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045 将棋を指そう


「ふみゅ……」


 八雲は目を疑った。それから、しばし黙考する。

 昨夜のミラとの邂逅もすべて憶えている。彼女が伝えようとしていたことも、幼いころに聞かされていた話の内容も理解した。

 しかし、あのとき最後に言った自分の言葉が思い出せない。臓腑をいじられる感覚があったのは憶えているが、最後に何と言ったんだったか。

 自然と脳が思考に傾く。八雲はハッとしてかぶりを振った。


「いや、今はそこじゃないだろ……」


 目を逸らしたくなるが、逸らしてもいけない。八雲は眼前にある事実に意識を向ける。だがやはり目を向けるのがいかがわしいことのように思え、反射的にそっぽを向く。


 ──何がどうなってるんだ……?


 現実から逃げようとする脳に鞭打って、八雲は冷静に情報の処理を行う。


 現在の時刻、おそらくは早朝だろう。薄いカーテンの向こうから眩しい明かりが漏れ出している。それからアロマキャンドルの薫香も残っている。昨夜寝た部屋で間違いない。

 ベッドがふかふかで気持ちいい。シーツの肌触りもよく、いつまでも眠っていたくなるくらいだ。春ではないが二度寝したい。いや、若干の冷気があるから眠気が誘われるのか。


 八雲は深く息を吸い込んだ。冷たい空気が肺に浸透していく。


「落ち着け、おれ……」


 なぜか、八雲の寝ている横ではシーツが小さな(、、、、)ふくらみ(、、、、)を作っていた。


「んぅ……」


 しかもふくらみは寝息を立てているのだ。異常以外の何物でもない。

 八雲は決心した。二度目の深呼吸をすると、八雲はシーツを指に掛ける。


 そして。

 めくってみた。


「んにゅ……」

「……」


 なかにあったものを確認して、また、シーツを下ろす。

 同時に、冷や汗が噴き出してきた。何も悪いことはしていない。していないはずなのだが、どっと噴き出す冷や汗は一向に収まらない。


「どういう状況だ、これ」


 そこにいたのは、幼い女の子だった。

 透徹しそうなほど澄み切った空色の長髪が綺麗である。あどけない顔立ちは可愛らしく、まるで小動物を見ている気分になった。しかし微笑んではいけない。

 女の子は、肌を隠す役割を担う布を纏っていなかった。簡単に言えば真っ裸である。


「朝チュン……なわけないよな、まず俺がこんな小さい子に犯罪行為をするわけないし何よりこの子は知らない子だし、いや知らない子だからこそ……ってそれもあり得ないし俺はロリコンじゃない」


 誰に言い訳をしているのか、八雲が早口でまくしたてる。ちなみに雀は鳴いていない。

 確認のため、もう一度、シーツをめくってみる。やはりそこにいるのは、幼い女の子。


「みゅ……ん?」


 ぱちっと大きな瞳が開かれる。八雲は「あっ」と情けない声を出した。

 女の子はまだ眠いのか、目を何度もこすり、またこちらを見つめる。コバルトブルーの瞳に映るのは、灰色の髪を持つ自分の姿。

 八雲は顔を引きつらせながらも、


「お、おはよう?」

「んにゅ……おはよ?」


 たどたどしい言葉遣いの女の子に八雲は少し癒されて、引きつった表情筋を緩める。初めは度肝を抜かれたが、いまこうしてみるとただの微笑ましい光景にしか見えない。

 女の子は小首を傾げて、「おはよー……?」と口中で反芻する。見守ることにした八雲はベッドの上で胡坐をかいた。

 すると八雲の挨拶にやっと気づいたようで女の子はふんすと自信ありげに鼻を鳴らす。


「おはよ~!」

「のわっ! ……あぶないぞ?」


 にぱっと顔を綻ばせた女の子がいきなり飛び込んできた。八雲は倒れながら受け止めてから、彼女に優しく忠告する。


「ごめんね?」

「気にしなくていい。怪我しないようにな」

「うんっ」


 八雲はシーツを手繰ると、女の子の肩に掛けて体全体を覆ってやった。元気溌剌と言っても、部屋の温度は低い。ただでさえ幼いのだから身体が冷えたら事だ。


「ありがと!」


 変わらず笑顔を向ける少女に、八雲は苦笑して、


「どういたしまして」

「どういたしまして? なにそれ?」

「ありがとうって言われたらこう言うんだよ」


 説明してやると、女の子は眉根を寄せてむむと唸る。言葉の意味を解そうと奮闘する女の子をよそに八雲は顎に手をやる。


 ──いったいどこから?


 ふと、深紅の髪の少女を思い浮かべる。もしかしなくても、竜王の孫はイーナだけのはずだ。もうひとりいるとは聞いていない。


「名前、訊いてもいいか?」

「あくあはあくあだよ~」

「へ?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。八雲はぽかんとしながら女の子の言葉を噛み砕く。噛み砕くほど言葉が長くなかったが、混乱のせいもあって理解するのに少々時間を要した。


「あくあ? ……え? アクア?」


 嬉しそうに女の子はこくりと頷く。その返答に八雲はますます混乱した。

 今一度、女の子をよく見てみる。透徹しそうなほど澄み切った空色の長髪。海碧(かいへき)の瞳が真っ直ぐこちらに注がれている。


「アクアって……スライムの?」

「そーだよ?」

「……マジで?」

「まじ? うん、まじだよまじまじ」


 マジ、の語感を大層気に入ったらしい。女の子、もといアクアはにへらと表情を崩しながら「まじ~」とか呟いている。状況を理解した八雲は、慈愛を籠めてアクアを抱き寄せた。


「そっか、……ありがとう」

「どういたしまして! どうしたの?」


 困惑した様子でアクアが八雲を見上げる。とそのとき、コンコンとドアがノックされた。、間もなく、ガチャリとノブを回す音がする。


「おはようございます、入りますよ──って……え?」


 上機嫌な鼻歌が聞こえて、アリスが顔を見せる。八雲はアクアを抱き寄せたまま、


「ああ、おはよう」

「……何をしてるんですか」


 一転、アリスは不審者を見つけたみたいに顔を顰めた。唇はへの字に曲がり、その手は腰に佩いた聖剣に伸びている。ともすれば居合でも放ちそうな体勢だ。


「何って……何も?」

「よくもまあ言えますね」

「俺、何か悪いことしたか? それとも腹減ってるのか?」


 と言葉尻に疑問符を浮かべる八雲に、アリスはいよいよ怒ったらしくこめかみを痙攣させる。心なしか、アリスの後ろに牙を剥くハムスターが見えた気がした。


 ──ハムスターって牙あったか……?


 暢気に考えを巡らす八雲はアリスの怒る理由に気づいていない。腕のなかのアクアはまだ「まじまじ~」と繰り返していた。

 が、ひとたびアリスの存在に気づくと、アクアは八雲の腕を振りほどく。


「ありすだ!」

「へ?」


 ぴょん、と飛び降りたアクアは、シーツを衣服にアリスの許までとてとて走る。八雲は内心ハラハラしながらその旅路を見守る。可愛い子には旅をさせよと言うが、本当に旅をさせるなんて到底出来そうもない。

 完全に親ばか思考の八雲である。


「ありす~」

「えぇっ!? なんで私のこと──くふっ!!」


 おろおろと狼狽えるアリスの腹に小さな身体が突き刺さる。アクアは悪びれもせず──思えば魂を移すときもそうだったが──ぎゅっと抱きしめて顔を押し付けている。


「いえーい」

「い、遺影……」


 なんとか笑顔を作るアリスだったが、八雲には完全に遺影しか見えなかった。

 黙祷。



    ×   ×   ×   ×



「アクアちゃん可愛い~!」

「くるしー……」


 説得のすえようやく納得したアリスは、興奮に息を荒げながらアクアを抱きしめ、しかも舌なめずりさえしている。変態がここにいた。

 美幼女にハァハァする初代勇者にドン引きした八雲は、そそくさと自室を出ることにした。こっそりドアを開けると、


「ふあっ」


 深紅の髪が眼下で踊った。八雲は吃驚したものの、声を上げずにドアを閉める。


「イーナ? おはよう」

「あ、うん……おはようございます」

「敬語はいらないぞ」

「ご、ごめんなさい。おはよう、……お兄ちゃん」


 頬を桜色に染める少女。ロリコンには効果抜群破壊力満点だっただろう。


「こんなところでどうかしたのか?」


 八雲がドアを開けた先──そこにも幼女がいた。いや、幼女ではない。見た目的にアクアよりは年上だろうから幼い少女だ。つまるところ外見だけは幼女だった。

 竜王の孫、名前をイーナと言う少女は、恥ずかしそうに髪先をいじりながら答えた。


「お兄ちゃんのこと起こしてあげようと思って……」

「くっ……!!」


 ずきゅん、と矢が心臓(ハート)に突き刺さる。

 この少女、とんでもない破壊力を秘めている。八雲は膝を折り、左胸を抑えながらそう思った。ちなみにお兄ちゃんと呼ばれている理由は知らない。


「だいじょうぶ?」

「あ、ああ……それより、アクアに会いに行ったらどうだ」

「うん!」


 眩しいくらいの笑顔を見せるイーナに八雲は微笑を湛え、ドアを開けてやる。イーナは少し緊張した顔つきで入っていった。

 いつもは怯えた態度だったり恥ずかしがったりするのだが、それゆえにたまの笑顔が心を激しく打つ。二塁への牽制球をさんざん見せられたのちにいきなり剛速球をストライクゾーンど真ん中に叩きこまれた気分だ。


「将来化けるぞ……ほんと」


 八雲は立ち上がると、廊下を歩いていく。

 リビングのドアを開けると、そこでは眼鏡を掛けた竜王が椅子に背を預けて、一冊の本を読んでいた。暖炉には火が起こしてあり、室内は快適な温度に保たれている。


「おはよう」


 声を掛けるも、竜王は返事をしない。開いた本のページをめくっては目を落とし、またページをめくっていく。八雲は不貞腐れながら椅子に腰かけ、めげずに竜王へ視線を寄せた。


「ミラの呪いが解けたようじゃの。と言っても、一部にしか過ぎんが」

「……わかるのか?」


 実を言うと、竜王の許に来たのはそれを報告するためだった。昨夜二人きりで話す機会があったのだが、その際に竜王は魔法に関することなら何でも聞けと言ってくれた。

 アリスでもよかったのだが、どうもアリスの説明は曖昧過ぎて駄目なのだ。感覚派と理論派の違い、といったところか。とにかく、理論派の八雲は竜王を頼ることにしたのだった。


 目を本に落としたまま、竜王は鼻白んで、


「わしはこれでも研究者じゃ」


 ぱたん、と手許の本を閉じた。横目で八雲を見遣ると、唇の端を吊り上げる。老人の不敵な笑みに八雲は苦笑をこぼしつつ、「なるほど」と言って先を促した。


「今日、すぐに出るぞい。準備はいいかの?」

「もちろん。竜王たちこそ、いいのか?」

「むろんじゃ。しかしあれじゃの、お主への講釈も垂れてやらねばならんのが面倒じゃわい」

「……ありがとう」


 八雲は一言感謝を告げると、置かれていたティーカップに口を付けた。


「お主は魔法が使えるようになったと見える。ちと、適性を確認するか」

「できるのか?」

「研究者じゃと言うとろうに。確認するには魔力を見る必要があるが、お主は魔力の感覚も掴めておらんかったな」


 竜王の言に八雲は首肯した。女神の解呪によっていま、八雲からは魔力の制限がなくなっている。ならば魔法を使うこともできるだろうが、いかんせん竜王の言うとおりなのだ。

 魔法に関する知識だけは充分に持ち得ている。それはクルトらの説明や麗華たちとの話で聞いてはいる。だが、それだけだった。

 竜王は眼鏡を外し、テーブルに置いた。細められた双眸がこちらに向けられる。


「魔力は魂に宿るもんじゃ。じゃから、まずは魂に向き合わねばならん。軽く目を閉じてみい。よし、それでいいぞい。次に、無心になるんじゃ」


 了承した八雲は頭の中を空っぽにしようとする。が、なかなか上手くいかない。


「ま、無心なんて無理じゃろうがな」

「なら言うなよ……」

「すまんの、からかってやりたかったんじゃ」

「からかっただけなのかよ!?」

「そうじゃよ? ……じゃが、力は抜けたろう」


 年季の入った、竜王の落ち着いた声音が八雲の鼓膜に浸透する。たしかに、少し気分が和らいだ気がする。もしかすると無意識下に気を張っていたのかもしれない。


「先に言っておくと、お主はまだ魔法を使える状態にない。呪いは解けても固まっていた自意識がそれを邪魔するじゃろう。おそらくは自意識に(ひび)が入っとるんが今のお主じゃろうな」


 感情の抑揚が見られない竜王。すとん、と腑に落ちる音がした。

 八雲は改めて竜王に手腕に感嘆した。その竜王はと言えば、八雲が瞑目しているのをいいことにもう一度本を開き始める。頑張りなさい。老人はぼそりと呟いた。


        ✯


 いつの間にか、八雲の耳はページをめくる音すら拾わなくなっていた。

 完全な無音。視界は真っ暗。閉塞された空間に、ただひとりぽつんと立っているような、不思議な感覚が八雲を取り巻く。

 ここはどこだろう。どうしてこんなところへ?

 わからないことだらけだが、八雲はとりあえず出口を探すことにした。


 少し歩いていくと、昨夜の夢の情景が浮かんできた。まるでスライドショーのように、これまでの記憶が(めぐ)(めぐ)っていく。

 巻かれていた記憶のフィルムがあたりを転がっていく。なかには見たくない光景もあった。目を逸らしてはいけない。そう直感して、八雲はすべてを見つめた。見つめながら歩いた。


 辿り着いた先には、一枚の姿見があった。浮遊する鏡が八雲の姿を映し出す。

 こっちに来なよ。こちらに手を伸ばす、鏡のなかの自分。誘われるがまま、八雲は手を伸ばしそうになって――、すぐに引っこめた。呑まれては、いけない。

 すると鏡のなかには懐かしい顔が現れた。それも、たくさん。

 みな、口々に八雲を責めたてる。お前のせいで死んだ、とか、お前がいなければ、とか、声高に喚いている。膝が笑っていた。八雲はいますぐ首を掻っ切りたくなった。


 しかし、首を掻きむしろうと伸びた両手は寸前で止められる。何か知らないが、自分の意志に反するように手が止まる。ぐっと力を籠めても意味がなかった。

 なぜだか考えようとしたとき、ふと、両手が人肌に触れたように暖かくなった。


 それから、懐かしい気配を感じる。

 いきなさい。愛してるわ。そう聞こえた気がして、振り返る。誰もいなかった。


 無言で八雲は頷いた。

 そして、鏡に向かって拳を振りかぶり──、


        ✯


 目を開けると、ページを繰る音が聞こえた。

 竜王が一冊の本を開いていた。たいして興味もなさそうに一ページ、また一ページとめくって、竜王はようやく本を閉じる。


「よく頑張ったの」


 ニッと白い歯を見せて笑う姿が、祖父に重なる。


「お主はなかなか特殊じゃな。聖属性と魔属性、それから無属性に通じておるようじゃ」


 適性を告げる竜王に、いくつか疑問が浮かぶも、八雲は後回しにすることにした。

 暖炉で薪が弾ける。廊下の奥からは三人の姦しい声が響いてくる。八雲は昔、家での口癖になっていた言葉を口にした。


「将棋を指そうぜ」



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