃそうじゃ。ここに定住しておるのは商人くらいのもんじゃからの」


 宣伝や競売の喧騒にざわめく街路。竜王の捕捉に八雲はへえと相槌を打った。

 このセスールは商人の街として知られている。と言っても、竜王はもとより足を得るためにここを目指していたらしい。まったく、どこをとっても食えない爺さんである。


「おっ、嬢ちゃんたち可愛いね! これ食べな、美味しいから」

「ありがと!」

「あ、ありがとう……ございます」


 色とりどりの果実を売り捌いていた男がアクアとイーナに小ぶりの林檎を手渡してきた。それを受け取ると、アクアは無邪気に、イーナは恥ずかしそうに礼を言った。


「ま、美味かったらまた買ってよ!」

「ありがとう、また来るよ」

「ははっ、ありがとよ兄ちゃん。そんじゃ、いい日を!」


 軽い宣伝を交える男に手を上げて応じる。

 ここまでされてはまた来るしかない。八雲は苦笑を含んだ笑みを浮かべると、再び市場の真ん中を突っ切っていく竜王に続く。


「で、まずはどこに行くんだ?」

「お主の服を見繕いにの。でないとみすぼらしくてかなわんわ」


 竜王の厳しい言葉を聞き、八雲は自らの服装を見直してみる。確認を終えてから八雲はふうと息を吐いた。


「……なるほどね」


 こういう賑やかな場においては大丈夫だろうが、室内に入るにはよろしくない恰好だ。

 洗ってはあるものの、赤黒い染みやら破けた跡やらが散在する外套。腰には何の面白みもない直剣。なんというか、旅疲れした流浪人みたいである。


「ま、その辺をめぐってきたらどうじゃ。わしはここを真っ直ぐ行ったとこの依頼所に居るからの。ほれ、小遣いじゃ」

「……じゃあ行ってくる」


 投げられた巾着袋を受け取ると、八雲はさっそく別方向に歩き出そうと足を踏み出す。が、竜王の一声で足を止めた。


「後ろの三人もよろしく頼むぞい」


 ふてぶてしい笑みを見せると、竜王は八雲が二の句を継ごうとする前にそそくさと人ごみに紛れ込んだ。半ば呆然とした八雲がぎこちなく振り返る。


「お買い物いこっか?」

「おかいもの? いく!」

「楽しみですね~」


 優しく微笑みかけるお姉さん気質なイーナ。元気いっぱいに両手を掲げるアクア。余裕そうな雰囲気を醸し出すもその実誰よりも行きたそうに瞳を輝かせるアリス。


「なるほど、ね……」


 女三人寄れば姦しい。

 この文句はいまこのときのためにあるんじゃなかろうか。八雲は手持ち金を確認しながら、前途多難なこれからについて計画を立てるのだった。



    ×   ×   ×   ×



 もう甘い物は見たくない。ふらふらの足取りで歩く八雲は、甘味処と書かれた看板を見てそう思った。口のなかはまだ甘ったるさに支配されている。

 そもそも甘い物を食べようと言い出したのはアリスだ。美味い食事を終えたあとの一服になら、と快諾した八雲も悪かったのだろうが、そこは棚に上げておく。


 ともかく、最初のケーキまではよかったのだ。問題はその次。二軒目、三軒目とハシゴしたのがいけなかった。甘い物好きを自負していた八雲が挫折するほどのスウィーツ巡り。

 はっきり言ってあんなの地獄でしかない。延々と繰り返される舌への柔らかな感触が悪魔になるとは夢にも思わなかった。


 胃がもたれるのではないかと心配しながら八雲は耳を澄ませる。周囲の雑踏に紛れない、鈴の音に似た二つの声が耳朶を緩く震わせる。


「美味しかった?」

「あくあ、あまいのすきかも!」


 二人の大天使が微笑ましい会話を交わしている。しかもほんの二時間ほど前とは違う服装なのだ。楽しそうに話す二人を見て八雲はすっかり気をほだされる。

 ダッフルコートを着込んだアクアはおそろしく可愛い。隣で笑うイーナもコートを着ているのだが、やはりとんでもない可愛さである。


 まるで姉妹のような二人を写した、絵画とも言うべき光景を目にすれば多少は癒されるものの、あまいという単語だけは聞きたくない。知らず、八雲は苦々しい渋面になる。


「二人ともはしゃいじゃってますね」

「子供なんだからこれくらいがちょうどいいんだよ」

「……そう、ですね」


 八雲が朗らかに言うと、アリスは声のトーンを落とした。横目に見遣れば、何か嫌なことを思い出したみたいにアリスの表情に影が差している。


「なにかあったか?」

「い、いえなんでも! それよりほら、八雲さんは甘い物が苦手なんですか?」


 明らかに誤魔化している。そうわかってはいるものの、八雲は追及する気が起きなかった。もちろん、知りたいし聞きたい。助けになれるのなら、と思う。


 ――もしかして。


 以前にアリスがダンジョン内で言いかけたことが関係しているのだろうか。だが、無理に聞き出すことではない。いつかアリスが自分から話してくれることを待とう。

 ひとつ、何に応えるでもなく頷く。八雲は気分を一転させ、アリスの問いに答えた。


「いや、これでも結構好きな方だよ」

「? おかしなひとですね、八雲さんって」


 コロコロ笑う元凶に忌々し気な視線を遣りつつ、八雲は完全に崩れた計画の一部始終を思い出していく。遠い目をする八雲にアリスが小首を傾げた。


「こういう服が売られてるとは予想外だった」


 初めは服飾を取り扱う店。アリスやイーナにいろいろ着せられたのが記憶に新しい。八雲の服もそうだが、結局イーナとアクアにも服を買うことになった。


「そんな渋い顔しないであげてください」

「いや、……うん、頑張るしかないな」


 アリスの語尾には音符がついている。八雲は溜息を吐いた。

 これから冬が来るようだから、必要経費だと思えば痛くない。というか竜王の財布から出た金だ。あとでどうにかして返さねば。


「なぜか違和感ないんですよね……どうしてでしょう?」

「まぁ、元の世界でもこういう恰好してたからな」


 八雲がいま着ているのは、黒のスキニージーンズに柄物のシャツ、それからロングコート。魔物の皮革を使ったブーツは衝撃を吸収して硬化するものらしい。加えて、灰色の髪は奇異な目で見られると店員に諭され、ついでにニット帽も買わされた。


「ニット帽なんて被ったこともなかったんだけどなぁ」


 どうやら、ここカルマ大陸にはこういったカジュアルな服も売られているみたいだった。思い出してみると市場にも現代風の格好をした人がいた気がする。

 と言っても、まだまだ浸透してはいないようだ。だがまあ、動きやすい素材のようだし、なにより王国で着ていた服よりかは肌に馴染む。


「その帽子も被ればいいのに」

「頭に被る系のものは好きじゃないんだよ」

「ならどうして買ったんです?」

「……何かの役に立つときがくると思って」


 八雲は言い訳を口にして上手くやり過ごした。つもりだ。

 店員の笑顔を躱せなかった、とは口が裂けても言うまい。ネタにされること必至である。


「へぇ〜?」


 ごまかそうとしていた八雲だったが、アリスのしらじらしい笑顔を見て頬を引きつらせた。……どうやら掌で踊らされたらしい。


「まぁ、断れる雰囲気じゃなかったですもんね」

「し、仕方ないだろ?」

「ま、気にしても仕方ありませんし、とりあえずそのニット帽貸してくださいよ」

「え?」

「貸してください」

「‥…どうぞ」


 圧力に押し負けた。すごすごとニットを差し出すと、アリスは上機嫌な様子でそれを被る。

 しかし、彼女の纏っている“不思議な聖衣(ワンダーランド)”と絶妙にマッチしていない。言うのは酷だろう。待て、言うべきなのか? 

 人知れず頭を悩ませる八雲だったが、そこへ意外なところから助け船が差し出された。


「アリスお姉ちゃん、あんまり似合ってないよ?」


 深紅の髪先をいじりながら、恥ずかしそうに言ったのはイーナだ。心なしか、イーナがあわあわと慌てているように見える。いや、実際そうなのだろう。


「ええっ!? そ、そうですか……うぅ……」

「あ、違うの、アリスお姉ちゃんの服に合ってないの。だからね、アリスお姉ちゃんも違う服だったら似合うと思う……の」

「あぁ、そういうことですか……よかったです」


 コートの裾を握り、マフラーに顔を埋めたイーナが助言する。その頬は真っ赤だ。

 八雲はイーナの優しさに感謝しつつ、救われた顔をしているアリスに近寄る。それから、自分より少し背の低い彼女の頭に手を伸ばした。アリスは無抵抗で目を瞑る。


「イーナの言うとおりだ。だから――、」


 アリスの被るニット帽を取りあげると、八雲は屈んで。イーナと目線を合わせる。きょとんとしたイーナは涙で赤みがかった瞳を潤ませている。


「え?」


 黒のニットが深紅の髪をさらに映えさせる。だからこれは、この子にあげよう。


「ん、やっぱり。よく似合ってるぞ」

「っ」


 そのままなでてやる。すると少女はぷるぷると小さな肩を震えさせる。

 そしてとうとう我慢の限界が来たのか、イーナは脱兎のごとく後ずさってアリスの後ろに隠れてしまった。え、と八雲が驚く暇もなく。


「どうしました?」

「いーなおねえちゃん?」


 心配そうに尋ねるアリスとアクア。イーナはアリスの裾を掴みながらこくこくと頷いた。


「そ、そんなに嫌だったか?」


 訊くとイーナがふるふると首を横に振る。嬉しい返答に八雲はほっと息を吐く。

 なら何が駄目だったのだろうか? 八雲が片眉を持ち上げると、イーナがアリスに耳打ちする。自分の口では言えないらしい。それほどの理由があるのだろうか……。


「あー……なんだって?」

「その、恥ずかしかったそうです」


 アリスが苦笑するとイーナがこくこく頷く。アクアは何が何だかわかっていないらしく、とことことこちらに歩いてきた。


「おねえちゃんどうしたの?」

「あ、えっとな、恥ずかしかったんだってさ。俺が悪かったんだ」


 噛み砕いて説明すると、アクアは唇を引き結んだ。


「わるいことしちゃだめなんだよっ」

「……そうだな。アクアはこういうことしちゃダメだぞ?」

「うん! しないからごしゅじんもしちゃだめだからね!」

「ああ、約束だ」


 同じようにアクアをなでたのち、彼女の小指と自らの小指とを絡める。すると不思議そうに見つめるので「おまじないだ」と言うと、アクアは楽しそうに満面の笑みを浮かべた。


「イーナもごめんな? もう少し考えてやればよかったんだけど」


 八雲が申し訳なさそうに手を上げれば、イーナがふるふると首を横に振る。真っ赤なまま言った「ごめんなさい」が聞こえて、八雲はニッコリ笑って見せた。


 ――礼儀正しいと見るかそれとも距離を置かれている証拠か。どっちにしても、いつかは仲良くなりたいな。


 彼女は極度の恥ずかしがり屋だ。それもそうだろう。いままでは竜王と二人暮らしをしており、たまに外に出て買い物をする以外は人と話す機会もなかったのだから。

 彼女との間に自然と張ってしまっていた緊張の一部が(ほぐ)れた。八雲はアクアを抱きかかえて立ち上がった。


「さて、行くとするか。あそこに竜王がいるはずだ」


 正面に見えるは大きな煉瓦造りの建物。

 まるで東京駅みたいだ。不思議な懐かしさを抱きつつ。八雲はまた歩き出した。

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