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灰被りの勇者と封印されし聖女~疫病神の英雄譚~  作者: 樋渡乃 すみか
一章:かくして疫病神は灰を被る
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028 テグスとセリカ

 テグスはずっとおかしいと思っていた。突然の夜間襲撃は、盗賊の常套手段であるし、村民を殺していくというのもわかる。

 だが、家を燃やすとは何事だ。窃盗、強盗、あらゆる手段で盗みを働く盗賊団が対象である家々を燃やすなどもってのほか。だからテグスは、盗賊の襲撃だと言った騎士団を(いぶか)っていた。


 疑心が確信に変わったのは生存者を探していたときだ。倒壊していく家だったものに押しつぶされそうな少女を助けようとしたところ、どこからともなく矢が放たれた。即座に剣で斬り捨てて確認すると、すでに襲撃者は姿をくらまし、少女は押しつぶされていた。

 確認してみると、矢は()()()()でしかなかった。


「チッ……そういうことかよッ!」


 盗賊は基本的に()()を使うのだ。普通の矢では応急処置さえすればほとんどの場合致命傷にならず、意味がない。その点遅行性の毒を塗った矢であれば、応急処置をしたとしても知らずのうちにじわじわと身体を蝕む毒にやられてそのうち動けなくなる。

 テグスには簡単な推理だった。なぜならば、


「テグス……」

「大丈夫だ。それより早く行くぞ!」


 ――テグスは盗賊団に所属していたのだから。


 テグスの所属する盗賊団シーフ・スパイダーはいわゆる義賊であり、盗まれた金品を取り戻しては持ち主に返したり、悪行ばかり行う裕福な貴族の金品を狙ったりしていた。

 巷ではそれなりに噂されていた盗賊団であり、レスティアを襲った盗賊団を壊滅に追い込んだのもテグス達であった。


 しかし敵対した盗賊団の掃討作戦の際、テグスは酷い怪我を負った。所属団員たちにも甚大な被害が出て、とうとう盗賊団シーフ・スパイダーは自然消滅した。

 当時の団長やその他の団員が今どこで何をしているのかは皆目見当もつかない。


 だがこの状況では、そんなことよりも目の前の危機に早急な対応をしなければならない。とにかくは他に生存者がいないかの確認をせねばなるまい。

 今一番に心配なのは八雲だ。騎士団がこんなことをするなんて普通ならあり得ない。何者かが騎士団を装って犯行に及んでいるのか、はたまた王の勅命か何かに従っているのか。


 頭を使いながら走っていると、黒煙を上げるリリカたちのログハウスが見えた。息を呑むセリカを置いて、テグスは猛スピードで駆け寄り、ドアをぶち破る。


「リリカ! ラルカ! 八雲ッ!」


 もぬけの殻。

 どの部屋にも人の気配がなく、ただラルカの絵が火に包まれていた。


「セリカっ! お前はその子を連れて後からこい!」

「テグスッ!?」


 絶叫するセリカに後ろ髪を引かれる思いだったが、それを無視してテグスは風を切った。巡る思考が嫌な想像を掻き立て、最悪の未来を見せる。


 セリカの父、村長はテグスに村民を護ってくれと頼み、その最期を受け入れた。道中で助けられなかった者たちは一様に怨嗟を呟くか、大切な者の名を呼ぶか、その二択だった。

 テグスはこれまでも人の死には何度も立ち会った。だからこういうのには慣れてしまって、心に負うダメージも少ない。

 しかし、もしも八雲が同じ状況に陥ったらどうなるか。あの優しい自傷癖のある青年ではおそらく、自らの責任だと思い込んで壊れてしまう気がする。

 それ以前に、みなが死んでいないことを祈る。今のテグスは村民の命を預かり受けたも同然。みなの命を無駄に散らせるわけにはいかないのだ。


 ――頼むから、生きててくれよ……ッ!


 村は一通り巡回していた。あとはもう村の入り口だけ。


 ようやく見えた村の入り口には、これから非難するのであろう人々が列を成していた。人々の周囲を護衛するのは騎士団員で、殿(しんがり)を務めるのはキリシュ。


 全身の血が煮えたぎった。

 思い起こされるのは死んでいった村民たちの姿。そして助けられなかったことを嘆き悲しみ、しかし涙は流すまいと堪えていた最愛の(セリカ)


 だが次の瞬間には、ぞっとするくらいの寒気が過った。


「早くそこから離れろ八雲ッ!」


 振り返った八雲は信じられないというように目を見開き、彼の隣を歩いていたリリカは口許を抑えて泣く。


 ――不味い!


 テグスと八雲との間には誰もいない。間に居たはずのキリシュは、八雲が振り返る瞬間に彼の背後へと移動していた。

 そのままキリシュは抜剣し、テグスに向かって凄絶な笑みを浮かべた。


「逃げろぉおおおおおッ!!」


 刹那、テグスの目は信じられない、信じたくない光景を捉えた。


 八雲を突き飛ばしたリリカが二人の間に入り込むと、キリシュは即座に剣の軌道を修正して、たしかに心臓を貫いた。リリカは痙攣して、唇からは血が零れだしていた。


 キリシュは剣を一度捻って、リリカの身体から抜き去る。


 これまでにない怒りが沸騰した。一息で彼我の距離を走り抜けると、テグスはキリシュに斬りかかる。

 まだ助けられるかもしれない。セリカの回復魔法ならば、まだ死の未来を回避できるかもしれない。

 そのためには目の前の敵を斬りはらわなければならない。


 ――絶対に助けるッ!


 重量のある大剣を、しかしテグスはものともせずに扱っていく。縦横無尽に振られる大剣は、普通の相手だったなら即座に斬り捨てられただろう。


 だが相手は腐っても騎士団。キリシュは魔力を乗せたテグスの連撃をステップで躱しつつ、ここぞと言う場面ではレイピアで刺突をしかけてくる。

 頑として通さないつもりだ。


「無駄だぜ? もう心臓は潰したんだからな」


 キリシュは確実に時間稼ぎだけを狙っている。じっとりと絡みつくような視線とともに明らかな嘲笑を浮かべて、テグスの剣を対処していた。


「どけよッ……どいてくれよッ」


 テグスの瞳にはうっすらと涙が滲み始めていた。ぼやける視界の奥、キリシュの背後では今にも倒れそうなリリカがラルカの額に口づけをしている。

 まだリリカは十五歳。成人こそしているがテグスからすればまだまだ子供だ。なのに――、


 どうしてそんな少女が自分の死を受け入れられる?

 どうしてそんな慈愛に満ちた笑みを浮かべている?

 どうしてそんな幸せそうに笑っていられる?


 まだやり切れていないことが、まだ見たい未来があるはずだ。


 リリカは頻繁にテグスとセリカに相談しに来ていた。

 少女の淡い夢を聴いてテグスとセリカは、それはもう嬉しくなったものだ。物語に出てきそうなほどに恋い焦がれていたリリカが、どうして自らの死を受け入れ、なおかつ幸せそうに笑える?


 視界の奥。リリカが八雲にキスをした。それはまるで、聖女が勇者に祝福を捧げるようで、しかし残酷な物語を現世に投影しているようでもあった。

 まだ十代の二人にどうしてここまで残酷な物語を突きつける。


「ふざけるんじゃねえッ」


 助かる可能性はある。心臓が潰れていても、息があるうちにセリカの回復魔法を使えばすぐに治るはずだ。もし、もし万が一の事態に陥っても、セリカの回復魔法さえあれば息を吹き返すことだって容易いはずだ。そうでないと、そうでないといけないのだ。


「……そこを……そこをッ」


 でなければ、何のために回復魔法があるんだ。


「そこをどけぇぇえええええ!!」


 ――助ける。絶対に、助けるッ!


 テグスは己の持ちうるすべての魔力を解放した。身体の強化に六十パーセント、大剣に四十パーセント。シャーベロア程度ならば何体でも倒せるくらいの魔力だ。


「馬鹿だなぁ……意味ねえって言ってんのによ」


 あきれたようなキリシュもまた、魔力を解放していた。沸き立つような人ならざる魔力がその量を増やしていくのを、テグスは五感すべてで感じ取った。

 周囲の状況を見渡して、キリシュは溜息を吐く。


「うるせえんだよ、ゴミ共。“狂乱の鉈”」


 キリシュは現れた紫色の魔法陣から取り出した鉈を横に薙いだ。すると、黒々とした紫の斬撃が飛んでいく。

 ただの一振りでしかなかったのに、鉈の斬撃は逃げ惑う人々の命を一気に刈り取っていた。八雲とリリカ、ラルカ、それにテグス以外の村民に騎士団員さえもが一息に死に絶えた。


「あー……この身体は本当にゴミだな。ロクに使えやしねえ」

「どうなってやがる……!?」

「あ? んだよ?」

「キリシュは闇系統の魔法を使えなかったはずだ! なのにどうして使える!?」

「……チッ。面倒くせえな」


 テグスが叫ぶと、キリシュの身体をした怪物は不快そうに顔を顰めて、


「テメエの知ってるキリシュとやらはもう存在しねえってこった」


 舞う火の粉。黒煙が空を覆い、真っ黒の煤が降ってくる。半ば火炎の海と化した森一帯が焦熱地獄のように身体を蝕む。


「俺はヴィアラ。コイツの魂は俺が喰った」

「てめえ――ッ!」


 つまらなそうに言いのけるヴィアラに、激昂したテグスが飛びかかる。怒りを乗せた剣がキリシュのレイピアを打ち付けるも、折れる兆しはない。

 幾度とない打ち合いの果てにテグスがバックステップ。追撃はなく、息を吸い込んだテグスは再び魔力を全身に漲らせる。


 怒りに任せた行動が無策でも愚行でも、テグスは動かずにはいられなかった。


「うぉおおおおおお!」


 敵との距離を一瞬で零にし、テグスは強烈な一撃を見舞う。

 レイピア如きでは本来受け止めるどころか折れてしまうだろうに、ヴィアラのレイピアは衝撃を抑えきれずとも役目を果たし主を護った。


「……クソが」


 吹き飛んだヴィアラは空中で身体を翻し、大樹を蹴って飛び出す。

 閃光と見紛うほどの速さで仕掛けられた刺突。鋭くとがったレイピアがただ一点を狙って突き出される。その口調や性格に反して恐ろしいほどに正確な剣使いだ。

 だが、


 ――だからこそ、読みやすいッ!


 目を見開いたテグスは紙一重で躱し、そのままレイピアの剣先を弾き上げると、勢いのついてしまった大剣を手放して、


「か、ハッ」


 勢いを失ったヴィアラに踵落としを叩きこんだ。

 衝撃で跳ね返ったヴィアラを、テグスはさらに蹴り上げる。魔力を乗せた一撃は、果たしてゴキャという粉砕音とともにかの身体を打ち上げた。


燐光(りんこう)(ほこ)!」


 魔力がごっそり抜き取られて、淡い光で造られた鉾が射出される。綺羅星のごとく黒煙を切り裂いたそれは、目を剥いたヴィアラの心臓部分を貫いた。


 役目を果たした燐光の鉾は消え去り、穿たれた左胸の奥には黒い空が見えている。


 力なく手を垂らしたヴィアラは、


「ホッとしたか?」


 凄絶な笑みを見せた。ただ獲物を求めてさまよう獣のような獰猛さがそこにはある。


「――ッ!!」


 今度はテグスが目を剥く番だった。

 完全に心臓は穿っている。原型を留めていない上に欠片が飛び散ったはずだ。仮に回復魔法をかけたとしても治るはずがない。

 であるはずなのに、どうしてさも怪我がないように話しているのか。


「なんで生きてるんだって顔してんな? そうだ、その顔が見たかったんだよゴミ!」


 テグスは戦慄した。ヴィアラの纏う空気、彼の世界に飲み込まれそうになった。蛇のごとき瞳孔に映る自分の姿は、ひどく矮小なものに見えた。


「心配すんな、テメエは充分強えよ。身体がゴミ過ぎてついてこれねえってだけで俺は今まで全力で戦ってたしな。テメエはもしかすっとセルグの野郎と張るレベルの潜在能力を持ってやがる」


 ヴィアラは楽しげに笑う。本当に楽しそうに笑うから、それがどうにも気味悪い。新しい玩具を見つけた子供みたいに、嬉しくて楽しくて仕方ないと、笑うのだ。


「決めた」


 瞳孔がぎょろりと動いてテグスを見据える。薄く裂けた血の気のない唇から這い出た舌が、テグスを値踏みするように口周りを舐める。

 ヴィアラはレイピアをほうり捨てて、転がっていた死体から剣を抜いた。


「テメエの身体、俺のもんだ」

「――ッ!!」


 刹那、ヴィアラからおぞましいほどの殺気が迸った。即座にその場を退避して大剣を構え直すと、テグスはヴィアラの動きを()()した。


 それは、吐き気を催すくらいに気持ちが悪い光景だった。ゴキゴキと首を鳴らして、肩を脱臼させたり、かと思えばまた脱臼した肩を嵌めなおしてはまた外しを繰り返して。


 テグスは()()していた。()()してしまった。

 つまるところ、テグスはヴィアラの世界に飲み込まれていた。ここで叩いておけばよかったものを、テグスは固唾をのんで見届けてしまった。


「もうこの身体は要らねえ……意味はわかるよな?」


 ヴィアラはあり得ない角度まで首を傾げ、問う。異形に(おのの)いたテグスが答えあぐねていると、ヴィアラはニタニタと薄気味悪い笑みを貼り付けて、


「使い捨てていいってことだァァアアアア!!」

「うぐッ!?」


 あり得ない速度とあり得ない振り。視界の範囲外から振るわれる凶刃。その動きに呼応して、テグスも対応速度を速める。


 大鎌だ。

 この男の腕は大鎌だ。振るう瞬間に肩を脱臼させて稼働領域を広げているからこその読みづらい動き。

 手首を強引に捻じ曲げてでも命を刈り取ろうと稼働するその姿は、幼いころに聞かされた死神そのもので、テグスはこれまでにないほどの戦慄を味わった。


「オラオラどうした! 助けるんじゃねえのか、アァ?」


 ――リリカ……八雲……!


 視界の奥、遠く離れてはいるが八雲がリリカを抱きしめているのが見える。呆然自失としたその姿は痛ましく、見ているのが辛い。

 このままではリリカをみすみす死なせる破目になる。それだけは絶対に阻止せねばならない。幼いラルカを一人にしないため、八雲が壊れてしまうのを止めるため。


 セリカを通すためにも、この男を殺さねばならない。義父に託された村民はもうほとんど殺されてしまった。残ったのはほんの数人で、しかも一人は死に瀕している。

 テグスは腹を据えた。


「殺すッ!」


 刺し違えてでも、この男を殺す。


「イイねイイねその目ェ! 人殺しの目だぜ、毒針!」


 テグスの蟀谷(こめかみ)がピクリと痙攣する。

 毒針は盗賊団に居た頃の二つ名だ。頭領の懐刀としてのテグスに与えられていた異名を、なぜコイツが知っている?


「テメエ……なんで知ってやがる」

「いいじゃねえかよ、別に。ああ、そう言えばシーフスパイダーのお仲間の身体もゴミみたいな性能だったなァ……所詮は使い捨てレベルってか? クハッ」


 殺意が、殺したいという衝動が、テグスの全身を駆け巡った。


「アアァアアアアア――――!!」

「まだギアが上がんのかよオイ、面白えな!」


 鬼神。

 まさしく鬼神と言えるほど、テグスは荒々しく敵の命を奪おうと剣を振るい魔法を放つ。だがそのどれもが致命傷を与えるには及ばず、口にできないもどかしさが溜まっていく。


 鬼神と死神の戦い。

 テグスは憤怒の形相で猛攻し、ヴィアラは身を削ぎ落とす勢いで攻めたてる。テグスの攻撃は強烈で、ヴィアラは筋肉が悲鳴を上げてでも速度を上げる。


「最高だ! テメエの身体は俺がいただく!」

「ふざけ、んな……ッ」


 呼吸する暇がないほどの攻防。酸素が不足したテグスの脳は上手く働かず、視界もぼんやりし始めた。対するヴィアラは生き生きしていて、殺し合いを存分に楽しんでいる。


 ――ちくしょう……!


 早く行かねばならないのに。そう焦れば焦るほど動きが精細さを欠き、隙を突かれて危うい場面に陥る。感情のコントロールが上手くいかず、怒りの波に溺れそうになる。

 そしてとうとう、綻びが出る。


「テグスっ!?」


 目が眩むほど美麗な顔が、戸惑いと驚きとに満ちていた。


 ――セリカッ!?


 一瞬だけ、テグスの剣が止まる。テグスにとって最悪のタイミング、しかしヴィアラにとっては最高のタイミングで、セリカが来てしまった。


「クハッ!」


 ヴィアラの眼光が鋭く狙いを定め、大鎌が伸びた。咄嗟に意識を戻したテグスが反応するも、わずかな差で後れた。


「がぁああああッ!」

「テグス!」


 左腕が持っていかれた。

 骨も血管も剥き出しになった断裂面から、赤い赤い鮮血が噴き出す。


「セリカ……行け……リリカがやべえ」

「で、でもっ!」

「いいから行け!」


 思ったより大声が出て、自分でも驚いた。どうやら聴覚が鈍ってしまったらしい。


「とっとと寄越せってんだ」

「ハッ……そいつは無理な相談だ」


 右腕だけで大剣を扱い、かろうじてヴィアラの剣を防いだ。

 まだ死ぬことはできない。たとえ片腕の身となろうとも、この男を止めておかねばならない。


(わり)いがうちの嫁を通してもらおうか」

「通りたきゃ通れよ。どうせアレは死んでんだ」


 ヴィアラは道を開けると、わざとらしくポーズを取って先を促す。


「恩に着るぜ、クソ野郎」


 この男は何をするかわからない。テグスはセリカを隠すようにして通し、その間もヴィアラへの警戒を怠らなかった。

 しかしヴィアラは、セリカが横を通り抜ける間、何もしなかった。


「テグス……いまなお――」

「――いいから行け。俺はこんなんじゃ死なねえ」


 セリカの顔が悲嘆に歪む。彼女の顔を見ると心が痛まないでもないが、今は自分よりもリリカだ。

 むろんただで死んでやるつもりもないし、死ぬつもりもない。


 テグスの意志をくみ取ってか、セリカは早足に駆けていった。テグスの左腕はすでに血が止まって断裂面が塞がっていた。妻からの、わずかな支援。

 そのときだった。


 ヴィアラの背後、大樹の枝に立つローブ姿の何者かを見つけた。その何者かは、弓を構えていて、今にも放たんとしている。


「やれ」


 ヴィアラが指示を出し終える前に、テグスは即断した。ちぎれそうになるくらい、両足に魔力を籠めると、全力で地を蹴る。

 前を行くセリカを追い抜くほどのスピードで駆け寄り、彼女を押し倒す。


「ぐぅッ……!」


 次の瞬間、背中に激痛が走った。


「テグス……?」


 困惑した様子のセリカは涙を湛えていて、しかしテグスの背を見て声にならない悲鳴を上げた。テグスの背には、三本もの矢が深々と突き立っていた。

 荒く呼吸しながら、テグスは大きく息を吸い込むと、振り返って片手をかざす。


「“爆焔(イクスプロード)”!」


 火属性の上位互換である焔属性魔法。

 紅の魔法陣より現出した焔が爆ぜる。辺り一帯の木々が燃えかすになって、風に乗って灰が舞い上がった。ヴィアラの驚いた顔が滑稽で、しかし笑うだけの気力は残っていない。


「小細工しやがって……クソ野郎が」


 喀血。どうやら肺にまで矢が到達したらしく、上手く呼吸ができない。だがそれでも、セリカを伴って八雲たちの許まで歩いた。今度こそヴィアラは何もしてこなかった。


「テグスっ……テグスっ!」

「大丈夫だ……それよりリリカは?」

「…………」

「……そうか」


 八雲は呆然としていた。虚ろな目のまま、リリカを抱きしめている。テグスは愕然として、今までの自分が、まったく無意味であったことに気づいた。


「ごめん……」


 テグスはただ、謝ることしかできなかった。幸せそうに眠る少女の手を取って、せめてもの冥福を祈る。これしか出来ない自分が不甲斐なくて、殺してやりたかった。


「ごめんな……りりか」


 本当に情けない。ここにきて誰も護れない自分が不甲斐ない。歯を食いしばり、己への怒りにテグスは打ち震えた。


「いつまでも茶番に付き合ってる暇ァねえんだよな」


 苛立った言葉とともに伸びてきた凶刃を、テグスはあわやと言うところで弾く。左腕はなくなったが、まだ充分に戦える。

 セリカの泣き顔が目に入って、テグスは微笑んだ。安心させたかったが逆効果だったようで、彼女はもっと涙を流し始めてしまう。予想外だ。

 微笑を崩したテグスが涙を流す。


「てめえだけは絶対許さねえ」


 周囲の惨憺たる光景を見て、再び闘志が煮えたぎった。

 辺りはすっかり血の臭いが充満していて、ヴィアラの魔手に掴まれた命の欠片が無残に散らばっている。青々としていた緑の草原は、すでに拭いきれない赤に染まっていた。

 背後にセリカたちを隠しつつ、テグスはヴィアラと対峙する。背後からは八雲の掠れた声とセリカの謝罪が聞こえていた。


「セリカさん……治してくれよ。治せるだろ。魔法があるんだから。なあ、魔法なら治せるよな。なあ……頼むよ……」

「八雲くん……ごめんなさい」


 セリカが謝ると、それきり八雲は黙り込んだ。テグスは正面の敵を睨みながら、その動きを観察する。気を抜けばやられるのは明白だった。


 ――どうして……。


 考えて、テグスは己の愚考を捨てた。

 こんなことを考えている場合ではない。いつヴィアラが襲ってくるかもわからない状況で、悲しみに浸っている余裕はない。


 ――リリカが遺したものを護るのが、俺からの精一杯の手向けだ。


 すすり泣くセリカ。だがきっと、彼女も同じ思いであると感じていた。


「……ラルカ連れて逃げろ、八雲」


 それが最善策だとしか、テグスには思えない。これがたとえテグスの独りよがり、身勝手な願望であったにしても、八雲とラルカを生かすことをリリカへの贖罪としたかった。


「……え?」

「ラルカ連れて逃げろっつったんだよ」

「なん、で……?」

「いいから行け! ラルカを護れよ! てめえが護るんだよ、八雲!」


 警戒を強めながら、テグスは肩越しに怒鳴る。

 たしかに八雲は憔悴しきっている。だが彼以外にラルカを護ることができる者などいない。


「俺じゃ護れない……俺じゃ、ダメなんだ」

「だったら強くなれよ。強くなって、護れよ」


 みっともない泣き顔で、しかし八雲は力強く頷いた。彼の雰囲気を感じ取り、軽く振り返って笑顔を見せたテグスは、たしかな覚悟を胸に大剣を握りしめた。


「お前のことは俺が護ってやる。絶対に追いかける。絶対に護ってやる」

「どうして? ……俺が勇者だから?」

「ほんと馬鹿だなお前。勇者とかそんなんカンケ―ねえよ」

「じゃあなんで……!」

「護りたい奴を護って何が(わり)い。俺はお前が友達だから護りてえんだ」

「でも俺なんかを護ったって!」

「うじうじうるせえ! さっさと行けよ馬鹿八雲」


 八雲が悲鳴を飲み込むのがわかる。

 それもそうだろう。こうして会話をしている間にも、テグスは片手だけでヴィアラの猛攻を凌いでいる。だがそれも完全ではなく、ときおり頬に赤く線が入っては血が流れだす。剣を振るうたびに背の傷口から血が噴き出す。服がボロボロの布切れになって、それでもテグスは膝をつくことなく戦い続けている。


 戦士としての矜持というよりかは、ただの執念だ。

 所詮は盗賊上がりでしかないのだから、矜持など持つだけ無駄。潔く散るくらいなら、無様でもいいから血肉を搾り取ってでも戦い続けてやる。

 それで誰かを護れるのなら万々歳。護ってやりたいと思えた奴の命を救えるのなら最高だ。


「行けよ、八雲」


 視界が白濁としてきた。すでに中央に見据えたヴィアラの姿しかわからず、少し寂しくなってくる。耳に聞こえる声も少し遠くて、聴きとりづらい。きっと、セリカだ。

 魔力も底を尽きた。体力も限界で、膝が笑っている。すべてを出し切ったと理性が叫んでいる。これ以上は無理だと本能が悲鳴を上げている。


「テグスッ!!」


 なんだ。まだ声が聞こえるじゃないか。

 ――ってことは、まだ絞り切ってねえよな、俺。


「ガァァアアアア!!」


 襲いくる大鎌を、ふらつく足で回避。倒れそうになった身体は、誰かが支えてくれた。


「八雲くん、早く行って!」


 セリカの声と、八雲と言う名前にテグスの意識が覚醒する。視界が澄みきって、白濁が跡形もなく消え去る。相変わらず魔力も体力も尽き果てているが、気力だけは回復したらしい。


 ――あの馬鹿、まだ逃げてねえのかよ。


 テグスは八雲の馬鹿さ加減とその優しさに思わず笑っていた。おおかたテグスとセリカの心配、それからリリカを置いていけないと言ったところだろう。

 しかし心配されるほど弱くなった覚えもない。


 ――逃がしてやらねえとな。


 はっきりした視界の中央に八雲が見えた。ラルカを抱えて、こちらを見たりリリカを見たりして涙を浮かべている。早く逃げろと言っているのに馬鹿な奴だ。


「早く行け馬鹿野郎!!」


 倒れそうな全身を酷使して、テグスは出せる限りの大声で怒鳴った。


「で、でも──うぅっ!!」


 逡巡したのち、八雲は駆けだした。みっともない泣き方で情けない顔になっていたが、それだけこちらを心配してくれたのだと考えると嬉しくなる。


「生きてこの世を救ってくれや、八雲」


 テグスは目を細めて八雲の背を見守る。彼の背中は遠くなるにつれて小さくなっていく。まだ使命を背負うには小さすぎる背中を見ると、やるせなくなってしまう。

 どうして異界から強制召喚した彼らにこの世界の命運を背負わせなければならないのだろうか。本当ならばテグス達が背負わなければならないはずの重みを、まだ小さい彼らに背負わせてしまったのだろう。


 テグスには勇者の肩書きが一種の呪いとしか思えなかった。

 しかし期待してしまうのだ。八雲ならばこの世界を救えるのでは、と。


 もちろん彼が勇者と呼ばれるのを嫌っているのも知っている。

 八雲が勇者として召喚され、しかし魔法も使えない勇者ということで城を追い出されたのは聞いていた。それでも幼馴染を護るために頑張っていた八雲も知っている。

 勇者でなくても、雑用でもなんでもいいから、幼馴染を支えて、できることなら一緒に戦いたいと言っていた。


 しかしテグスは、八雲が勇者だと知っている。


 だってそうだろう? 魔法も使えない、別段身体も強くなければ武術の心得があるわけでもない。そんな最弱なくせに、圧倒的に大きな存在にも立ち向かえるんだから。

 オークを倒したことも聞いた。護れてよかったと誇らしげだった。シャーベロアと対峙して、一度は何もできなかったと嘆いていた。けれど護りたいものを護るために自分を叱咤して立ち向えたと、それができて本当によかったと泣いていた。


 どれだけ自分より強大な存在であっても、誰かを護るために戦うことができる。それって、紛れもなく勇者ではないか。


 けれど、八雲は友達だ。勇者か友達かと言われたら、誰が何と言おうとただの友達だ。

 あとは、弟のようにも感じていた。歳が近くて、何か言うと反抗的な態度も取るけれど、基本的には仲のいい、そんな弟みたいに可愛がっていた。


 こうしてみると、案外自分は八雲が好きだったんだなとわかる。だから、護りたいのだろう。


「どういう風の吹き回しだかわかんねえが、待っててくれてありがとよ」

「クハッ! テメエは何も知らねえもんなァ?」

「そりゃあお前たちの目的なんか知らねえさ。知らなくったって敵ってことくらいはわかる」

「俺たちの目的が服部八雲だとしても、知らなくていいってか?」

「知るかよんなもん。俺がてめえを殺せばいい話だ」


 なんとしてでもここを通さない。それがテグスの、己に掛けた誓約。

 ヴィアラは嘲笑するように、


「イイねイイね……ゾクゾクするぜそういうの」

「気持ち悪い野郎だ。てめえなんかに負ける気がしねえよ」

「カッコいいねえ……どんな手使ってでも潰したくなる」


 縦に伸びた瞳孔がどろどろと濁った光を見せる。まるで悪魔のような残虐性を秘めた面差しに、テグスは知らず身震いした。

 これまでに出会った敵のなかでも最凶最悪。


「悪いな、付き合わせちまって。今から逃げてもいいんだぜ」

「あら。私を馬鹿にしているの?」

「いいや、お前には生きていてほしいと思ったからさ」

「それを私に言うのかしら。……まったく酷い人だわ」

「……ありがとよ」


 セリカが溜息を吐いて、テグスは不敵な笑みを浮かべる。

 次いでセリカが、言った。


「愛してる」

「ああ、俺もだ」

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