010 ダンジョン
城外に広がる草原のなか、舗装された道を何台もの馬車が征く。蹄鉄と地面が織りなす音が、車内に座る八雲に心地よい眠気を催させた。
車内には、いつもの五人。愛華は麗華の肩に寄り添って眠り、拓哉は聖也の肩に涎を垂らして眠っている。
聖也が可哀想だとは思ったが、麗華の横に腰掛ける八雲にはどうしようもない。なにせ、移動する場所がない。
気持ちよさげに眠る二人を眺めていると、欠伸が出てきた。
「まったく、こいつら二人は暢気なもんだ」
「いいじゃないの、愛華は」
「言外に拓哉はダメって言ってるんだね……」
「なんにせよ、羨ましい限りさ」
これから洞窟に潜るというのに、リラックスできるとは羨ましいものである。いや、むしろ緊張しすぎて吐くよりはマシなのか。
ただ、今回が初めてというわけではないから、緊張していなくても不思議ではない。
この異世界に来てから一か月が経とうとしている。二週間ほど前から、八雲たち召喚勇者は、騎士団の護衛の下、ダンジョン化している洞窟に頻繁に潜っていた。
というわけで、現在御者台に座るのはクルトである。なんだかここ最近はこの五人ないしは六人で行動することが多い。
クルトとは妙に馬が合うと言うか、年齢が近いからか互いに気を遣わずに済む。意見を言いやすいし、なによりクルトはいい奴なのだ。
「にしても、ダンジョンってのが本当にあるとはな」
「まるでRPGだよ」
「そんなダンジョンが魔力の溜まり場で、そこから魔物が生まれるってのがどういう理屈なのかもわからんしな」
「今のところそんな結論しか出せないってだけだからね。あくまで推論、本当のことはまだ誰にもわかってないのさ」
聖也は苦笑する。ふん、と鼻白むと、八雲は窓の外に目を向けた。
あともう少しで森林地帯に到達する。ベースキャンプが荒らされていないといいのだが、と思いつつ、八雲はダンジョンについての講義を思い浮かべた。
──たしか……。
ダンジョンとは、魔力の溜まり場だ。そしてダンジョンの魔物とは、魔力から生み出される……らしい。だが、ダンジョン外にも魔物は存在する。しかも魔物は動物を同じく生殖機能も備えている。つまり、魔物は繁殖もするのだ。
だが、ダンジョン内においてはその法則性は失われる。ダンジョン内の魔物は魔力から生み出されるというのだ。これはある学者の提唱した説であるらしいが、今のところこれを上回る説は出ていない。
だからこそ、年月と共に魔力を溜めてしまった洞窟などでは、魔物が自然発生し、ダンジョンとなるらしい。
各ダンジョンにはさまざまな種類の魔物がいて、強さもバラバラのようだ。これは、そのダンジョンがどれだけ濃密な魔力を溜めこんでいるかによると言われている。
なんにせよ、ダンジョンは危険な場所だ。洞窟の奥地に行くということは、それだけ引き返す距離が長くなることである。心してかからねばならない。
なんて考えているうちに、馬車は森林地帯に入った。鬱蒼と生い茂る草木類は、上から降り注ぐ日差しを閉ざしている。じめじめした空気は肌に纏わりつくようで不気味だ。
見れば、麗華も聖也も不快そうに顔を顰めている。もっとも、聖也は他のことが原因なのかもしれないが。
「そろそろ着くね」
「ああ。今回はもう少し奥に行くらしいな」
「……服部くんは無理に前に出ちゃダメよ」
「わかってるさ」
麗華は心配そうな眼差しを八雲に送る。
言われずとも、自分が一番弱いことは自覚している。そして、それを受け入れる覚悟もすでに終えた。自分は弱い。
だからこそ、サポートに回る。そのためにこれまで図書館に居座ってあらゆる知識を得たのだから。これが、八雲が一時的に出した、弱さと向き合う方法。
八雲は唇に微笑を過らせる。
護る力がなくとも、助けになれるのなら、それでいい。歯がゆくても、悔しくても、それしかできないのだから。弱者は弱者なりに知恵を絞り、戦える者のために頭を働かせればいいのだ。合理的だ。感情を排して理屈で動く。そうすれば、きっと助けになれる。
窓に映る自分の顔は、ひどく歪んでいた。
× × × ×
三十分ほどで洞窟に着いた。寝ぼけまなこを擦る愛華を起こし、まだ寝たいと唸る拓哉を取り残すと、八雲たちは騎士団の許に集まった。辺りは薄暗く、いかにも危険といったふうである。
「これから行くのは先日よりも奥だ。道中の魔物も倒していくが、各自できるだけ体力を温存するよう心がけてくれ。奥にいる魔物は少し強くなっているからな」
ザイクはそう告げると、騎士団のメンバー数人を伴って先を行く。生徒たちはふたつの集団に分かれる。中田が率いるのが先行、聖也が率いるのが後続である。
先行組と後続組に分けているのは、その間に精鋭の騎士を幾人か挟んで生徒たちの安全を確保するためである。その騎士たちを率いているのが副団長であるセルグだ。
ザイクたちの後を中田達が続くと、セルグたちも洞窟に入って行く。あまり間隔を空け過ぎぬよう聖也が追従し、八雲もそれに倣った。拓哉はいつの間にか八雲の傍にいた。少し涙目だったのが気持ち悪い。そして殿を務めるのはクルトと他数人の精鋭だ。
洞窟内はもちろん明るくない。等間隔で松明やカンテラを持ったり、中には火属性魔法や光属性魔法で明かりを灯す者もいる。
それから、洞窟内ではあまり大声を出せない。反響した音で魔物が追ってくる可能性もあるからだ。
やはり一番後ろを歩く八雲は、隣を歩くクルトに小声で話しかける。
「なあ、クルト」
「なんすか?」
「奥にはどんなやつがいるんだ?」
今まではゴブリンなど、八雲でも倒せる魔物だったが、奥の魔物はそこそこに手ごわい筈だ。
八雲は不安がりつつ、クルトの返事を窺う。クルトはあっけらかんとして、
「オークとかっすね、たしか」
「どんな奴だ?」
「んー……ゴブリンを少し大きくした感じっす。ただ、食欲がすごいから人間を見かけたらすごい勢いで襲い掛かってくるっすよ。それこそ理性を失くした八雲さんみたいに」
ぐへへ、とクルトはニヤニヤして両手を揉む。なんだか悪代官に媚を売る役人のようだ。というか、八雲自身クルトの言うような経験をしたことがない。
八雲はすっかり呆れてしまった。
「お前のなかの俺はどんな男なんだよ……」
「女たらし?」
「それだけはないな」
「ホントのこと言うと、努力するひとっすかね」
へえ、と八雲は片眉を持ち上げる。
そういう目で見られているとは思ってもみなかった。せいぜいが才能のない人間くらいだと予想していたのだが、存外そう見られていないのだろうか。
「ま、最初は努力しないで逃げてるって感じだったんすけどね。なんか、諦めてる感じっていうか」
「……やっぱりそう見えたか?」
「よく見なかったらわかんなかったっすけどね。でも、少し経ってからすごく努力するようになったっす」
「才能がないからな。それに……、期待を裏切るわけにもいかないだろ」
八雲が照れくさいのを我慢して言うと、クルトはまたニヤニヤする。
「どうせ愛華さんとかでしょ」
「……まあな」
「へへ、やっぱりっすか」
「でもそれだけじゃない」
「……へ?」
クルトは素っ頓狂な声で驚く。その端正な顔立ちには似合わない間抜けな面である。
「愛華さん以外の女の子……麗華さん?」
がっくりと肩を落として八雲は溜息を吐く。
どうしてこうも目の前の男は自分と幼馴染とを関連付けたがるのだろう。いささか失礼ではないだろうか。
八雲はジトッと睨みつつ、その真相を明かすことにした。
「ガルムさんっていうんだけどな。そのひとに飯を奢ってもらって、ついでに励まされたんだよ」
「女性っすか?」
「男だよ」
「ついにそっちの道に……」
「それだけはあり得ない」
いかにも不満だったから、八雲は語気を強めて断言した。八雲のひと睨みを受けて、クルトはぐっと呻く。
しかし、八雲にはそれが意外だった。ガルムはどうやらあまり有名ではないらしい。研究者というのだからてっきり名の知れているのだと思っていたが、そうではなかったようだ。
「ま、俺は努力するしかないのさ。たとえついていけなくても、ついていく努力をしなかったら置いていかれるだけだからな」
クルトは返事をせず、ただぽかんと八雲を見つめていた。そこにどんな感情の機微があるのかは汲み取れない。
恥ずかしくなった八雲は、目を逸らして前方を向く。クルトは悪戯心が芽生えた子供のように笑って、それ以上は口を開かなかった。
通路は広く、少し行けばある程度大きな空間にも出る。そこからはルートが分岐していたりするから、そこでは絶対に迷わないようにしなくてはならない。
それに、そろそろ魔物が出てもおかしくないころだ。ゴブリンなどは壁に穴を掘って突然現れることもあるから、細心の注意を払わねば。
八雲は気持ちを切り替えて、腰に佩いた剣に手を遣る。最悪の場合を想定するのなら、手に携えておいた方がいいかもしれない。
しかしその後も、ほとんど魔物が現れることなく八雲たちは以前よりも奥の地点に辿り着いた。
今は一応休息を取ることとなっている。
現在待機している場所はかなり広い。ダンジョン内ではこういった空間を部屋と呼び、それぞれ大きさによって名称を変えている。大部屋、中部屋、小部屋といった具合だ。
生徒たちはただ歩くことに疲れてきていて、魔物が出てこないことが逆に苛立たしいようだ。八雲からすれば危険な目に遭わなくて大いに結構なのだが、ゴブリン程度では脅威にもならない生徒にとって今の状況は退屈でしかないらしい。
「もっと奥に行こうぜ!」
「つまんねえんだよな、今のままじゃよ」
そうぼやくのは中田の取り巻きだ。だが意外にも、中田はそういった主張を一切しなかった。あれでいてなかなか冷静なところがあるからだろうか。それとも、口に出さないだけなのか、八雲は判断しかねた。
「ダメだ。たしかにお前たちも実力はある。が、ダンジョンは危険なところなんだ」
厳然とザイクがたしなめる。だがそれは、生徒たちの不満を膨張させるにすぎなかった。ぼやくのは、とうとう中田の取り巻きだけでなく、生徒のほとんどが不平を呟くまでになっている。
むろん、それでもザイクは頑として聞き入れない。
「ダンジョンで本当に怖いのは慢心だ。驕っていると痛い目を見るぞ」
その言葉は、どこか実感を伴っていた。きっとザイクもそういう経験をしたことがあるのだろう。経験者は語る、といったところだ。
「なあ八雲」
壁に寄り掛かっていた拓哉は、どこか不安げだ。
「どうした?」
「なんつうか、危ない気がするんだよな、今日は」
「いつだって危ないだろうがよ」
「そうじゃねえんだ。なんて言えばいいかわかんねえけど、今日はいつもより危ない気がする」
八雲が冗談めかしても、拓哉は笑みひとつ浮かべない。険しい顔をしている。
それを受けて八雲も真剣に考えてみた。
「……たしかにな」
今日はみな、どこか浮き足立っている。今まで怪我人が出てこなかったこともあるだろうが、それにしたってそわそわしすぎではないだろうか。
「今日を期待しすぎた、ってところじゃないか。だからみんな危なっかしく見えるんだろう」
「……ん? どういうことだ?」
「今まで俺たちは魔物に対しておよそ快勝と呼べるものを収めてきた。ひとりの怪我人もなく、だ。それで、こう思ったんだろう。──もっと強い魔物と戦いたい。言ってみれば力試しさ」
ゲームやスポーツにしてもそうだ。ある程度の実力がつくと、今よりも各上の相手と対戦したくなる。自分の力がどこまで通用するのかつい試したくなってしまう。それは、誰にでもある欲求だろう。
それは、拓哉だって抱いたことがあるだろう。
「空手の道場で一番強くなったとき、他の道場の奴だとか、年上だとかと試合がしたいと思わなかったか?」
至って簡単なことなのだ。しかしそれは向上心よりも好奇心に傾いた、いわば自分の実力を見極め切れていない段階の志向。
拓哉は暫時考えたのち、首肯する。
「それと同じ理屈だ。ただ……、なんとなく危うい」
最悪の展開が目に浮かぶ。ともすればそうなりかねないのが今の状況なのだ。
八雲は苦虫を噛み潰したような顔になる。拓哉もその深刻さを理解したのか、渋面を浮かべた。
「どうしてっすか?」
一連の会話を聴いていたのか、クルトが尋ねてくる。八雲が答えようとしたとき、生徒の人数を確認していた騎士団の一人が声を上げた。
「二人いません!」
途端、広い空間が一気に静まり返る。一瞬の間を置いて、その言葉の意味を理解したであろうザイクは、目尻が裂けんばかりに目を見開いた。