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002 最初の一歩を担うのは

 八雲が目を開けると、そこには心配そうに八雲を覗き込む拓哉の姿があった。見知った存在に、八雲はほっと息を吐く。


「大丈夫か!?」

「……ああ。一応大丈夫だ」


 両手もしっかりとある。念のため身体の各所を触ってみたが、異常はない。それよりも気になるのは、今いるこの場所と他の生徒たちについてだった。

 すぐ目の前に拓哉がいたから騒がずにいられたものの、もし誰もいなかったなら、それこそ発狂していたかもしれない。


「麗華たちは?」

「あいつらなら、ほら、あそこだ」


 拓哉が指さす方を見ると、麗華と愛華は一人の女生徒に寄り添っていた。

 二人はその女生徒を慰めているのか、背中をさすったり手を握ったりしている。慰められているのは、青山優奈、という名前だったはずだ。


「それにしても、八雲は落ち着いてるな。俺なんて起きたばっかのときは騒ぎまくってたんだぜ?」


 拓哉は眉間に皺を寄せつつ、八雲に笑いかける。どこかぎこちない笑い方だが、それはもしかすると、拓哉自身落ち着こうとしているのかもしれない。


「……いいや、そんなことはないさ」


 平静を装っているだけで、八雲とて混乱していないわけではない。

 訳の分からない現象に巻き込まれ、これまでに体感したこともないような恐怖を味わったのだ。

 そうと思えば今度は教室ではない場所に来ている。脳の回線がショートしてしまいそうだ。


「教室じゃないところにきちまったみたいだ」

「らしいな。こんな広い空間で授業なんかできるわけがない」


 八雲は皮肉っぽく言うと、周囲を見渡す。

 鮮やかに彩られたステンドグラス。その真下には荘厳なパイプオルガンが聳えている。八雲たちが座り込んでいる紅い絨毯の両脇には、いくつもの長椅子が並べられていた。


「ここはなんなんだ……」


 教会のようだが、それにしては広すぎる。およそ地域にあるようなものとは思えない広さだ。ここまで豪華な教会というのもおかしい。


「見たところ、ヨーロッパの大聖堂に似てるね。かなり豪華な設備だけど、とにかく宗教関連の建造物だと思うよ」


 疑問に答えたのは聖也だ。顎に手を当てて、あたりを興味深そうに見つめている。


「とにかく、ここを出た方がいいかもしれないね」

「たしかにな。でも、あいつらがそう簡単に言うことを聞くとも思えない」


 男子の集団を横目に見遣る。中田を中心とした、全男子生徒のおおよそが八雲たちの方を睨んでいた。


「今はそんなことを言ってる場合じゃないよ。……さっきは、すまなかった」


 聖也は天井を仰いだまま、謝罪の言葉を述べる。

 先ほどの中田の発言には、聖也なりに、思うところがあったのだろう。

 しかし八雲にとってそれは、別段気に留めるほどのことでもなく、むしろ、聖也のような反応の方が正常だと考えている。


「気にしてない。それよりも、どうする?」

「みんなを集めた方がいいよな。俺、麗華と愛華を呼んでくる!」


 そう言うと、拓哉は小走りに麗華たちのところへ向かった。


 ──行動が早いな……。


「で、どうするよ委員長さん。全員をまとめられるのはお前くらいのもんだ」


 聖也は思いつめた顔をしていた。今にも重圧に押しつぶされそうな、そんな逆境に立ち向かうみたいに雰囲気がピリピリしている。


「僕がみんなをまとめられるとも限らないよ」

「そうかもな。でも、俺はお前が最適だと思う」


 聖也は今までにだって、的確な判断を下してクラス全体を指揮してきた。それはたとえば、体育祭におけるクラス対抗種目の戦略、また、不審者が校内に侵入したときの誘導。

 いつだって、聖也は全員をまとめて率いることができていた。聖也は、厚い人望と冷静な判断能力とを持った男なのだ。


 八雲は顔を上げる。聖也は八雲を真っ直ぐ見据えていた。揺れることのない、真っ直ぐな瞳だ。


「なにより、俺が信じられるのはお前らだけだ」

「……それは嬉しいね」

「後にも先にも、俺が心から信じられるのはお前らだけかもしれないぜ。……で、どうだ?」


 聖也はしばらく逡巡したのち、


「わかった。とりあえず、みんなを集めてここを出よう」

「やっぱり、お前は頼れる男だよ」

「ありがとう。じゃあ、行ってくる」


 朗らかに笑う。八雲は手を上げて応じた。


 ──それにしても、一体何が起きてるんだ。


 ドアが何らかの力で動かなくなり、さらにはクラスメイトが消えていった。そして、今、クラスメイト四十人はここにいる。

 夢と言ってしまえばそれまでなのだが、そうもいかない。これは確実に夢ではなく現実なのだ。となれば、説明は不可能になる。現実の事象ではどうやっても説明がつかないのだ。

 そして、あの言葉。──ごめんなさい。


「あれは誰だったんだ……?」


 凛としていて、しかし切なげな声色だった。

 八雲はずっと、それが何を意味するのか、考え続けた。


 聖也が声を掛け始めてから五分もすると、聖堂の中央付近にはクラスのほぼ全員が集まっていた。ほぼ、というのは、八雲がその集団に入っていないからである。

 自分が入れば、また無駄な諍いが始まる。そう考えた八雲は、自ら離れた場所で聖也の考えを聞くことにしたのだ。聖也もそれを気遣ってなのか、大きな声で皆に話し始めた。


「だれか、ここにくるまでのことを憶えてる人はいるか?」


 問いかけるも、その問いに答えられるものはその場にはいなかった。

 聖也は黙考すると、麗華を手招きして何やら話し始める。その間、生徒たちはみな聖也たちを見つめるばかりで、自ら動こうとするものはいなかった。

 やはり、聖也はクラスのみなに信頼されているのだ。


 もたれかかった壁の冷たさに呼応してか、呼気も冷えている感じがした。


「にしても、」


 ──誰も憶えていない、か。


 こうなってしまうと、いよいよ説明がつかなくなる。ただでさえ混乱しているというのに、有益な情報がひとつもないのだ。

 このままでは、先の教室のようにパニックを起こす生徒が続出するかもしれない。


「何が起こってるんだ……」


 閉鎖的な空間にいたままでは、落ち着くこともできないだろう。今落ち着いているように見えるのは、おそらく体裁を気にしているからだ。

 そんなことを考える八雲もまた、落ち着いた風を装っているのみにすぎない。状況の変化に加え、中田をはじめとした集団の嫌な視線にさらされているのだ。落ち着かなくもなってしまう。


 そんななか、聖也たちにも動きがあった。初めの問いかけ以来、麗華たちと話しこんでいた聖也が、ふたたびみなの方を向いて口を開く。


「とりあえず、ここを出よう」


 厳しい面持ちで、聖也はついてきてくれと呼びかける。生徒たちはそれに応え、聖也に付き従った。

 中田たちは、渋々といった体だが反論はなかった。八雲もそれに倣い、立ち上がる。


 すると、だ。


 八雲の耳に複数の足音が聞こえてきた。やや駆け足気味の音は、この場に居る生徒たちのものではない。

 どうやら足音は八雲のみに聞こえていたわけではないようで、生徒たちはざわめき始めた。そして足音が止む。代わりに、扉の向こうから話し声が聞こえてきていた。


 そこで聖也は、すぐ後ろにいた麗華にジェスチャーで指示を出す。麗華は小声で皆に話しかける。生徒たちが、静かに後退し始めた。


 しかし聖也だけは、下がらない。聖也は振り返ると、八雲に目を合わせて唇に苦笑を過らせた。


「あいつ……」


 八雲はその思惑を推察した。それは少々危険を伴う選択かもしれない。が、止めるわけにもいかない。いずれはそうしなければいけないのだから。


 重厚そうな扉の前に立って、聖也はひとつ深呼吸をした。見たところ、かなり緊張しているのらしい。

 それでも聖也を止めようとするものはいない。麗華たちは、聖也を信じてのことだろうが、他の生徒たちはどうなのだろうか。

 それははたして、全幅の信頼なのだろうか。それとも、ひとりに役目を負わせているだけなのだろうか。


 ──嫌なことを考えるようになったな……。


 言ってしまえばこれは、誰かが一歩踏み出さねばならないという義務を、委員長だからという理由で聖也に押し付けただけだ。

 とは言っても、八雲には何もできやしない。それがまた歯がゆかった。自分が意を決すればいいだけなのに、それができない。


「クソッ……!」


 唇を噛みながら、八雲は再び視線を聖也に戻す。ちょうど、扉を開けるところだった。


 扉の向こうに現れたのは、一見して高齢と判断できる、数人の老人たちだった。老人たちはフードの付いた黒いローブを纏っていて、中には装飾付きの杖を持っているものもいた。

 聖也は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに表情を正して、


「すみません。ここはいったい、どこなんですか」


 と尋ねる。老人たちはきょとんとしていて、驚いているような、喜んでいるような、よくわからない表情で目をしばたたかせる。


「こ、これは……」


 その言葉には余りある感動と少しばかりの驚愕が含まれていた。ややあって、老人の全員が、まるで悪夢から醒めたかのように歓声を上げ始めた。


「成功だ! 成功したぞ!」

「勇者さまじゃ! われわれの救世主じゃ!」


 言うと同時、ローブ姿の老人たちは中に入ってきて、生徒たちの姿を確認すると、また、


「成功じゃ!」


 と口々に叫ぶ。挙句の果てには、生徒たちを囲んで意味のわからない歌を口ずさむ始末だ。傍目から見ても舞い上がっているとわかる画だった。

 すると生徒たちは、ますます怯えあがって、数人の女生徒は涙ぐみ始めた。愛華が寄り添って、背中をさすりながら「大丈夫、大丈夫だよ……こんな原住民の人たちには負けないからね!」と励ましている。


 ──原住民じゃないと思うけどな……。

 

 思うも、声には出さなかった。しかしこれはまた、奇怪な光景だ。何せ、制服姿の男女をローブ姿の老人が囲んでいるのだ。しかも老人たちは、世界が救われたかのような、恍惚とした顔で歌っている。いっそ気味が悪かった。


「すみません!」


 眉根を寄せつつ、聖也は老人たちへと近づく。これまでになく重い足取りだが、それでも一歩、また一歩と距離を詰める。


「な、なんでございましょうか勇者さま」

「われわれにお答えできることでしたらなんでもお訊きくだされ」


 目に見えて狼狽する老人たちに、聖也は毒気を抜かれたようだった。ふう、と息を吐いて、それからゆっくりと、聖也は言った。


「ここはいったいどこなんですか。僕たち、まだここへ来たばかりで何もわからないんです」


 少し間を置いてから、ひとりの老人が「ああ」と思い出したように手を打った。そしてまた老人たちは内輪で騒ぎはじめる。

 その間に八雲は、聖也に近づいた。聖也も八雲に気がついて、安心したような顔になる。


「日本語が通じてるし、あっちの言葉も俺たちに通じてる。でも、確実におかしいぞ」

「ああ、それは僕も思ったことだ」

「こりゃ、ヨーロッパの線はなさそうだぞ。テレビ番組のドッキリに期待するしかなさそうだ」

「そうだといいね」

「ま、それもあり得ないけどな」


 八雲は、処置なし、と肩を竦める。

 冗談めかして言ったが、八雲は本気であり得ないと考えている。それは聖也も同じだろう。いや、ここにいる誰もが同じ考えのはずだ。


「なあ八雲」

「なんだ?」

「さっきのことだけどさ、そう思ってないやつも、絶対にいるよ」

「さっきのこと?」


 さっきのことと言うと、いつのことだろうか。テレビ番組のドッキリだと信じて疑わない奴がこの中にいるということだろうか。だが、そんな奴はさすがにいないだろう。

 聖也の言う“さっき”がわからず、八雲は訊き返した。


「いつのことだ?」

「……まあ、八雲は何か考え事をしてたみたいだし。なんでもないよ」


 聖也は八雲に微笑みかけると、その双眸を老人たちへと向けた。

 八雲も老人たちの方へ向く。内輪での会議が終わったようで、老人たちは振り返った。


「申し訳ありませんが、詳しい説明は後にさせていただきます」

「どうしてです?」

「勇者様方とて、混乱に陥れば困るでしょう?」

「……わかりました。では、僕たちはどうすれば?」


 老人たちの中から、ひとりが前に出て、八雲たちに一礼した。


「ついてきてくだされ。謁見の間へとご案内いたします」


 先ほどまでの浮かれた顔とは一転、老人たちは剣呑な雰囲気になっている。それを察して、八雲はつい生唾を飲み込んだ。


「こちらへ」


 老人たちが外へ出る。聖也が全員をまとめてそれに続く。八雲は、やはり一番最後に出ることにした。先に出て中田たちに絡まれるのも面倒だ。


 扉に手を掛けたとき、ふと、あのとき聞こえた言葉が蘇る。


 ──ごめんなさい、か……。


 八雲は再び聖堂内部を見渡して――ある一点で止まった。そこには、鮮やかなステンドグラスがあった。それに、目を惹かれた。

 蒼いドレスを着た女性が、ステンドグラスで造られている。射し込む光すらも美しく見せるほど、その光景は綺麗だ。


「八雲? なにしてんだ、早く行こうぜ」

「あ……なんだ、拓哉か」


 振り返ると、拓哉がいた。八雲は「今行く」と答えて、扉の向こうをもう一度だけ見る。あのステンドグラスの下には、ひとりの男がいた。白衣の男は、眼鏡を掛けている。

 男は軽く手を上げてにこりと笑いかける。八雲は軽く会釈すると、その場を後にした。



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