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012 届け


「あぐッ……」


 八雲はすっかり消耗していた。黒木場と離れてから五分と経っていないが、八雲にはその五分が一時間にも思えた。


 ──キツい……!


 だが、躱す。投げられる石を半身で躱し、突きつけられる石のナイフをぎりぎりで避ける。それでも、避けきれないのなら、ひたすらに耐える。そうして剣を振るう。


「うぉおおお!」


 一撃、二撃とゴブリンを屠り、攻撃に、痛みに耐え抜く。飛び込んでくるゴブリンをなんとか躱すと、そいつは他のゴブリンと衝突。体勢を崩したところを一気に串刺しに。


 先日の聖也や麗華のように流麗な戦い方はできない。ただもがき続ける、泥臭い戦法。しかし八雲にはそれしかない。背後に護る愛華を傷つけさせないため、八雲は一心不乱に切り続ける。


「畜生ッ!」


 いつしか、八雲の額からは流血し、革の鎧も切り刻まれて、身体には無数の傷ができていた。だが、まだ戦えないわけではない。

 八雲は目の色を変えて戦い続けた。突き刺した剣を引き抜き、上段から振りぬく。返す一刀で首を刎ねては、近寄るゴブリンを蹴り飛ばす。


 そうして、一瞬の間が訪れる。ゴブリンは確実にその数を減らしていた。あたりは青い血と緑色の肉片が散乱している。


 ふと。

 振り向くと、愛華は周囲の光景に必死に吐き気を堪えていた。だがその後ろには――オーク。血走った眼で愛華を見つめている。周りの生徒は気づけていない。

 八雲はその瞬間、さあっと血の気が引く感じがした。


「どけよ……」


 八雲は行動に移った。邪魔なゴブリンを薙ぎ倒し、全力で愛華の許まで駆け抜ける。あともう少しというところで、振り上げられていく棍棒を握る手は、頂点で止まる。そこから一気に振り下ろされようとする──、


「ふざけんな……ふざけんじゃねえ……」


 ──時間がゆっくりと流れる気がした。コンマ送りで進む世界。愛華を狙う棍棒はどんどんと迫り、八雲の身体が走るのも遅くなる。間に合え。あのときと同じ感覚になる。まだ間に合う。あのときと同じならまだ助けられる。走れ。感覚が研ぎ澄まされる。だがまだ遅い。夢のなかのように足が動かない気がして。ふざけるな。愛華の怯えた顔が目に焼き付けられる。あのときの彼女と同じ表情。走れ。走れ。届かせろ。届け。届け。届け──、


「届けぇええ──ッ!」


 棍棒が当たるその瞬間、八雲は愛華を抱きかかえる。驚いた愛華の表情が目に入る。次いで愛華は八雲の後ろを見て目を見開く。八雲は愛華に言った。大丈夫だ、俺は強いんだろ。


「や……、いや……っ」


 次の瞬間、左足に激痛。ぐしゃりと嫌な音を立てて、八雲の左足が完全に潰れる。骨が砕け散って、肉がすりつぶされる。血飛沫が舞って、愛華の頬に血が付着する。


「……ぐッ」


 八雲は苦悶の表情を浮かべつつ、愛華の無事を確認すると微笑む。思わず失神しそうになるが、歯を食いしばって踏みとどまる。


 ──立つんだ。


 立ち上がらねば、身体を張った意味がない。

 痛みを無視して八雲は奮起する。残った右足に力を籠めてなんとか立ち上がる。愛華は八雲の左足を見ると泣き出してしまった。それからすぐに治癒魔法を使役する。


「やくもくん……やくもくん……!」

「……大丈夫だ」

「ぜったい治す、治すから……っ!」


 震える愛華の背に手を置いて八雲は、


「ありがとな愛華」


 それから目の前で首を傾げるオークを睨みつけた。感覚のなかった左足に、たしかな感触が生まれてくる。だが、治りきっていない。

 声を出すのも辛い。が、八雲は愛華に告げた。


「離れてろっ」


 他の生徒は八雲の様子に気づいている。だが、数多のゴブリンやオークに囲まれていて何もできない。クルトたちはオークを殲滅するために通路の奥に入ってしまっている。

 もう、八雲しかいないのだ。


 愛華のおかげで、骨の修復はできていないまでも、左足はなんとか形を成している。

 逃げ回るだけなら充分だろう。愛華を離れたところ、魔物のいない場所に行かせてから、八雲はオークと対峙する。不思議そうに見つめてくるオーク。八雲より一回り大きい身体。


「理不尽なもんだ」


 本当は怖い。すぐにでもこのダンジョンから逃げ出したい。だが、それでいいのかと己が問うてくる。弱さを受け入れろと己が言ってくる。先刻の思考に己が異議を唱えてくる。


 サポートに回るなどとふざけるのもいい加減にしろ。サポートに回ったところでお前に護れるものなどない、と。

 弱さを受け入れて、這いつくばってでも何かを護る意思を見せろと言ってくる。

 お前の意思はサポートに回ることなのか? 大切な者たちを誰かに護ってもらうことなのか? ……違うだろう。

 ──俺が望んでるのは、


「俺自身が、大切なものを護るんだろうが」


 そして八雲は、オークに剣を向けた。


「来いよ豚野郎」


 魔物が言葉を解するはずがない。

 だがそのとき、オークはたしかに笑ったのだ。口許を歪めて、八雲を嘲笑ったのだ。八雲とオークを取り囲むゴブリンまでもが笑っているような奇声を上げる。


「ふざけた魔物(モンスター)どもだ」


 八雲は不敵に笑う。不思議と死ぬ気はしなかった。


「逃げろ、八雲っ!」


 拓哉の声をゴング代わりに、八雲はキッと目を開いた。


「ブォオオッ!」


 直情的なのか、オークはまたしても真っ直ぐに棍棒を振り下ろす。八雲は地を転がってそれを回避。すぐにオークに視線を戻す。


「よしっ」


 オークは反動で動けていない。今ならば攻撃を加えることもできる。

 だが八雲はその選択を捨て、距離を取った。ゴブリンが群がってこないのは、各上であるオークの得物だと捉えられているからか。なんにせよ、今の八雲にはありがたい。


 ──ただ、


 心配な点もある。はたしてオークが八雲を狙ってくるかどうか、という点だ。もし考えるだけの知能があるのなら、オークは愛華を狙うだろう。


「ほら来いよ、まだ始まったばかりだ」


 八雲の懸念は杞憂だったらしい。オークは八雲目がけて突進してきた。もはや豚というよりは猪のようである。牙こそないものの、その突進を真正面から受ければひとたまりもない。


「猪突猛進ってか? 能のないやつだ」


 ──馬鹿にならない威力だ、クソッ!


 寸前で地を転がる。魔法が使えればいいのだろうが、それは八雲にはどうやっても無理なこと。

 ならばできるだけ引きつけてから避けるまでだ。その方が体力の浪費はしなくて済む。


 獲物を外したオークはゴブリン数体を潰してから制止。八雲に向き直る。その鼻息は荒く、剥き出しの闘争心で八雲を睥睨している。


 ──闘牛士の気分だ。


 そんな馬鹿な考えを抱きつつ、八雲は剣を握りしめた。虚勢を張ってなきゃ今にも膝が笑いそうだ。


 しかしいつまでもこのままでは埒が明かない。とはいえ八雲には必勝の切り札などない。ただ仲間が助けてくれるのを待つのみだ。


 視界の端に映る生徒たちは、みなゴブリンやオークと戦っている。全員八雲の決死の戦いに気づいてはいるが、自らの戦闘で手いっぱいらしい。ずっとこちらを気に掛けてくれている拓哉にかんしては、オーク三体以上を相手取っている。


 ──逃げるが勝ち、なんて言ってられないか。


 これでは助けを望めない。それに、いつ愛華が襲われるともわからない。

 今のところ愛華はオークの得物と認識されているが、堪え切れなくなったゴブリンが愛華に手を出さないとも限らないのだ。


「……詰み、か」


 逃げ続けるだけならまだ充分だった。

 だが、攻撃に転じるのであれば、八雲の左足は一分ともたないだろう。なにせ踏みこむことすら敵わない状態だ。


 致命傷になる一撃などどうすれば――と思案したすえに、八雲は気がついた。

 足に頼らずとも、自らの力に頼らずとも相手を打ち倒す方法がある。


 ──できるのか? 本当に?


 確実に成功させるための案を練ろうとするが、先方はそれを許してはくれない。

 オークはのそりと動き出すと、その体躯に似合わぬ俊敏な動きで八雲に迫る。大ぶりな動きから次の動作を予測する。


「チッ」


 横に薙がれる棍棒。剣を地面に突き立てると、八雲はそれを握りつつ跳躍。空中で身を捻りながら剣を放し、オークの棍棒を器用に躱す。

 着地には失敗したが、大した怪我は負っていない。


「……クソッ」


 しかし身の保全の代償は大きかった。


 剣が半ばから折られていた。だがそれでも使えないことはない。八雲は折れた剣を拾うと、体勢を立て直したオークを睥睨する。


「やるしかないだろうがよ」


 卑屈な自分を抑えつけ、八雲は自らに言い聞かせる。この状況を打開するにはそれしか方法がない。そしてできるかできないかを考えている暇もない。


 一か八か。ここで倒しても増援または仲間が助けに来なければ自分は死ぬ。このオークを倒した時に仲間が来たら勝ち。オークを倒しても仲間がこなければ負けだ。


 どうせなら八を掴みたいが、生憎と八は(ばち)の意らしい。


 だが自ら(八雲)の八を罰と呼ばせていいものか。不運ばかりの人生だ。たまには勝たせてくれてもおかしくはない。もちろん普通の賽に八の目はないのだが。


 自らのくだらない考えに八雲は上機嫌になる。オークは笑われていると思ったのか、地団駄を踏んで八雲を威嚇する。オークは八雲を一心に睨み付けている。


 八雲は覚悟を決めた。恐れずに立ち向かえばいいのだ。自分は弱い。力がない。運だってない。自分だけの能力というのはまったく何もない。だが自分だけの友人はいる。


「ブモォオオッ!!」

「速いなっ」


 オークは八雲の前まで来て、それから棍棒を駆使する。斜めからの打撃を、八雲は身をかがめて柔軟に躱す。

 だが、


 ──なっ!?


 それを狙っていたのか、それとも本能的な動きか、オークは八雲の脇腹に蹴りを入れた。


「か、はッ……」


 衝撃。

 自然肺の空気が押し出され、肋骨が嫌な重奏を流す。愛華が悲鳴を呑みこんで、


「……っ」

「てめえぇえええ!!」


 拓哉は怒りの雄叫びをあげた。


「ブモッ! ブォオオオオォオオ!!」


 オークはすぐさま追撃に走った。獲物を早く殺そうと、血眼になって八雲を追う。

 八雲は無様に転がるなかでオークの姿を視認する。どくどくと脈打つ心臓が動けと鞭打ってくる。


「立てっ」


 八雲は渾身の力で立ち上がる。剣に頼らねば歩けそうにもない状態だが、それでも八雲は迫り来る敵を目標として据えた。


「──ブモォォォオオ!!」


 駆けてきたオークは直前で立ち止まり、両手で棍棒を高く振り上げる。

 呼吸をするたび、頭がガンガン痛む。血流が全身を廻るのがよくわかるほどに感覚が鋭敏になっている。

 絶望的な状況。しかし八雲は、悠然と呟いた。


「やって、……やるさ」


 先ほどからの戦闘の際に見つけた癖とも言える弱点。このオークは獲物を振り下ろす際に毎回渾身の力を籠める。だから、どうしても体が前傾姿勢になり、次の動作が遅くなる。


 壊れそうな身体を反らしつつ、八雲はオークの懐に滑り込む。


 書物を読み漁って得た知識。オークの骨格と特徴を記した研究書物を読んだことによる知識。


 『オークの心臓は硬い筋肉に覆われていて、普通の剣では到底突き刺せない。だが、その筋肉にはぽっかりと空いた隙間がある。大動脈と大静脈が通るための大きな穴が、空いている。そこに勢いよく突き立てれば、ペンでも心臓を貫けるのだ。オークは学習するべきだろう、すなわち下心が丸見えなのだと!』。


 オークの骨格は頭のなかに入っている。そして隙間は馬鹿みたいに大きいとあの本に書いてあった。あの本を信じきるのも馬鹿な話だが、八雲はなぜかあの本を疑えなかった。


 あの本を信じよう。オークが前のめりになるこの瞬間だけなら、自分の力が足りなくとも、たとえ剣の刃が折れていようとも、心臓を一刺しにできる。


 八雲は内心で感謝を述べつつ、目の前にあるウィークポイントへと剣を突き立てる。

 ずぷり、と剣が沈む。

 八雲は不敵な笑みを過らせて、


「下心が丸見えだぜ、……豚野郎……っ」


 勢いとともに八雲は持てる全力で剣を突き刺した。それからすぐに剣を放して股下を潜り抜ける。

 間一髪、倒れ込むオークの下敷きにならずに済んだ。オークから生暖かい血が広がり始め、八雲の身体を濡らす。


 呼吸が乱れている。事実八雲の肋骨は数本が折れていた。絶体絶命の状況を抜け出したからか、先とは比にならないほどの鈍痛が八雲の身体にきていた。


 満身創痍の状態だ。すぐに動くことはできそうにない。

 重い目蓋を持ち上げると、そこには別のオークがいた。棍棒を振り上げて、八雲の頭を潰そうとしている。


「負け……、かよ、畜生……」


 はたして愛華は無事だろうか。他のメンバーが助けてくれているのならいいのだが。もし愛華が今この瞬間にも危機に瀕していたら、この献身は無駄になる。


 ──頼むよ、なあ。


 八雲はただ幼馴染たちの無事を祈ることしかできなかった。


「あいつらを──」


 八雲は悔しさに歯を食いしばる。拳を握りしめて、動けと己を奮起させる。だがもう、八雲の身体は反応してはくれない。

 八雲の足は、愛華の応急処置むなしくあらぬ方向へと折れ曲がっている。


 オークの嘲笑が目に入る。歯噛みすることしかできず、八雲は自らの貧弱さを呪った。

 こんなに弱くなければ、力さえあれば――などと今更だ。これまでに八雲は鍛錬を欠かさなかったし、情報収集も入念に行っていた。

 それだけでは敵を殺せないのが現実。けれど愛華を助けることができたのもまた、八雲の(たゆ)まぬ努力の成果だ。


 ──よかった。


 オークの腕が動く。八雲は目を瞑って、自らの死を確信した。


 ひゅっと風を切る音がして──、


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