011 黒木場眞白
奥へ行くには二つの道がある。それぞれ行き着く先は最終的に同じなのだが、それまでの道のりはまったく別で、交わることは一切ないと言う。
ザイクは咄嗟に判断を下した。ザイクは中田たちを率いて一方の道を。クルトと他数名は聖也たちを率いてもう一方の道を。セルグには来た道を戻らせてみることにした。
指示を受けたクルトは即座に生徒を集め、混乱しないよう注意させつつ走り始めた。八雲は息を切らしながらついていく。
「くそっ、お前の予言が的中しちまったっ」
悪態を吐きつつも、八雲は走る勢いを緩めない。横を走る拓哉はギリと歯を食いしばりつつ、
「馬鹿野郎……!」
いなくなったのは、中田の取り巻きである相馬武と白井親義だった。その無鉄砲さは校内でも有名だった。
だが、その気持ちが分からないわけではなかった。
戦闘はいわば麻薬だ。敵を倒して自らの強さを知ることが出来て、得も言われぬ快感を手軽に味わえる。だが、手軽に味わえるのは敵が弱いからだ。
現状で強くなったわけではない。本当に強い敵と出会ったことがないからこその蛮勇。下手をすれば死に至るかもしれないということを想定していないがゆえの強行。
彼らはゲーム感覚だったのだ。徐々に戦闘に慣らしていこうとしていた騎士団の方針そのものが悪かったわけではないが、そのせいで彼らは微温湯に浸かってしまった。
──最悪な気分だっ!
八雲は舌打ちして前方を見据える。一番先頭を行く聖也は強化魔法でブーストを掛け、そのうえ風属性魔法で自身のスピードをさらに上げている。
──うわぁああああ────
悲鳴が木霊した。男の悲鳴。おそらくはいなくなった二人のうちのどちらかだ。
その悲鳴はだんだんと大きくなって──、
視界が開けた。聖也たちが立ち尽くしていて、その前には一人の男が蹲っている。
まず感じたのはひどい悪臭。鼻が曲がりそうな悪臭に、八雲は顔を顰める。だが、そんな悪臭よりも酷い光景が目の前にはあった。
手。手が置いてあった。それも、小さな手だ。その手はたったひとつ、ポツンと置いてある。そしてその奥には、足が見える。これも、小さい。足のついているのはもちろん身体。身体なのだが、今やその身体は緑色の何かに覆われている。緑は蠢いている。蠢いていて、グチャグチャと音を立てている。よく見ると置いてあった手や足の下は赤く染まっている。赤く。赤く。黄色い脂肪が、血の赤黒さに浮かんでいて。緑色の隙間から見えた子供の瞳にはすでに光が宿っていなくて。
「何かあった──」
「──見るなっ!」
八雲はその声に覚醒し、即座に反応した。後ろから遅れてきた愛華の目を、八雲は自らの手で覆う。騎士団の一人が声を張り上げた。
「クルトっ!」
クルトは肩をびくっと震わせた後、目の色を変えた。
「全員下がって!」
だが、みな動かなかった。目の前の惨劇に呆然とするばかりで、クルトの声が届いていないようだった。
八雲は愛華を半ば抱え込み、目の前にいた麗華の手を引く。拓哉のすねを蹴り飛ばして意識を戻させる。
クルトは思い切り息を吸い込んで、
「下がれぇえ──っ!」
叫ぶとともに、背負っていた弓を構え、矢を放つ。死体に被さっていた緑色――ゴブリンの一体の頭を貫く。騎士団のメンバーは全員剣を抜き、部屋のそこら中にいる魔物たちに襲い掛かる。
そこで、ようやく生徒たちは動いた。みな言葉を出せないまま、狼狽えつつ後退する。
下がりつつ、八雲は麗華の顔を覗き込む。麗華は顔面蒼白の状態で、どこか虚ろだ。
「愛華っ! 麗華を頼んだ!」
愛華に麗華を押しつけて後ろに押す。八雲は拓哉のところへ。拓哉は呆然と立ち尽くしていた。
「逃げるぞっ!」
声を張り上げて後退しようとすると、
「こっちにもいるぞ!」
八雲は遥か後方を見る──通路にはゴブリンの群れが列を成している。完全に挟まれていた。
──どうすりゃいいっ!
八雲は込み上げてくる吐き気を抑えて、頭をフル回転させる。そのとき、クルトが指示を出した。
「全員こっちにっ!」
誘導に従って、生徒はみなクルトの許へ。愛華に死体を見せないよう立ち回りつつ、八雲は周囲を見渡す。
酷い腐臭が先ほどの光景を思い浮かばせ、喉元まで吐瀉物が駆けあがってくるが、辛うじてそれを飲み込み、状況の整理に入る。
「広いっ」
「数が多すぎるぞ!」
広さからして大部屋。だが狭く感じる。あまりにもゴブリンの数が多すぎた。いつの間にかゴブリンはその数をどんどんと増やしており、退路を塞ぐように八雲たちを囲んでいる。しかも通路にいるだけならばクルトの幻術で免れたかもしれないが、すでに遅い。
「全員戦えっ!」
クルトは大声で指示を出す。
従って、我に返った生徒たちもそれぞれ武器を抜いた。
「ぉぉおおお──っ!」
一番初めに斬りかかったのは聖也だ。裂帛の闘志を振りまきつつ、何体ものゴブリンを倒していく。魔法を使役しながら、聖也は湧き出てくるゴブリンたちの殲滅にかかる。
「ふざけるなっ! こんな状況は──」
「皆を護れ!」
クルトや他の騎士団員たちも魔法を使いながら魔物を倒していく。
彼らの働きに触発されてか、生徒たちもみな声を張り上げて戦場に飛び込む。相変わらず顔色は悪いが、それでもみな死にたくない一心でゴブリンの群れに挑んでいる。
──これならっ!
これなら大丈夫だ。
そう思った八雲の視界に、何かゴブリンよりも大きなものが映った。豚のような顔で、手には棍棒を握っている。魔物について何度も図書館で調べつくした八雲の脳は、すぐにその魔物の名前がわかった。
「オーク……!?」
それも、一体だけではない。何体もいる。奥の通路からどんどん出で来るのだ。
クルトもその存在に気づいたのか、横目で八雲を見遣ると弓を引いた。
「魔より生まれし風を今解き放たん! “嵐風刃”っ!」
放たれた矢が魔法陣を展開させ、奥の通路で風の刃が吹き荒れる。瞬く間にオークの集団は肉塊と化した。だが、
──ォォオオアアアア────
響く絶叫とともに地鳴りがして、ダンジョン全体が揺れるようだ。
──まだ来るのかッ!?
「俺たちはオークを! 八雲さんたちはゴブリンを!」
魔法を連発しながら、クルトはオークの方へと走る。それに付随するは騎士団のメンバー、聖也。それに覚醒しきった麗華だ。
つまり、ゴブリンの群れは八雲たちが掃討せねばならない。だが、難しいことではないはずだ。
「死にたくなけりゃ戦えっ!」
叫んだのは拓哉だ。拓哉はゴブリンの集団に突っ込んでいき、ゴブリンたちの頸椎を折ったり頭を飛ばしたりしている。
「ぉ、」
その勇猛果敢とも呼べる背中に触発されてか、
「うぉおおおおお!!」
「行くぞッ!」
生徒たちはみな動き出した。魔法を紡ぎだしてゴブリンを殺し、剣や弓矢で確実に仕留めていく。
しかしそんななか、愛華はただ呆然とへたり込んでいて、生徒たちは自然と彼女を護るようにしている。いまだゴブリンがその魔手を愛華に伸ばすことはない。
「クソッ! キリがない!」
八雲もまた、ゴブリンと戦っていた。一度に複数体を相手取らねば愛華が危ない。愛華は一切戦う術がないのだ。
横にステップを踏みつつ、剣を真一文字に薙ぐ。そのまま背後を向いてゴブリンを蹴り飛ばし、剣を突き入れる。
青色の血飛沫が掛かるのも気にせず、八雲はがむしゃらに動いていく。
「よ、服部。調子はどう?」
「生憎と絶好調だっ!」
目を隠すほどの前髪。その下にはギラギラした獰猛な眼差し
いつも怠そうな男──黒木場眞白。クラスでは寝るかだらけるかしか能のないとまで言われていた男だ。
しかし黒木場はニッと笑いかけて、
「ま、お互い死なないように頑張ろうぜ?」
──こいつっ!?
恐ろしく速い。細めの腕をしならせ、得物の双剣で対象を切り刻んでいく。普段と違うのはその獰猛な両目だ。
「もっと来い! じゃなきゃ俺が楽しめないだろ!?」
黒木場の双眸は生き生きとしていて、明らかにこの時間を楽しんでいる。危険を危険としない、むしろ危険を糧に生きているかのように笑顔なのだ。
「危ないぜ服部」
黒木場の警告は正しかった。
──不味いッ!!
圧倒的な戦闘に気を取られ過ぎて、八雲はゴブリンに気がつけなかった。だが広げられたゴブリンの口はそのまま切り裂かれる。
「ほらほら、気ぃつけなよ?」
「……助かった」
「いやぁ、いいって。──んじゃ俺、あっちにいくから」
黒木場が指さしたのは麗華たちの方向だ。
「なっ……」
「ん? 心配でもしてくれんの?」
愕然とした八雲に、黒木場は目を丸くする。
たしかに先の黒木場の実力は周囲から頭ひとつ抜きんでていた。しなやかな肉体に咄嗟の場面での判断力。どれをとっても八雲よりはるかに格上だ。
だが、
「お前は──」
オークと戦うほどのレベルではないはずだ。
そう告げようとしたとき、黒木場はニヒルに笑んだ。
「死の瀬戸際ってのは素敵なもんだぜ? 死にそうな状況でこそ、人間の根底にある生への意欲が燃えたつのさ」
八雲は声が出せなかった。同時に、目の前の男に恐怖を抱いた。
「んじゃまた後でなー」
颯爽と行く黒木場を八雲は止めることができない。ゴブリンと戦っているさなかにそんな余裕はないのだ。
「黒木場……」