049 規格外の男
腹の虫が鳴り始める頃合い、あともう少しで到着というところで突然船体が大きく揺れた。海上を見るからに波によるものだけではない。作為的なものだ。
「なんだ!? まさか海獣かっ」
「嘘だろっ」
口々に騒ぐ乗客を無視。アクアを下ろしてアリスに預けると、八雲は手すりから身を乗り出して海中に目を凝らす。うっすらと見える影。おそらくこの船より一回りくらいは大きいだろう。ここに来て大型の魔物と出くわすとはつくづく運がない。
「チッ」
舌を打つ八雲の背後にどたどた近づいてくる存在がある。急いでいるのかは知らないが、いまだに寝ぼけているようで眠たそうに目を擦っていた。
「なんだなんだ、俺の歓迎会でも始めてくれんのか!?」
馬鹿がいた。ちなみに八雲と背は同じくらいの男だ。髪色は夜を纏うがごとき黒に染まり、瞳の色は紅玉に似た輝きを放っている。服装はまるでロックミュージシャンそのものであり、身に着けたシルバーアクセサリーがますますロック系に見せる。
「ん? どうした? 俺の魅力に当てられちまったのか?」
長めの前髪をかきあげて流し目を向けてくる。
十字架をモチーフにしたピアスに、銃剣を模したネックレス。指に嵌めたリングは総じて毒々しいというか、禍々しいというか。とにかくロックな感じだ。
──……胡散臭い。
思わず怪訝な顔を向けると、男は照れくさそうにはにかんだ。
「おいおい、俺はそっちの趣味はねえぜ? そんなに熱っぽい視線を送ってくれるなよ」
「なんだこいつ」
ついに言葉にしてしまった。
だが男は八雲の失礼を咎める風もなく、ただ馬鹿の一つ覚えのように頬を掻く。
「ったく、俺は確かにすげえ男だけどよぉ……」
「いや知らないが」
「知らないのかっ!?」
当然まったく知らない。周囲の人間が騒いでいたこともなかったし、別に突出して有名というわけでもなさそうだ。もしかすると、少しは有名なのかもしれない。
「……俺が世間知らずなのか? まぁ、本当に世間のことは知らないが」
「大丈夫、俺も田舎から出てきたばっかりでさ。世間知らず同士仲良く行こうや」
「十秒前の台詞を思い出せよ。『俺は有名だ』みたいなこと言ってただろ」
「地元じゃ有名だった、たぶん」
「また曖昧だな……」
いよいよ調子が狂ってきた。この男は馬鹿なのか? ……疑問にするまでもなく馬鹿だ。
──なんなんだ、本当に。こいつ、状況がわかってないのか?
八雲がますます眉間の皺を深めると、そこへ、乗客の悲鳴が鳴り響いた。ついで、波が立つ音と船が軋む音。八雲が振り返れば、見るも巨大な影が爆音を伴って姿を現した。
「出やがったっ! 灼熱鯨だ!」
鯨に似た図体で、しかし血走った目はぎょろりと八雲たちを餌と認識する。体表は赤く、全長は十五メートルはくだらないだろう。
その海獣は頭頂部付近の噴気孔からブシュッと湯煙を上げ、
──ブォオオオオ────
「うあっ!?」
「耳がっ、耳がぁっ!」
大気を振動させ、鼓膜を破るかというほどの咆哮を周辺に轟かせた。その影響を強く受けた海上は波を高くし、また、悠遊泳いでいたであろう魚が海面に浮かんでくる。
いかにも強そうな魔物を前に、男は手すりから身を乗り出して破顔した。
「こりゃまた大物が出たもんだぜ! 俺は本当に運がいいらしいな!」
対して八雲は不機嫌そうに眉根を寄せる。もうすぐ街に着くというときにここまで大きな魔物に遭遇するなど不運でしかない。
「最悪の展開だ……」
「最高の展開だっ!」
二人の性格がまるで正反対だと判明した瞬間だった。
ともあれ、八雲は脳内にある情報を洗いざらい検索してみる。
灼熱鯨。海棲生物で、一般的には海獣と呼ばれている部類の魔物だ。
図鑑に載っていた情報によれば、気性が荒く攻撃的で、討伐する際には取り立てて魔法の才や剣の才が無い兵士何十人が束になってようやく、くらいの強さを誇る。生態はと言えば、昼も光の届かない深海に棲み、海底火山から湧き出るマグマを主食としているようだ。
だが、その灼熱鯨がどうしてここに?
「落ち着いて! 乗客の皆様は船室にお戻りください!」
船員の指示を受け、乗客が蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
あるものは混乱ゆえに海に飛び込み、あるものはその場で失神している。少し経てば悲鳴が聞こえて、それは海に飛び込んだ乗客のものだった。
「くそッ」
すぐさま振り返ると、アリスは咄嗟にアクアの目と耳を塞いでくれていた。八雲は感謝しつつ、アリスに単純な指示を出した。
「アリス、まずはアクアを船室に。それから戻ってきてくれ」
「了解ですっ!」
それだけ告げると、アリスは大きく頷いて階段を駆け上がっていく。周囲の乗客はほとんど居らず、代わりに傭兵と見える一団が集まってきていた。
「おうおう、兄ちゃんらは随分若えな。部屋に戻ってた方が身のためだぜ?」
頭領と見える壮年の男が絡んできた。言葉遣いは荒いものの、そこに悪意は感じない。
「俺は大丈夫だ」
「あ、俺? 俺は大丈夫だよ、強えからな!」
「そうかい、まぁこっちも人手があったほうがいいんだけどよ」
「ちなみに俺はファング、この世界で一番強え男になるんだ!」
大言壮語を口にするファングに頭領が呆れて溜息を吐く。心中を察した八雲は、とりあえず彼に合わせて呆れた様子を演じてみせた。
本当に強い可能性だってないわけではない。たしかにこの男は馬鹿だが、何かしでかしそうな予感もある。そんなことを思っていると、頭領が八雲に向けて顎をしゃくった。
「……八雲だ。訳あって旅をしてる」
アンタの番だと言いたげな視線を受けて仕方なく自己紹介する。
「そんなに嫌そうに言うな、俺たちゃ道連れだぜ?」
「地獄への一本道じゃないことを祈るよ」
「へっ、言うじゃねえか坊主! そりゃお前の働き次第ってもんだ」
頭領は気分がよさそうに大笑すると、八雲とファングの肩に手を回す。正直やめてほしかったが、ここで振り払っても面倒なことになりそうだ。
──親しくなるのはできるだけ避けたいんだどな。
そう思いつつ八雲も頭領の肩に手を置く。反対側のファングは意気込みも充分に「やっとろうぜ大将!」と頭領の背を叩いていた。……やはりただの馬鹿かもしれない。
「若えのは死んじゃならねえんだ。気ィつけろ」
「俺が死ぬわけねえだろ?」
「そう言う奴ほどすぐ死ぬのが定石だぜ」
生意気な口を利くファングに頭領が真面目な顔で言った。これまでに何度も経験してきたかのような口ぶりだ。いや、おそらくは本当に経験してきたのだろう。
「もちろん、危ねえと思ったら退くさ。戦いってのは退き際のわからねえ奴が死ぬんだ」
ファングは双眸をぎらつかせると、獣が牙を剥くように白い歯を見せた。その発言に驚く頭領とは逆に、八雲は灼熱鯨を見据えて、
「そろそろか」
と、腰に佩く剣を抜く。この片手直剣は手によく馴染んでいるし、実戦でも問題なく使えることは確認済みだ。八雲は重心を低くし、空いた左手で耳のピアスをなぞった。
「よっしゃ! 旅に出て三日、記念すべき俺の初陣だ!」
威勢のいいファング。死ななければいいが。いや、死なせやしない。
「若えの、気をつけな。来るぜ」
──ブォオオオオ────
果たして、血走った眼で船を睨んでいた灼熱鯨が空に向けて盛大に吼える。その声量たるや、海面だけでなく大気をも痺れさせるほど。
次の瞬間、八雲は驚愕に目を見開いた。
「俺が一番乗りだぜぇええええええッ!」
真っ先に動いたのは血の気の多いファング、通称馬鹿だった。空中に魔法陣を張り、その上を軽やかに駆けていく。灼熱鯨は動く気配を見せず、血気盛んな若者を静観していた。
「馬鹿野郎ッ! 一人で突っ込むんじゃねえ!」
頭領の怒声を浴びるも、ファングはそれを鼻で笑う。
「来い、約束されし勝利の剣!」
ファングの手の甲に魔法陣が浮かび上がり、手許には真っ赤な火焔を噴き出す銃剣が顕現する。銃剣はどちらかと言えば大剣に似た形状をしており、そのサイズたるやファングよりも大きく、その柄はバイクのハンドルに酷似していた。
「【唸れ、勝利のために】」
銀の刀身に走る古代文字が赤く紅く脈動し、アクセルを踏んだように唸りを上げる。
「見とけよ皆の衆、こいつが俺の、」
燦燦と降り注ぐ日差しを背に、雄叫びを上げたファングは高く跳躍。
「漢ファングの、一発目だぁぁあああああッ!!」
放たれた剣閃は鮮やかな焔の軌跡を描いて灼熱鯨を捉えた。悠然と待ち構えていた灼熱鯨だったが、解き放たれたファングの魔力を感じたのか凄まじい怒声を張る。
が、ファングが踏鞴を踏むほどには至らず、血走った一対の眼に絶望が満ちる。
「うおおぉおおおおッ!!」
まるでエンジンが暴走したかのような爆音を伴って、銀に煌めく切っ先が赤銅の肌をやすやすと斬り裂いていく。残るは紅き剣閃と燃ゆる軌跡、そして巨大な体躯が沈む音。
頭部を裂かれた灼熱鯨は、為す術もなく波に呑まれていった。
「どうだこの野郎! っていうか手応えなさすぎじゃねえかオイ!?」
思わず見入った八雲たちなど気にせず、一太刀を与えたファングは甲板に降り立った。握る銃剣は焔の渦に巻かれ、美しく誇らしげにも見える。主人は馬鹿だが。
「すげえじゃねえか兄ちゃん! その実力っ……一体全体どこで燻ってやがったんだ!?」
「勿体ねえ! 兵団でもトップクラスには入れるぜ!」
鍛えぬいたであろう屈強な肉体を誇る男たちが口々にファングの実力を褒め称えた。これまでにも強い者たちを何度か見てきた八雲だが、今回の一方的な強さには舌を巻いた。
「へへ、俺はそんな小さいとこに収まるつもりはねえぜ」
「さっき言ってたことか?」
「応よ! 俺はこの世界で一番になるんだ!」
真っ直ぐというか、どことなく幼馴染の一人に似ている。いつしか八雲は苦笑を浮かべていたが、ある一言で苦笑も気分も崩れてしまった。傭兵の一人が尋ねたのだった。
「ならアルス大陸にも行くのか?」
「それがどこなのかは知らねえけど、当たり前だろ? 世界一目指すんならいろんなとこに行かねえと!」
「それだけはやめときな」
「なんでだ?」
「あそこは行くもんじゃねえ。王が腐ってて話にならねえって聞くぜ」
ファングの答えを聞くと、周囲に群がっていた男たちは揃いも揃って苦言を呈した。
それもそうだろう。噂によればアルス王国には魔王直筆の書状が届いているはずらしいが、王はそのことごとくを無視し続けているらしい。
あくまで噂だが、王国の内情を知る八雲が考えるにおそらく真実だろう。
「へー、そうなんだ」
「へー、って兄ちゃん! ちゃんと聞いてんのか!?」
「聞いてる、ちゃんと聞いてるってば」
ファングはそう言うとつまらなそうに口笛を吹き始める。明らかに話半分というか、訊く耳を持っていなかった。そうなれば男衆も黙っていられない。次々と抗弁するも、当のファングは手すりの上に立ちあがって遊んでいる。
「本気で心配なんだよ! あそこは国が腐っちまってる!」
「あっちから戦争仕掛けてくるって噂もあるんだ! そんな危ねえところに行っちゃなんねえ!」
「わかったわかった。でも大丈夫、俺は強いからさ」
忠告ありがとさん、と言ってファングは銃剣を海上に放り投げる。すると銃剣は瞬く間に形を変えて、大型の水上バイクへと変わった。
その格好いいフォルムに男衆が野太い歓声を上げる。
「ああこれ? いつもはネックレスにしてあるんだぜ!」
ファングは自慢げに鼻を擦ると、ニッと少年のような笑顔になる。八雲はその笑顔が自分に向けられたものであると気づくと、やれやれと大仰に首を竦めた。
「最高にクールだろ?」
「ああ、最高だよ」
「アンタとはまた会う気がするぜ」
「同感だ。次会ったときは敵かもな」
「おいおい、味方かもしれないだろ?」
「世界一を目指してるんなら敵の可能性の方が高いだろ?」
「ま、どっちでもいいか。とにかく、次にあったら勝負しようぜ」
と、ファングはバイクに飛び乗った。直後、けたたましいエンジンの音が鳴り響いて波を弾く。塩辛い水飛沫を散らしながらファングは海上を駆け抜けていった。
──とんでもない奴がいるもんだ。
桁外れの強さだった。たぶん、いまの自分では到底かなわないだろう。
技量などはわからないが、とにかく魔力の質が高かった。もしかすると、あの銃剣なども自分で作ったのかもしれない。まったく規格外の男だ。
遠くなっていく背中を眺めていると、少し興奮気味の船内アナウンスが流れ始めた。
『海獣が無事討伐されましたことをお客様に報告いたします』
おそらくはあの戦いを見ていたのだろう。圧倒的な強さと美しさに加えて、ファングはかなり顔が整っていた。女性なら惚れてもおかしくない。
「八雲さんっ!」
「お、アリスか。遅かったな、もう倒しちまったぞ」
「早すぎませんか!?」
「規格外の男が乗ってたってわけさ。さっきの変人だよ」
「予想外です……わたしの見せ場……」
「まぁ、気にするな」
しょんぼりとするアリスに八雲は慰めの言葉を考える。少し間違えればぶち切れるかもしれないから、気をつけないといけない。しかし案外とすぐに思いついた。
「たぶんお前がいたらもっとややこしかった」
「全然慰めてない!? 慰める気ないですよねそれ!?」
「もちろんだ」
八雲が胸を張るとアリスがぽかぽか叩いてくる。その後も不平不満をつらつらと吐き続けるアリスを宥めながら、八雲は空を見上げた。快晴の青空だ。
──……それにしても。
呆れて物も言えないとはこのことだろうか。八雲は大きく息を吸い込むと、疲れとともにどっと溜息を吐いた。
「……あいつ、何のために船に乗ってたんだ?」
× × × ×
一台の水上バイクがエンジンを唸らせながら海上を駆け抜けていく。トップスピードの爽快感を味わいつつ、ファングは目を瞑って身体を後ろに倒す。
すると瞬時にバイクの形状が変化して、ファングの背をすっぽり覆えるだけの背もたれを作った。
「ありがとよ、フレイ」
「ええ、気にしないでくださいご主人。私はまったく気にしていません。紹介すらされなかったことも、私が話すのを禁じたことも気にしていませんから」
「めちゃくちゃ気にしてるじゃねえか……」
バイクから発せられている女声は、しかしまったく機械的ではない。むしろ人間味あふれる話し方で、ときには今のような嫌味も言うし恥ずかしがることだってある。
フレイというのは愛称だ。約束されし勝利の剣は長いからと言って、ファングは相棒を勝利の神の名で呼ぶことにしている。
「まぁ、許してあげます。どうせご主人はすぐに忘れますから」
「まったく、出来た娘を持つと父親は大変だぜ」
「ですから私は娘ではなく……」
疑問符を浮かべるフレイ。ファングは片目を瞑ると、太陽に向けて指で輪っかを作る。いつかはあの太陽のように燃える武器を造りたいものだ。
「なんと言えばいいのでしょう? 生産物?」
「馬鹿だなお前は……黙って娘って呼ばれてりゃいいんだよ」
「むぅ……なんだか嫌です。どうせなら恋人でもいいくらいです。ご主人はまだ十八なのですから父親なんて似合いません」
「恋人の意味理解して言ってんのかよ、それ」
ファングの問いに「ええ」と自慢げに返事する。フレイはこう見えて自信家だ。しかし自慢げに話すときはだいたい間違った答えか斜め上の発想をしていることが多い。
そんなフレイの話を聞くのが結構好きだ。からかうのも案外面白い。
悪戯好きな少年の残滓を引き摺るファングが顎をしゃくって続きを促す。ますます気を良くしたフレイは鼻高々に言い放った。
「長年連れ添った男女のことでしょう?」
「そりゃ熟年夫婦だ。ってことは俺たちもそろそろ離反の時期ってことか」
「い、嫌です! 離れたくありません!」
「俺もお前と離れるつもりなんかねえよ」
「ご主人……」
甘える仔猫のような声音でフレイが半泣きになる。これはこれで見ていたくもなるが、どうやら急ぎの客が来たらしい。ファングは上体を起こすと、バイクのハンドルをこんこんと叩いた。
「客が来たぜ」
「手荒なお客様には是非ともお帰りいただきたいのですが」
「なんだ? 俺との会話を邪魔されて怒ってんのか?」
「そういうわけじゃありませんからっ!」
のんびりしている二人だったが、水上バイクの前にはかなり大きな渦巻きがある。ソナーにはかなり強い魔力反応を示しているようだし、ここら周辺の海域の主なのだろう。
ファングが欠伸をひとつ。その間に現れた主──海竜は先ほどの灼熱鯨よりは断然手応えがありそうだ。それによく見てみると、竜のくせに体表は鱗で覆われていない。
「あれの名前は?」
「海滑竜です。体表を覆う皮は柔らかいながらも伸縮性に富んでおり、海面を滑って移動します。竜なのか蚯蚓なのかよくわからない生き物ですが、インナーには最適じゃないでしょうか」
「へぇ……」
その価値を見定めるように全体を眺めると、ファングは気を取り直して空咳をひとつ。
「ようこそ、……なぁフレイ、店の名前ってなんだっけ?」
「F&F魔法武具店ですよっ! 私とあなたのお店なんですからそれくらい憶えておいてください!」
「語呂悪いなぁ……なんか新しいの考えといて」
「私この名前に愛着あるんですけど!」
「ならお前の考えた『ファングとフレイの魔法武具店』のままでいいか」
「憶えてるし! しかも言わないでください恥ずかしい!」
すっかり上擦った声で抗議するフレイ。可愛い奴め、と思いながらファングはアクセルを握りしめた。
「さて、F&Fにようこそお客様。けどお生憎さま、アンタは素材行きだぜ」