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灰被りの勇者と封印されし聖女~疫病神の英雄譚~  作者: 樋渡乃 すみか
一章:かくして疫病神は灰を被る
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029 抵抗と諦め



 少女を抱えた一人の青年が月の薄明かりを浴びる夜の森を走っていた。涙を流し洟をすすり、みっともなく喚きながら、ただひたすらに足を動かしていた。

 月下に轟く慟哭は、しかし物語のように力を与えてくれるわけではない。もしも人喰い虎となれたなら、人狼へと変貌できたのならどれだけ気分が救われただろう。

 それくらいの力さえあれば、護れたかもしれないのに。


 うわああ、と響く絶叫が自分のものであることにも気づかず、八雲は森を行く。


 抱えていた少女にはまだ温もりがあった。生きている。

 地に臥した彼女にはもうそれがなかった。死んでいた。


 瞼の裏に焼き付いた光景がどうしても消せない。胸から突き抜けた剣が捻られて、プシュッと噴出した暖かい血液に顔が濡れるのを思い出してしまう。

 彼女の言葉は終始消え入りそうで、悲しさよりも嬉しさに満ちていた。そして彼女は二度の口づけとともに願いを残した。


 ――『らる、かを……おねが、い……』


 その願いをかなえるためだけに、八雲は走っている。悔恨も自責も怒りも恐怖も悲愴もなにもかも、すべてを無視して走っている。

 しかし現実は残酷だった。


「──っ」


 酷使し続けた脚が疲労を訴えて痙攣する。だがこんなところで止まっているわけにはいかない。


 早く街道に出て馬車を探すか、民家を探さねばならないのだ。

 馬車を見つけたら王都まで行って事情を報告しよう。いや、騎士団はあてにならない……他ならぬ騎士団が攻めてきたのだから。

 民家を見つけたら、一旦休ませてもらおう。それが一番いい選択かもしれない。眠って英気を養って、また逃げよう。どこまでも、この少女とともに。


「動けっ、動けよ!」


 八雲は己の足を叱咤する。

 何度も足を殴打して、ようやく足が自由になる。まだかすかに震えているが、動けないほどではない。

 ラルカは何も知らない顔で眠っている。今となってはこの寝顔だけが八雲のすさんだ心を静め、他のことを忘れるきっかけになった。だが走りだせば、再びコマ送りのように過去が流れ出す。


 そのうち雨が降ってきた。最初は小雨だったのが、次第に勢いを強め、どんどんと大雨になっていく。身体を打つ風も強くなって、はるか遠くでは雷が轟いた。

 嵐が近づいてきているらしい。八雲は羽織っていたコートを脱ぎ去ると、せめてもの雨よけにとラルカに被せる。


「まま……ぱぱ……おねえちゃん……」


 コートの下でラルカがくるしそうに喘ぐ。か細い声は震えていて、柔い手がもう離したくないと言うように八雲の袖をギュッと握りしめた。


「ラルカ……っ!」


 呟きは雨音に飲まれる。見上げると、無数の雨粒が矢のように落ちてきていた。


 顔に着いていた血液が落ちていくのを知ったとき、八雲は己の中で狂気が荒ぶるのを感じた。彼女の生きていた証とも言うべき血液が消えていくと思うと、たまらなく気が狂いそうになるのだ。


 歯の根が合わず、精神疾患にかかったような苦痛を感じる。思い出すたびに現れる笑顔が自分を責めているようで、途端に自殺衝動が湧き起こる。

 自殺衝動をせき止めているのは彼女の願いだった。

 皮肉なことに、彼女の笑顔が八雲を責めて、彼女の願いが八雲を繋ぎとめていた。


「う、ぁ……ごめん、ごめんな……」


 リリカはもう返事をできず、ラルカからも返事はない。だが謝っていないと気が狂って、ともすれば首を掻き切ってしまいそうなのだ。

 これから先、どうすれば……、と考えて、やめる。


「逃げないと……」


 テグスとセリカが生かしてくれた。きっと彼らはあの男にも勝って追いかけてきてくれる。テグスがそう言っていたのだから、絶対そこに嘘はない。嘘はあってはいけない。

 もしあの言葉が嘘だったら──、


「……行こう」


 上がってきた吐瀉物を寸前で飲み込み、どうにか吐き気を抑え込む。

 そのとき、


 ドゴォォオオオ────


「なっ!?」


 倒壊音や雷鳴でもない、一際大きな轟音が森を揺らした。

 振り返って、八雲は絶句した。テグス達が戦っていたあたりに、天から降り注いだかのように光の柱が立っていた。何を血迷ったか柱に飛び込んだ鳥類は、断末魔の叫びも上げずに消滅。

 魔法であることは確かだった。しかし天変地異が起きたかのごとき光の柱は、今が夜だと思わせないくらいの光量を発している。とても人が為せる技とは思えない。


「てぐ、す……せりかさ、ん……?」


 ほどなくして消え去った光柱は雲に穴を開けていて、そこから覗き込んできた三日月が人の世界を見て哄笑している。遠くの炎は雨と暴風にも負けず、猛々しく燃え盛っている。


 彼らがあの光の中心に居たのなら。

 嫌な想像が脳裏を過って、八雲はかぶりを振ってそれを否定する。


 歯を食いしばって、拳を震わせて、八雲は再び走り出した。


 思い出したくない記憶から逃げるように、ただずっと、走っていた。

 どれくらい、経っただろう。森に漂う湿った空気が絡みつき、八雲の足を止めようとしてくる。雨は身体を濡らし、体温を奪い、足を重くする。荒れ狂う暴風は八雲の行動を阻害して足止めしようと目論んでいる。


 幼馴染に会いたい。

 願望の裏に潜んだ思惑を知ることもせず、八雲はそう思った。


「あ……」


 森の出口に差し掛かったとき、一頭の獣が八雲の隣を追い越して、止まった。振り返った顔を見て、八雲はまた、涙が溢れた。


 小鹿だった。まだ角も生えきっていない小鹿が、丸い黒の瞳でこちらを見つめていた。


「一緒に、逃げよう」


 通じるのか知らないが、八雲は声を掛ける。たとえ人間でなくとも、ともに逃げてくれる存在というだけで八雲は縋りたくなっていた。

 こくりと顎を引くも、小鹿は走り出さない。その視線は八雲の腕の中に注がれていた。


「……そっか。ありがとな」


 この小鹿は主人であるラルカを背負うと言っているのだ。あのときも助けてくれたヘリオスは、ラルカを主人とし、今もなお我が身を張ろうとしてくれている。

 意を察した八雲がヘリオスの背にラルカを乗せる。ずっと一緒に遊んでいたからか、ラルカは無意識のうちに落ちないようヘリオスにしがみついた。


「行こう」


 再び走り出す、森の小道。左右に連なる樹木は、緑の葉を揺らして嵐の到来を嘆いているようで、しかし八雲たちを追い出そうとしているようにも見えた。


 もうすぐで森の鬱屈とした景色も終わり、街道に出る。そうしたら王都目掛けて走り、途中の街で馬を借りよう。

 そう思っていた。


「八雲ッ!」


 このときまでは。


「てぐす……?」


 振り返ると、そこには本当にテグスがいた。くすんだ金髪に、煤と血で塗れているも精悍な顔立ち。背負った大剣は無骨で、いかにも武人らしい。欠損してしまった左腕はそのままだが、断裂面はすでに塞がっている。

 だが八雲は、それがテグスとは思えなかった。


「走れ。逃げてくれ」


 腰に佩いた刀に手を掛けると、適当にあつらえた鞘を放って、赤い焔を映した黒い刀身を露わにした。途端にヘリオスは走り出して、八雲は内心ほっとする。

 だがすぐに目の前の敵を睥睨した。コイツはテグスではない。薄い笑みはどうみても貼り付けられたものでしかないし、目にしたときから言い知れぬ悪寒が全身を巡っている。


「なんだ、気づいてんのかよつまんねえ」

「テグスになにしやがった!」

「いやなに、ちょっと身体をもらっただけだ。ああ、それとあのクソアマも死んだ。いやあ、危うくこっちが死にかけたんだがな。あの聖属性魔法はマジでやばかったぜ」


 表情も変えず淡々とテグスの死を口にする男に、八雲は眉を逆立てて歯ぎしりする。しかもテグスの身体で語っているのが八雲には許せなかった。


「けど馬鹿だぜこの男も。他の奴らに女を狙わせたら庇いやがる。背中に十本ぐれえ矢が突き立ってんのにまだ戦うってんだ。そんで俺以外の奴ら殺せるんだから大したもんだけどよ」


 テグスの姿をした男が嘲笑を浮かべる。

 握りしめた拳が震えた。


「その都度回復されるのも面倒だからこいつの心臓喰ってやったら、女の野郎馬鹿みてえな威力の聖属性魔法を撃ちやがる。ま、全部の魔力使い果たして死んだけどな、クハッ」

「…………っ!」

「ま、この身体はありがたく使わせてもらうぜ」

「うあぁあああああああッ!!」


 飛び出し際に斬撃を繰り出す。だがテグスの姿であると認識した身体が太刀筋を迷わせて、斬撃が容易く躱されてしまう。


「オイオイなめてんのか? 俺はテメエの好きな女も殺したんだぜ? ほらかかってこいよ雑魚」

「アァアアアアア!!」

「……お前、ほんっとに魔法使えねえんだな。雑魚どころか畜生以下のゴミ屑じゃねえか」

「────ッ!?」


 刺突が受け流されて、刀が弾き飛ばされる。あまりにも一瞬の出来事で、八雲の目には男の動きがまったく見えていなかった。


「つかなんだその顔。泣きながら戦うとか馬鹿みてえ。好きな女殺されたってのになんもできねえとはな。あの女も報われねえぜ」


 男は八雲の首筋に大剣を突き付ける。


 ──ごめん、みんな……。


 リリカを殺した男。テグスとセリカを死に追いやった男。沸き立つ憎悪に反して八雲の身体はほとんど動かせなくなっていた。


「なんでこんなやつに興味持っちまったんだか……ま、いつものことか」


 リリカに託された少女を護るための行動もできない。死に際の彼女の台詞が思い起こされて、八雲は唇をかみしめた。口中に鉄の味が広がって、あのときのキスが浮かぶ。


「まあいいか。俺は任務をこなすまでってな」


 無力。自分は憎む相手に対し何もできず、無為に死んでいくのだ。ラルカたちを安全に逃がすこともできずに死んでいくことの後悔と言ったら本当に死にたくなる。

 だが自ら命を絶つことはしなかった。舌を噛み切って死のうかとも考えたが、八雲は殺されるまでこの男に憎悪を向け続けようと思った。


「んじゃまた後でな、ゴミ屑」


 ゴッと鈍い音がして、八雲は地に伏せた。

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